ぬいぐるみ・コンシリエーション

正妻キドリ

ぬいぐるみのコンシリエーレ

 梨花ちゃんは、3体のぬいぐるみを持っています。


 ウサギと、ゾウと、イヌのぬいぐるみです。


 それぞれには名前も付いています。


 ウサギのぬいぐるみはウサ美、ゾウのぬいぐるみはゾウ爺、イヌのぬいぐるみはワン坊と言います。


 梨花ちゃんは幼稚園生です。


 だから、ちょっとのことでは泣きません。


 しかし、今日は泣くことを我慢できませんでした。


 幼稚園で、お友達の男の子に意地悪をされたのです。


 梨花ちゃんが読んでいた絵本を横取りして、返してくれなかったのです。


 梨花ちゃんは強い子です。だから、家まで泣くのを我慢しました。


 でも、彼女の涙腺タンクは玄関の辺りで限界を超え、そのまま泣き出してしまいました。


 梨花ちゃんは泣きながら、今日あった出来事をお母さんに話します。


 お母さんは梨花ちゃんの頭を優しく撫でながら話を聞いてくれました。


 しかし、梨花ちゃんの話を聞いていたのは、お母さんだけではありませんでした。


 ぬいぐるみのウサ美、ゾウ爺、ワン坊がリビングから聞こえてくる会話に聞き耳を立てていたのです。


 そう、このぬいぐるみ達はただのぬいぐるみではありません。


 動くぬいぐるみだったのです。


 一通り事情を把握した3体のぬいぐるみは、階段を登って梨花ちゃんの部屋へと戻ります。


 梨花ちゃんを助ける作戦を考える為です。


 さぁ、3体のぬいぐるみ達は梨花ちゃんの助けになれるのでしょうか?


 かわいいぬいぐるみ達の作戦会議の始まりです。







「そのクソガキの顔面に一発ぶち込んでやろう。顎に当てりゃ脳みそが揺れて、クソガキの意識を東南アジア辺りまで吹っ飛ばせる。」

 

 ウサ美が右手で握り拳を作りながら言いました。


 それに対して、すぐさまゾウ爺が反論します。


「おいおい、ウサ美。梨花ちゃんは幼稚園生だぞ?『顎に当てて…』とか、『脳みそを揺らして…』とか考えないだろ?ここは、刃牙の世界か?そもそも論、殴り合いの喧嘩はよくねぇだろうよ。」


「はぁ?やるのは梨花じゃねぇよ。私が相手のクソガキにかますって話だ、ゾウ爺。今から30分もありゃ、私がマイク・タイソンばりの右アッパーを奴に喰らわせて、チャンピオンベルト片手にこの部屋を5周ほど凱旋してやるよ。…じゃあ、行ってくるわ。留守番頼んだぞ。」


 ウサ美はそう言って、半開きになった扉の方へと歩き出そうとしました。それをゾウ爺が引き止めます。


「おい、待て、ウサ美。お前は気が早過ぎるぞ。チャゲアスでも、もうちょい待つぜ?それに、お前はぬいぐるみだ。そんなふわふわなお手てじゃ、相手に与えれるのは痛みじゃなくて癒しだけだ。」


「なんだよ。じゃあ、お前はこれよりいい案出せんのか?ごちゃごちゃ言うんなら、オーシャンズ並みの案でも提出してみろよ。」


 ウサ美はゾウ爺を睨みつけました。


「えっ?いい案?…うーん…ええっとだなぁ…。」


 ゾウ爺は困った顔で考え出しました。


「あっ!そいつと一緒に酒を飲めば仲良く出来るんじゃないか?梨花ちゃんが、そいつの家にテキーラと、ケンタッキーのチキンバーレルでも持って行って『よう、ブラザー!色々あったが、今日のことは全部水に流してやるよ!だから、お前もこのことを先生にバラされたくなきゃ、俺にチョッカイかけんのは金輪際やめにしな!』とでも言えば、万事解決なんじゃねぇか?…な?どうだ?」


 同意を求めるゾウ爺に、ウサ美は冷ややかな視線を向けて言いました。


「幼稚園生に飲酒させんじゃねぇよ。梨花がのぼせ上っちまったらどうすんだよ、クソジジイ。それにそんな臭ぇセリフ吐く幼稚園生がいるか。テキサスの幼稚園でもそんなじゃねぇよ。」


