恋の季節
千桐加蓮
恋の季節
将次は、高校の英語の講師で、生徒に英語を教壇の前に立って教えている。将次の表情はいつも自分がそこに存在していないのではないかというくらい将次を客観視して、癇癪を起こすことも、感情的になることもなかった。
強いて言うなら、たまに仕事の愚痴をこぼすくらいだろう。まるで半分は機械のような人間だった。意思がないわけではないので半機械のようだったということにしておこう。嫌なことは嫌と抵抗もする。昔の恋愛対象が将次だった時は度が付くほどに拒絶された。目を反らし、話も聞かない。俺がどうしてかと訊くと、「僕の人生なんだ。壊したくない」と、怒鳴られ、平手打ちもされたこともある。
それが、将次が大学生になる歳の春頃だったと思うから、大学生の将次が短期間アメリカに留学しにいったのは、俺を避けているのであろうと当時は思い込んでいた。逃げられたことだけしか頭になく、呪いたい気持ちにもなった。
そんな俺とは対照に、将次は人間独特の人を愛したいという感情があまりなさそうにもみえたし、期待もしている様子もなかさそうだったが、十個近く年下の女性と、最近籍を入れたのだ。
「生徒と結婚ねぇ」
俺は、将次と奥さんになった
俺の恋人である
「ゲイボーイの理解をしたわけではないよ、僕は異性愛者だし。だから、ゲイボーイの葛藤だったり、世の中に対する怒りや絶望だったりを知ったように語るつもりも、代弁したいとも思わない」
三月の夜に、新婚夫婦が生活している新築のアパートの部屋の中にいる。
ソファーに座っている俺に対して、向かいに床に敷いてあるカーペットの上に座り、俺とよく似た顔の男が流しっぱなしの学園ドラマを背景にして俺の顔を見て言ってきた。
「構わないよ」
俺も、自分の弟である将次の顔を見てそっと諭すように言った。
天パの黒髪に、長いまつげ。前髪を茉裕ちゃんが整えてくれると言うので、目が良く見える。
数年前は黒縁の眼鏡を必需品として持ち歩きかけていたが、今はコンタクトレンズをつけている。猫背気味で、人との交流にそこまで興味がないのもあって、根暗のような印象であった。
眼鏡を付けない方が、いい意味で幼く見える。元々童顔なのもあり、俺が思いつく言い方だと、前よりも親しみやすさを覚える。
黒いパーカにGパンを着用していて、顔は化粧なりをすれば相当化けるであろう顔だと思う。俺と顔がよく似ているので、本人は学生時代や大学生の時はものすごく生きている心地がしなかったし、食事が喉を通さなかったとも話していた。
「良かったじゃん、結婚できて」
「兄さんは、望さんを愛すの?」
「ああ、男の方が好きだよ。悩んだけど、結婚して立派な父親になれるかって言ったらそうじゃないと思うし」
結婚して父親になるとは限らないのに、勝手に自分の中で思い込んでいるものを自分で壊している。将次の存在があるからこそ、俺は望を手放したくないし、好きだという気持ちは変わらない。
「知ってた? 茉裕ちゃん、兄さんのこと好きだったんだよ」
将次は、薄笑いで俺を見てきた。
「過去の話でしょ?」
俺は知っていたとは言わなかった。
茉裕ちゃんの兄である望は、ゲイで佐名家で俺と体を重ねている時なんかは、茉裕ちゃんは顔を赤らめることもなく、平気な顔をして望の雄を受け入れていた。
俺は、そんな茉裕ちゃんのこともあって、彼女が好きになったというのも事実である。ただ、その先を考えたいとは思えなかった。
「茉裕ちゃんも、もう過去の恋愛としてしか兄さんを見てないよ」
将次による、兄への嫉妬心による怒りと苛立ちを俺は煽った。
「そうだといいけどな」
口では言っているが、内心その事は嫌でも理解しているつもりだ。
将次は無表情で俺の顔をじーっと見てくる。
「好意を向けられている頃から、俺は茉裕ちゃんとは赤ちゃんを作りたいとは思わなかったよ」
「そこまで言わなくても」
将次は俺と目を逸らす。学園ドラマの音楽がうるさく聞こえ、俺はテレビを消した。
「不安だったんだろ」
「なんで?」
「だって、お前と茉裕ちゃんは少し似ていたからな、茉裕ちゃんに俺の気持ちが傾いているんじゃないかって嫉妬したんだろ」
将次は押し黙ってしまった。
「お前の兄貴はモテるからな、心配していただろ?」
「……そうだよ、茉裕ちゃんが僕の恋人にならないかなって考えていたけど結局兄さんを選んだね」
