たとえその愛は孤独だとしても

林柏和

たとえその愛は孤独だとしても

 あの日に僕が見つけた君は、僕の故郷と異郷の間に漂っていた。

 これからもしばらく彷徨うのだろう。流されながら、何かを求めるままで。


【1】

 ゆいレールの列車の窓の向こうに、那覇の夜景は過ぎ去っていく。街灯たちに照らされた街は、どこかで故郷の街と似ているな、と。なんとなくそう思えるようになった。

 リュックを両手で強く抱きしめ、なるべく呼吸を整う。

 興奮でドキドキしていた同時に少し、不安で落ち着かない。この島に来た実感はようやく血管に滲み、軽微な目眩を覚えた。はじめて日本に来たあの夜と同じようだ。五年前のあの夜、僕が乗る日本語学校のバスが高速道路に沿って東京の夜へ深く進んでいた。車窓の向こうに、透明なガラスが組み立てる高層ビルが次々と移ってゆく。その中の無数の動いている人影が僕の目に映る。一つ一つ移りゆくビルは、役者が集まる舞台のよう。これから僕もこの未知が溢れる舞台に立つのだろう。そして誰か、何かと出会うかもしれないな。

 今、沖縄にいる自分はやはり、あの時と何も変わらない。今でも他者との関わりを怯えながら、出会いを求めるんだ。だから僕はいつも、旅に出る。

 日本最西端の駅――那覇空港駅から、僕一人の島旅が始まるのだ。


 あれはなかなか口から言えない旅だった。

 二〇二二年の一月、年明けてすぐ、新型コロナウイルス感染症は予想もつかないスピードで沖縄で広がっていった。二週間前にすでに日本全国範囲内にすっかり落ち着いたのに、僕が旅行のスケジュールを確定した後冗談のように再来した。

 沖縄当地の皆さんに大変申し訳無い気分だけど、やはり今しかないと思い込んで、旅行を決行することにした。いつものように、なるべく自分の存在感を消して、幽霊のように街中を通り抜け、誰にも迷惑をかかないように……それでいいんだ。しかし那覇空港からゆいレールの車内までずっと思った以上の混雑で、緊急事態寸前の気配は全くなかった。

 県庁前駅で僕は降りる。少し歩くと、国際通りは僕の目の前に現れる。到着が遅かったせいか、店がだいぶ締まるようだ。本格的な観光が明日からだけど、雰囲気だけを味わおうと思って、ホテルにチェックインする前に夜の国際通りを少し散歩していた。まだ開いているお土産屋の灯り。居酒屋から流れる沖縄音楽。昼間の喧騒が過ぎ去り、夜の国際通りは穏やかな顔をしている。ヤシの木の下で僕は思わず微笑む。心も、星が煌めいている夜空の色だ。

 一月の夜なのに、そこまで寒くはない。さすが亜熱帯の気候。

 僕の生まれ育ちの土地は那覇と同じ、北緯二十六度にある。中国の福建省にある福州市と呼ばれる所であり、雪とは無縁の町の一つ。日本に行っても、時々故郷の気配が感じるようになる。コンビニで「福建省推奨」と印刷された烏龍茶のラベル見るたび、まだ遠く行っていないと気がする。外国とはいえ、そこまで離れていない。

 沖縄も、僕にとって、ひとつの縁のある土地かもしれない。でも僕は長い間ずっと、沖縄という存在を知らなかった。中国大陸に比べてみれば、あまりにも小さすぎるせいか、地図に向かってじっと見ないと気付かれない。知っているのは、中国大陸と日本本島の間にある、よく日本のドラマやアニメなどで登場した、南国風の観光名所、それだけ。確かに海のどこかであるはず、具体的にどこだと聞かれると全く答えできない、そのような曖昧な存在。実在というよりイメージとしての島。

 ホテルの近くにある、まだ開いている中華料理屋で軽い晩食をする。中華風の空間なのに、後ろの席で、どうやら韓国人と日本人のおじさん二人組が韓国のこと(BTSと国連に関してかな?)、韓国と日本の何らかについて話しているようだ。東アジアの真ん中に今自分がいることを、またなんとなく実感できた。グーグル地図を開くと、自分の現在地を示す青い点は中国大陸と日本本島の間、その海の中で閃いている。本当に今、この神話世界の島にいるんだ、僕は。ここ数年に住んでいる東京とは急にあんなに離れたことを気づき、少々不安を感じたが、今も半分くらいの帰省をしていると言えるのかな。コロナでなかなか戻れないけど、今は家にとても近いところにいるよと、家族に言いたい気分だから。