「そうだよ、ゾウ爺。それにそのセリフじゃ、まるで脅迫だ。根本的な解決になってないよ。」


 ウサ美に便乗して、ワン坊もゾウ爺の案を否定しました。


 すると、急に喋り出したワン坊のことが気に食わなかったのか、ウサ美は冷ややかな視線をゾウ爺からワン坊に移しました。


「おい、ワン坊。お前も何か案を出せよ。自分は案を出さねぇのに、人のを否定するってのは金玉の小せぇ野郎がすることだぜ。お前のはグリーンピースか?それとも、そら豆か?はたまた、それ以外か?」


 それを聞いたワン坊は、ウサ美に微笑みながら言いました。


「ぼくの案は最初から決まっているよ、ウサ美。ぼく達はぬいぐるみだ。梨花ちゃんが部屋に戻って来た時に、温かく迎えてあげるのが仕事でしょ?」


 ワン坊の案を聞いたウサ美は鼻で笑って言いました。


「ハッ。1人だけ達観してるようなフリしやがって。官僚かよ、お前は。たまには『相手の目ん玉抉り出して、それをキューボールに見立てて、ビリヤードでもやってやる!』くらいのこと言ったらどうなんだ?」


「いや、そんなこと言うの、ウサ美くらいでしょ…。」


「とにかくよぉ!私は相手のクソガキに対して、藁人形に名前を書いて、五寸釘打ちてぇくらいにはヘイトが溜まってる。だから、何とかしてそいつにリベンジしてぇ。最低でも、そいつの奥歯と前歯を入れ替えるくらいのことはしてやりてぇ。」


「でも、正直、ぼく達ぬいぐるみができることなんて、たかが知れてるよ?ぼく達は家の外に出ることすらできないじゃないか。そんなデスゲームの参加者みたいな状況に置かれているぼく達に、一体何ができるって言うんだい?」


 ワン坊は、不思議そうな顔でウサ美に問いかけました。


「何もできねぇかもな。だが、梨花になら出来る。」


「…ん?どういうことだい?」


「わからねぇのか?私がいつも言ってるだろ?」


「ウサ美…まさか…」


「ああ、そのまさかだ。今日こそ私は、梨花に自分達が喋れるという事実を打ち明ける!そんでもって、梨花に立ちはだかる困難を解決に導く、相談役コンシリエーレに私はなる。」


 ウサ美は、犯人を指し示す時の探偵のように堂々と言いました。


 その言葉を聞いたワン坊は慌ててそれを拒否しようとします。


「それはダメだよ、ウサ美!ぼく達はあくまでぬいぐるみなんだ。喋れることが梨花ちゃんにバレたら…もう子供とぬいぐるみの関係じゃなくなっちゃうよ…。」


「はぁ…お前はいつもそれだな、ワン坊。お前がそうやって助手席に乗ってる母ちゃんみたいに騒ぐから、私の決心がいつも揺らいじまうんだ。」


 ウサ美は小さく溜息を吐いてから、また喋り出しました。


「いいか?梨花はもうすぐ幼稚園を卒業して、小学生になる。そしたら、ぬいぐるみで遊ぶこともなくなる。すぐにじゃないかもしれねぇが、いずれはそうなる。そうなれば、私達は用済みだ。だが、それは仕方ねぇことだし、別に私はそれで構わねぇ。問題は、用済みになった私らの言葉は、梨花に届かねぇってことだ。成長した梨花を支えるのは確実に私達じゃねぇ、他の誰かなのさ。だから、私の役目が終わる前に、梨花に私の言葉を伝えたい。ただのぬいぐるみじゃなくて、梨花の言葉を直接聞いて、相談に乗ってやれる友達になりてぇのさ。」


 ウサ美はそう言ってワン坊を見ました。その目は真っ直ぐで、一切の曇りもないものでした。しかし、ワン坊はまだ納得できない様子でした。


「ウサ美…その気持ちはとてもわかる。でも…やっぱりぼくはそうじゃないと思う。」


「ふん、そうか。お前とはいつも意見が合わないな。…ゾウ爺はどう思う?」


 ウサ美は第三者であるゾウ爺に意見を求めました。


 突然、話を振られたゾウ爺でしたが、彼も自分なりに答えを出していたのか、迷わずに答えました。


「俺はお前のやりたいことを尊重するぜ、ウサ美。梨花に、ジョン・ラセターが描いた世界は本当だったと教えるのも悪くねぇと思う。だが、ワン坊の意見もわかる。もし、カミングアウトをしたのなら、その前には戻れねぇ。俺達はただのぬいぐるみではなくなる。それでもいいなら…やってみろ。どっちが正しいのかなんて俺にはわからねぇや。」


 ゾウ爺の言葉を聞いたウサ美は、静かに目を閉じました。そして、そのまま言いました。


「私は、私がしたいようにさせてもらうぜ。お前らには悪いけどな。」



■■■■■



 夜になりました。


 幼稚園生はお母さんとおやすみのキスをして眠りにつく時間です。


 梨花ちゃんはあれから一度も子供部屋に上がっては来ませんでした。


 今日はお母さんの傍を片時も離れませんでした。


 そして、昼間にたくさん泣いて疲れてしまったのか、リビングで寝落ちしてしまいました。


 お母さんは、梨花ちゃんを起こさないように、そっと子供部屋のベットまで運びました。


 梨花ちゃんはいつもウサ美を抱いて寝ます。


 だから、お母さんは寝ている梨花ちゃんの隣にウサ美を置きました。


 お母さんは梨花ちゃんの頭を優しく撫でると、静かに部屋から出ていきました。


 お母さんが階段を下りていく音が聞こえなくなると、梨花ちゃんの寝息だけしか聞こえてこなくなりました。


「…。これじゃ、カミングアウトもクソもねぇな。」


 ウサ美はそっと愚痴を溢しました。


 部屋の窓からは月明かりが差し込んでいました。


 ウサ美はその月明かりに誘われて、窓越しに夜の空を見上げました。


 そこには、いつもと同じようにお月様が浮かんでいました。


 すごく真ん丸でした。でも、それは何度もこのベットの上から見たものでした。


「…。」


 ウサ美は思いました。もし、梨花ちゃんに自分が喋れると明かしたら、今見えているお月様は別の姿に変身して、今までと同じものは二度と見られないのかもしれない、と。


 でも、ウサ美の決意は揺るぎません。ウサ美は、ただのぬいぐるみから梨花ちゃんのお友達になるのです。


「…うぅ…ん…。…ウサ美ちゃん?」


「…!」


 突然の呼びかけに、ウサ美はびっくりしてしまいました。


 慌ててただのぬいぐるみのフリをします。


 その声の主は梨花ちゃんでした。


「ウサ美ちゃん…。こっちきて…?」


 梨花ちゃんはそう言って、自分の顔の近くにウサ美を抱き寄せました。


「ウサ美ちゃん…。私のお話、聞いてくれる?今日ね、幼稚園でね、すごく嫌なことがあったんだ…。」


 梨花ちゃんは静かに、ウサ美に向かって話し始めました。


 ウサ美は梨花ちゃんに喋りかけるチャンスだと思いました。眠っていた梨花ちゃんが起きたからです。


 しかし、話を途中で遮るのも悪いと思ったので、梨花ちゃんが話し終わるまで待つことにしました。


「お友達の颯太君がね、私が読んでいた絵本を横取りして、返してくれなかったの…。」


 ウサ美は『そんな奴には、ラリアット喰らわせてから、ジャーマンスープレックスでもお見舞いしてやれ。』と言いたくなりましたが、我慢しました。


「でもね…私、怖くて、颯太君に『返して』って言えなかったの…。」


 ウサ美は『そんな奴を恐れる必要なんてねぇよ。ホラー映画とかだと真っ先に死ぬタイプの人間だ。逆恨みされても、放っときゃ、ジェイソン辺りが黙らせてくれるさ。』と梨花ちゃんを勇気づけたくなりましたが、取り敢えず黙って聞くことにしました。


「それでね…お母さんにそのことを言ったらね『梨花にも言い返す勇気が必要ね。』って…。」


 ウサ美は悟りました。お母さんは梨花ちゃんに人生の課題を出したのだな、と。


 梨花ちゃんのお母さんは、彼女のことをとても想っています。だから、今回も梨花ちゃんの助けになれるよう、できる限りのことをするでしょう。


 梨花ちゃんのお母さんは、幼稚園の先生や、颯太君のお母さん、下手をすれば颯太君自身とも、話し合いの場を設けるはずです。


 しかし、お母さんが全てを解決してしまっては、梨花ちゃんの成長に繋がりません。


 だから、お母さんはあえて梨花ちゃんにそう言ったのです。


「…私、お母さんに『うん』って言っちゃたの…。…でも、ほんとはすごく怖くて…『返して』って言えないかもしれない…。」


 梨花ちゃんは、小さく震えながら、目に涙を浮かべました。


「…うぅ…ウサ美ちゃん…どうしよう…。」


 梨花ちゃんはウサ美をギュッと抱きしめました。


 強く抱きしめられたウサ美は、今こそ梨花ちゃんに声をかけてあげようと思いました。


 自分の声と言葉で、梨花ちゃんのことを勇気づけようと決心しました。


 ウサ美は大きく息を吸い込みました。


 そして…


「…こんなこと…ウサ美ちゃんにしか、お話できない…。」


 梨花ちゃんがそう呟きました。


 ウサ美が喋り出そうとした、その瞬間にです。


「…。」


 それを聞いたウサ美は、声を出すのをやめてしまいました。


 あれだけ決意を固めていたのに、彼女は梨花ちゃんに喋りかけるのをやめてしまいしました。



■■■■■


 

 梨花ちゃんはしばらくの間、ウサ美をギュッと抱きしめていました。


 それは、とても怖かったからです。


 また、今日と同じことが起きた時に、颯太君に『返して』と言い返す自信が、梨花ちゃんにはありません。


「…うぅ…。」


 どうすればいいのかわからず、梨花ちゃんは泣いてしまいました。


 もうすぐ小学生になるんだから泣いちゃダメだと、必死に自分に言い聞かせますが、ギュッと目を閉じても涙がどんどん溢れてきます。


 梨花ちゃんはウサ美をさらに強く抱きしめました。


 それは、ウサ美に助けてほしかったからでした。


 慰めて、励ましてほしかったからでした。


 梨花ちゃんは、ウサ美が喋ってくれたらどれだけ心強いだろうかと思いました。


 しかし、ウサ美はただのぬいぐるみです。喋るわけがありません。


 梨花ちゃんも、それはわかっていました。でも、そう願ってしまうほど、彼女の心は弱っていたのです。


 梨花ちゃんは流れてくる涙を止めることができませんでした。


「…えっ?」


 次の瞬間、梨花ちゃんは驚いて、閉じていた目をパッと開きました。


 彼女の頬を柔らかい何かが撫で、涙を拭った気がしたからです。


 梨花ちゃんは慌てて抱きしめていたウサ美を見ました。


 しかし、そこにはいつも通りのただのぬいぐるみがいるだけでした。


「…ウサ美ちゃん?…気のせい?」


 梨花ちゃんは静かにそのぬいぐるみに問いかけました。


 当然、返事はありませんでした。


「…。」


 梨花ちゃんは再びウサ美を抱きしめました。


 そして、目を閉じました。


 梨花ちゃんはその後も不安を抱えていました。


 しかし、やがてはそんな不安も消え去ったかのように、深い眠りにつきました。


 彼女はとても安らかな表情を浮かべています。


 涙も、もう流れてはきませんでした。


 

■■■■■



 しばらく時間が経ちました。


 梨花ちゃんは完全に眠ってしまいました。そして、寝相の悪い梨花ちゃんは、抱きしめていたウサ美を、いつの間にか手放していました。


「あんだけ泣いてたのに…。幼稚園生は切り替えが早いな。スポーツ選手並みだ。」


 ウサ美は梨花ちゃんの寝顔を見ながら、愚痴を溢しました。


「…おーぃ、ウサ美ー…。梨花ちゃんは眠ってるかー…?」


 囁くような声が聞こえてきました。ウサ美がその声がした方を向くと、ベッドの上に上ってきたゾウ爺とワン坊が、こちらへ歩いてくるのが見えました。


「…ああ、ぐっすり眠ってるよ。この様子だと、白馬に乗った王子様が口づけをしようと起きねぇだろうさ。」


 ウサ美は呆れた顔をしながら言いました。


「ウサ美、結局梨花ちゃんには自分が喋れることを…打ち明けなかったのかい?」


 ワン坊がウサ美に疑問を投げかけました。すると、ウサ美は腕組をしてから気怠そうにその質問に答えます。


「…打ち明けなかったよ。ワン坊、お前の言ってることが正しいってわかったんだ。あたしゃ、ただのぬいぐるみ。人前で喋ったりはしない。テッドと違ってな。でも、だからこそ、聞いてやれる話もあるってわかった。」


 ウサ美はそう言って、ワン坊の方に視線をやりました。そしてその後、得意げに笑って見せました。それを見たワン坊は、少し悲しそうな顔をしながら首を横に振りました。


「違うよ、ウサ美。どっちが正しいかなんて、ぼくにはわからない。ただ、ぼくには勇気がないだけさ。ウサ美と違ってね。」


「お気遣いどうも、ジェントルマン。なかなかフォローが上手いじゃねぇか。お前は明日から、歌舞伎町辺りでホストをやりな。すぐにナンバーワンになれるぜ。」


 ウサ美はそう言って笑いながら、ワン坊のことを軽く小突きました。


「本当のことだよ、ウサ美。」


 ワン坊はそんな彼女に微笑みながら言いました。


「ウサ美、俺もどっちが正しいかなんてわからんと思うぜ。いつの日か、今日の選択を後悔する時が来るかもしれねぇ。そうなってもデロリアンでこの時間に戻ってくることは、俺達にゃできねぇのさ。」


