第十一話 逃げろや逃げろ


あたしシャニの穏やかな日々は、五才のある日、唐突に終わりを告げた。

その日は久しぶりに、父様も一緒に夕食を取る事になっていた。

ミトラは帝都の貴族学校寄宿舎に入ったので、子供達はあたしシャニとイッティ姉様、ロコ、ステイになった。イッティ姉様は六才、ロコは三才、ステイは一才。


ちょうど皆が食卓に着いた頃、あたしシャニは妙な魔力の波動を感じる。こんな波動は初めてだ。

でも、カーサ母様と父様の顔から笑顔が消える。

「魔力波警鐘!」

「魔物の大量発生の警鐘だわ。イワーニャ、後をお願い」

カーサ母様と父様はすぐに立ち上がり、食堂を後にした。

「さあ、私たちは先に食べてようね、父様達は遅くなるから」

でも、イワーニャ母様はそう言ったくせに、あたしシャニ達が食べ始めると、自分も食堂を出て行った。


「イワーニャ・マンレオタが告ぐ。緊急避難発令。家財道具に構わず結界領域に急ぐ事。発令解除までその場で待機。後は訓練通りね」

しばらくしてそんな声が当たりに響き渡る。


緊急避難?そんなに大事になってるんだ。

「ここは大丈夫ですよ。結界領域だから」侍女のニキがステイを食べさせながら微笑む。

あたしシャニは気になって、空間把握魔法で辺りを探ってみる。


あれ?何だろう。

山の方から、大勢の人たちが隊伍を組んでこちらに向かってる。槍や弓で武装しているみたいだ。紋章、見えるかな。ああ、本に書いてあったあの紋章は、ツツ連合王国ヨルド家。

と、いう事は、攻め込んで来たってわけ?


大変!知らせなきゃ。

でも、タークは出て行ってしまったし、カーサ母様は居ない。あたしが空間把握魔法を使えるってのは秘密だし。どうしよう?

名案が浮かんだ。


あたしシャニはホムンクルスを町外れに転移させ、館に向かって走る。

「大変です!山向こうから軍隊が攻めてきます!」

ホムンクルスのあたしリーアは、息せき切ってそう門番に叫んだ。

門番は大急ぎで館に入り、やがて戻ってきた。

「奥様がお会いになる。来なさい」


あたしリーアは執務室に通され、イワーニャ母様と向き合った。

「あたしは旅をしながら魔法の修行をしている、リーアという者です」

「ここの留守を預かっているイワーニャ・マンレオタです。詳しいお話を伺いましょう」

「あたしが山の麓を旅していたら、山を越えて大勢の兵士が街の方へ進軍しているのが見えました。紋章はツツ連合王国ヨルド家の物だと思います。目的は間違いなくここ。ざっと見積もって二万は下らない人数かと」

この数は剣士ロデリックの経験からなので、そう大きくは外れない筈。この世界では大軍勢と言える。

「二万…………」

イワーニャ母様がこめかみを押さえて目を瞑る。


それから傍らの侍従に声をかけた。

「皆に結界領域へ避難するよう伝えて。軍が攻めて来るとすると、ここが一番激しく攻撃される。他の結界領域は後回しになるでしょう。そこで騎士隊が戻って来るのを待ちなさい」

