エピローグ
舞踏会の会場を出たレイビスは、月明かりに照らされる廊下を進んでいき、一つの部屋へとアリーチェを誘導した。
そこは上品な内装で整えられた応接室のようでいて、けれど応接室とは違って部屋の片側に大きなベッドが置いてある。
レイビスの部屋にしては色使いが淡いオレンジと白で統一された女性的な部屋だったので、おそらく違うだろうと予測を立てた。
レイビスは部屋に入ってアリーチェの腰から手を放すと、億劫そうに上着を脱ぎ、ソファの背もたれにそれをかける。そして自分が腰掛ける前に、アリーチェを振り返ってきた。
「来い、アリーチェ」
差し伸べられる手に、心臓が高鳴る。
これまでだって彼と二人きりになることはあったのに、雰囲気のせいか、これまで以上に緊張している。
けれど、彼に差し出された手を取らない理由はアリーチェにはない。
うるさいほど鳴っている鼓動が自分の手にまで影響して、指先が震えているのがわかる。それを恐る恐る彼のものに重ねると、まるでお姫様を相手にするような優しさでエスコートされて、ソファに座らされた。
レイビスもすぐ隣に深く腰掛けるけれど、握った手は放されない。
「最近、一緒にいられなくて悪かったな」
いきなり彼がそんなことを言い出すので、アリーチェはぎょっとして首を振った。
「そんなっ。殿下が忙しいのはわかってましたし、今までがありえなかったんです。だからそんな、殿下が謝るようなことじゃありません!」
「それでもだ。どうやら寂しい思いをさせていたらしい。事情があったとはいえ、そんな思いをさせて悪かった」
頬に当たっていた横髪をさらりと耳に掛けられて、かあっと顔に熱が上る。
彼の美貌はとっくに知っていることなのに、夜に見る彼が珍しいからだろうか、漂う色香にくらくらする。
「あの、殿下? ちょっと、近いような、気がするんですがっ」
「わざとやってるんだから当たり前だろ」
「えっ!?」
しれっと答えられて仰天する。そのとき絡まった彼の視線には熱が孕んでいて、まるでその熱を移されたように体温が上昇した。
「おまえ、会場で俺の言葉を聞いてなかったのか? 『俺の愛する者のために容赦なく裁きを与えてやる』って言っただろ」
「い、言ってましたね」
「俺はおまえのためにあの親子を潰したんだが?」
「えぇ!?」
それは、つまり。
つまりどういうことかと、考えるより早く心が理解してしまったらしく、隠せないほど顔が赤くなるのが自分でもわかった。
そんなアリーチェを見て、レイビスがフッと目を細める。
「おまえが好きだ、アリーチェ。鈍臭いところも、一生懸命なところも、素直で努力家なところも」
「あ、あの、でも」
わたし――と言いかけて、アリーチェは気づいてしまった。
レイビスがアリーチェのためにヴィッテ親子を捕まえた、その意味するところを。
だってそれは、アリーチェとヴィッテ親子の間に何が起きたか知らなければできないことだ。
つまり。
「殿下、もしかして、わたしの過去を……?」
一転して怯えた目になるアリーチェを安心させるためか、レイビスがアリーチェの後頭部に手を回し、ぐっと自分の胸元に引き寄せた。
一番知られたくないことを知られたかもしれないショックはあるのに、彼の爽やかな香りが条件反射のように心を落ち着かせてくる。
「ああ、悪い。勝手におまえのことを調べた。それも謝る」
よくよく考えれば、それは当然なのかもしれないと落ち着いた頭で思う。
なぜなら彼は第一王子で、今は後継争いの真っ最中なのだから。自身に近寄ってくる人間を調査するのは身の安全のために必要なことなのだろう。
「じゃあ、わたしが……わたしが、十三番目の魔女ってことも……」
「それも知ってる。でもまあ、それは調べる前から知ってたが」
「え!? いつからですか!?」
予想外の返しに思わず顔を上げた。端整な顔が思ったよりも近くて、また彼の胸元に顔を隠す。
「インターンのときだ。おまえ、馬鹿正直に俺の贈ったネックレスを付けてただろ? それが服から出てたぞ」
アリーチェは内心で頭を抱えた。心当たりのある場面を思い出して、自分の不用心さを呪いたくなる。
「おまえのそんなところが好きだよ」
「うっ……それはその、馬鹿なところが、ですか?」
「違う。俺の贈ったものを大切に身につけているところが、だ」
「!」
胸が甘やかに締めつけられる。
これは自分も言っていいのだろうかと、甘い期待に心が疼く。
添えられているだけだった彼の手が、ぽんぽんと頭を撫でてきた。彼に撫でられるのが好きだった。
その想いも、伝えていいのだろうか――そう思ったとき。
「……おい」
