第8話 恐怖したそうです

「みんなッ!逃げて!」


 迫り来る竜に『神の歌声シングゴッテス』を用いるも効果がないことを認めた僕は、領兵たちに避難を呼びかける。

 だが、誰ひとりとして逃げようとする者はいない。

 そればかりか、僕を取り囲んで護ろうとする。


「聖者様をお護りするぞ」

「「「「おおっ!!」」」」


 ダメだ。

 ダメだよ、そんなことは。

 僕が必死で逃げるように伝えるも、誰もその場から動こうとしない。

 

 突然、背中からギュッと抱き締められた僕の耳にネザーの声が届く。


「ニコル様をお護りするのが私たちの使命ですからね」


 どうしてこんなに無力なんだと、情けなく思う僕。


 そんなやり取りをしている間に、黒毛の虎獣人が、目の前で狂ったように笑い転げる男の胸ぐらを掴み上げて厳しく問い詰める。


「キサマッ!何をした!」

「ギャハハハハハハ!邪竜を縛っていた呪を解いたまで。もう終わりだ!死なばもろともよ!」


 男は【ドルレアンス皇国】の第二皇子だった。

 兄に取って代わって皇王になるとの野望を軍部に上手く利用され、その侵攻の旗印となったようだ。

 だが、ふたを開ければ、味方が敵を前にして眠りこけている状況。

 身の破滅を理解したということらしい。


「…………バカが」


 ブラックタイガーが、そう呟くのだった。


 自分を縛っていた楔が外れた瞬間、黒竜はそれを行った【ドルレアンス皇国】の兵士たちを蹂躙していく。

 ただでさえ、圧倒的な力量差があるのに眠りこけている状況では、ただ生命を刈り取られるのみ。

 まあ、恐怖を感じずに死ねるということはある意味幸せなのかも知れないが。

 幸いなことに竜は、皇国兵を選んで殺しているようにも見え、僕たちに犠牲は出ていないがいつその爪牙がこちらに向くか分からない。


 もはやここに至っては、逃げることも能わない現状に、僕たちは竜の殺戮劇を固唾を呑んで見守るほかなかった。


 見上げるほどの体躯を誇る黒竜は、尾のひと振りで横たわる敵兵をなぎ払い、吐いた炎で【ドルレアンス皇国】の幕舎を焼き尽くす。

 そこはまさに地獄だった。


「…………これは、もう天災ですな」


 もう、何も出来ないと諦めたように、もうひとりの虎獣人が呟く。

 敵兵が死に絶えれば、次は自分たちだと誰もが思ったその瞬間、僕は馬から飛び降りると竜へ向かって駆けていく。


「聖者様をお護りせよ!生命をかけても!」


 背後からそんな言葉が聞こえてくるが、そんなことはどうでも良かった。


「ニコルさまはご自身を犠牲にするつもりぞ!」

「早く、早く向かえ!」


 慌てる仲間たちだったが、竜が暴れて足場が悪くなっているため、馬も思うように前に進まない。

 そうこうしているうちに、僕は黒竜の目の前へとたどり着く。


 竜の燃えるような深紅の双眸が僕を睨み付け、その大きな口腔内に渦巻く炎が見える。

 今まさに、竜が目の前に現れた矮小なる人間を消し炭に変えようとした。


 ―――その瞬間。


「フロンッ!」


 その声に、竜が驚いたように身をすくめる。



 どうして思いつかなかったのだろう。


 僕がこうして転生したのだから、あのとき一所に生命を落としたであろうフロンも転生した可能性を。


 見ればすぐに分かった。

 イライラした時に、後ろ足で大地を蹴りあげる癖も、何かを探すときに眉間にシワを寄せる姿も。

 何よりも僕の心が相棒だと叫んでいる。


「フロンッ!」

「グオオオオオオオオオオオオオン!」


 もう一度名前を呼ぶと、黒竜は先程までの眼差しが嘘であったかのように優しい瞳で僕を見返す。


「ニコル様ぁ!!」


 ネザーの叫び声が聞こえるが、大丈夫だって。

 ほら、フロンが僕を乗せるために首を下ろしているじゃないか。


 あそこにいるのは、僕の相棒だ。



 こうして僕は、相棒と巡りあった。

 眼下では、呆然と僕らを見上げる仲間の姿が。

 フロンは【ドルレアンス皇国】の第二皇子をわしづかみにすると、僕を背に乗せたまま空に上がる。


「ちょっと、相手の国に行ってくるよ」

「ウォォォォォォォン!!」


 僕がそう告げたとたん、フロンは咆哮を上げて大空へと大きく羽ばたく。


 さあ行こうか相棒。


 あの日果たせなかった、空を駆ける続きをしよう。

 今ならば、飲酒運転のトナカイなんて怖くないさ。


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