 沖縄に、来てしまったんだ。


【2】

 日が昇る時、僕はようやく那覇という都市の真の顔を知る。

 ゆいレール儀保駅から降りて、そこから首里城に向かって緩く歩きながら、小道に迷い込む。木漏れ日はきれいだ。

 沖縄と日本本島の違いは、やはり植物の数と種類だ。一月、東京の木々もだいぶ眠りにおちて、すっかり色褪せたのに。ここ、見渡せばあっちこっちにあるんだ、大きな木の葉、色鮮やかな花達が。より自由で、より狂暴で、より。生命の野性に従うようで。

 人間と自然の調和こそ、この島の優しさかな。

 ソテツの群れの隣に、石の階段を僕は踏む。一つ一つの門をくぐり抜け、首里城の広場が目の前に。北京の故宮とソウルの景福宮に行ったことがあり、これらに比べると那覇にある首里城はあまりにもコンパクトで、王家の建物なのに、つい「かわいい」という形容詞をつかいたくなる。

 とはいえ、首里城の本殿はすでに火事によって無くなるので、僕が見たのはただの残骸。

 展示室の映像は首里城が歩んできた歴史を語る。琉球王国の象徴である首里城。校舎として使われた首里城。沖縄戦の中の首里城。何度焼失し、何度も再建された。もしかして首里城の真の姿がすでに歴史に溶けて、一つの見えない、強靭な芯がこの島の土地に深く根を下ろしているのかもしれない。そう、きっと、形がなくても、ここは確かに、首里城の魂があると気がする。どんな形だとしても、何度でも生まれ変わるという奇跡の力が、この城が持つのだ。


 首里城の隣にある王家の陵墓、玉陵を見に行く。

 中国や日本本島の王室貴族の華麗な陵墓を幾つか見たから、目に映る玉陵は素朴というより、少し、荒涼だ。

 灰色の平地に立つ僕の前にあるのは、三つの石の建物と沈黙。なぜかこの空間に今、僕以外誰もいない。あまりにも静かだ。つい目線を石の壁から上へ移した。

 空が広いな、と。それだけを思った。

 この終わりの場で、まだ何が無限に続いていると気がする。

 帰りに、カジュマルの木の小道で僕は思わず足を止める。そしてあのカジュマルの森の隣に佇む。久しぶりのある感覚は、優しく胸に刺す。東京って、カジュマルがないだっけ。そうだよ。ああ、いつから忘れてしまったのだろう。僕は福州、カジュマルの町と呼ばれる土地の子だ。公園の歩道。学校の広場。放課後の帰り道。いつもいつも、僕は故郷のカジュマルが植えた道を通り抜けていたんだ。あの茂みの下、木漏れ日の中。今のように。

 そうか、もう四年、家に戻っていないよな。


 植物と伴う道はつづく。金城町石畳道という有名な道に僕は軽い足で下へ進んでいく。下への坂道、まるで緑の隧道のように。

 ある曲がり角から、一気に緑の天井が去り、視野は広がっていく。高台から、下への坂道は両側の民家たちを越え、まるで海へ、空の向こうへ伸びるように見える。僕の視界も、広々としている。

 新天新地という言葉が、突然僕の心を叩く。

 そう、今僕の前に、この石畳みの小道は、新天新地へ伸ばしていくんだ。

 湧き上がる希望に感動すると同時に、ふっとこの島にとっての幸せは何か、と考え始めた。

 首里城を見て、この島の中国と関わる歴史を知った。日本語を語り交わる観光客の群れに僕は通り過ぎた。そして、帰りに石の門をくくって、ソテツの隣に頭上の空に渡る飛行機の巨大な音が耳に騒いだ。あの時確かに、僕も他の観光客の皆も一斉に見上げた。米軍の飛行機なのだろう。基地の気配は、首里城の赤に滲んでいく。