俺は一口酒を飲んだ後に言葉を続けた。
「最後は将次を選んだじゃないか。納得しないのか? 自信がないのか?」
将次は、悔しそうな顔を見せた後に俺の胸ぐらをつかんできた。
「茉裕ちゃんが兄さんのことを好きなのは知っているよ、でも僕の方が」
「将次、嫉妬心なんて誰にだってある。お前だけじゃない」
俺は言葉を遮って話した。そして将次の胸ぐらを払いのけて立ち上がった後、近くにある一人がけのソファーにボスンと腰を下ろした。
「茉裕ちゃんはさ、兄さんと結婚したいって思ってたと思う。それはたぶん今も変わらないよ」
部屋の天井を見て将次の言葉を聞く。
「だから、なんだよ」
「まだ、嫉妬してるんだよ。ずっと兄さんのことを思っていて、望さんに幸せになってもらいたいから、僕にしたのもあるのかなとか考えたりした時もあって」
将次の声が震えているのが分かる。今にも泣きそうな声だ。俺は呆れてため息をした。
「酔ったな、将次。素直に僕で良かったのか聞けばいいじゃないか」
「茉裕ちゃんは『勿論』しか言わないから余計泣きたくなるんだよ」
将次は、涙を溜めて必死に我慢している様子だった。それから続けて
「どっちも好きとかも言ってた」
と、口を尖らせて言ってきた。
俺は、茉裕ちゃんに訊くしか答えは出ないとだろうにと思うし、既に茉裕ちゃんは答えているようなものではないかとも感じる。
「茉裕ちゃんに訊けよ」
隣の部屋で、酔った茉裕ちゃんが寝ているのになと、俺は鼻でため息をついた。
「茉裕ちゃんが起きたら、訊いてみる」
「あんまり追い詰めるなよ、早く寝ろよ」
そう言って、コップに入っていたお酒を飲み干して、帰る支度をした。
「お母さんには、ゲイのこと話したの?」
「薄々分かってるから、今更改まって言うのも違うかなって思って」
将次は、ふーんと返事をした。
「茉裕ちゃん、お酒弱いね」
「あー、ほんと弱いよ。あんまり飲まないようにしていたけどさ」
将次はキッチンに向かい水をグラスに注いだ後、ベッドで寝ている将次の妻である茉裕ちゃんに持っていった。
「ほら、水飲みなよ」
眠そうに目を擦っている茉裕ちゃんの前にコップを置いたが手に力が入らないのか、持つこともままならない様子だったので、将次は笑いが入ったため息をついて手を添えて飲ませていた。
「茉裕ちゃん、将次のこと本当に好き?」
俺は茉裕ちゃんに近づきながら訊く。
「俺がここで、茉裕ちゃんが好きって言ったら、どうする?」
将次の目は、焦りと怒りが同時に湧いていた。
「そんな目をしないの将次、君が知りたい答えでしょ?」
将次はそう言った後にため息をついた。
「兄さん、早く帰ってよ」
「ずっと、好きって言ってるじゃないですか」
茉裕ちゃんはムスッとした顔で言う。
「将次さん、好きだって伝えても自嘲気味に笑うし、不安そうにしてるし、試そうとするし、でも好きって言うと満更でもない顔するし」
将次は茉裕ちゃんの話を真剣に聞いていて、顔が赤くなっているのが分かる。
「で? なんで好きなの?」
俺は二人を見て意地悪く笑って、茉裕ちゃんに訊く。
「好きに理由なんてありますか?」
茉裕ちゃんは赤面した将次の頭を撫でて不思議そうに首を傾げた。茉裕ちゃんの目はとろんとしている。
「そりゃね、好きだから好きなんですよ」
そうかそうかと俺が頷くと、水を飲み干してコップをテーブルに置いた後にベッドで横になってすぐに目を閉じて、茉裕ちゃんの寝息が聞こえ始めた。
「兄さん、あんまり茉裕ちゃんをいじめないでよ」
「好きっていっぱい言ってくれて良かったな」
俺は茉裕ちゃんの髪を触った後に、将次の頭を撫でた。
「帰るよ、おやすみ」
俺が帰った後に、二人はどんな話をしたのだろうかと思った。きっと二人なら幸せになれるだろう。
歩いていると、桜の木が見えてきた。まだ蕾もある。
「もう、春か」
俺はそう呟いた。
春は、恋の季節である。
将次を好きになってしまっていた時期に、将次に酷く拒絶されていながら、同時にもう恋なんてできないのではないかとも感じた頃があったなと思い返す。ただ、どうしようもなく人を愛したいと思う感情はずっと変わらないなと、微笑が口角に浮かんだ。
恋の季節 千桐加蓮 @karan21040829
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