「奥様はどうなさるので?」

「私は残ります。留守を守るのが妻の役目」

凛と言い放つイワーニャ母様。おお、こんな一面もあるんだ、優しいばかりかと思ってたけど。侍従はためらっていたけど、すぐに一礼して部屋を出る。


「リーアさん、貴女も行きなさい」

「あたし、ここに残ってはいけませんか?多少の魔法は使えます。お力になれますわ」

あたしがここを出て行ったら名案が台無しだ。

「でも、危険です。特に女性は何をされるか」

「いざとなれば逃げます。こんな風に」

あたしリーアは一旦疑似空間に転移し、また戻ってみせる。

イワーニャ母様は口をあんぐり開けてあたしを見つめた。

「…………魔法?」

「そう言ったじゃありませんか」

「でも、詠唱は…………」

「無詠唱魔法です。あたしの得意魔法なので」多分、あたしリーアドヤ顔になってる。

「その若さで腕利きのようね。分かったわ。いらっしゃい」


あたしリーアとイワーニャ母様は執務室を抜けて、マンレオタ一家の居住区へ向かった。

広間に一歩足を踏み入れた母様は盛大なため息を漏らす。侍女と子供達、それにマイレ・スクジラシュ料理長と執事のリッキ・エスタバハが集まっていたから。

「あなた達、何をしているの!結界領域に行きなさい!」

「母様と離れないもん」イッティはこんな場合なのにニコニコしてる。脳天気め。

「母様と一緒!」ロコは半泣き。

「いっちょ」両手を突きだしてステイも言う。

「私たちは奥様の侍女ですからご一緒します」侍女達が口を揃える。

「私もこの館の執事ですからな。逃げられません」リッキ・エスタバハはすまし顔。

「となると、飯の支度する奴が要るよな?」と料理長がニヤリと笑う。

「シャニ……」イワーニャ母様が幼女のあたしシャニに目を向ける。

「あたし一人、逃げ出すわけにはいかないでしょ」

「…………もう、あなた達は…………」

イワーニャ母様はまた大きなため息をついた。諦めたらしい。


「そこのお姉さんも残ってくれるの?」幼女のあたしシャニが気を回す。

「はい。あたしリーア。よろしくね」

それから皆で自己紹介。うん、うまく入り込めた。

「エスタバハ、館に誰も残っていないのを確かめて、結界を強化してちょうだい」

「畏まりました、奥様」執事は一礼して広間を出て行った。

「それじゃ、お茶でも淹れましょうかね」料理長はそう言って厨房へ向かう。

さて、この面子では戦力として貧弱だ。

あたしリーアは魔人の里のハミ・カッシャを思い出した。『呼び珠』に魔力を流す。一筋、青く淡い光が輝く。さあ、これでいつ来てくれるだろう。兵士達に攻められたら、空間魔法で避難するつもりだけど、うまく避難先を見つけてくれるかな?


深夜になって王国の軍勢が到着した。

窓から見ていると、松明と槍を抱えた金鎧の兵士達が道路を埋めていく。

結界にはじかれたため、館には侵入できず、魔道士を集めて結界を攻撃し始めた。

ロダ・バクミンの工房も結界で守られているが、やはり攻撃を受けている。

空間把握魔法で探索する限り、騎士隊が戻って来る気配は無い。

結界は弱りだしている。

おそらく、騎士隊が戻る前に結界は破られるだろう。

そう思ったあたしリーアは皆を広間に集めた。

そしてイワーニャ母様にやって見せたように、空間魔法をつかってみせる。

ほうら、皆驚いた。

あたしシャニも、さも驚いたかのように演技してみせる。


「北の山麓の方でアジャ商会と徴税官の竜車を見かけました。そこは軍勢からかなり離れてる。皆をそっちの方へ連れて行きます。ちょっと驚くかもしれないけど我慢してね。あ、その前にロダ・バクミン達と合流しましょうか」あたしリーアが提案してみる。

「リーアさん、もう少し騎士隊達を待ちたいわ。ギリギリまでね」

うーん、イワーニャ母様の気持ちも分かる。

「分かりました。でも、それまで一緒に集まっていましょうね」

それで、残った時間、館の物資を片っ端から疑似空間に放り込んだ。

どれくらい逃げ回る事になるか分からないので、食料、水、お金も忘れずに。

兵士達、がっかりするだろうな。館に踏み込んでも金目の物が何も無いので。


やがて結界が消え去る。

しばらくして騒々しい足音と共に、兵達が広間に踏み込んできた。

あたし達を取り囲んで、一斉に槍を突きつける。

「奥様、もう良いんじゃ無いですか?」あたしリーアが声をかける。

「そうね、お願いするわ、リーアさん」


よしきた。

ほいっ、と疑似空間の小屋の中に皆を転移させる。

前もって説明しておいたけど、やっぱり皆驚いて悲鳴を上げ、手足をバタバタさせた。

落ち着いた頃を見計らって、ロダ・バクミンの工房へ転移する。


あたしたちが急に出現したので、工房の皆はびっくり仰天。

「奥様!こりゃどうなってるんですかい?」ロダ・バクミンが素っ頓狂な声を上げる。

「シャニ!無事だったの!」ニニが両手を広げてあたしを迎える。

「ニニこそ!」あたしシャニとニニは抱き合って喜んだ。

「皆、聞いて。ここの結界はあまり保たない。脱出するわ」

イワーニャ母様が集まった皆にそう伝える。およそ百人くらい。女性や子供も居る。技師達の家族なんだろう。

「でも、外には兵隊が居るぜ」

「私たちがどうやってここに現れたと思う?紹介するわ。リーア。凄腕の魔法使いよ」

凄腕だって!何度も人生やったけど、初めて言われたな。


「えー、どうも。よろしくね。これから一旦『どこでも無い場所』に転移します。引っ張りの力が無い所なので、ふわふわ浮くけど驚かないでね。そこから北の山麓まで転移します。あたしの行ける所はそこまで」