 こうして沖縄は沢山の土地とつながっている。石畳道に僕は左にある、白の石壁を触る。その下は黒い石の石敢當。オレンジの屋根の上は小さなシーサー。近くにこのような沖縄風の建築が沢山見える。ただ、遠方へ見渡すと、全体的にまた少しハワイみたいな、西洋の風情が感じられる。多文化共生の一つの形なのだろう。

 それは本当にこの島が望んでいる幸せなのか。

 繋がることは、必ず幸福を招くことに限らない。争いも、苦難も闇で無音のままに近づく。

 新型コロナウイルスのせいか、今沖縄で中国人観光客の姿がすっかり見えなくなった。もしかして僕だけなのかって、時折そう思っていた。でも西洋人の観光客を何人見かけた。

 石畳道を降りた途中、一つの花が綺麗に咲いている小道に惹かれ、僕はついそこへ探検始めた。そこで僕は一人の西洋人の青年を見かけた。同じく観光者なのか。でかい鞄を背負って、興味津々で道にある何かを見ている。

 少し距離を置いて、僕もこの道の穏やかな、そして色鮮やかな景色との出会いを求める。

 綺麗な民家の庭、その石壁を乗り越えたのは、ピンク色のブーゲンビリアの花たち。

 僕とあの青年は、同じものに魅了されているのか。同じ景色を見た時、同様なことを考えているのだろう。それとも、何かの違い心情が生まれるのだろう。

 異郷者同士のゆえ、少し気になった。だが僕と彼、どちらの方がこの島にとってのエトランゼにより近いのは、僕にはまだわからない。

 希望とささやかな、どこかで流れ込んだモヤモヤは僕の胸に。金城村屋という休憩場の先、そこにあるカジュマルの大木の下で僕は空を見上げる。

 北緯二十六度にさす、一月の少し暖かい陽の光。

 この島でずっと、故郷の面影を見ていることを僕は悟った。


【3】

 よく他人の旅行記で、素敵な、誰かとの出会いの逸話を読んだ。誰かと伴う旅。旅に出会った彼らの人生の物語を少し知り、そして清らかな気持ちで別れる。しかし僕の旅にはそのような素敵な話が全くなくて、ずっと。僕と伴っているのは、僕だけ。僕が常に意識的、無意識的に他人と距離を置くせいなのか、誰かと対話することより、自分自身との葛藤が続いている。この島と同様に、他者との関わりはおそらく僕今生最大の課題なのではと、そう思っていた。

 でも旅の時間において僕には、僕を見守る、その島の風景がある。

 歩ける距離ならば、なるべくバスを乗らない。自分の両足で歩くことこそ、身体で未知なる土地を馴染む一番の方法だ。よく歩く、よく聞く、そしてよく見る。五感をすべて調達し、身体で風景の輪郭を把握するのは大事。そう、僕は常にこうして目に映る風景と対話することを試みるのだ。

 朝の栄町市場から僕は東へ歩いていく。曇り日の早朝、この町はまだ穏やかな眠りの中。でも僕は、賑わい栄町市場より、今、寂しそうに見える、ちょっと暗い栄町市場の雰囲気が好きなんだ。

 観光地の大道から離れ、だんだん静寂が司る町へ入り込む。淡い黄色の、年代感がある住宅ビルたち。一階の店、全然開いていない。錆びた金属の窓、そして緑の植物が乱暴で枝を伸ばす庭。どこかで寂しそうに見える。

 空いている駐車場とすれ違う。人気のない商店街とすれ違う。小さな神社と、すれ違う。いつの間に僕は死者達が住む道に迷い込んだ。

 道路の両側に建物がこっそり消し去り、広い墓場になっていた。地図で調べると、確かに那覇市の東南部には大きな墓場がある。そしてそれは亀甲墓の墓場だ。

 まだ小学生の頃、地元に火葬は普及していなかった頃に、地元で亡くなった人の最期は、深い山の一隅にある亀甲墓に永眠すること。この「風」や「凪」などの文字に似ている形の墓は、僕の死に対しての最初のイメージだ。宇宙に散りばめられた星々のように、郊外の山々に点在していた。今もまだ見えるのだろう。子供だった僕はこれに対して非常に恐怖を感じていた。この自然の風景を破る不気味な点たちを、すべて消したらいいのにと、いつもそう思っていた。