急にレイビスの声が低くなって、アリーチェの心臓がひゅっと縮む。
ついさっきまで流れていたこそばゆいような雰囲気はどこへやら。恐る恐る見上げた彼は、研ぎ澄まされた刃の眼差しで自分の手を見つめていた。
彼は舞踏会用に白い
「アリーチェ、なんだこれは」
急転直下した彼の不機嫌さに、何も悪くないはずのアリーチェが目を泳がせる。
「それは、そのぉ、連れて来られるときに、頭を殴られまして……」
ぐいっと側頭部を掴まれて下を向かされる。傷口に触れないようにとの配慮だと思うけれど、ちょっと首が痛い。
レイビスは慎重にアリーチェの髪を掻き分けて傷口を探しているようだ。彼のネックレスに付与された魔術式のおかげですでに治っていることを伝えたら、彼が肺の中の空気を空にする勢いで長いため息を吐き出した。
それから極悪顔でにっこりと笑って。
「よくわかった。あいつらは殺そう」
「だめですよ!?」
「は? なんでだよ」
「なんでって……」
「紙の上で見ただけでも胸糞悪かった。生かしておく意味はない。それにどちらにしろ、重ねた罪が多いから死刑になる可能性はある。そのとき誰が殺そうと結果は同じだ」
「だ、だめですっ。だとしても、殿下は絶対にだめです!」
「だからなぜ」
「だ、だって、わたしのせいで、殿下にそんなことをさせるのは嫌ですっ。あんな人たちに、それがどんなことでも、殿下が構うのは嫌なんです……!」
レイビスが目を見開く。こっちは真剣に答えているのに、彼のほうはなぜかだんだんとその表情をニヤつかせたものへと変えていく。
「アリーチェ、その思いがどこから来るものなのか、俺はまだ聞いてないんだが?」
「っ」
「なぜ俺がヴィッテ親子に――いや、令嬢のほうが度合いは強いか――構うのが嫌なんだ?」
「それは、でも」
「言え、アリーチェ」
本当に言っていいのだろうかと思案する。分不相応の身でも。
窺うように彼を見上げれば、面白がる表情の中にも愛しさのようなものが垣間見られて、きゅうっと胸が痛んだ。
そんな顔で見つめられたら、隠そうと思っていた想いも隠せない。
そんな全力で受け止めてやると言わんばかりの
何度も躊躇い、何度も葛藤して、でもついに留め置けなくなった想いを、アリーチェは口から吐露した。
「わたし、恋を、したんです」
いつのまにか、喜べない恋を。認めたくない恋を、してしまった。
「恋って、きらきらしてて、楽しいものなんだと思ってました」
妹の語る〝恋〟はそうだった。
だから、アリーチェがする〝恋〟もそうあるべきだった。
「でも、殿下の婚約者を想像して胸が痛くなったり、殿下との身分差を考えて落ち込んだり、苦しくて、これは恋じゃないって、言い聞かせたんです」
我知らず伸びた手は、まるで想いを告げる許しを乞うように彼の頬にそっと触れる。
彼の瞳に映る自分が、泣き笑いのように眉尻を垂れ下げた。
「でも、無理でした。どうしたって、好きって気持ちが溢れるんです。苦しいのに、辛いのに、それでも好きだって、思っちゃったんです。これも恋なんだって、もう、認めるしかなくて……っ」
身体を引き寄せられて、彼の温もりに包まれる。
鼓動が重なる。今にも心臓が飛び出しそうなほど暴れている自分のものと、全く同じ早さで彼のものも脈打っていた。
「そんな顔をするな。これからは二度とそんな思いはさせない。婚約者だって、フリでも他の女には頼まないから。身分差なんてどうとでもなる。俺がしてやる。だから――」
彼の手がアリーチェの両頬を包み込む。近づく吐息を感じて、自然と目を瞑っていた。唇に甘い温もりを感じて、心にもその温もりが移ったように幸せな感情が広がっていく。
「――だから、おまえは安心して俺を好きになれ。おまえ自身も、おまえの秘密も、俺が全部守ってやるから。な?」
見惚れるほどかっこいい笑みを浮かべて、彼がもう一度唇を重ねてくる。
何度も何度も角度を変えて。堪能するようにされるキスは、今にも溺れてしまいそうだ。
最後に自分の唇をペロリと舐めとったレイビスは、とても満足そうに笑った。
きっと、たとえどんな抵抗をしても、この王子様に目を付けられた時点で自分の負けは決まっていたのだ。
逃げられるはずなんてなかった。
どんな困難も彼にとってはご馳走のスパイスになるのだろう。
だって、アリーチェを愛しげに見つめる彼は、獰猛な捕食者の顔をしていたのだから。
「おまえは俺のものだ。やっと捕まえた、アリーチェ」
<完>
青春ド素人魔術師、王子様にじわじわ囲われて逃げられない 蓮水 涼 @s-a-k-u
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます