焼き芋屋の秘密

@me262

第1話

 年末、東京の下町で独り暮らしをしている祖父の家を訪ねた時の事。

 両親と共に近所の商店街で年越しの買い出しをしていたが、父親が知り合いと出会ったのを切っ掛けに昔話を始めてしまい、俺は荷物を持って一足先に帰る事にした。冬にしては暖かい日だったので、古い家の中では祖父が縁側で腰を下ろしている。お茶を用意して俺も隣に座った時に、通りから石焼き芋の売り声が聞こえてきた。

『い~しやき~いも~おいも!』

 それを耳にした祖父は、ふと俺に言った。

「お茶だけじゃ口寂しい。焼き芋を買ってきてくれ」

 俺は、祖父が焼き芋を食べる所をみたことがなかった。この時欲しがったのは、おそらく只の気まぐれだろう。

 祖父がズボンのポケットから出した皺だらけの千円札を手にして、俺は玄関に向かった。引戸を開けて、目の前の通りを徐行していく、荷台に小さな煙突が突き立つ窯を載せた白い軽トラへ呼び掛ける。

 運転手の小柄な老人は車を停めて、代金と引き換えに紙袋に包まれた大振りの焼き芋を2本渡すと再び軽トラを徐行させていった。俺は家に戻り、縁側で祖父と共に焼き芋に噛りついた。

 その旨さに俺は驚いた。焼き芋なんて滅多に口にしないが、近頃やたらと人気なのがわかる。口をもぐもぐと動かしながら祖父が呟いた。

「今の焼き芋は品種改良が進んで、本当に旨いな。俺がガキの頃の芋は、こんなに甘くなかった」

『い~しやき~いも~おいも!』

 次第に遠ざかる売り声を耳にしながら、祖父は何かを思い出す様な目をして言った。

「これは死んだ婆さんや、お前の父親にも話していないが、昔、旨い焼き芋を喰った事がある。戦後10年も経っていない頃、特攻隊から帰った俺は虚しい日々を送っていた……」

「嘘吐くなよ爺ちゃん。終戦時は未だ5歳だろ。どうやって特攻隊になるんだよ」

 俺の言葉に祖父は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、げらげらと笑った。祖父は冗談が好きな人で、俺が子供の頃から軽い嘘を吐いては騙して楽しんでいた。直ぐに嘘を明かしていたから悪気はないのだろう。だが、俺も既に大学生だ。もう騙されはしない。

「その通りだ。当時、俺は小学生だった。世の中は未だ戦後を引きずっていて、ろくな食い物がなかった。当然、砂糖菓子なんて俺たち庶民は口にできなかったよ。あるとすれば焼き芋くらいだ。あの頃からリヤカーに窯を載せた石焼き芋の屋台が出始めた。でも芋なんて戦時中にコメの代わりに嫌と言う程喰っていたから、嬉しくもなんともない。俺はすっかり芋嫌いになっていた。殆どの日本人は俺と同じだったんじゃないかな。ところがある年の冬、旨いと評判の石焼き芋屋台が現れた」

 祖父はお茶を1口含んで口の中を空にした。

「芋なんて見たくもない奴らばかりの下町で、その屋台は見る間に人気になっていった。余りにも噂になるんで、お袋が試しにそこの焼き芋を買ってきて家族で喰ってみた所、確かに旨い。柔らかさや甘さが絶妙で、それまで喰ってきた芋とは比べ物にならなかった。たちまち俺たちは、その屋台の常連になったよ。それこそ毎日喰っていた。どうしてこんなに旨いのか不思議だった。確かにアメリカから良質の肥料が入ってきて、芋の品種改良もしていたんだろうが、他の屋台の石焼き芋は、それ程旨くはなかったからな。使っている石や、窯で炊く薪が他とは違うんだろうと皆は言っていた」

 俺は黙々と焼き芋を食べながら祖父の思い出を聞いていたが、どうして今になってこんな話を俺だけにするのか、その理由がわからなかった。

「ある日のことだ。例の石焼き芋屋台がやって来た時、いつも買いに行っていたお袋は丁度近所の奥さんと長話をしていた。それを中断したくなかったお袋は、俺に小銭を持たせて代わりにお使いに出した。俺は嬉しかったよ。それまで直に石焼き芋の屋台を見た事がなかったからな。どんな風なのか、興味があった。ズボンのポケットに百円玉を何枚か入れてじゃらじゃらと音をさせながら、全速力で売り声の方に走っていったよ」

