官民怪獣出現記録集

岡畑暁

怪獣島の生贄

 日本海に面する某県の港から出港した小さな定期連絡船の中に、二人の男女が座っていた。

 人口数千人の神有島かみありじまと本州を結ぶこの船には、普段は島の住人くらいしか乗る者がいない。たまに島の住人以外が乗っていたとしても、大抵住人の誰かの知り合いや親戚であることがほとんどだった。神有島に観光目的で訪れる者など、到底いようはずもない。

 だからこそ、彼らは異彩を放っていた。

 窓際に座った女性は長い脚をジーンズに包んで優雅に組んでいた。上半身は緑のアロハシャツに覆われ、まるで沖縄にでも行くかのような装いだ。目元はサングラスに覆われており、杳として知れない。しかし口元や、無造作にかき分けられたロングヘアを見るだけでも、彼女が他者を惹きつける容貌を持っていると知るには十分だった。

 その隣に座っているのは、クールビズのスーツを着た男だった。二十五という年齢にしては少年の面持ちを残す彼は、窓の外に段々と近づいてくる神有島を見つめていた。

 男の名前は宝田たからだ。内務省下部組織である怪獣対策委員会で働く国家公務員であり、先月から第五課へ配属になったばかりの身であった。

 アロハシャツを着た、お盆休みの観光客のような格好をしている女性は五代ごだい。本名は別にあるが、そちらは地球人には発音が難しいため、便宜上日本で通りが良い仮名を名乗っていた。そして彼女は観光客などではなく、宝田同様れっきとした怪獣対策委員会の職員であり、神有島に向かうのも観光ではなく仕事のためだった。

 宝田は窓に顔を近づけながら呟く。

「あれが神有島……。本当に、あんなところに怪獣がいるんでしょうか」

「それを調査するのが我々の仕事だよ、宝田くん」

 五代はサングラスと顔の隙間から妖艶な目元を覗かせながら言った。

「それは分かってますが」宝田は答える。「しかし、神有島。神が有る島ですか。この神っていうのが、その怪獣だったりして」

「確かに怪獣が土着の神として信仰される例は、特にこの日本では多いようだがね。怪獣は神ではないよ」

「ええ。怪獣は神じゃない。我々人類の──」宝田は島の影を睨むように見た。「──敵ですから」

 その時だった。宝田の隣の空いた座席に、突然見知らぬ女性が座ってきた。女子大生然とした服装の若い女性は、細長い持ち手が付いたVログ用カメラを片手に持っている。定期連絡船に元々乗客は多くはなく、他にも座席が空いている場所はあったが、女性は迷わず宝田の横に腰掛けた。そして彼女は、懐に入り込むかのような声音で聞いてくる。

「お二人も怪獣のこと、調べに行くクチですか?」

「君は?」

 と、五代は尋ねる。

「ああ、すみません、突然」その女性は斜めに掛けているショルダーバッグから名刺入れを取り出した。「私、〈アンバランスチャンネル〉の江戸川えどがわです。怪獣調査ユーチューバーやらせてもらってます」

 そのチャンネル名は、宝田にも聞き覚えがあった。怪獣調査ユーチューバーの名の通り、怪獣出現の情報を独自に収集しては現地に出向き映像を公開するユーチューバーである。似たようなチャンネルは世界中に乱立しているが、江戸川は他の有象無象と違い、数回実際に怪獣が動いている映像を撮影した実績がある。特に二〇二一年の事例では、NHKをはじめとするマスコミ各社も入手できなかった映像を彼女が独占公開し、大手テレビ局がこぞって映像を買い取ることになった。それがきっかけで彼女のチャンネルは現在国内有数のフォロワーを持っている。

「知らないな」QRコードの印刷された名刺を片手でもてあそびながら、五代は言った。「後で見てみよう」

「はい、是非」江戸川は頷いた。それから、ずいと身を乗り出してカメラを五代へ近づける。「それで、お二人はなぜあの島へ? やはり同業者ですか」

「まあ似たようなものかな。ところで君はどうしてこの島のことを知ったんだい」

 五代はそれとなく尋ねた。江戸川は一瞬迷ったが、ここで情報源を明かしたところで大した問題にはならないと判断したのだろう。彼女は話した。

「神有島には固有の信仰体系があるんです。神道に近いようなんですが、独自の儀式を持っているとかで。それがどうやら……」江戸川は周りを憚るように声を潜めた。「生贄の儀式とか、そういうものだと言われているらしくて」

「生贄……?」

 宝田もささやき声で聞きかえす。

「荒ぶる神を、生贄を捧げることによって鎮める。そういう儀式が存在してる……って、ほんの噂ですけどね」

 江戸川が示した情報は、宝田たちが把握していないものだった。彼らの使命はあくまで怪獣の存在の有無を調査することである。土着の儀式云々までは事前の調査では把握していない。

「君はずいぶん詳しいようだね」

 と、五代は言う。

「まあ、こう見えても登録者数百万人超えてるので。タレコミとか、色々あるんですよ。島で信仰されてる神が怪獣だと考えれば、かなり信憑性もあるのかなと思いましてね」

 江戸川は答えた。目的こそ宝田たちとは違うが、彼女も怪獣を追いかけることを生業とする一人だ。やはりそれなりな根拠を持ってこの島に来ているらしい。

 すると、本当に神有島には怪獣がいるのだろうか。素人の考えに振り回されるなど怪対の一員としては失格だと頭では分かっていながら、宝田はその予感を振り払うことが出来なかった。

 第五課に配属される前、宝田は先輩から聞かされていた。怪獣黄金時代と言われた一九六〇年代から七〇年代に比べれば、現代の怪獣出現数は年々降下の一途を辿っている。怪獣出現情報の大半は噂に過ぎない。第五課の仕事の大半は現地に行って「怪獣発生の疑いなし」と報告書を書くことにある、と。

 もし神有島に本当に怪獣がいるなら、配属早々ずいぶんな貧乏くじを引かされたことになってしまう。宝田は気が重かった。

 隣を見ると、五代は窓枠に肘を置き、端正な顎を撫でながらサングラス越しの瞳で窓の外を見ていた。彼女には不安などまるで存在しないのだろう。島の桟橋が近づいていた。


 船から荷物を降ろす。キャリーケースは二つあり、一つには調査のために使用する機器類が、もう一つには着替えなど日用品が二人分詰まっている。

 宝田は港に立つと、スマホの画面で地図を確認しながら、後ろに立つ五代を振り返った。

「宿はここから十分ほど歩いたところにあります」

「タクシーは無いのかい」

「あるわけないでしょう」

 宝田はため息をついた。そもそもこの島に自動車すらほとんど見かけない。狭く入り組んだ島なので、自転車や二輪車の方が便利なのだろう、と宝田は想像した。

「仕方ないですよ。歩きましょう」

 隣で江戸川が言った。彼女は三脚やカメラ、ノートパソコンが入ったリュックを背中に背負い、片手には変わらずカメラを持っている。

 宝田は声のした方を向いた。

「その口ぶりだと、僕たちとあなたの目的地が同じであるかのように聞こえるんですが」

「同じですよ。〈たちばな〉って民宿でしょう?」

「どうしてそれを」

 宝田は目を見開いたが、五代の表情は変わらなかった。

「この島に宿が一つしか無いからだろう」

「そういうことです」

 と、江戸川は頷いた。

「あ、なんだ。そんなことですか」

「宝田くん、宿泊場所の手配をしたのは君だろう」

 そう言われると、確かに言われるまでもないことだった。

「前にも言ったがね、宝田くん。我々に必要なのは観察眼と思考力だよ」

「はあ、すみません」

 思わぬきっかけから小言を言われ、宝田は不服そうだった。

「と、いうわけで。これもよろしく」

 五代は自分が持っていたキャリーケースを宝田に渡した。

「どういうわけなんですか」

 宝田が言うのを無視して、五代と江戸川は歩き出す。宝田はキャリーケースを両手で引きずってその後を追いかけた。


 民宿〈たちばな〉は一見して民家と間違えてしまいそうな、ほんの小さな二階建ての家屋だった。表にある看板を確認し、宝田は引き戸をノックする。

 やがて扉が開き、中から顔を出したのは中学生くらいの少女だった。黒髪を頭の後ろで一つ結びにしており、シンプルな灰色のパーカーを着ている。少女は爛漫な笑顔を見せて言った。