 じゃれ合う2人を見ながら、ゾウ爺が言いました。


「ああ、わかってるよ、ゾウ爺。ドクはいねぇし、マクフライになることもできねぇさ。」


 ウサ美はそう言って、ベッドの上に腰かけます。そして、不安そうな顔をしました。


「私は…怖いんだ。私の手が梨花に届かなくなるのが。…信じられるか?このぬいぐるみを抱いて寝る幼稚園生が、いずれはブレザーやら、リクルートスーツやらを着るようになるんだぞ?梨花がそん時も、笑顔でいてくれりゃいいが…そう甘いもんでもないだろ、人生ってのは。ちょっとやそっとじゃ消えてくれねぇ悩みもできる。そのせいで、どっかで病んじまうかもしれねぇし、最悪自分で命を絶っちまう可能性だってある。そうなっちまった時、私は…。」


 ウサ美は言葉を詰まらせました。彼女には、この後なんと言葉を続ければよいかがわかりませんでした。


 しばらく、沈黙が続きました。


 しかし、それはゾウ爺によって破られました。


「なぁ、ウサ美。あの…あれ、あるだろ。ほら…オッパイ。」


「…はぁ?なんて言った?」


 ウサ美は聞き間違いを疑い、ゾウ爺に聞き返しました。


 ゾウ爺はウサ美から顔をそむけて言いました。


「だから…オッパイだよ。あれは、赤ちゃんが栄養を取るために吸うだろ?」


「…まぁ、そうだな。」


「だろ?でも、大人の男もオッパイが好きだし…吸うだろ?」


「…。」


「つまりな…そういうことだよ。」


「いや、わかんねぇよ!なんだ、その話!意味不明なんだが!」


 ウサ美は立ち上がって、強い口調で、でも梨花ちゃんが起きないように、なるべく声を抑えながら言いました。


 ウサ美の反応を見たゾウ爺は、慌てて補足説明を始めました。


「い、いや、だから…俺が言いたいのはだな…。大人には、童心に返らないとやってられない時が来るってことだ。同じように、梨花ちゃんが大人になって、ぬいぐるみで遊ばなくなってたとしても、辛いことが重なれば、ふと子供に戻りたくなる時がくるかもしれねぇ。その時は、ただのぬいぐるみであるウサ美が、梨花ちゃんにとっては一番心強い存在になるかもしれねぇってことさ。お前がいつまでも、ただのぬいぐるみでいてあげるってのは、案外重要なことかもしれないぞ。」


「…なんだ、そういうことかよ。なら、最初からそう言えよ。究極に話が下手くそだな。鬱っ気のある奴の前では喋んのを控えろよ、お前は。あと、オッパイって言う時だけ早口になるのやめろ、中学生じゃねぇんだから。」


 ウサ美はそう言ってから再び座りました。


 そして、窓の外を見ました。


 そこには、さっきと同じく真ん丸なお月様が見えましたが、さっきより少し上の位置にありました。


「綺麗なお月様だね。」


 ワン坊がそう言ってウサ美の隣に座りました。


「そうだな、とても綺麗な月だ。」


 ゾウ爺がそう言ってワン坊とは反対側のウサ美の隣に座りました。


 お月様を見上げながら、2人の言葉を聞いていたウサ美は少し笑って言いました。


「ああ、まったくだ。オードリー・ヘップバーンも泣いて土下座しそうなくらい綺麗なお月様だな。こんな深い時間に、あのお月様と、梨花の寝息、それにいつものバカ共が隣に2人。ここにほろ酔いでもありゃ、極楽浄土にいる奴らよりも気持ちよくなれる自信があるぜ、私は。」


「はっはっは!でもよ、ウサ美。生憎だがぬいぐるみは酒を飲めねぇぜ?」


「お酒は飲めなくても、乾杯ぐらいはエアでできるんじゃないかな?」


「おっ。いいな、それ。一体何に乾杯しようか?」


「決まってんだろ?梨花の成長にさ。」


 ウサ美がそう言うと、3人は見えないグラスで乾杯しました。


 3人の後ろでは、梨花ちゃんが静かに寝息を立てていました。

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