冒険の書

加加阿 葵

冒険の書


  人生はたった一文で変わることがある。


 

 書店でとある本を手に取った。

 大々的に張り紙が出されていたなんとか賞の受賞作品らしい。

 タイトルは【知られざる冒険】。

 帯には有名な小説家やライター、書評家などのコメントがずらりと並び、大文字で『人生の教科書』と書いてあった。


 手に取った理由は時にない。

 この著者が好きなわけでもなく、好きな作品の続編なわけでもない。

 しいて言えば帯に書いてあった大文字に惹かれたというべきだろう。


 その一冊だけを持ち、棚に陳列されている多種多様な本をユラユラ眺めながらレジに向かう。


「ポイントカードはお持ちですか?」


 静かな店内に店員の声が響く。

 初めて来た書店だ。当然ポイントカードは持っていない。

 「いえ」と短く返答すると、「おつくりしましょうか?」とやんわりとした笑顔を向けられる。


 木目調の壁で統一された店内を明るすぎず、暗すぎない照明が照らし、その場にいるだけで居心地の良さを感じる良い店だ。特に店員の愛嬌が良い。また来るかもしれないから作っておこう。


「カードの裏にお名前をお願いします」


 カードと一緒にネームペンを渡される。相変わらず優しい笑顔だ。

 名前の欄に「鈴木靖一すずきせいいち」と達筆に見せかけてただ雑に本名を書きネームペンを返す。

 本にブックカバーをつけてもらい、店を出る。


 

 家に着き、靖一はさっそく本を開く。


 幻想性と艶がある文章は、現実とそっと重なる違う世界の話を際立たせ、ページをめくる度にその世界へと引き込んでいく。

 気づけば涙が溢れ、本を閉じた時に思わず天を仰ぎ、ため息が出てしまう。


  ハードカバーに身を包んだその本を一言で表すことはできないが、それでも一言で表すなら『人生の教科書』だった。帯にも同じ事かいてあるけど……。

 

 日頃から理不尽な現実社会に揉まれて、ただただ労働人生を歩んでいる自分に刺さった文があった。



『冒険とは常に其処にある。ただ、大人になって見えなくなっただけ』



 今思えば、大人になってから、いや、子供でいられなくなった時から景色の見え方が変わってしまった。


 今は道路の白線の外側に人食いザメなんていないし、横断歩道の黒い部分にマグマも流れていない。

 かつては勇者の剣と言って振り回していた木の枝も、家まで無くすことなく、蹴りながら帰ることが出来たら願いを叶えてくれる魔法の小石も、今はただ道に落ちてるゴミでしかない。


 純粋な子供は夢を見られた。

 だが、年を重ねるごとに妥協を覚え、悪徳を覚え、諦念を覚える。

 そして自分や他人をだまして生きるようになる。


 大人になり失ってしまった冒険心を、新しく挑戦する精神を取り戻させてくれる。これは、なんとか賞を取るのも納得だ。

 今の自分を肯定してくれるような優しい物語に加え、生きにくさを感じる人の背中をそっと押し、上を向かせてくれるようなそんな作品だった。




 

 ただ、この小説もそうだった。

 それだけだった。





 靖一は暇つぶし以上趣味未満というスタンスで小説を書き、インターネットに投稿している。


 小説を書いていると言っていいのかわからない稚拙な言葉の羅列に陳腐な表現、中身の全くない設定。会社や世の中への愚痴を題材とした暗い話。もちろん読者などいない。いるはずもない。


 

 そんな自分でも書けるのだろうか。

 自分がそうされたように今の自分にできる形で、誰かの背中をそっと押してあげられるような小説が。


 そんな自分でもできるだろうか。

 見えなくなった冒険の続きを歩むことが――。


 


 あとがき


 

 皆さんは、自分の背中を押してくれるような小説に出会ったことはありますか?

 小説ではなくても漫画や歌なんかでもいいですね。


 私は以前から小説が好きでした。

 ページの下から上まで煉瓦のように積まれた流麗で格調高く秀逸な文章の壁は、理不尽な現実から私を隔離し、紙のこすれる音やインクのにおいが私を非現実に引き込んでいく。その感覚がとても愛おしいのです。

 

 その中で私も背中を押してくれる物語にいくつも出会ったことがあリます。

 皆さんも絶対に出会ったことがあるはずです。

 あの時励ましてくれた漫画の名言や、上を向かせてくれた歌の歌詞などに。


 そしてそういった物語を読んでいるうちに私は思いました。


 

 なんて無責任なのだろうと。


 

 確かにその物語は背中を押してくれるかもしれない。上を向かせてくれるかもしれない。だが、そのあとは?

 読者にずっと寄り添い、手を引いてくれているだろうか。


 書き始めたきっかけはまさにそれなのです。

 ただ背中を押すだけでなく、読者にずっと寄り添える小説を書いてみたくなったのです。


 かつての私は読者の全くいないweb小説家でした。

 その時、ふと立ち寄った書店で手にした本の一文に影響されて、ここまで歩んできました。



『冒険とは常に其処にある。ただ、大人になって見えなくなっただけ』



 最近ではあまり使われない言葉であり、使ったとしてもちょっと嘲笑でも浮かべなければかっこがつかない“冒険”という言葉。

 古いようで新しい、誰もが内心わくわくしないではいられないそんな言葉。


 大人になり、現実に立ち向かっているうちに子供のころにあった冒険心は薄れ、いつしか惰性で生きるようになってしまう。


 今この本を読んだ皆さん。未来とは無限の選択肢にあふれていますが、全ては有限です。

 今持っている武器はすぐにさび付いてしまいます。

 望む未来をつかみたいのなら――冒険してください。

 かつての冒険の続きを歩むのもいいでしょう。新しく冒険を始めるのもいいでしょう。

 冒険を始めるのに年齢や時期は関係ありません。


 

 ――どうか冒険してください。


 

 昨今の流行やテンプレート、文章の書き方もよくわからず書いた本作。正直、本になるとは思ってもみませんでした。


 背中を押してもらったけど、先が暗くて進めない人。上を向かせてもらったけど、星明りも無い暗い空を見つめている人。

 そういった人たちの手にこの本があればいいなと思いながらこのあとがきを書いています。



 あなたが歩む冒険の途中、困難にぶつかったとしてもこの本があります。

 ページに積まれた文章の壁があなたを守る砦になるでしょう。


 あなたの手を握り続け、意思決定を尊重する。

 冒険の果てまで隣にいるし、たどり着いた先の責任までともに背負う。


 あなたの冒険の傍らにはいつもこの本があります。


 

 最後に、この本に関わったすべての皆様並びに、過去に背中を押してくれた無責任な物語たちに最大限の感謝を。

 

 あなたの冒険の途中でまた、お会いできることを楽しみにしています。

 


【冒険の書】


 20〇〇年〇月〇日 第一刷発行

 20〇〇年〇月〇日 第二刷発行


 著者  鈴木靖一

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