「山麓からは山伝いに隣の領を抜けて、私の実家の領を目指すわ。歩きになるけど、皆頑張ってね」

「くそ。ここを荒らされるかと思うと腹わた煮えくりかえるな」技師の一人が吐き捨てる。

「あら、心配ないわ。この工房ごと転移するから」

「工房ごとだって?!」

ちょっとした騒ぎになっちゃった。イワーニャ母様は腕を組んで唸ってるし。


毎度お馴染みの騒ぎが過ぎて、あたし達は北の山麓に立っていた。工房は疑似空間に残してきた。これから移動するので、引きずってく訳にはいかない。

うっすら夜が明けかけている。

アジャ商会と徴税官の一行がこちらに向かってくる。そういう位置を選んだから当然ね。

お馴染みのマッシュやアインの顔を見つけて手を振る。相手も手を振り返した。

「随分大勢の行列だね」マッシュが皆を見ながら声をかけてくる。

「これはマンレオタの奥様。ご無事で」徴税官が挨拶する。

「あなたもご無事で何よりね。マッシュさん、お久しぶり」イワーニャ母様も挨拶を返す。


そんな時、あたしシャニはとんでもない物を見てしまった。

翼を広げた竜がゆっくり降りてくる。そしてその背に人が乗っている!

これって異世界ロマンよね?これがなくっちゃいけないよね?

あたしリーアはアジャ商会とのやり取り中なので、あたしシャニがその姿を追う。

その飛竜が近くに着地すると、まだ幼さを残した少年が地面に降り立った。

「竜だ、竜だよー!」あたしシャニは、胸をわくわくさせて飛竜に走り寄る。


大きい。


あたしシャニに気づいた飛竜は頭を下げてあたしを見つめる。

大きな青く透明な二つの目。登り始めた太陽を反射してキラキラ光る。きれい。

『ソウカ。キレイカ』

頭に言葉が響く。

「え?今、喋った?竜さん?」

『ワガ名ハゾラ。ヌシノ名ハ?』

「やっぱり喋った!あたしはシャニナリーア、シャニって呼んで!」

『シャニ。ヌシハ我ヲ恐レヌノダナ』

「恐れるわけないよ。ゾラ、格好いいよ、素敵だよ!」

おまけに喋るんだよ。きれいな澄んだ声。あたしシャニ、もう大興奮。

「ゾラの声が聞こえるのか?」飛竜から降りた少年があたしシャニに声をかける。

「うん。ゾラ凄いね、喋るんだね」

「喋るんじゃ無い。思念伝達だ」

「おー、テレパシーか」

「てれぱしい?」少年が首をかしげる。おっとっと。ここはスルー。

ゾラがあたしシャニに顔を寄せてきたので、思いっきり頬ずりした。遠目じゃ分からないけど、薄い毛が表面を覆っている。柔らかくて暖かい。うーん、幸せ。


「シャニナリーア様!」侍女ノーマの金切り声が聞こえた。

振り向くと、真っ青な顔をしたノーマ……いや、皆が顔を引きつらせてあたしシャニを見ている。

あれ?……って、そうか。竜って本来怖い物なんだな。でもあたしシャニは怖くない。

「心配ない。ゾラはこの子が気に入ったようだ」

少年の言葉で少し空気が緩んだ。

「うん、大丈夫だよー。ノーマも触ってみる?」

ノーマは全力でぶんぶん首を振り、後ずさりする。

「ね、お兄ちゃん、あたし、ゾラに乗せてもらえるかな?」

「私はタオだ。高い所が怖くないのか」

「いつもタークで飛んでるもん。ね、ダメ?タオ兄ちゃん」

必殺上目づかい、お目々キラリン攻撃。どうだ?

『オメメキラリンコウゲキ、ダソウダ。ワレハ構ワンゾ』

げっ!何でバラしてんの、ゾラちゃあん!

ほら、タオ兄ちゃんの顔が変だよ。

「ぷ、くっくっく」あ、アインに馬鹿にされた。

「タオちゃんのあの顔は珍しいな」いや、あたしシャニじゃないのか。


タオ兄ちゃん、何も言わず、アジャ商会の皆の所へ行っちゃった。

しょうがないのでしばらくゾラとお話しした。これってめちゃ楽しい。

タオ兄ちゃんがライカリア帝国の皇子だってのはすぐ知らされた。でも何かピンと来ない。

自分から話しかけては来ない。でも受け答えはちゃんとする。ちょっとぶっきらぼうだけど、乱暴というわけじゃ無い。でも何と言うかさ、自分の意志ってものを感じない。生気を感じないのよね。美形の少年型自動人形と話してるみたいだ。

確かに小さい時、大変な目に遭ったとは聞いてるけど、皇族ってこんななの?

まあ、皆には不敬って叱られたけど、そのままタオ兄ちゃん呼ばわりは続けた。アインだってタオちゃん呼ばわりしてるんだもの。

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