16話:さよなら

 私は小学校を卒業し、中学生になった。

 通う中学は荒津小の隣に並ぶ荒津中学校。

 外部受験をしなかった私は流れるようにそこへ通うことが決定された。

 小学校とほぼ変わらない通学路、面子のため新鮮味なんてものは皆無だった。


 変わらない。


 それは私に対する周りの態度も同じ。


 イケニエ制度は継続されるということ。地獄のような日々が続くということ。

 運が悪いことに、私は阿久津さんと同じクラスになってしまった。最悪だ。彼女は新しくなったクラスでも頂点にのさばるだろう。


 更に言うと山之内くんも同じクラスだった。

 彼は苦手だが、別にいじめに参加しているわけではないので害はない。笑って見ているのは癪に触るが、危惧する存在じゃない。

 そう思っていたのに。



「御園ちょっといいか」


 入学してまもない頃、まだ数回しか見たことない生活指導の教師から声をかけられた。


 一体なんだろう。


 職員室まで連れていかれ、生活指導は自分の席の回転イスに座ると、私に問いかけた。

「御園は夜の繁華街をうろついていたんだって?」


「……は?」


 予想もしていなかった問いかけに間の抜けた声を出してしまう。


「いやな、一昨日の夜に御園が繁華街にいたのを目撃した生徒がいるんだよ」

「してないです。私は街なんて行ってない」


 でたらめだ。

誰だ。

そんな嘘をでっち上げた奴は。だいたい、そいつだって繁華街にいたってことになるじゃないか。


 生活指導はふぅ、とため息を吐く。

「なあ御園。過ちは誰だってする。大事なのはそれをちゃんと認めて反省することなんだ」

「だから私は繁華街なんて行ってない!」


 大声で無罪を訴えると職員室がしん、と一瞬静まる。

すぐに喧騒は戻ったが、生活指導の目は冷たくなっていた。


「次に問題を起こしたら停学だからな」



 わけがわからないまま職員室を出た。手の中には反省文を書く原稿用紙がある。

 どういうこと? なんで私が根も葉もない噂で咎められないといけないの?

 怒りのあまり手に力が入る。原稿用紙はくしゃくしゃだ。

 教室に戻り自分の席に着くと、山之内くんがすっと通りすぎた。

 その時、彼が小さく呟いた。



「噂は気に入ってもらえた?」

「……!」


 振り向いた時には、彼はもうクラスメイトと朗らかな笑顔で喋っていた。


 冷や汗が背中を伝う。

 じゃあ彼が噂を流したの?

 なんで。私が告白を拒んだから? それを恨んで復讐してきたってこと?

