第37話 もう一人の神人(ミカミ)

 騒ぎがあった事で、連れて来ていた大工もその辺りに居た者達も皆逃げ散ってしまっていた。人傷沙汰を恐れたのか、衛士が来ればとばっちりを食うと思ったのか。僕は何もできなかった。痛みに呻く無量坊の傷口を押さえるだけ。信じられない程の量の血が流れているのに、何をどうすれば良いのか分からなくて

「し、しっかりしてよっ…」

繰り返すだけだった。救急車なんて来ない。ここに病院なんかない。医者が居るのかどうかも分からない。僕は医療技術も知識も持ってる訳じゃない。

「…しっかり…してよ…」

鼻水が垂れていた。神人の筈の無量坊は無力に害され、何の救いもなかった。神様が現れて怪我を治してくれたり、祝福が降ってきたりはしなかった。僕は無能だ。何もできない。異世界来たけど加護もスキルも何もなかった。この世界の人達と知識の方向性が違うと言うだけで、調子に乗っていただけだ。こちらの大人ならばこんな時どうすれば良いのか分かっただろうに。子供でさえ分かるかもしれないのに。後から後から鼻から水が垂れてくる。

「……」

僕は何の役にも立たなくて、

「……ル…」

どうすれば良いのかも分からなくて

「……ール…」

スキルも加護も魔力もなくて

「ヒール!ヒール!ヒール!ヒール!」

 叫ぶように繰り返しても回復魔法はかからずに、僕は僕のままだった。情けなくて、どうしようもなくて、鼻水が垂れて、帰りたい、と思った。僕の足に何かが触れる。無量坊の手だった。傷を押さえる手ではなく、痛い筈の方の手で。「大丈夫だ」というように数度、僕に触れた。ぼやけた視界に無量坊の苦笑い。異世界から来た筈なのに河原の筵小屋に住まいボロボロの衣で死後の極楽を説いていた男の苦笑い。僕はシオニを追ったキヨカが戻ってくるまで、ずっとしゃくりあげていた。

 キヨカと共にもう動けない無量坊を戸板に乗せて無王の館に運んだ。運んだとして何が出来るか。いや、どれほど持つかで、流れた血の量を見て皆首を横に振った。無王の好意で館の内で血を拭い手当を受ける。

「傷を縫ったりは?」

「そのような!」

 キヨカは傷口を縫い合わせるという方に驚愕した。日の入りにはまだ早い気がするが、どこかの鐘を聞きながら、僕は板の間に蚤だか虱だかが這うのを眺めている。そいつらは無量坊の身体から逃げだしていくのだ。痩せこけた坊さんは目を閉じたままうつらうつらと喋った。僕は膝を抱え横でそれを聞いていた。


「…君はこちらは長いのか?」

「それなりです」

 辺境の村に落ち、とんでもない距離歩いて都に辿り着き、何とか食ってきたが、多分この坊さん程じゃない。痛い筈なのに意識を保つためか無量坊は喋り続ける。何人もの転移者を見たよ。おかしな話を耳にして、足を運んだら神人だったこともあった。逆に後からあれが神人だったのかと気付く事もあった…。

「…大御神の機」

 こちらの人は儘ならない妙な状況が繰り返される事をそう呼ぶ。布織物に異なる色糸が挿入されるように、唐突に綾が入るように、大御神がそれを望むのだと。何だよ。じゃあ、この無量坊もそれに神人が関わっているって気付いているんじゃないか。

「…「型式」とか「トレース」ってアレね。物語のシナリオ通りに事が起こるってさ、草。物理法則じゃあるまいし」

「必ず起こるなら法則だろう。全ては大御神が望むように、私達はシナリオ通りの配役を務める」

無量坊は自分が厄除け聖などと呼ばれているのもそれだよと呟いた。

 イツキと一緒にそれを聞いたのを思い出す。無量坊は悪疫が蔓延しつつある宮都で、呪いよ、気休めよと嘲られながら家々の扉に厄除けの印を刻んで回ったのだ。

「…扉におまじないかけた、あれ?」

だがそれは明白に効果があったのだ。何故ならそれは「型式」であり大御神の機だから。物語のモチーフを「トレース」するそれ。

「羊の血で付けた印でも柊と鰯の頭でも良かったんだ」

家でなく個人にというのなら茅の輪でも、と。

(それは…節分の話?)

訝しむ僕に無量坊はふっと笑い、過越祭の謂れで、門に印をつける事で厄がその家を避ける『出エジプト記』の話を教えてくれる。或いは節分、また或いは蘇民と巨旦の物語なのだと。よく似た物語の要素と形。

(あれは…)

「型式」だったのだ。無量坊はそれを利用して物語に乗っ取り、あの災厄を鎮めたのだった。


「シオニはどうして?」

 無量坊が疫病の流行を鎮めた後にシオニは現れた。

「あれは策が綻びた原因を確かめに来たんだよ」

無量坊さえいなければ、彼が神人として災厄に働きかけなければ、本来は疫病が蔓延し、社会の混乱し、国力の衰退が起こる筈だった。策?愕然とする。

「策って、疫病だよ?天然痘!そんなのどうやって?…まさかバイオテロ?」

無量坊は向こうの国にも神人が居るのかもしれないね、とだけ言った。

 結果はその機を狙っていた隣国の敗戦。自業自得じゃんと思うけれど、計略だったからこそ何故それが覆されたのかを知りたかったのだろう。

 その行いを実際に見れば、無量坊が病そのものに知識のある医者ではない事はすぐに判ったと思う。だが、無量坊は自らが神人であることを明かしはしなかった。無量坊自身が「型式」を起こし物事の推移に干渉する神人なのか、はたまた別の神人が居るのか、確証を持てないままシオニは居ついた。僕の所為でそれが発覚するまでそれはバレていなかったのだ。

「事を成そうと思えば神人は邪魔だ」

 物語、「型式」という形で神人は因果に干渉するから。本来進めていた物事が、まさかの方向に捻じ曲げられてしまう。いや、思わぬじゃない。どこかで聞いたことがあるような結末、見知った展開に。無量坊は神人で、先の計略を阻んだに違いない存在だから殺されそうになったのだ。そして「事を成そうと思えば」という事は…

この先また何事かが為されようとしているのではないか?

