第11話 御影灯、来訪



“ねぇねぇ市之瀬さん”


「どうしたー?」


 スマホでパズルゲームをしていた俺に、玲が声を掛けてくる。


“今日は灯お姉ちゃんがこっちに来るんですよね? 何時ごろですか?”


「一時すぎって言ってたな」


 そう、本日は玲の姉である灯さんが我が家にやってくるらしい。朝方にチャットで俺のスマホに連絡があったのだ。本日、俺の家に伺うと。


 というのも、どうやら灯さんは玲の未練に心当たりがあるらしいのだ。いちおう玲にそれを伝えてみたが、本人はやはりよくわかっていない模様。


 もしこれで本当に玲が成仏してしまったら――そう考えるべきではないのだけど、もうすでに彼女へ軽く情が移ってしまっている俺としては、無視できない感情だった。


 だけど、その時の覚悟は、きちんとしている。

 彼女はあくまで死者であり、本来生者とは交わらないのだから。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「邪魔するぞ市之瀬、そして土産を買ってきたぞ」


 インターホンが鳴ったので玄関を開けると、上下黒のジャージを着た灯さんがビニール袋を持ち上げて挨拶をしてきた。ニカっと笑い、ビニール袋を強引に俺へ押し付けてくる。結構ずっしりとしていた。


「ど、どうもありがとうございます。すみません気を遣わせてしまって――こんにちは灯さん」


「うむ、こんにちはだ、市之瀬。ちなみにこのジャージの下には何も着ていない」


「別に聞いてないんですけど!?」


「安心しろ、パンツは履いてるからな!」


 なにも安心できねぇよ……この人、俺が思っていた以上に豪快だな。


 玲の父親や友人たちも交えた会食の時に、灯さんもその場にいて少し話もしたのだけど、まさかここまでぶっ飛んでいるとは思わなかった。あの時は猫被ってたってことか。


 灯さんをリビングに案内しながら、ビニール袋の中身を覗くと、プリンやスナック菓子やジュース、保存のきく栄養食などがたっぷりと詰め込まれていた。


「なんだか弟ができたようで嬉しくてな。いつのまにかいっぱい買ってしまったよ」


 クツクツと笑った灯さんは、俺に了承を取ってからソファに腰を下ろす。


 灯さんが俺の部屋の中を見渡している間に、いただいた物のうち、冷蔵が必要なものを冷蔵庫へと納めた。ついでにコップにお茶を二人分注いでおく。


“如月屋のプリンもありますね! ぜひ市之瀬さんの感想も聞きたいです!”


「へいへい、あとでな」


 キッチン内でそんな会話をしてからコップを持ってリビングに向かうと、灯さんはニコニコとした表情で俺を見ていた。コップをテーブルに置きローテーブルを挟んで、彼女の向かいに腰を下ろす。


 灯さんは「ありがとう」と言ってから、コップに口を付けた。


「それにしても、やはり不思議だな。今も玲と会話をしていたんだろう?」


「そうっすね。今は玲が『プリンの感想をあとで聞かせて』って言ってきたので、それに答えた感じです」


「そうかそうか。少しお転婆な妹だが、仲良くしてやってくれ。玲もずっと一人ぼっちで、寂しかったはずだからな……」


 テーブルに視線を落としながら、灯さんは言った。


 いま『お転婆はあなたもなのでは?』などと言える空気ではないので、思うだけにとどめておくことにする。ノーブラで男の部屋に上がり込むんじゃないよ。意識しちゃうでしょうが。


「彼女の願いは、できるだけ叶えていくつもりですよ。だけど、俺はこんな体質ですが――すべての霊を救おうなんてことを考える善人じゃありません。手の届く範囲だけで、自分の過ごしやすい環境を作りたいだけの、自分本位な考えですから」


 だから玲の家族や友人にも、俺のことは他人に喋らぬように口留めした。

 転校したくなかった理由の一つも、昔からこの地域の霊をコツコツと成仏させてきたからだ。また一からやり直しなんて、気が遠くなってしまう。


 薄情と言い切ってしまっていいような俺の言葉を聞いた灯さんは、肩を竦めながら苦笑する。


「それでいいと思うぞ。そしてもし私たちが市之瀬に何かを願って、それをキミが行動に移さなかったとしても、責めたりしないと約束しておこう。もしこのアパートに住む誰かがキミを責めるのなら、私が盾となろう。だからキミの持つ力の奮い方は、キミ自身が決めるといい」


「……ありがとうございます」


 なんかカッコイイな、灯さん。


 年上の大人――ってだけじゃなくて、人間的に、考え方が尊敬できるようなものだった。

 ノーブラで人の家に上がりこむという非常識な部分はあるけれど。


“えっへっへ~、私の自慢のお姉ちゃんですよ!”


 灯さんの周りをふよふよと漂いながら、少し照れくさそうに玲が言う。

 本当にな。ぶっ飛んでるけど、友達や家族に彼女がいると、心強そうだ。


「玲も『自慢の姉』だって言ってますよ。愛されてますね」


「それはなんとも、嬉しいことだな」


 穏やかにそう言った彼女は、顔を上に向ける。そこに玲がいると思っているのか、「ありがとう」と澄んだ声で口にしていた。


 ちなみ玲は灯さんの上にはおらず、ベランダの手すりいるハトを眺めながら『ほっほー』と鳴き声を真似している。空気読めやお前。


「それで、灯さんは何か玲の未練に心あたりがあるんですよね」


 あまりしんみりした空気が続くのも落ち着かないので、俺は本題を切り出した。

 灯さんは視線を天井から俺に戻して、コクリと頷く。


「あぁ、そうだったな。まぁこれが玲の未練になっているのかはわからないが――可能性はあると思うんだ」


 そう言いながら、彼女はポケットからスマホを取り出して、操作を始める。手を動かしながら、彼女は口も動かした。


「何事も、中途半端で終わってしまったら未練が残るものだろう? 最後までやりきってしまわないと、気持ち悪いだろう?」


“? プリンの最後の一口を食べそびれたとかですかね?”


 いつの間にか戻ってきた玲が、灯さんの言葉に首を傾げる。それはたぶん違うと思うぞ。


 おそらく灯さんが言いたいのは、画竜点睛を欠く的な意味なんじゃないかな。最後の仕上げに、手を付けられないまま亡くなってしまったみたいな。


 そう思いながら、灯さんの行動を待っていると、彼女はスマホの画面をこちらに向けてきた。


 ――なんだこれ? 小説投稿サイト……?


「これは玲がひっそりと書いていたオリジナル小説……内容は婚約破棄のものだな」


“いやぁあああああああああっ!? な、なんで灯お姉ちゃんが知ってるの!? ななななななんでぇ!? 市之瀬さん! お願いです! 今すぐ目を閉じてすべてを忘れてください!”


 玲が叫び声をあげているが、当然ながら彼女の声は灯さんに届いていない。


「この小説、玲が『次で最終話』というあとがきをしているのだが、 事故があったせいで最後まで投稿できていないんだ。もしかするとこれが未練になっているのではないかと思ってな」


 玲は顔を真っ赤にしてぽかぽかと灯さんの頭を必死に叩いているが、もちろん透過してしまってノーダメージ。


 これは……どんまいとしか言いようがないなぁ。




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