「いらっしゃいませ。ようこそ〈たちばな〉へ!」

「予約していた宝田という者です」

「宝田様ですね」少女はその名前を復唱して、背後に目を向ける。「そちらのお二人はお連れ様ですか?」

「私はそうだが彼女は違う」

 と、五代は答えた。

「私は別で予約してます。江戸川です」

 隣で江戸川も答える。

 少女は玄関先の棚の上に置いてあるノートを開いた。それは予約台帳で、カタカナで人名が書き連ねてあった。

「宝田様、二名二部屋で二泊。それと、江戸川様がお一人で、二泊でのご予約ですね」

 宝田と江戸川は無言で頷いた。

「こちらで宿泊者名簿にサインをお願いします」

 少女に言われ、二人は靴を脱ぎ、奥にある台の上で名簿に名前を書き込んだ。

 それから彼女はいくつかの説明をした。宿泊費は最後に纏めて精算すること。延泊は他に予約が無い限り前日までの申請で可能であること。風呂は時間制で男女が入れ替わること。食事は出ないので各自調達してください。エトセトラ。

 宿泊者の部屋は一階にあった。少女は廊下を奥へ進んで三人を案内する。奥から手前へ、宝田、五代、江戸川が泊まる部屋である。

 部屋の扉の前で少女は深々とお辞儀をした。

「では、ごゆっくりお過ごしください」

 少しばかり定型文めいた言葉を残し、少女はその場を辞そうとする。五代は彼女を呼び止めた。

「待ちたまえ。君の名前は?」

「アヤナです。立花たちばなアヤナ」

 少女は答えた。五代はポケットから裸の紙幣を取り出した。千円札には昭和期に活躍した怪獣学者の肖像が描かれている。

「アヤナくん。取っておくといい」

「えっ」

 アヤナは困惑の表情を浮かべて、五代が差し出した千円札を見た。

「五代さん。日本にチップの文化はありません」

 宝田が横から言うと、五代はしまったという顔をした。

「あれは合衆国の方だったか。地球人の文明は細分化しすぎていて覚えづらい」五代はなおもお札をアヤナに押しつけた。「何にしろ取っておくといい。これはアレだ。お小遣いだ」

「はあ」

 その勢いに気圧されるようにして、アヤナはつい千円を受け取ってしまったのだった。


 一人用の部屋の中は決して広いとは言えなかった。宝田は荷物を置いて大きく背筋を伸ばす。

 部屋の扉がノックもなしに開き、五代が入ってきた。サングラスを外しており、二重で切れ長の目元が露わになっている。

「五代さん。地球にはノックという文化があることもご存じありませんでしたか」

 宝田は言ったが、五代に皮肉が通用しないことは彼もよく知っていた。

「調査は明日から行う」開口一番、五代は方針を説明した。「それと、例の江戸川くんが言っていたことについて詳細を調査してもらうよう本部にメールを打っておいてくれ」

「江戸川さんが言っていたことって、神有島の土着信仰についてですか」

「生贄の儀式についてもね」

「分かりました」

 と、宝田は頷いた。


 夜。宝田が玄関先で靴を履いていると、江戸川が現れた。

「お兄さん。夕飯の買い出しですか」

「ええ。江戸川さんも?」

「はい。よかったら一緒に」江戸川も靴を履きながら言った。「でも、どこに行けばいいんでしょうね」

「港の方にリカーショップがあるそうです。弁当なんかも売っているらしいので、そこへ行こうかと」

 そうは言っても、宝田も具体的な場所は知らなかった。スマホのマップを参照しながら行こうかと思っていた矢先、廊下の奥から声が聞こえてきた。

「〈アミーゴ〉に行かれるんでしたら、案内しましょうか」

 二人が振り返ると、そこにはアヤナが立っていた。

「いいの?」

 宝田が聞くとアヤナは答えた。

「チップの分は働きます。民宿の娘ですから」

「じゃあ、お願いします」

 アヤナは頷いて、自分の靴を下駄箱から取り出した。


 アヤナに先導されながら、宝田と江戸川は夜の道を歩いた。神有島の道はなだらかな坂になっていて、海に近づくにつれて下っていく。背後には山が見え、その中腹には赤い鳥居があった。

 アヤナはサンダルを引っかけながら慣れた足取りでアスファルトの上を歩いて行く。その背中に向けて宝田は言った。

「アヤナちゃんは今いくつ?」

「十四です」

「中学生で家業の手伝いですか。立派ですね」

 江戸川はしみじみと呟いた。

「あんまり珍しい話でもないですよ。この島ではね」

 と、アヤナは答えた。

 それから江戸川は話題を変える。

「ところで、アヤナさんは怪獣を見たことは?」

「怪獣ですか?」アヤナは歩きながら振り返った。「そりゃ、テレビとかじゃ見たことありますけど。生でってことですよね」

「そうそう」

「じゃあ、ないです」アヤナは首を横に振った。「ほら、私ってこの島からほとんど出ないですし」

「この島では怪獣を見たことはないんだね」

 と、宝田は確認を取る。

「はい」アヤナは怪訝な表情で言った。「ああ、もしかして、結城ゆうき神社の神様のことですか? 確かに怪獣を奉ってるんじゃないかって噂もありますけど。そういう噂って色んな神社にあるじゃないですか」

「確かにね」

 宝田は頷いた。アヤナは子供だが、生まれつきこの島で過ごしているのだし、島のことなら一日二日で事前調査をした程度の宝田より断然詳しいだろう。そのアヤナがいないと言っている以上、やはり怪獣などいないのだろうか。

「お客さんたち、怪獣を見るために神有島へ? もしかして怪獣マニアですか」

「そんなんじゃないよ」宝田は言った。「こっちの人はどうだか知らないけど」と、隣を歩く江戸川を見やる。江戸川は曖昧な表情で笑った。


 怪獣対策委員会は内務省下部組織として一九五四年に吉田内閣の下で発足した。怪獣の調査・研究・駆除などを主な使命とし、怪獣出現の際には軍に対する指揮権を有する。組織は第一課から五課までの五つに分かれ、宝田が属するのはそのうちの五番目であった。

 第五課に与えられた任務は未確認怪獣の調査である。記録上日本に初めて怪獣が出現した一九五四年以来、この国には多くの怪獣の目撃情報がある。その中には根拠の無い噂や、見間違い、単なる勘違いなども多分に含まれている。それらの全てに対していちいち軍隊を出動させていてはキリがないが、かといって全てを黙殺していては重要な情報を取りこぼすかもしれない。

 そこで第五課の出番となる。怪獣出現の噂が立った現場に少数で向かい、実際に怪獣の存在が確認できた場合はただちに本部へ連絡を取る。その後の避難誘導や怪獣の駆除は他の課の仕事である。

 第五課が現着した時点で怪獣の存在は確認されていない。むしろ「やっぱり勘違いでした」というパターンの方が圧倒的に多い。しかしそんなことは民間人にはほとんど理解されず、「怪対の人が来てるんだから、怪獣がいるに違いない」と考える者が大半である。ゆえに混乱を避けるため、任務中の第五課職員は自らの素性や目的を明かさないのであった。

 宝田は弁当を二つ持って民宿に戻ってきた。地球人らしく五代の部屋の扉をノックする。「入って構わないよ」と中から声が聞こえてきた。

 宝田が扉を開くと、中には白いTシャツにジーンズ姿の五代がいた。あぐらをかいて卓袱台に向かい、タフブックの画面を眺めている。

 宝田は五代の背中へ近づいて、パソコンの横に弁当の入った袋を置いた。宝田はパソコンの画面を覗き込む。資料の添付されたメールが表示されていた。

「本部からですか」

「ああ」五代はその瞳に画面を反射させながら答えた。「神有島に独自の信仰体系があったことは事実のようだ。形式としては神道に近いがね。歴史は比較的浅く、七十年代から始まったようだ」五代はメールに添付された資料を示しながら言う。「しかし何分、小さな島だからね。それ以上のことは現地調査をしないと何とも言えないらしい。生贄についても情報無しだ」

「五代さん、今時そんな儀式が本当にあると思ってるんですか?」

「話半分といったところかな。しかし、宝田くん。本部が送ってきた資料の中に興味深いものがあった」

「何です?」

 宝田が聞くと、五代は資料をスクロールしていった。

「これは神有島における行方不明者の数を示したデータだ。ほとんどの年ではゼロ人だね」

「ええ。人口千人未満の島では、そんなものでしょう」

「しかしある年では一人の行方不明者を出している。こっちの年でも一人。この年も」

 と、五代はパソコンの画面を指さしていった。

「それだってよくあることですよ。地球人にとってはね」

「問題はそれがきっかり十年おきに起こっているということだ。見ろ。この年を起点として考えると、十年後、二十年後、三十年後だ」

 五代が示した通り、神有島は十年に一度、必ず一人の失踪者を出していた。

「私は思うんだよ。この人々は果たしてどこに消えてしまったのだろうか、とね」

「まさか」

 宝田は呟いた。

 彼は再び画面を見る。もし十年おきに「失踪者」が発生するという五代の見方が正しいなら、去年もそれが発生していたはずだった。しかし、昨年は島内における行方不明者は報告されていなかった。

「……あり得ませんよ」

 宝田は言った。それを調べるのは、自分たちの仕事ではないのだから。


 翌日。宝田は五代と共に怪獣の調査に乗り出していた。先日見えた山の上に二人して登る。機器類を運んでいる宝田はすっかり息を切らしていたが、片手に折りたたんだサングラスを持っている他は手ぶらの五代は涼しい顔をしている。

 宝田は肩からショルダーバッグのような機器を提げていた。さながらそれはラジカセかショルダーフォンのようである。計器やモニターがいくつも付いたその機械は、使い方を知らなければ電源を入れることさえ難しい。その用途は怪獣の発する生体反応を探ることにあった。

 島の面積は狭く、周辺の海域も含めて全域をこの機器でカバーすることが出来る。そして遮蔽物があっても生体反応を探知できる仕様になっているので、仮に怪獣が地底や海底に潜んでいたとしても見つけ出すことが出来るはずだった。

 宝田はアンテナを伸ばしてモニターをチェックする。モニターは何の反応も示さなかった。すなわち怪獣を検知していないということだ。彼はほっと胸を撫で下ろした。

「やっぱり、いないみたいですね」

 噂に違わぬ楽な仕事だった。そう思ったのも束の間。背後にいた五代は言った。

「電波探知に切り替えてくれるかい」

 怪獣の体は特定波長の微弱な電波を絶えず放出していることで知られる。この電波は生体反応とは異なり怪獣の体組織それ自体から発せられるものなので、怪獣の生死にかかわらず発信され続ける。したがって電波探知は主に怪獣の死骸を探査する際に用いられる。

 宝田は「はい」と頷いて機械を操作した。

 すると、すぐに計器に反応があった。宝田はモニターを確認する。電波反応は島の北側の海から発せられていた。

「海底ですね」

 宝田は言いながら、機器が記録した座標を支給品の専用スマートフォンへ転送した。五代の持つスマホにも同様のデータが送られる。

 五代はポケットから取り出したスマホの画面を一瞥し、「行こう」と短く告げた。


 島の北側の海岸は崖になっていた。木々の間を抜け、宝田と五代は灰色の雲の下に広がる断崖絶壁の上に立った。下には白波を立てる海が広がっていた。

「探査ドローンを」

 五代が指示をするより先に、宝田は鞄からそれを取り出していた。ケースの中には四つのプロペラが付いたドローンと、そのコントローラーが入っている。

 比較的水平に近い地形にドローンを置き、宝田は本体とコントローラーの電源を入れた。コントローラー上部のモニターに、ドローンのカメラで捉えた映像が映し出される。岩肌の地面が画面に表示された。

 宝田は離陸ボタンを押してスティックを押し込み、ドローンを浮き上がらせる。耳障りなプロペラの音と共に、押し出された風が宝田たちのもとまで吹いてきた。

 ドローンは海面に近づき、宝田の操作に従って、カーボンチューブで繋がれた水中調査用小型端末を射出する。

 端末にもカメラが付属しており、モニターはそちらの映像を映し出した。五代もその画面を覗き込む。

 二人がカメラ越しに見たものは、海底に横たわる怪獣だった。尖った頭から太い首へと繋がり、後ろには尻尾が伸びている。胴の長さは二十メートルほどだろうが、尻尾まで含めると目測では分からない。脚の形状から四足歩行であることが推定された。牙やツノの類いはなく、その代わりにトゲトゲとした背びれが左右互い違いに生えている。

 何より重要なこととして。

「死んでますね」

 宝田は呟いた。端末が怪獣のデータを収集していく。

 怪獣は既に息絶えていた。ただ眠っているのではない。生命の無い生命の感覚。棺桶の小窓から亡骸の顔を覗いた時のような、言い表せない不気味で淋しい雰囲気が、モニターを見るだけで伝わってくるようだった。

 宝田は生きている怪獣を見るのが嫌いだった。が、死んでいる怪獣を見るのはもっと嫌いだった。

 しかし、観察こそ自分の仕事なのだと思い出す。死んでいるからといって、死骸に危険性がないとは言い切れない。レアケースではあるが、完全に生命活動を停止したはずの怪獣が死骸の破片から再生・復活した事例も過去にはある。未確認怪獣の死骸が存在する以上、軍に回収を要請する必要があった。

「外傷は見当たりませんね。老衰でしょうか」

 宝田は呟いた。

「どうかな」

 と、五代は懐疑的である。

 やがて端末はデータ収集を終え、ケーブルが自動的に巻き付けられてドローン本体に回収された。宝田はドローンを操り手元に回収する。

 宝田はその場に屈み込んでノートパソコンを開き、データを確認した。

 過去に出現したあらゆる怪獣のデータと、今回見つかった死骸のデータが照合される。怪獣はその生態的特性によって分類がなされ、近似する種や全くの同一種の別個体が発見されることもある。しかし、今回モニターに表示されたのは「一致なし」の文字だった。すなわち、今回の死骸は現在地球人類が確認しているいずれの怪獣とも類似していない。

「惜しいな」五代は宝田の背後に仁王立ちしながら呟いた。「生きていれば新発見だったのにね」

「縁起でもないこと言わないでください」

 宝田は呟いた。

 モニターには怪獣の電波を測定した結果が表示されている。怪獣の体から発せられる電波は生前は一定であるが、死亡直後から徐々にその周期を変化させていく。これを調べることによって大まかな死亡時期を推定できる。今回のこの怪獣の場合、およそ四年前に死亡したと推定されていた。

 死亡時の年齢はおよそ四十五歳程度。こちらは体表を調べることで判明する。よってこの怪獣は一九七〇年代に生まれたものと推測された。

「やはり完全に死んでいますね。死因は解剖しないと分かりませんが」

 何にしろ、本部に報告すればそれで宝田たちの仕事は終わりだった。宝田は立ち上がって本部と連絡を取った。


 既に怪獣が死亡していることを受け、神有島の案件は緊急性が低いと判断された。よって即時回収用ヘリを派遣するのではなく、住民説明会を開いた後に輸送を行うというのが本部からの返答だった。

 宝田たちはヘリが現着するまで現場に残る必要がある。とはいえこれ以上は調査の必要もないので、しばらく休暇を貰ったようなものだった。

 宝田と五代は民宿〈たちばな〉に戻ってきた。先日と異なり、少し恰幅の良い中年の女性が玄関先で出迎える。彼女はアヤナの母親であり、この民宿の正式な経営者だった。アヤナからは「お母さん」と専ら呼ばれているから、宝田たちは彼女の名前を知らず、ただ立花さんと呼ぶばかりだった。

「お帰りなさい」

 ぺこりと頭を下げる彼女へ五代は言う。

「ちょうどいいところに。聞きたいことがある」

「なんでしょうか」

 立花は頷く。見た目から類推される年齢は五代より立花の方が上なのだが、実年齢は真逆だった。もっとも宇宙人である五代の年齢を地球の尺度で比較すること自体が間違いなのだが。

 五代は立花へ尋ねた。

「さっき例の山の途中まで登ってきたんだが、ここからだと中腹に鳥居が見えるね。頂上には神社か何かあると思うんだが」

「そうですね。結城神社という神社があります」

 結城神社。二人の会話を聞きながら、宝田はその名前を頭の中で復唱した。先日も聞いたような気がするが、どこで聞いたのだったか。

「そこでは何を信仰しているのかな? いや、私は地球人類の神話や信仰に深い興味があってね」

 五代は取って付けたような理由を述べた。立花はそれを不審に思う素振りさえ見せなかった。

「あの神社には〈がらきしぇさま〉がおいでだそうです」

「がらきしぇ……ですか」

 耳に馴染まない単語を、宝田は声に出して繰り返す。立花は頷いた。

「そうです。一応、この島のローカルな神様ってことになるんですかねぇ。あたしらは子供の頃から馴染み深い存在なんですけど」

「それは興味深いね。是非詳しく知りたいものだ」

「でしたら、行ってみたらよろしいと思いますよ。結城神社の今の神主の方は良い方でいらっしゃいますから」

「個人的に知っているかのような口ぶりだね」

 と、五代は言った。

「ええ。狭い島ですから、あたしたち住人はみんな知り合いみたいなものです。それに、結城神社のところの娘さんが、うちの娘と同級生でして。ですから私と、今の神主さんも懇意にさせてもらってまして。ママ友ってやつでしょうかね」

 立花はそう言って笑った。確か島内には一つだけ中学校があったな、と宝田は思い出す。

 立花は更に続けた。

「ここだけの話、前の神主って方がいて、今の神主さんのお父さんだったんですが、あまり評判の良い方じゃなくて。あたしなんかは今の方がいいと思ってますよ」

「すると、先代の神主は隠居したのかな」

 五代は呟くように聞いた。

「いえ、亡くなったんです。去年のことでした。あれはちょうど儀式の時でしたねえ」

 去年のことだと言いつつも、その口ぶりはどこか遠い過去を思い出しているかのようでもあった。宝田は社交辞令として「それはお気の毒です」と言ったが、実際先代は人気が無かったようで、立花もあまり惜しいとは思っていなかったようだった。

「なるほど。後で行ってみることにしよう」

 五代はそう言って部屋へと向かい、宝田はその後を追いかけた。


 部屋の扉の前で五代は言った。

「荷物を置いたらすぐに出よう。結城神社とやらを確認しに行く」

「自分も行くんですか?」

 と、宝田は不服そうに言った。

「例の死骸に関係が無いとも言い切れないんだ。君も手伝え。後学のためと思ってね」

「怪獣はもう死んでるのに、調査続行ですか」

「だって気になるだろう」

 今の五代を突き動かしているのは単純な興味だった。

 宝田はといえば、五代の提案は業務と何も関係ないのだから拒否することも出来るはずだった。が、そう言ったところで強引に手伝わされるのは目に見えていたので、あえて逆らうつもりもなかった。

「分かりましたよ」

 と、彼は頷いた。


 一度は下った山を再び登る。斜面はなだらかだったが、東京の山のように道がしっかりと整備されているわけではない。木々が伐採され、道がでっち上げられているばかりだった。先刻と違って機器類を持ち運ぶ必要が無い分、宝田にとっては楽な道のりだった。

 前方に鳥居が見えてくる。五代と宝田はその鳥居を潜った。そこからさらに歩いて行くと、結城神社が見えてきた。

 山の頂上が切り開かれ、大きな広場になっている。その奥に本殿があった。敷地に対して本殿の建物自体はこぢんまりとしている。

 平日の昼だからか、はたまた元から訪れるような者などいないのか。神社に五代たち二人以外の参拝客はおらず、周囲は閑散としていた。

 階段を上がりきった一歩目のところで、五代は観察するような目つきを周囲に向けている。宝田も同じように本殿や石畳の広場を見ていた。

 すると、背後から声が聞こえてきた。

「あの……うちに何か?」

 振り返ると、そこに立っていたのは制服姿の女子中学生だった。肩から鞄を掛け、スカートは膝までを覆い隠している。ロングの黒髪は結ばれておらず、前髪は水平に切りそろえられて眉が覗いていた。

「うちって……君、この神社の子?」

 宝田は聞いた。少女は頷く。

「はい。結城マドカと申します。……お二人は、島の外から?」

「そうだ」五代は頷いた。「私たちは怪獣を調査するためにこの島に来た」

 あっさりと機密を暴露する五代に、宝田は内心で肝を冷やす。しかしマドカは二人が怪獣対策委員会の一員であることには気づかない。

「もしかして、〈たちばな〉に泊まってるっていう人たちですか」

「早耳だね」

 と、宝田は呟いた。田舎では情報が広まるのが速いとよく言うが、人口千人に満たない島の中では尚更だろう。

「それで、どうでしたか。怪獣はいましたか」

 マドカは聞いた。

「どうだろうね」と、五代ははぐらかした。「ところで、君は見たことがあるのかな。ここに奉られているという神──ガラキシェ、だったか」

「それ、私に聞きます?」半笑いでマドカは聞きかえす。「私、仮にも神社の娘なんですけど」

「愚問だったかな」

「いえ……そうですね。見たことはありませんよ。でも、神様ってそういうものでしょう」

 マドカは達観したような言い方をする。中学生にしては少々大人びているなと宝田は思った。しかし神社に生まれた彼女にとって神とは身近な存在だったのだろうし、こういった感性が生まれることも必然的なのかもしれない。

「質問を変えよう」五代は言った。「君はこの島で怪獣を見たことがあるか?」

「ありませんよ」と、マドカは答える。「がらきしぇさまが怪獣だと思っているんですか?」

 五代は何も答えず、マドカの表情を観察していた。マドカは言う。

「確かに、うちの神社は歴史も浅いですけど、それでも五十年くらい前からがらきしぇさまを奉っているんです。もしそれが怪獣なら、五十年もの間被害が出ないわけないでしょう」

「確かに、そうかもしれないね」

 五代は言った。

 宝田は思う。確かにマドカの言うことには筋が通っている。しかし五代の表情を見るに、彼女が納得しているようには思えなかった。

「時間を取らせたね。どうもありがとう」

 と、五代は礼を言った。マドカは一礼して神社の本殿の方へと消えていった。

 五代と宝田は彼女の背中を見ていた。やがて彼女の姿が見えなくなると、五代は口を開いた。

「この神社、そして〈ガラキシェ〉への信仰が成立したのが五十年ほど前」

 宝田にも五代の言わんとすることは分かっていた。

「件の怪獣が生まれた時期と合致しますね」

 宝田が言うと、五代は無言で頷いた。


 二人が民宿に戻ってくると、共用の部屋で江戸川が昼食を食べていた。リカーショップ〈アミーゴ〉の弁当だった。しかし一種類しかないので昨日の夕飯と同じメニューだった。

 共用部屋には食卓やソファ、テレビなどが置かれていて、宿泊者が自由に利用できる。食卓に座っている江戸川はドアの外を通りかかった宝田たちの姿を見付け、手招きをした。

 宝田と五代は部屋に入っていく。五代が江戸川の正面に座ったので、宝田もその隣に座った。

 割り箸で焼き鮭を口に運びながら、江戸川は聞いてきた。

「どうです、調査は順調ですか」

 宝田は一瞬肝を冷やしたが、江戸川は自分たちの仕事を知らないのだと思い出す。彼女は宝田たちのことを自らの同業者──怪獣を調査するアマチュア研究家だと思い込んでいるのだ。

「なぜそんなことを聞くんです」

 と、宝田は聞きかえす。

「せっかくこんな島で同業者に会えたんですからね、協力しないと損じゃありませんか」

「申し出は嬉しいが、私たちに共有できる情報など無いよ」

 五代は言った。彼女たちはいくつかの情報を得ていたが、そのいずれも民間人においそれと公開できる性質のものではなかった。

「そうですか」江戸川はあまり残念そうな顔をしなかった。五代の返答を予測していたようでもあった。「まあ、ぶっちゃけて言えば、私は神有島の怪獣は実在しないのだと思っていますがね」

 おそらく江戸川は、北海岸の怪獣の死骸については知らないはずだ。宝田たちが調査に使用した機器は非常に高額で、民間では一部の大学の研究室などでしか目にすることが出来ない。いかに江戸川が有名ユーチューバーといえ、ああいった機器を有しているとは考えづらかった。そしてまた、海底深くで死んでいた怪獣を地上から目視することもあり得なかった。

 すると、江戸川は怪獣の死骸を見たわけではなく、それ以外の根拠を持って怪獣が存在しないと推測したことになる。宝田はその根拠に興味を抱いた。

「なぜそう思うんです?」

「島の方々に聞き込みをしてたんです。怪獣を見たって人は一人もいませんでした」

 宝田たちはまだアヤナやマドカにしか聞き込みをしていなかったが、その返答はいずれも怪獣を見たことなどないというものだった。民間人である江戸川からもたらされた情報を鵜呑みにするわけにはいかないが、島にいる他の住人たちもそう答えたのだとしたら、一つの重要な手がかりだと言える。

「結城神社に奉られるガラキシェについてはどうかな」

 五代は質問をした。江戸川はそれについても答える。

「ガラキシェは単なるローカル信仰でしょうね。こうやって怪獣か何か調査してると、まあ珍しくありません」

「船で君が言っていた、生贄の儀式については?」

「さすがにそこまでは、一朝一夕には調べられないですけどね」江戸川は予防線を張るように言った。「ですが、結城神社が建てられてから、十年おきに行われる特別な儀式があったことは事実のようです」

「十年おき……」

 宝田は呟いた。本部から送られてきたデータのことを思い出す。神有島で不審な自殺者が発生する周期も十年おきだった。

「でも、去年はその儀式、中止になったそうなんです」

「どうしてです?」

「儀式を取り仕切る神主が死んだからではないかな」

 五代が推論を口にすると、江戸川は「そうなんです」と頷いた。

「今、結城神社で神主をしているのは結城アスカという方なんですが、去年まで神主を務めていたのはアスカさんの父である結城ヒロシという方でした」

 結城アスカ、そして結城ヒロシ。その名前を宝田は記憶する。神社であった子供はマドカと名乗っていた。彼女はアスカの娘であり、ヒロシの孫ということになるのだろう。

「ヒロシさんが亡くなったのは一年前。結城神社で儀式が行われている真っ最中だったそうです。本殿の中で倒れ、そのまま息を引き取ったと」

「死因は?」

 五代は聞いた。

「急性の発作としか聞いてません」江戸川は言った。「神主が倒れたことで儀式は続行できなくなり、その年はそのまま中止になったそうです」

「発作、ね」

 五代は面白そうに呟いた。何が面白いのか分からない、という表情で江戸川は首を傾げる。

「まあ、とにかく。発起人である結城ヒロシが死んで、二代目に代わったことで儀式とやらも縮小していくかもしれません。これ以上神有島に調べるべきものは無いでしょうね」

 と、江戸川は話を締めくくった。

「そうかもしれないね」

 五代は呟いた。


 宝田と五代は、五代の部屋に戻ってきた。五代は椅子に座って長い脚を組みながら言う。

「不思議だね」

「何がです?」

 宝田は聞きかえした。確かにこの島には不思議なことが多くある。五代がそのうちのどれを指して言っているのか、宝田には分からなかった。

「この島の誰もが怪獣を見ていないということがだよ。あの大きさの怪獣が活動をして、誰にも目撃されないとは考えづらい。怪獣が死亡したのは四年前だ。しかしアヤナくんやマドカくんは生まれてこの方怪獣を見たことがないと言っている。少なくとも彼女たちが生まれた時から、すなわち十四年前から怪獣は活動をしていなかったことになる。成人以上の住人も同様の証言をしたとなれば、実際にはもっと以前から活動をしていなかったことになるね。果たしてこの謎に、いかなる理由を付けることが出来るのか……」

「眠り続ける怪獣、ですか」

 宝田は座椅子の上にあぐらをかき、椅子に座る五代を見上げながら呟いた。五代は左右の脚を組み直し、口元に片手を当てて思案する。

「この島の住人たちが、律儀に生贄を与え続けたおかげかもしれないね」

「まさか。怪獣が生贄なんかで大人しくなるなら、死刑執行人の仕事は要らなくなりますよ」

「冗談にしては不謹慎が過ぎるね」

「反省しておきましょう」

 宝田は頷いた。

「それはそうと。結城ヒロシの死因等について詳しく知りたい」

「どうしてです?」

「個人的な興味かな。怪獣に関連する可能性アリとか適当に理由を付けて、本部に調査を要請しておいてくれ。得意だろう、そういうのは」

 簡単に言ってくれるが、五代の指示は「個人的な興味本位のために怪獣対策委員会本部を欺いてくれ」と言っているのに等しい。しかし悲しいことに宝田は五代の無茶ぶりに慣れきってしまっていたので、抵抗する発想は浮かんでこなかった。

「分かりました。やっておきますよ」

「それと、怪獣が死んでいた海ももう一度調べ直す必要があるな。問題は現在の装備では行える調査に限界があるということだ。ドローンだけでは不十分だな。やはり直接海面に接触しなければ。船を持ってくるべきだったかな」

「山の麓辺りから北海岸の近くへ抜ける洞窟があるようです。それを使えば海面に近づけるかと。満潮なら危険かもしれませんが」

 宝田はスキャンした地形データをノートパソコンに表示させながら言った。

「今日は新月だ。問題ないだろう」

 と、五代は言った。


 夜。五代と宝田は民宿を出て、山の麓にある洞窟の入り口へと向かった。鬱蒼と木が茂る水場の近くに穴蔵があり、その口は杭に結びつけられたロープで塞がれている。

 宝田は調査用の機器が入った鞄を背負っていたが、五代は例によって手ぶらだった。五代は水場の飛び石を器用に渡っていき、宝田はその後ろを慎重に付いていく。

 すると、後ろから声が掛かった。

「あんた方、その洞窟入るんだったら気をつけな」

 しわがれた男性の声だった。他のどの地域でも聞いたことがないような、独特の訛りを示している。

 振り返ると、そこに立っていたのは薄手のジャンパーを羽織った初老の男性だった。頭には白髪が混じり、顔には皺が刻まれている。

「『気をつけな』か」おうむ返しに五代は言った。「『行くな』ではなく?」

「確かにそこは立ち入り禁止だけんどもよぉ、あんたらみてえなやつは止めたって行くに決まってんだから、そんなこと言ったって無駄だろうよ」

「なるほど。慧眼だね」

 五代は宝田に目配せした。宝田も小さく頷く。見ると洞窟を閉鎖するロープには頻繁に外された痕跡があった。あくまで目印の用しか成しておらず、物理的に閉鎖をするものではないようだった。

「ところで、君はどうしてここに?」

 と、五代は質問した。男は見知らぬ人間からいきなり「君」呼ばわりされたことにたじろぎながら答える。

「俺は島の海を管理してるもんでさぁ、あんたらみてえに勝手に行くもんがいねえか、時々こうやって見回ってるのさ」

 男は答えた。しかし、せっかく見回ってもこうして見逃してしまうのでは意味が無いと宝田は思う。

「しかしねぁ、あんたら、北の海に行ったって意味ねえと思うけんどもね。魚だって捕れねえよ」

「捕れない?」宝田は聞きかえした。「いや、別に釣るつもりはありませんが」

「俺は漁師だから、そこいらのやつよりちょいとばかし詳しいのさ。あの海じゃ魚なんか捕れねえよ。一匹たりともな。俺が生まれる前からずっとだ。だから俺ら島の漁師はあの辺には近づかねえ。魚がいねえんだから」