 急な出来事の連続に思考が追い付かない。


 わかることは二つ。


 彼もいじめる側に加勢したということ。

 そして私にとって新たな地獄のステージが始まったっていうこと。



 彼がいじめ勢力に加わったことによって、いじめの質が更に陰湿かつ過激なものになった。

 ……それこそ今までの小学校のいじめなんて可愛いくらいに。

 彼は上級生や教師までも味方に巻き込んだ。

 先輩や教師からも信頼されていた山之内くんはそれらを活用し、私への攻撃力を大幅に上げた。

 今までは同級生の、しかも同じクラスでしか行われなかったものが、移動教室も通学路も、どこからも攻撃されるようになる。

 私の逃げられる所はなかった。


 罵声を浴び、やってもないことを咎められ、叱責される。

 校内を歩くだけで嫌悪と憎悪の感情を向けられる。

 学校にいるだけで私の心はまた壊れそうになった。


「どう? 辛いでしょ? 他のイケニエを出せば楽になれるわよ」


 それでも私は阿久津さんの提案を断り続けた。


 こんな思いは誰にもさせたくない。

誰も犠牲にしたくない。

 私がイケニエを引き受けることで、次にイケニエになるはずの子が助かるのなら。

 そうやって私は見えない誰かを救うために登校した。


 家に帰ると勉強のことしか言わない両親がいる。

 相談なんて出来ずに、明日の学校のことを考えながら鬱々と布団にくるまるだけのための家。


 辛くなるたび、蒼汰くんの顔を思いした。



「大丈夫。私はまだ……戦える」


 どんなに嫌な時間が来ても、終わる時間はやって来る。

生きている限り時間は流れ続ける。



 午後の授業とホームルームを乗り越えた私は誰もいなくなった教室にひとりでいた。

 珍しく、今日は教室に残るクラスメイトはいず、私ひとりが取り残されるような形で教室にいた。

 夕日が射し込む教室は橙色に染められ、柔らかい光が頬を照らす。


「久しぶりに、描いてみよう」


 そう呟いて鞄の中からスケッチブックを取り出す。


 いじめがひどくなってからご無沙汰だった。

 今日はここに誰もいないし、ゆっくり描ける。

 誰にも干渉されないことがこんなにありがたいなんて思わなかった。


 深呼吸をし、スケッチブックに向かおうとすると、


「随分楽しそうねぇ。私も混ぜてくれない?」


 ねっとりとした嫌な声が教室に響いた。

 教室の出入口付近には阿久津さんと山之内くんが立っていた。


「……なに。何の用?」


 何でこの二人が教室に?


「用がなくちゃ話しかけちゃいけないの? なーんて、用はあるんだけどね」


「そのためにクラスの皆には出払ってもらったんだし」


「! まさか、誰も教室に残らなかったのは……」


「そう。僕たちが君とゆっくり話をするためだよ、御園さん」


 嫌な汗が背中を伝う。


「あんたたちと話すことなんてない」

「だから、あたしたちにはあるんだって」

「関係ない。どうせ私を痛めつけることしか頭にない人たちなんかと話なんてしたくないの!」

「ひどい。聞いた? 山之内くん」


 阿久津さんは泣き真似をしながら山之内くんに寄りかかる。

対する山之内くんは優しく阿久津さんの頭を撫でる。

「ユリナは御園さんと話したいだけなのにね。あんまりだよね」


 二人のやり取りを見て不快な気持ちになる。


 まるで自分たちが被害者のように話を進めるところに嫌悪感しか感じない。


 そういえばこの二人、中学に上がってから交際していると聞いた。

クラスの権力者と人気者のカップル誕生にクラスがざわついたのを覚えている。

 元から私をいじめていた阿久津さんと、私を逆恨みしている山之内くん。

二人が協力することによって私への攻撃もより過激なものになった。


 だからこの二人と誰もいない教室で話すのは嫌な予感しかしない。


「御園さん、また絵なんか描いてるの?」

 山之内くんが言うと、阿久津さんはすぐさま私に近づき、スケッチブックを奪った。


「あ!」

「いつもいつも人のいない絵ばかり……つまんない絵」

「返して!」

「はいはい返します、よッ!」

 阿久津さんは掴んだスケッチブックを床に叩きつけた。

 床にバウンドしたスケッチブックを押さえつけるように足で強く踏んだ。何度も何度も、地団駄を踏むように。

「やめてッ!!」

 私はスケッチブックを守るために自分の手を上に被せる。阿久津さんの足が私の手ごと踏みつける。

 痛い。指が折れそうだ。


 どうして?


 どうして私がこんな目にあわないといけないんだろう。


「こんなことして……あんたは何がしたいの!?」

「はあ?」

「あんたには友達だって、山之内くんという彼氏までいる……充分幸せじゃない。わざわざ人をいじめる意味がわからない……!」


 踏み続ける足が止まる。

 すると次の瞬間、阿久津さんの足が私の腹部を直撃した。


「……ッ!!」

 お腹を押さえて床に座り込む私に阿久津さんは言った。

「御園には信じられない話かもしれないけど、世の中には恵まれてる人間が娯楽感覚で人をいたぶるってことも存在するのよ。まあ、私はあんたへの恨みが明確にあるけどね」

「うら、み……?」

「ユリナ。御園さんに本当のことを教えてあげればいい」

 それまで傍観していた山之内くんが口を開く。

「そうね。御園、あんたに本当のことを教えてあげるわ」

 阿久津さんは山之内くんの言葉に頷き、こちらを見て言う。

 本当のこと? いったい何のこと?

「私ね、小学校の時から山之内くんのことが好きだったの」


阿久津さんの告白に衝撃を受けた。

「え……」

「御園もご存知の通り、山之内くんは私の気持ちにも気づかずにあんたに告白した。そしてあんたは山之内くんをフった」

「そんな」

 阿久津さんが山之内くんを好きだったなんて。そんなこと知らなかった。


「許せなかった。私の方が前から彼のことを好きだったのに、ぽっと出のあんたに彼は一瞬でも心を奪われて、それを踏みつけもされて……だからあんたに地獄を見せなければ気が済まなかった」


「それで私を……?」

 それじゃあ、阿久津さんは山之内くんをとられた恨みで私をいじめたっていうこと?


