第9話

 それからアシュリーは連日連夜、エリーの姿と声でマーティに話しかけました。

 このままでは怪物になる前に、マーティがしんでしまう。そう思ったアシュリーは一生けんめい彼が再び鉛筆と絵筆をとれるようにと、身を粉にして尽くしたのです。


 マーティは落ち着いて喋るようになりました。

 アシュリーの膝の上に頭を乗せて、静かに眠る夜もありました。


 けれど、彼はもうキャンバスに向かおうとはしませんでした。




「ねぇマーティ。私と一緒に、これからもずっと楽しく暮らさない?」


 七週間目の夜、力なくベッドに横たわるマーティにアシュリーはそう問いかけます。


「ずっと……?」

「そうよ、ずーっと一緒に。痛みも苦しみもないの、ここより遠い街に行きましょうよ、私と一緒にずっとよ」

「だけど……」


 そのとき、ほんの少しだけマーティの瞳に光が宿ったかのように見えました。

 そんなマーティを、アシュリーは精いっぱいエリーの真似事をしながら抱きしめました。


「私、もう一度アナタの描く私をみたいわ。ダメかしら?」


 怪物になってしまえば、マーティはもうマーティではなくなってしまう。それは実のところ、アシュリーの心からの願いでした。


「わかった……」


 どこにそんな力があったというのでしょう。

 立ち上がったマーティはキャンバスの前に座り、ワインをぐびぐびと飲みながら一心不乱に絵を描き続けたのです。

 その鬼気迫るような姿に、アシュリーはワインを取り上げるでもなく見入ってしまいました。


 夜が明けて、また次の夜になっても。マーティはひと言も言葉を発さずに絵を描き続けました。



「できた……!」


 そうか細い声で呟くと、マーティは途端に倒れ込んでしまいます。


「マーティ、しっかり、ねえしっかりして」

「ああ……やっときみに会えたね」


 頬を撫でる骨ばった手に、スモーキーピンクの髪を掬い上げられて、アシュリーは初めて変身の術が解けていることに気がつきました。


「そのままでいいよ……」


 どんどん鼓動の弱くなっていくマーティに抱きついて、アシュリーは泣きました。変身が解けてしまっては、彼は自分を選ばないと思ったからです。


「わかっていたんだ……だって、エリーはそんなに赤い瞳をしていないから」

「えっ……」


 スッと、マーティの指差した先のキャンバス。そこにはエリーの姿でも、知らない女性の姿でもなく。アシュリーの姿が描かれていたのです。


「ねぇ、マーティ。それならアシュリーと一緒にいて。死なないで、永遠に絵を描きましょうよ」

「だめだよ」


 どうして? とアシュリーは泣き続けました。

 一緒にいたくないのね、自分は愛してもらえなかったのだと心が痛みました。


「ちがうよ、アシュリー。きみはこんなダメな僕に尽くしてくれた。僕はきみを好ましいと思った僕のままでいたいんだ。かりそめの命で生きながらえてまで、きみに溺れたくはない。ヒトのまま終わりたいんだ」


 ほら、笑っておくれよ。ただおやすみって云うだけさ。


 アシュリーは精いっぱい笑いました。

 その腕の中で、マーティは静かに息を引きとったのです。


 怪物になってでも一緒にいてほしかったドラッグ・ロウ。

 彼女を愛すヒトのままでいたかった男。


 そう——ドラッグ・ロウは。

 幸せと共に在ることができないのだから——。




***



「おかえり、アシュリー」

「パレード、ごめんなさい。わたし……」


 いいんだ、とパレードは帰ってきたばかりのアシュリーを優しく抱きしめました。


「パレード、ニンゲンってなんなのかしら。何が正解なのかしら。ずっと一緒にはいられないものなの」


 ぽろぽろと涙を流すアシュリーの髪を撫で、パレードはその包帯の中で微笑みました。


「ほろ苦い思いをしたね、アシュリー。僕は心配だったんだよ、あんな、だらしない男がもしもアシュリーにずっとくっついてきたらと思うと」

「もう、何よ……」

「だけど、ずっとずっと成長したようだ。彼も……いい男だった」


 何の音もしないパレードの冷たい身体に身を預けて、アシュリーは泣き続けました。


 怪物になってしまったニンゲンは、ドラッグ・ロウを愛したことを忘れてしまう。

 それとも——怪物となってしまったニンゲンを。

 ドラッグ・ロウは煙のように忘れてしまうと。


 そんな伝説もあるのです。


「貴女の娘は、彼のことをずっと忘れないですよ。彼もきっと——」


(それって、ちょっとだけ羨ましいかもしれないなぁ……)


 ずっとこの先もアシュリーを見守っていこう。

 彼女が誰を忘れても、覚えていても。

 そう、パレードは自身の今はない心臓に誓うのでした。

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そのサヨナラに、乾杯を。 すきま讚魚 @Schwalbe343

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