 でも今、二十代の僕はもう穏やかな気持ちでこの墓場の隣に立つことができる。むしろ、親切さを感じる。カジュマルの森の隣に感じたあの、優しく胸を刺さる感覚また湧き上がる。まさか死ということからさえ、故郷の面影が見えるんだ。やはり、ここは僕にとっての、縁がある土地だ。

 こうして、死者達の町を通り抜け、目的地の識名園にようやく近づいた。


 世界文化遺産に登録される、琉球王家最大の別邸。園内はあいにく改装しているようで、一部しか公開していない。それでも、一歩中へ踏み出したら、すぐ気付ける。こここそ、植物が真の主役になる。

 泥土まみれの、ちょっとベタベタの地面。カジュマルの大木たちが空を遮蔽しているから、道が暗い。東京や京都の日本庭園と比べると、人工の要素が少ない。あるのは、植物、植物、そして植物。

 御殿という庭園中心にある木造建物から、池の向こうの中国風の東屋を眺める。

 人、少ないな。空港や昼の国際通りにあんなに人がいるのに、皆、ここにこないね。

 昔、琉球王家の休憩の場、中国の使者を招待する場だから、賑やかな光景がここにもきっとあった。でも今、一月の曇り空の下、ここはただの、灰色と暗い緑だけ構成された、寂しい空間。もしかしてこの庭園に潜む歴史が、自分自身が少しずつ忘れられることを知り、寂しい顔をしているのは原因なのか。

 ここにいる時間が好きだ。初めて出会ったこの風景と、懐かしいと言えるこの風景と見つめ合う時間。風景の懐に僕がいる。この感触を、僕は忘れない。

 識名園から帰る道、どうやら大変そう。ここはすでに隣の南風原町の界隈だから、那覇の中心に戻るのは長い旅になりそうだ。

 人気のない、静寂な小道はつづく。事務所のような部屋でかすかな灯りがなぜか通り過ぎる僕の心を温める。もうちょっと歩くと、自分が今高台にいることを気づいた。昨日金城町石畳道で体験した、新天新地が目の前に現れる時の素晴らしい開放感が、僕の胸に再演している。

 奇妙な興奮に操られ、石の壁に沿って、子供のように小走りに大きな坂道を降りる。緊張感があると同時に、奇妙に安堵も感じられる。もっと早く、もっと、早く。そして世界がまた変わっていく。観光地の沖縄と一味違う、素顔の沖縄の街が緩やかに、その絵図が開いている。

 頭上で過ぎ去り、鮮やかな花たち。

 左の坂道の上、住宅の前に止まっている車。

 遠方の小山の頂上にあるミステリーな、教会のように見える建物。

 歩道橋の下、日陰の涼しい所の小道にある、ちょっと汚い水溜り。


 僕だけ、僕だけの沖縄は今。ここにあるんだ。


                  ***


 あの午後、なぜか僕は波の上ビーチで座り込むことになった。曇り空の下、波打つ浜辺も彩度が薄かった。

 東京は今、すごい雪が降ってるって、SNSで友達皆がそう呟いている。

 東京の雪景色の写真を見ながら、この波の上ビーチにいる僕は、那覇の雪降る景色を想像してみた。緩く降り続く粉雪が、浜を打つ海波に溶ける。国際通りのシーサーが雪の帽子を被る姿。パラレルワールドのファンタジーみたいな。

 やはり少し、皆と離れると、一人の自由を味わうと同時に、繋がりが遮断される不安も襲ってくる。もともと大陸で二十年以上に生活しているから、僕みたいな大陸住民が、島で生きることに対して、ちゃんと安定な土地に立っていないという恐怖があるのだろう。

 大陸と違って、海の浮島は、常に繋がりを失う不安と対峙しないといけないだろう。沖縄もそうだ。

 沖縄はもともと沖縄ではなかった。「流求」だった。

 流されながら、何かを求めている。まるで、呪われた名前。あの時からも、今も。ずっとずっとこの無限な海で漂流したり、誰かのものになったり。

 孤立なのか。だから他者とのつながりを求め続けるのか。

 それでも誰かのものではなく、ただ万国の架け橋になりたかった。

 沖縄の歴史は、孤独と繋がりにまつわる歴史だと、僕は思っていた。

 昨日沖縄県立博物館と美術館に訪れ、沖縄の歴史、そして歴史を反映する写真と絵画を沢山見た。戦争の惨状を記録する写真とか、基地という存在に抗議するような絵画とか。

 印象に残ったのは、一つの映像。ある映画の一部なのだろうか。

 日本に復帰する前のことか。走っている白人の青年、そして隣に自転車を乗る沖縄の少女。モノクロの世界で二人は小道に沿って進んでいく、そのようなありふれた日常の欠片。

 あれは何の物語だろうかを結局知らなかったが、不思議な空気感が伝わってきた。沖縄の近現代史が生きている実感が映像によって胸を叩く。

 日本とアメリカ。戦争の葛藤にせよ、友好な交流にせよ、そのような東西文化の混ざり合いが、今の沖縄を創っている。一人の中国人の僕はこの島で、ただの通りがかりの旅人にすぎない。

 昨日石畳道で会ったあの西洋人の青年のことを思い出した。本当に僕の方が、この島にとって、完全なエトランゼなのかな。僕は本当にこの島のことを理解しようとする資格を、持っているのかな。

 違う。彼らより、きっと僕のほうが、この島への愛を口にする資格がある。だって、この異郷の小島には僕の故郷がある。これから、波の上ビーチから、故郷を見るんだ。

 那覇の久米二丁目にある、福州園という中国式庭園。那覇市制七十周年記念及び那覇市と中国福州市の友好都市締結十周年記念として那覇で造られた、僕の故郷の箱庭。

 何百年前からすでに、福州市には中国と琉球王国の貿易港があった。福州から沖縄に移住する人々と、琉球から花鳥画を学ぶため、福州へ渡る絵師達がいた。その歴史はすでに人々の記憶から遠ざかり、今この福州園という箱庭が、何らかの証として那覇にある。日本人の間に異国風情が溢れる場所として好評されたらしい。園内は春夏秋冬のテーマで、一周の散策で四季の雰囲気を体験できるという。

 ただ、福州園が今改装中なので、僕はその門の外でその庭園の存在を確かめることしかできない。本当にあるんだ、あの白い石塔。朱色の東屋。久しぶりの、故郷の風景。

 異郷の小島で、石の壁の窓越しに自分の故郷を覗くなんて。なかなか奇妙な体験だと思った。ほかの異国の観光客皆、そのような体験ができないだろう。

 やはりここで僕はちょっと特別で、完全なエトランゼではない。

 この島旅では僕が孤独を感じていない。すべての風景は僕の味方。

 僕は風景と出会い、歴史を知り、そして、この島のどこかにある痛みに触れる。

 だからわかるんだ。島の運命と人間の運命が共通すること。

 誰かとの繋がりを求める心、傷つけられることを怯える心。それでも新たな出会いを探しに行く心。

 その心も、今僕の胸中に高鳴っている。

 ここは僕の故郷ではない。でも、僕にとっての異郷とも言い切れない。

 たった一つの、人気のない小庭。二つの都市の、友愛の象徴。この愛は、僕を旅人にあるはずの孤独から救い出した。会ったことのない家族に抱きしめられたという幸福な気持ちで、国際通りへ戻れる。

 この島にこうして言いたい。

 僕を受け止めて、ありがとう、と。

 君がこうして僕の心を抱きしめるから、僕は君のエトランゼではなくなった。

 ここに来て良かった。君と出会ったから、僕は新天新地を見た。故郷と同じく北緯二十六度の世界で新たな絆を結んだ。


 受け止めくれて、ありがとう。

 

【4】

 旭橋のバスターミナルから、僕は東の果へ目指す。祈りを知るために。

 バスの車窓越しに、那覇の市街地が過ぎ去っていく。人の気配がだんだん薄くなり、一時間後、まっすぐな一本道とその両側の植物の茂みしか残らない。

 海に近いバス停に僕は降りる。昨日とは違い、今日はすっかり快晴。ただ、実は那覇から逃げるような気分になっている。

 昨夜ホテルのテレビに流れたのは、関東の雪景色と、沖縄の感染症の蔓延状況。ホテルのすぐ近くにある県庁前駅で行った、市民へのインタビューの映像が続く。那覇市民の皆は感染症拡大の不安をやるせない表情で語っていた。