「なるほど」五代は頷いた。「忠告ありがとう。ではまた」

 彼女はロープを外してロープの中に入っていく。宝田は男に一礼してその後を追った。

「気ぃつけろよぉ」

 男の声が洞窟の入り口に響いた。



 五代と宝田は洞窟の中を進んでいく。懐中電灯で照らされた洞窟にはひやりとした潮風が流れてきている。

 入り組んだ洞窟は奥に向かってなだらかな坂になっており、進むにつれて潮の香りは強くなっていった。

「さっきの彼が言っていたことだが」

 五代は歩きながら言った。

「島の北では魚が捕れないって話ですか?」

 と、宝田は聞きかえす。

「なぜなんだろうね」

「怪獣が食べた……とかですかね」

 宝田は思いつきを口にした。

「いや、それにしては妙だ。あらゆる魚が一切存在しないというのはね。狼の住む森だからと言って、羊が一匹もいないということはないだろう?」

 例の怪獣の食性は不明だったが、仮に魚類を捕食していたのだとしても、一匹残らず食べ尽くすということは考えづらい。

「それに、怪獣が死んでからもう四年経っているわけだしね」

 五代は付け足すように言った。仮に怪獣が魚たちの天敵だったとしても、四年も経てば戻ってくるはずだ。

「じゃあ、怪獣は関係ないと? だったらどうして魚がいないんです」

「そうだ」宝田の言葉に、五代は頷いた。「怪獣は関係なかった。だとすれば、原因は? 海底に存在する別の要因か? あるいは……海そのものか?」

 五代は思考を整理するように呟いた。宝田はそれを黙って聞きながら、彼女の後ろに付いていった。


 やがて二人は洞窟を抜け、海に面した岩場へと出た。打ち寄せる波が岩肌を削っている。屈み込めば触れられるほどに海面は近かった。

 濡れた岩場に足を滑らせないよう、宝田は慎重に進んだ。波打ち際に屈んで、鞄から海中探査用ドローンを取り出し、海面に浮かばせる。

 前回の調査時は海面との距離があったので使うことが出来なかったが、今回であればこちらを使用できる。本来海中の調査に適しているのはこちらの機体だった。

 コントローラーを持ち、宝田はドローンを海底へと潜らせた。

「それで、何を調べればいいんです? 怪獣のデータは、前回以上のことは分からないと思いますが」

 宝田はコントローラーのモニターを見ながら言った。五代はその後ろに立っていた。

「怪獣そのものではなく、周辺に不審物が無いか調べてくれ」

「分かりました」

 宝田が答えたのと同じ時、モニターにアラートが表示された。深刻な水質汚濁を示す警告だった。生命に危険を来すレベルの毒性が検出されている。

「この海域の海水には毒性があるのか」五代は呟いた。「魚が捕れない理由が分かったな」

「ええ」

 宝田は短く頷いた。

 それから宝田はドローンを操作し、水質汚濁の原因を探る。それはすぐに見つかった。

「海底から有毒ガスが噴出しているようです。海流の関係でこの周辺以外に広がらないために、今まで放置されてきたようですね」

 五代は無言で頷き、宝田と共に画面を注視する。

 宝田はドローンを操作し、怪獣の死骸の周辺を潜水していく。海底が近づいてきて、カメラの捉えた映像がモニターに映し出される。海中で舞い上がった土埃が視界を遮っていたが、やがてそれが晴れて、海底の様子が顕わになっていく。

 そして、宝田は小さく息を呑んだ。海底に横たわっているものは、何かの骨に見えた。近づいていくと、それは人間の白骨だと分かった。

「人間の死体か」

 と、五代は呟く。今更言われるまでもなかった。

 宝田はドローンを操作し、白骨遺体を詳しく観察する。完全に肉体は失われ、骨だけになっていた。見た目からは性別さえも分からない。

「ここで溺れ死んだ者の遺体でしょうか」

 宝田は呟く。

「ただの事故なら、まだいいが」

 五代は呟いた。

 小学生だった頃、学校の理科室に置いてあった骨格模型を宝田は思い出していた。あの模型のように、海底の骨は人間の全身を形作っていた。

 砂にわずかに埋もれた脚の部分の骨に、何かが括り付いていることに宝田は気づいた。それは足枷だった。

「こんなものを付けて海水浴か?」

 五代は口元に手を当てながら呟く。

「普通はやりませんよ」

 宝田は言った。

 それから宝田は海底の調査を続ける。結果、発見された白骨遺体は一つではなかった。海底の砂に埋もれているものなども含め、怪獣の遺体の周辺には合計五人分の遺体が発見された。そのいずれも、右足に重りの付いた枷を付けられていたのである。

「同じ場所に、同じ方法で沈められた遺体が五つか。偶然なら良いんだが」

「偶然なはずありません」宝田は呟いた。「もしかして、失踪した島民でしょうか」

「その辺りは、事情を知っていそうな人に聞いてみるのがいいだろうね」


 翌日の朝。五代と宝田が宿の外に出ようとすると、ちょうどアヤナも家を出るタイミングだった。アヤナは制服姿に鞄を抱えていた。

「おはようございます」

 アヤナは玄関先で二人を見付けると、いつもお客にしているように頭を下げた。

「おはよう」

 と、宝田はにこやかに答えた。

「そういえばお二人、昨晩出かけてましたか? 妙な時間に音がしたので、どちらに行かれたんだろうと思ってたんですが」

 アヤナが聞くと、五代は誤魔化すこともせずに答えた。

「北の洞窟を見に行っていた」

「あんな夜中にですか。危なくなかったですか?」

「問題ないよ。懐中電灯を持って行ったからね」

 五代はどこかピントのずれた答えを返す。宝田はその横から尋ねた。

「アヤナちゃんも行ったことあるの?」

「えっ? いやあ、まあ」アヤナは苦笑を浮かべながら答えた。「もっと小さい頃ですよ? この島の子供だったら、みんな一度は行きますって。マドカと一緒に。肝試し的な感じで。まあ、一回しか行きませんでしたけど」

「ジメジメしてるもんね」

 宝田が言うと、アヤナは曖昧に頷いた。

「それもあるんですけど……ちょっと私、酷い目に遭ったんです。

 あそこに行って、マドカと一緒に海で遊んでたんですけどね。マドカがふざけて水筒に海水を汲んでたんです。私はそれを知らずに、思いっきり海水飲んじゃって。それだけならまだしも、そのあとで急に体調も悪くなっちゃうし。数日寝込んだら治ったんですけど、それ以来、あの洞窟には近づかないって決めたんです」

「それが賢明だろうな」

 と、五代は頷いた。アヤナが体調を崩した原因はおそらく毒性のある海水を摂取してしまったことにある。体調を崩した程度で済んだことは幸運だったと言える。

「今後もあそこは近づいちゃだめだからね」

 宝田は言い含めるように言った。しかしアヤナは、なぜそんなことを言われるのか分からないといった表情で首を傾げ、

「はあ。分かってますけど」そう答えてからアヤナは玄関先の時計を見る。「あ、もう時間ヤバいので、失礼します」

「ああ。私たちも出るとしよう。宝田くん」

 五代に呼びかけられ、宝田は靴を履いて玄関を開けた。

 三人が民宿の外に出ると、玄関先にアヤナと同じ制服を着た少女が立っていた。それは先日神社にいたマドカだった。

「おはよう」マドカはアヤナに手を振ってから、五代たちに気づいて一礼した。「どうも」

「おはよう」五代は軽く右手を挙げながらマドカの顔を見た。「君たちは毎日こうやって一緒に学校へ?」

「そうですよ。小一の頃から毎日、私がこうやって迎えに来てあげてるんです」

 マドカはそう答えてにこりと笑った。

「子供の頃からの習慣で、やめるタイミングを逸したっていうか……」

 アヤナは恥ずかしがるように言った。

「仲いいんだね」

 と、宝田は微笑みかける。

「ええ、まあ」と、アヤナははにかみながら頷いた。「島で同年代の女の子って、本当に数えるくらいしかいないですから」

「私は東京に生まれても、アヤナと友達になってたと思うよ」

 マドカは真剣な声音で呟いた。

「え?」アヤナは一瞬虚を突かれたように呟いた。「……うん。そうかもね」

 それからマドカは五代たちの方へ向き直った。

「じゃあ、私たちは学校行くので、これで」

「ああ。気をつけて行っておいで」

 と、五代は手を振った。マドカたちは一礼して去った。


 民家が建ち並ぶ坂道を五代と宝田は二人して進んだ。平日の昼で、大人はとっくに仕事に出ている時間だった。すれ違うのは主婦や高齢者ばかりだった。

 二人の目的地は先日向かった結城神社だった。山へと続く道を二人は歩いて行く。五代の目元はサングラスに覆われ、上空から降り注ぐ日差しを防いでいた。

「そういえば、結城ヒロシについては何か分かったかい」

 五代が尋ねると、「ああ、そうでした」と宝田は答えた。

「今日の朝一で調査報告が届いていました。結城ヒロシは確かに昨年死亡しています。享年は七十九。死因は急性の発作による心停止だと。ただし、結城氏に通院・服薬等の履歴はなく、持病を患っているようなことはありませんでした」

「そのくらいの年齢の地球人であれば、突然死もあり得ないことではないだろうが」

 五代は納得していないような表情だった。

「やっぱり、五代さんも怪しいと思いますか」

「儀式を取り仕切る神主が、まさに儀式の当日に発作を起こして死ぬなんて偶然、出来過ぎていると私は思うね」

「同感です」

「やはり、神社の関係者に話を聞く必要があるだろうね」

 と、五代は呟いた。宝田は、サングラスの奥に覗く彼女の瞳を横目に見ていた。


 突然の訪問にもかかわらず、結城神社の神主である結城アスカは笑顔で五代たちを出迎えた。社務所の机に緑茶の入った茶碗を並べ、五代と宝田の正面に座っている。五代は屋内でもサングラスを外していなかった。

 アスカは和装に身を包んだ女性だった。年の頃は四十手前で、中学生の娘がいるにしては若々しく見える。アスカはにこやかな笑みを浮かべながら言った。

「娘からお噂は伺ってます。本州から遠路はるばるお越しいただいたとか。神有島にはお仕事でいらしたんですか?」

「そんなところだな」

 と、五代は答える。

「何にしろ、私どもの神社に足を伸ばしていただいて光栄です」アスカは笑顔を絶やさずに言った。「それで、私に聞きたいことと言いますのは?」

「結城神社の神主として、あなたに聞きたい。この島ではおよそ五十年前から十年おきに行われてきた儀式があるね」

 五代は言った。隣で宝田は固唾を呑んでいる。

 アスカの表情から笑顔が消えた。神妙な面持ちで彼女は聞く。

「それがどうかしましたか?」

「その儀式について詳しく聞きたい。具体的にどんなことを行っているのかな?」

「……なぜそんなことをご存じになりたいので?」

「私は地球の宗教に深い興味があってね」

 五代の言葉は、子供でも分かるくらいに分かりやすく嘘だった。サングラスに覆われた五代の目元を、アスカはじっと見つめている。

「変わったことをするわけではありません」アスカは根負けしたように答えた。「神主──つまり、今は私のことですが。それがあちらの本殿に籠もって、がらきしぇさまへ祈祷をするんです。祈祷の詳細は一子相伝ですから、お教えすることは出来ませんが」

「その儀式では、生贄を捧げるようなことはしないのかい?」

 生贄、という言葉にアスカは目を見開く。

「ぶ……無礼なことを。我々がそんな、生贄などと」

 動揺のために思わず立ち上がったアスカを、五代は毅然と見上げた。五代はサングラスを外す。朱色の双眸はまるで発光したかのようだった。その赤く妖しい光を見つめた瞬間、アスカの体は金縛りに遭ったかのように動かなくなり、彼女の目から生気が失われていく。

「もう一度、問う。君たち結城神社の人間は儀式のために人を殺したのか?」

「あ──」首を絞められたかのようにアスカは呻いた。「父は……がらきしぇさまのために。生贄を捧げていました……」

 アスカは自らの意思とは無関係に口を動かしていた。彼女はもはやトランス状態で、五代の瞳から目が離せなくなっている。五代はさらに質問を重ねた。

「君の父。結城ヒロシのことだな。一九七〇年代から十年おきに発生していた不審な行方不明者は、実際には君たちが生贄と称して殺害していた。そうだな?」

「そう、です……。泳げないよう、足枷を付けて……、北の崖から突き落としました……。がらきしぇさまに、捧げるために……。私も、二十年前からそれを手伝っていました……。結城神社の、二代目、として……」

 アスカの告白に宝田は息を呑む。彼女は無意識に喋らされているので、自分が深刻な暴露をしたことさえ知らない。

「北の海に沈んでいた人骨はやはり彼らが殺したものか」五代は呟いた。「目的はガラキシェを鎮めることにあるんだな?」

「はい……」

「君たちが信仰するガラキシェとは、北の海にいる怪獣のことだな」

「そう、です……。島の人々は、知りませんが……私たちは、知っています……。私たちが、贄を捧げなければ……、がらきしぇさまは、この島を食い尽くしてしまいます……」

 アスカの言葉は間違っていた。十年に一人、人間を与えたところで、怪獣が大人しくなるというようなことはあり得ない。怪獣が五十年間大人しかったのは別の要因──海底から噴出する毒素のためだった。しかし不幸な偶然か、彼らは生贄の儀式に効力があると思い込んでしまったのだろう。宝田はそう推測する。

「十年周期で行われる儀式が最後に行われたのは昨年だ。しかし昨年の儀式は中止された。それは君の父であり先代の神主・結城ヒロシが死亡したためだ。間違いないな?」

「はい……」

「彼の死は本当に発作によるものなのか?」

「本当です……。父は儀式の最中に……本殿の中で、突然……苦しんでいる声が聞こえて……」

「儀式の前に彼は何か不審なものを口にしたか?」

「儀式の日は……神主は……、特別な御神酒以外は、何も口にしません……」

 すると、アレルギー物質を口にした可能性は低いのだろうか。宝田は考えた。

 五代は更に質問を続ける。

「生贄はどうやって選び、どうやって殺す?」

「島民全員の中から……、無作為に……選ばれます……。本人には……決して知らされません……。薬で眠らせ……、枷を付けて、海へ……」

「島の住人たちは十年に一度生贄を捧げることを受け入れていたのか?」

「ある世代より上なら……皆知っています……。がらきしぇさまを、鎮めるためには……、仕方の……ないこと、だと……」

 アスカの言葉がつっかえる場面が増えてきた。五代は少しばかり早口になって質問をたたみかけた。

「昨年の儀式は結城ヒロシの急逝によって中止になった。本来生贄にされるはずだった人物はどうなった?」

「父が倒れた時……儀式は、まだ……始まって、すぐでした……。ですから……生贄にされるはずだった子は……そのまま解放されて……」

「それは誰だ?」

「民宿の娘さん……立花アヤナ、です……」

 アスカは言葉を詰まらせながら答える。生気の無い目は虚ろで、体はふらつき、今にも倒れそうだった。五代の瞳の光も、徐々に弱まっていく。彼女の使う一種の催眠術は無尽蔵に使えるものではない。宝田もそのことは知っていた。

「この辺りまでだな」

 五代は呟き、瞬きをしてサングラスをかけ直した。アスカは気を失って倒れそうになる。宝田は慌てて立ち上がり、アスカの体を支えた。

 宝田はアスカを椅子に座らせた。それから五代の方を見る。

「どうしますか。一応、今の話は録音しましたが」

「私の能力で得た証言は証拠にならないからね」

 と、五代は言った。彼女は、結城神社のやってきたことを糾弾したり告発したりする気はないようだった。

「それより気になるのは今後のことだ。この結城アスカは、怪獣による被害が出なかったのが生贄を捧げたためだと信じている。おそらく、結城ヒロシがそうであったのと同様に。誤ったガラキシェ信仰が続く限り、彼女たちは九年後に再び人を殺すだろうな」

「問題はそこですね」

「この島の住人たちに分からせる必要があるな。ガラキシェは死んだ。生贄など必要がないのだと」

「自分は、最後にアスカさんが言っていたことが気になります」

 宝田は、椅子の背にもたれて眠るアスカを見ながら呟いた。

「去年死ぬはずだった生贄のことか」

「ええ。生贄に選ばれていたのは、アヤナちゃんだって」

 宝田が思い出していたのは、アヤナと話している結城マドカの姿だった。二人は本当に仲が良い友人同士に見えた。それなのに、マドカの母であるアスカは、アヤナのことを殺そうとしていた。生贄という大義名分の下に。

「立花アヤナは今も生きている。結果的にはな。ならいいじゃないか」

 五代はサングラスを指先で押し上げて立ち上がった。

「……それにしたって、信じたくない気分ですよ。まさか、こんな風習がこの国に残っているなんて。いくら閉鎖的な島だからって、根拠も何も無い人身御供のために罪の無い人間の命を犠牲にするなんて」

「真実はどうであれ、この島では生贄を捧げることによって怪獣ガラキシェを押さえ込んできた。それが彼らの……結城ヒロシや、アスカが見てきた物語だ。ある意味、彼らも怪獣の被害者だと言えるかもしれないな」

「そうかもしれませんが。自分は承服できません。罪の無い……子供までが犠牲にされるのは」

「当然だな。私も同感だ」

 五代は社務所の出口の方へと向かった。宝田はその後ろに付いていった。


 三日後。市立第一中学校神有島分校体育館にて。

 普段は数人の生徒が使用するだけの体育館も、その日ばかりは多くの島民で埋め尽くされていた。整然と並べられたパイプ椅子に、レジュメを持った人々が座っている。高齢者の姿が目立つが、二十から三十ほどの若者も混じっていた。その中には、洞窟の前で会った漁師や、結城神社の神主アスカの顔もある。

 ステージ側に置かれた長机の前には、五代と宝田が座っていた。五代は紺のパンツスーツに色素の薄いサングラスを掛け、宝田は青いネクタイをしめている。その後ろには、〈神有島沖海中において発見された怪獣の死体に係る住民説明会〉と書かれていた。

 突然の説明会実施にもかかわらずこれだけの人数が集まったことは、本件についての注目度の高さを示していた。後ろの方には少数だがマスコミのカメラもあった。

「時間になりましたので、始めさせていただきます。本日の説明会を担当させていただきます、怪獣対策委員会第五課の宝田です」

 宝田はマイクを手に立ち上がった。体育館の中に彼の声が響く。簡潔な前置きをした後、宝田は原稿を読んでいく。

「──以上のことから、怪獣対策委員会としましては、当該怪獣が死亡したものと断定いたしました。当該怪獣の死骸につきましては、明日正午より陸軍による輸送を行うこととし、当委員会および大阪大学樋口ひぐち研究室の協同による解剖を実施します。なお、本作戦に伴って住人の皆さまに避難や屋内待機等のお願いをすることはありませんのでご安心ください」

 宝田が淡々と原稿を読み上げる声に混じって、島民たちがレジュメをめくる音が聞こえてくる。そこに印刷された怪獣の死骸の写真を見て、誰かがため息をついた。

 それは、怪獣の死を知ったことによる安堵のためか。あるいは信ずるべき神を喪った絶望のためか。

 宝田には分からなかった。彼はただ、淡々と原稿を読み上げるだけだった。

 五代はその横で真っ直ぐ座っているだけだった。まるでその目つきは島民たちの反応を観察しているようにも見えた。

「──以上になります。質問がありましたら、挙手してから一人ずつお願いします」

 宝田は話を締めくくった。住人たちから手は挙がらない。疑問が無いのではなく、それを尋ねることを躊躇しているような雰囲気が感じられた。

 五代は、おもむろにマイクを手にして立ち上がった。眼前に並ぶ顔をゆっくりと睥睨し、マイクを口元に持ってくる。

「怪獣対策委員会第五課アドバイザーの五代です。本件に関し、怪獣の死因、および約五十年の長期にわたって怪獣の被害が一切なかったという事実について、多くの島民が疑問を抱かれているものと愚考します。解剖を行っていない現段階においては確証を持って何かを申し上げることは出来ませんが、個人的な推論をいくつか述べさせていただきます」

 五代の言ったことは事前の原稿には一切存在しない文言だった。しかし宝田はそれを止めようとはしなかった。

「我々の調査の結果、神有島北側の海域において毒性物質が拡散していることが明らかになりました。これは当該怪獣が生息していた海域と合致します。したがって怪獣はその毒によって常に衰弱状態にあったため、島に上陸する体力を持たなかったものと推測されます。また、怪獣の死因も、海域における毒性が強まったことによるものだと考えられます」

 五代はそこまで言うと、もう一度島民たちの顔を見回し、少しだけ声を張り上げて告げた。

「毒性のある海域に偶然怪獣が生まれたため、近くに人里があったにもかかわらず、偶然五十年もの間被害が出ることなく怪獣が死亡した。これが本件の真相です。そこにはいかなる人間の意思も行為も介在していません。一切、です。そのことをお忘れなきよう」

 体育館の中は、水を打ったように静まりかえっている。高齢の島民たちは皆、五代が強調した部分に隠された意味を理解しているようだった。マスコミや一部の若い島民たちは、五代の真意を読み解くことが出来ずに首を傾げていた。

「私からは以上です」

 と、五代はマイクのスイッチを切って着席した。


 説明会は、その後はつつがなく終わった。地元の自治会の人々と共に後片付けを済ませ、宝田と五代は外に出る。既に参加者たちは帰宅し、中学校の敷地は閑散としていた。

 宝田はネクタイを緩めた。そこで横から声が掛かった。

「お兄さん。驚きましたよ」

 振り返ると、そこに立っていたのは江戸川だった。いつも持ち歩いているVログ用カメラは、今日は構えてはいなかった。宝田と五代の顔を見つつ、彼女は笑いながら言った。

「まさかお二人が怪対の人だったなんてね。全然気づきませんでしたよ」

「すみません。黙っていて」

 宝田は軽く頭を下げる。

「分かっています。そういうものだということは」

「君もまだこの島にいたのか」

 五代は意外そうに言った。江戸川は頷く。

「説明会を聞いてから帰ろうと思って、延泊したんです」

「そうだったんですね。こっちもバタバタしてたんで、全然気づきませんでした」

 宝田は答えた。その横で五代は聞いた。

「君はガラキシェのことも動画にして世界に知らせるつもりなのか?」

「いえ。死んじゃった怪獣は、興味ないので」

 江戸川はあっけらかんとした様子で答えた。

「それは残念だね。インタビューに答える準備もしていたんだが」

「五代さん、そんなこと出来ないでしょう。守秘義務があるんだから」

 宝田が言うと、五代は小さく息をつくように笑った。


 翌日。日本陸軍所有の輸送用ヘリコプターが怪獣の死骸を牽引するところを見届け、宝田と五代は民宿〈たちばな〉を後にした。江戸川は一足先に民宿を去っていた。

 チェックアウトの手続きをしてくれたのはアヤナだった。宝田から受け取ったクレジットカードを端末に差し込みつつ、アヤナは言った。

「お客さんたち、怪対の人だったんですね。言ってくれたら、色々協力したんですけど」

「ごめんね。言っちゃいけない決まりなんだよ」

 宝田は端末に暗証番号を打ち込む。アヤナは目を逸らしながら言った。

「それにしても……がらきしぇさまって、本当にいたんですね。この島の神様が」

「怪獣は神ではないよ」サングラスを持ち上げながら五代は言った。「ガラキシェはただの怪獣だった。それだけだ」

「そう……ですね」

 と、アヤナは頷いた。

 玄関先まで二人を見送り、アヤナは深々と頭を下げる。

「また来てください。今度は、怪獣とは無関係でも。……なんて、この島に観光する場所なんて無いんですけど」

「いや、なかなか良い島だったよ」

 五代は言った。

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 と、アヤナは笑った。


 民宿から港へ続く道を二人は歩いて行く。荷物の入ったキャリーケースを引きながら、宝田は手首に巻いた時計を見る。

「三時の便に乗れそうですね」

「ああ」

 五代は頷き、不意に足を止めた。宝田もつられて立ち止まる。

 二人の目の前には一人の少女が立っていた。結城マドカだった。

「君は……」

 宝田は呟いた。マドカは半袖の黄色いTシャツを着て道の真ん中に立ち、二人のことを冷たい視線で見つめていた。

「結城マドカくん。その後、お母さんの調子はどうだい」

「問題ありません。お二人と話したことを、まるで覚えてないと言っていること以外は」マドカはそう答えて五代たちとの距離を詰める。「母から何を聞き出したんですか。あなたたちは何を知ったんですか」

「私も君に聞きたいことがある。君のお祖父さん──結城ヒロシを殺したのは、君だな」

 マドカはわずかに目を見開き、そのまま五代のことを睨み付けた。五代はその視線を撥ね付けるように話を続ける。

「君は友人である立花アヤナが生贄にされることを知っていた。だから儀式を止めるために神主である結城氏を殺したんだ。神主は儀式のために特別な酒を口にする。神主の孫である君は、その酒に毒を混ぜることが出来たはずだ」

「……毒? そんなもの、私がどうやって手に入れるって言うんですか。ただの中学生が。それも、こんな田舎の島で」

「北側の海には天然の毒素が溶け込んでいる。海水を酒に混ぜればいい」

「海水が汚染されていたことなんて、私たち島民は昨日まで知らなかったんですよ」

「いや、君は知っていたはずだ。君は幼い頃、アヤナくんと一緒に洞窟を抜けて北の海で遊んだことがある。その時にアヤナくんは体調を崩して数日の間寝込んでいたそうだね。君はその原因があの海水にあったことに気づいていたのではないかな。君は海水の持つ毒性を知っていたんだ」

 五代の指摘を受け、マドカは俯き頷いた。

「……おじいちゃんは。ずっと儀式のために人を殺してきたんです。三人殺せば死刑になるんですよね? だったら、私が殺して何が悪いんですか」

「悪いとは言っていないが」

 五代の返答に、マドカは拍子抜けしたような表情をする。それから彼女は小さく呟いた。

「本当は、殺すつもりじゃなかったんです。ただ、おじいちゃんの体調が悪くなれば、儀式も中止になるんじゃないかって。まさか、あんな量で死んじゃうなんて、思ってなかったから」

「海中の毒素の濃度はここ数年で急速に高まっていた。怪獣を殺してしまうくらいにね。アヤナくんが倒れた時から、さらに強力になっていたんだ。君はそのことに気づかず毒を盛り、肉親を手に掛けることになった」

 マドカは何も答えなかった。たった十五年しか生きていない子供とは思えないような迫力がその身体から発せられていた。それは他でもない、殺人者のオーラだった。その表情からは、何の感情も読み取れない。

「後悔はしてない?」

 宝田は深淵のようなマドカの瞳を見ながら聞いた。マドカは、達成感のようなものを湛えた微笑を浮かべて答えた。

「まさか。私はアヤナを守ったんですから」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

官民怪獣出現記録集 岡畑暁 @scarlet0508

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る