聖夜

武村真/キール

聖夜

 赤、青、黄色。緑もある。色とりどりのイルミネーションが歩行者天国となった大通りを飾り、見るだけで誰もが自然と笑みを浮かべるような光景が広がっている。

 しかし、その中で少年は一人、うつむいて歩いていた。イルミネーションなんて見たくもない、とでも言うように。

 今日はクリスマス・イブ。街の明かりと人の波は最高潮に達している。


 ――奇跡が起こる。そんな言葉が似合う夜。


 けれど、少年は知っていた。クリスマスはキリスト教徒の祝日で、無宗教の自分には本来関係ないことを。日本人が浮かれるイブなんて、本場ヨーロッパではありがたくもなんともないことを。

 そして――奇跡なんて起こらないことを、よく、知っていた。

 少年はうつむいたまま、雑踏をすり抜けるように歩き、やがて人混みに飲まれるように、姿を消した。


 幼馴染の少女の名は、聖奈といった。日本人には珍しく、両親が敬虔なキリスト教徒であり、彼女もまた、熱心に祈りを捧げているのを少年は何度も見た。明るく、頭もよく、運動もできる。誰からも好かれる。これといったものを何も持たない少年には、少女はとても眩しく写った。

 彼女は、神様に愛されているんだ。ややの嫉妬とともにいつからか少年はそう思うようになっていた。

 しかし少女と同じ時を過ごすうちに、次第に嫉妬は消え、憧れだけが残り、強くなる。その憧れが恋心に変わるまでは、あっという間だった。

 だが、少女へその想いを伝えようとして、先に知ってしまった。致命的なことを。

 少女は重い病気で、あと一年の命だということを。

 信じられなかった。だって、彼女はこんなにも神様に愛されているのに。愛されているはずなのに。

 大丈夫、きっと神様が助けてくれる。僕も一緒にお祈りするよ。少年が大真面目にそう言ったので、彼女はようやく笑った。

 そして、二人の祈りは、たった一日、彼女の寿命を延ばしただけだった。


 ――今までありがとう。生まれ変わったら、また会おうね。


 少女の最後の言葉は、少年の頭にずっと残っている。


 ――大好きだよ。


 それは少年がずっと言いたかった言葉。ずっと言って欲しかった言葉。


 僕も、聖奈のこと――

 そして、聞いてはもらえなかった、言葉。




 翌日、クリスマス。少年は昨日と同じ道を、やはりうつむいたまま歩き、何かを期待するように、ちらり、と大きなツリーを見上げ、立ち止まった。しかし、何も変わることはない。

 やがて日付が変わり、聖夜が終わる。イルミネーションが一斉に消え、人々の嘆息が重なる。何が、奇跡が起こる夜、だ。少年の呟きは天はおろか、人の耳にも届くことはない。

少年は乾いた笑い声を少し上げ、歩みを再開して、雑踏に消える。

 消えて、また現れ、家路について。すっかりクリスマスの喧噪がなくなって。たった一人で、家の前まで来た、その時。

 少年は、その声を聞いた。誰もついてきていないはずの、後ろから――自分を呼ぶ声を。懐かしい声を。

慌てて振り返る。そこにいたのは――



 一日遅れの、奇跡は、あれから祈らなかった分か。

 



 ――メリークリスマス。遅刻だよ。

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