 でも待って。


 それが本当なら、イケニエ制度は?


 だって、週に一度いじめのターゲットを変えるっていうイケニエ制度はどうなるの。


 疑問が頭の中でとぐろを巻く。

気持ち悪い。

早く取り去ってしまいたい。

 でも、この真実が分かってしまえば、私はきっとおかしくなってしまう気がする。

 でも、私の気持ちなど関係なく、阿久津さんは微笑みを浮かべて真実を言い放った。


「イケニエ制度なんて嘘。最初からあんたしかいじめる気しかなかったわ」


 ガラガラと足元が崩れ落ちる感覚を覚える。

 まるで深い闇に落ちていくような、そんな感覚だった。


「御園は真面目だからさー、『他のイケニエを出すくらいなら私がずっとイケニエになる』ってずっとイケニエに立候補してくれたの傑作だったわ。だって守る人なんて実際存在してないんだもん」


 あっはっは! お腹を抱えて笑う阿久津さん。

「……っ……」

 蹴られたお腹が痛い。

 ジワジワとそこから得体の知れない闇みたいなものが侵食していく。


 イケニエ制度なんてなかった。


 ずっと私が守ってきた“誰か”なんて存在しなかった。

 ずっとひとりで存在しない何かを守り続け、事実を知っている周囲から笑われ続けてきた。


 私は、ずっと、ひとりぼっちで見せ物として踊らされてたんだ。



『まだ自分が攻撃されて他人のいじめを見ずに済む方がマシって、イケニエなんて引き受けちゃって……』



いつか話した会話の記憶。


先の見えない暗闇のなかで一瞬輝いた、私の虹色の思い出。


 蒼汰くんとの思い出が灰色に変わっていく。



「これで真実もはっきりしたことだし、これからはちゃんと御園さん目的でいじめてあげるから」


 山之内くんがこの場に似合わない爽やかな笑みを浮かべて見せる。

その笑顔には邪悪さが孕んでいるんだろうけれど、もう、私には彼の声も微笑みも何も感じなかった。

「明日からもっと酷い地獄を見せてやるから!」


 阿久津さんの罵声も何も感じない。

 私はふらふらと立ち上がり、ぐしゃぐしゃになったスケッチブックを抱えて教室を出て行った。

 蹴られたお腹の痛みももう感じない。



◆◆◆



 とある七月の半ば、私は鷹松市の街中を歩いていた。

 上を見上げると、絵の具をひっくり返したような鮮やかな青い空に、もくもくと積み重なる真っ白な積乱雲が夏のコントラストを描いている。

 都心からやや離れた鷹松市はそれでも立派な都会の一部であり、高層ビルがひしめいている。


 その片隅に、ぽつんと忘れ去られたかのように廃ビルが建っていた。


 かなり昔に使っていた企業が倒産して以来、無人になりそのまま放置され、今ではいつ崩れるかわからないほどボロボロになっており、あちらこちらに『危険! 立入禁止』と看板が置かれている。


 看板の警告を無視して、埃臭いフロアに入り、起動しないエレベーターを通り越し、奥に設置された非常階段をカンカンと上る。

 二階、三階、四階。

 階段、踊り場、階段と同じように繰り返す作業を何も考えず無心で続けていると、やがて屋上である八階に辿り着いた。

 最上階まで一気に階段を上った私の息はあがっていて、動悸も早くなっていた。

 日頃の運動量が足りてないな、なんてどうでもいいことを考えてしまう。


 でも、考えるのも苦しいのも今日で終わりだ。


 フェンスを乗り越え、足場の狭いビルの淵へ立つ。

 一歩先にあるのは宙だけだ。

 ビュオオオォォ、と強い風が下から吹き上げて私の頬を叩く。

 下はコンクリート。間違いなく即死だな。


(もう、つかれた)


 終わりにしよう。


 苦しみも、悲しみも。

 怒りも、憎しみも。

 ひとりぼっちも。


「終わっちゃえば、全部から解放される」


 遺書は残していない。

 自分を“残す”ことはしたくなかったから。


(死体だけは勘弁して)


 最後に一言だけ謝罪を述べると、

 私は。



 宙へ身を投げた。




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