 再び焼き芋を噛りながら、祖父は話を続けた。

「幾つかの角を曲がると、次第に香ばしい良い匂いが漂ってきた。大勢の人が集まっている場所から、やや黒い煙が立ち上っているのが見える。あそこだ。俺は屋台の前に並んでいる行列の最後尾に立つと、胸をわくわくさせて順番を待った。暫くして俺の番がきたので、代金を渡して焼き芋を家族の数だけ頼んだ。屋台を引いているのは若い男で、顔はよく覚えていないが、人相は悪かったな。左の頬に刀傷みたいなものがあった。俺は少し嫌な気分を感じながら、男が軍手を嵌めた手で焼き芋を窯から掴み上げて袋に入れるのを待つ間、何の気なしに屋台を観察してみた。粗末なリヤカーに載せられた窯は2階建てになっていて、上の部分に沢山の小石を敷き、中に芋を詰め込んでいる。そして下の部分で薪を炊いて上の小石と芋を焼いているんだが、子供特有の低い視点だと、その様子が良く見える。そうやってオレンジの炎に包まれた薪を眺めていると、何か、他の薪とは違う物が幾つか混ざっているのに気付いた。それは白くて、幾分細くて、曲がっていた。丸い物もあった。何だろうと思って近寄ろうとしたら、屋台の男が俺と窯の間に割り込む様に入ってきた。『お待ちどう』と男は言って俺の手に焼き芋の袋を押し付けた。男は明らかに、俺に窯の中身を見させなかった。そいつは俺を睨み付けると、直ぐに次の客の相手をした。俺は急に怖くなって袋を抱えたまま逃げるようにその場を立ち去って家に戻った。そんな思いをしても家族団欒で食べた焼き芋は、やっぱり旨かったよ。ところが、次の日から件の焼き芋屋台は来なくなった。下町の連中はどうしたんだと訝ったが、暫くして新聞に、ある事件が報道された。数ヵ月前にヤクザ同士の抗争で何人か殺されたが、肝心の遺体が見つからない。警察が捜査した所、ヤクザの手下だった焼き芋屋が遺体の処理をしていた事がわかった。その屋台引きの顔写真を見て住民たちは驚いたよ。自分たちが行列まで作って夢中で喰っていた、あの焼き芋屋だった」

 俺は背中に冷たい汗を感じながら、掠れた声を上げた。

「つまり……。その焼き芋は……」

『……い~しやき~……おいも……』

 今や屋台の売り声は微かに聞こえるだけだ。

「俺たちが喰っていたのは石焼き芋じゃなかったんだ」

 俺はいつの間にか祖父の話に圧倒されていた。戦後の混乱期、俺などが想像もつかない世相だ。このような事があっても不思議ではない。

「あれから70年以上経つが、俺は1度も焼き芋を喰っていない。しかしもう歳だし、お前と一緒の時間もそう長くはない。だから久しぶりに喰ってみたが、嫌な事まで思いだしちまったようだ」

 祖父は何とも言えない表情で俺を見つめた。俺はどう答えて良いのかわからずに、つい余計な質問をしてしまった。

「その……焼き芋は、そんなに旨かったのかい?」

 祖父は大きく頷いた。

「ああ、とんでもなく旨かったな……」

 そう言って、残り少ない焼き芋を片手に摘まんで俺の目の前に差し出した。

「丁度これと同じ味だ」

 俺は弾かれたように駆け出すと、玄関を抜けて通りに出た。先程の焼き芋屋は姿形も見えなかった。売り声も既に消え果てて、後を追いかけたが遂に見つからなかった。

 あの老人、顔はよく見なかったが、左頬に傷がなかったか?しかし、まさかそんな……。

 青ざめた顔で玄関に戻ると廊下には祖父が立っており、俺を見て大声で歌い出した。

「ひ~とやき~いも~おいも!」

 俺を指差してげらげらと笑う祖父を見て、全身の力が抜けた。

「爺ちゃん……。またかよ……」

 その直後に両親が帰ってきたので多少の悔しさを感じながらも、この話はこれで終わった。年が明けて晩秋の頃、祖父は世を去った。最後まで俺は祖父の掌の上で遊ばれていた。

 そう思っていた。

 祖父の葬儀では、棺にサツマイモを1つ入れる事になった。俺は知らなかったが、祖父が父親にそうする様に言い残していたのだ。

 1度も食べた所を見た事がない芋を、何故一緒に焼いて欲しいと願ったのか、両親や親戚たちは疑問を持ったが、俺は唯1人不安を感じていた。

 それと言うのも、あの話を聞いた後で何回か自分で屋台の焼き芋を買ったのだが、どれも大して旨くないのだ。ネットで評判の店に足を運んで食べてみても、あの時の焼き芋の旨さには及ばない。祖父と食べた焼き芋が、人生で最高の味になってしまった。

 果たして……。

 祖父と一緒に冬の縁側で俺が喰ったのは一体、ナニ焼き芋だったのだ?

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