 この二日間毎回国際通りの端っこにできた新しいPCR検査センター、そしてそこの検査待ちの長い列を見たとき、自分が今本当に渦巻の中にいたという思いが浮かび上がる。

 渦巻の中の沖縄の顔を、見てしまった。


 上への階段を少し歩くと、海が見えた。海風に揺らいた草木の緑の上は、海の青と、一つの島の輪郭。久高島という、沖縄で神の島と呼ばれる小島。かつて沖縄の創世神アマミキヨは、東の果てにある久高島から降り、そこから沖縄の歴史を創り始めるという。

 そして今の僕はこの神の島を遥拝できる、沖縄王国の最上級の祈りの聖地、斎場御嶽にいる。

 あれは本当に熱帯の森の中。昨日の識名園より、植物の気配が満ちている。土地から空さえ遮蔽する、熱帯植物達の太い枝と大きな葉たち。自分が今、この茂みが組み立てる一つの身体の中にいる気がした。そこに漂う植物の薫りは僕を優しく包み込む。過去に戻れ、過去に、遥かな過去に。そういう風に唱える僕は、まるで人間の歴史の道を歩いて戻り、世界の源に戻ったような、不思議けど、どこかで清らかな気分になっている。それでも、砲弾によっての傷跡が、まだここに残っている。

 この島の神様は植物と親しむのだろう。巫女達の祈る場所は原始的で、赤色の神社などの人工物がなく、自然が創る大石の下。

 三庫理という聖なる祈りの場に僕はようやくたどり着く。二つの巨大の石灰岩が、一つの三角形の空間を構築している。向こうの聖なる日差しがあの三角形のトンネルを抜け、僕のいる平地に射し込む。

 何もない。何も聞こえない。ただ、誰か、何かと対面しているような感じがする。

 この旅の時間のにおいて、僕はいつもこうして、一人で何かを無言のままで見ていた。

 首里城と玉陵の時もそう。識名園の時、石畳道を通り抜ける時も。この風景、そして風景に中に秘めた何かと、対話を求めるんだ。

 そのような沈黙の中でも、僕の身体から他人事だと思えない、強烈な、この島への感情が湧き出る。それは、ただ故郷の面影を見たことではなく、より個人的で、私的な感情があるから。

 この島――君と、言わせてください。もしかして僕は君の孤独を見ていたのかもしれない。そして君の孤独を、僕自身と重なっているのかもしれない。

 この茫洋の海で誰かとつなぎたい。傷つけられても、流されても穏やかな幸せを求めたい。

 上からの目線なんかじゃない。僕はずっと思っていたよ、島の運命は人間の運命と共通すること。時間の波に流され、何かを求め、そのまま生きて行く。人はこうして、生から死に渡る。でもその間の、未知なる誰かと出会いのための努力があるから、命そのものこそ輝いているんだ。だから万国津梁になりたかった君の努力と、挫ける君の孤独を、僕は覚えておきたい。

 この旅人の僕は、君のために祈ってもいいのか。

 でも僕所詮は一人の外国人の男性であり、ここで君のために祈る資格もないかもしれない。

 君への祈りは届かない、と。誰かがそう言った気がする。それでも、君のため祈り続ける人がいる。

 ――海よ 宇宙よ 神よ いのちよ

 彼らは歌う、どこかの彼方へ、希望のある未来へ。

 ただ、今の君はまた、新たな渦巻の中にいる。

 ならば、僕は祈らない。祈りよりもっと確実な方法があるんだ。それは愛という名の絆。

 どこに行っても、どこへ帰ってもいいんだ。心から愛されて、受け止められるのならば。

 君が僕のことを受け止めたように、僕も君を僕の心の中に。誰か、何かを代表することではなく、たった一人の旅人の恩返しだ。

 愛というのは大袈裟なのかな。それでもいいのさ、僕のすべての傲慢と妄執を込めて、誰にも知らない愛を紡ごう、一匙の孤独という甘味を加えて。

 小石の道へ、僕はようやく歩き出す。

 そろそろ、帰ろうか。明日は、雪まだ溶けない東京に戻るんだ。

 その前もう少し、近くの晴れやかな海で、その波の音を聞きながら君の顔を見よう。

 

 世の中には、僕の胸の中には、そのような愛がある。

 一人の旅人の、流される島への愛。

 別れても、また会う日まで思い続ける。それは、この出会いが贈る、「愛」という運命の果実。

 たとえその愛は誰にも知らずに、永遠に孤独のままだとしても。

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