「…今度は何を?」

無量坊は知らないと言う。

「だが、今来ている外交使節が木馬の使者というのなら」

それは僕でも知っている。自ら敵を引き入れる装置、トロイの木馬だ。無量坊がその物語を教えてくれる。

これは「型式」だ。

 僕かイツキか無量坊か、はたまたそれ以外の誰か。既に神人が干渉しているのではないか。ならば無量坊一人を排しても無駄だ。既に物語は「型式」は動き始めている。シオニにはそれが分からなかったのだ。何故なら彼はこちらの世界の人だから。そして『トロイアの木馬』の展開では…。


 戦争が来る。

 戦になったら多分死ぬ。華々しい戦果もなく、人の記憶に残る勇猛さもなく。混乱の中で行方不明者の一人に僕はなる。例えば元の世界で戦争があって僕が徴兵されるとしてもやはり無双できないように、開戦早々やられちゃって内臓とかはみ出て痛み苦しみのたうって、彼女もできないままに死ぬ。でなければ、逃げ惑う市民の一人になる。家を焼かれ炎から逃げ惑い仕事も食べる物も失い、知人を亡くし優しくしてくれた人たちが嘆き悲しむのを眺めるのだろう。

 戦う相手がモンスターや魔物とかの無意味に僕らを脅かす存在で、切り殺し排除すれば皆から感謝される相手ならよかった。切り殺した時に光のエフェクトがかかって何も残さず消え去り、ステータスのアップを祝福する電子音が鳴るのならまだやれた。だけど、そうじゃない。戦争で勝ったとしても倒れ伏した戦死体は勝手に無くなったりはしない。放っておけば腐臭が漂い溶け崩れ、蠅が飛び蛆が湧き疫病が流行る。荼毘に伏すには薪が要る。穴を掘って埋めるか川に流すかしなければならないのだ。僕は焼野原で僅かな食料を巡っていがみ合う生き残りの中でただ立ち尽くす自分しか想像できなかった。

「無双できねえよ」

 モブだもの。仮にチートなスキルや加護があっても、その後始末はできない。その使用に責任は持てないのだ。無双なんかできないのに…。

「賽は投げられた」

ああ、これは違う話だと無量坊は自嘲気に笑う。神人であることを秘して彼が説いたのは此の世ではない素晴らしい死後の世界。憧れなくはない。僕だってゼロからやり直さなきゃ一発逆転できないような負け人生が今も見えてる。異世界来たって同じ。どうしていいか分からずに立ち尽くしている間に周りが駆け抜けてゆく。

「…別にやる気ねぇ訳じゃねえけど」

でもどうすれば良いのか、何すりゃ変わるのか一個も分からない。僕は僕のまま、無双なんかできないけど、できないけれど…。

 このままでは嫌だ。

「型式」を、物語を辿るのならばせめて僕は僕の物語を選びたい。


 また鐘の音がする。まだそれほどの刻限ではないから時を知らせる鐘ではない。先程旧都の平民街で起こった小火は収まりつつあると聞いたのに、今度は何だと言うのだろう。

「何だろ?」

彼方から届く音にキヨカが立上り宮城の方角に目を凝らす。

「…火事です」

「火事?また?」

こんな木でできた小屋が密集している街で?

「それも一か所ではないかもしれません」

キヨカが指す先に上る煙とそれとは別にまた白い柱が立ち上っている。新都の平民街の方角だろうか。

「宮都で火事が起きたらどうするの?消防団とか火消とかないの?」

「衛士が動くことはありますが、周りの者が消し止めることができれば」

「出来なかったら?」

「大きくなってしまってはとても」

青ざめているキヨカは主である参皇子が心配なのだろう。足元の無量坊は微かに息をしているが、もう喋る気力は無いようだった。

(どうすれば…)

こんな時僕はいつも役に立たない。同じ神人でもイツキなら違ったろうか。

 館内が慌ただしい。陽が落ちようとしているのに館の外でも人々が右往左往している気配があった。新都の火災の所為だろうか。そこはかない不安に襲う。無王が指示を飛ばす声に人馬が飛び出してゆく。その無王が飛び込んできた。書状か何かを握りしめている。

「旧都の貴族街でも一邸が燃え尽きたらしい」

キヨカが飛び上がる。アキラコちゃん、大丈夫かな…。

「馬をお貸しくだされ!」

無王が僕に目を据える。

「いや、イツキ様はすでに新都へ向かったそうだ」

え?イツキ?

「イツキさんまたこっちに来てるの!」

しかもこのタイミングで!アキラコちゃん、よくやった、エライ!

「我等に加勢いたせとの仰せよ。新都で落ちあおうと」

もう、無王さんったら何であんたがそんなドヤ顔なのよ?だが、気持ちは分からなくない。だって、イツキだよ。これまでだってエゲつない手で色々何とかしてくれたじゃないか。今この時にというのなら、これほど心強いことはない。

「宮都ごと何とかしてくれるそうな」

カッコいいっス!姐さん!イツキが何とかすると言うのなら、何とかなる気になるから不思議。宵空に双月。

「ミカミ殿、お主が」

は?何も聞いてないんですけど?


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