♰Chapter 32:無手の秘書

「はて、私もとは?」

「白々しいわね! 下でグループの仲間同士で戦っているわよ!」


憎々しげに睨み付けるが鷹条はそれを意に介した風もない。

いっそ清々しささえ感じるほどに他人事だ。


「なるほど。確かにお二人からすればそう映るのでしょうね。ですが今はお嬢様の御父上の意を受けてメッセージを届けに来ただけのこと」

「メッセージ?」

「そうですよ。『降伏しろ。邪魔をしてはならない』とのことです」


平然とこちらに手を引くように口上を述べる鷹条。

堂々とした立ち振る舞いに――いや不気味さに東雲は思わず刀を握る手を震わせた。


「はっ! お父様がそんなことを言うわけないじゃない。たとえお父様がそう言ったんだとしても退くわけがないでしょ? 今のあんたもお父様も普通じゃないもの!」

「やれやれ。そんなにも震えているのに……いつも通り、聞き分けのないお嬢様だ。あなたでも構いませんよ、八神くん。お嬢様を止め、こちら側に来ませんか?」


差し伸ばされた右手には敵意の欠片もない。

だが断ればその手に刃が握られることは想像に難くない。


「あなたにとっては今回の件、大した旨味のない話でしょう? 〔幻影〕に入って間もないあなたには組織に尽くす義理はない。かといってお嬢様の私情にこれ以上関わって傷つく理由もないはずだ」


オレが〔幻影〕に帰属した動機。

それは確かに魔法が欲しかったからだ。

人の器に超常の力を満たし、あるいは機械だと思っている自分をより人から遠い存在にしたかったのかもしれない。

過去の罪の刻印は、現在――そして未来において、罪を贖おうとする時間と行動によって薄めていくしかない。

決して消えることはないが、せめてもの償いに捧ぐ物として。


魔法を手に入れた今でも、夜な夜な犯罪者狩りは行っている。

〔幻影〕に帰属するより以前からの自分なりの罪滅ぼし。

〔幻影〕に帰属してからは、水瀬の目を盗みつつ、不定期に。


――魔法という必要な物を手に入れたオレが〔幻影〕、今回に至っては東雲に尽くす意味。


「……よく考えてみればオレが尽くす意味はないな」

「やが、み……っ、あんたもなの……?」


耐え難い裏切りをされたと認識した東雲と提案を受け入れると踏んだ鷹条。

両者に宿る感情は全くの正反対で。


「ならわたしと――」

「だが」


鷹条の声を遮って言葉を紡ぐ。

友愛すら籠ったそれにオレが揺らぐことはない。

取り返しのつかない罪を犯して以来、後にも先にもオレはオレだけを心から信じると決めたから。


「だがお前と、その背後にいる御法川に付くことは絶対にない」

「……なぜですか? あなたはつい先程〔幻影〕にもお嬢様にも尽くす義理などないと言われたばかりではないですか」


まるで意味が分からないと言った感情が見て取れる。


「オレにはやるべきことがある。そのためには東雲朱音という人間も救わなければならない。それに――オレは東雲と約束を交わしたからな」

「八神……」


オレの言葉に東雲がぐしっと目元を拭った気がした。


「……やれやれ。ならわたしを倒してからこの先に行くことですね。生半可な覚悟では死んでしまうかもしれませんよ?」


秘書は恭しく礼をすると同時に一呼吸で距離を詰めて来る。

先手を譲ってくれるほど甘い相手ではない。

狙いは――。


「まずはお嬢様、あなたからです!」

「くぅっ‼」


東雲は咄嗟の反射で受け流そうとするが、刀の方が弾き飛ばされてしまう。

それから容赦なく彼女の腕を掴み、地面に組み伏せ、渾身の足蹴りを叩きこむ。


「――はっ!!?」


床面に亀裂が入るほど強烈な足蹴にされた東雲から血液交じりの唾液が飛び散る。

あり得ないほどの重厚な気配――そして圧力。


「ちっ!」


オレはすぐに鷹条に接近すると背後から心臓を狙い、短刀を突き出す。

彼は流石の反応速度で回避行動に移るが、それは織り込み済み。

二撃目の首筋を狙った斬撃こそが本命だ。


「っ」


確実に致命傷を負わせるはずの攻撃が不可視の波紋に防がれた。

いくら力を入れても見えざる盾を突き通すことはできない。


「――甘いですよ!」


――重い!


相手の回し蹴りを腕で受けるが並々ならないダメージに後退する。

肉も骨も透過して身体中に威力が響いている。

まるで体内で銅鑼でも叩かれているかのような衝撃だ。


「……お前の体術は身体強化の域を超えている」

「それはそうでしょうとも。ただの魔法ではないですから。〔幻影〕という決して表沙汰にできない組織を支える東雲グループの秘書とは、当然並々ならぬ実力者であることが不可欠なのですよ――と」


東雲の不意打ちにも難なく反応し、数歩後退する。


「多少加減したとはいえお嬢様もタフですね」

「あれくらいであたしはやられないわ! あんたが洗脳されたって言うんならそれを叩き伏せてでも解くまでよ!」

「ぜひそうしてみてください!」


東雲は一度オレにアイコンタクトを取る。

それからすぐに雷を迸らせ、鷹条に肉薄する。


「何度も正面ばかりでは味気ないですよ! そうですね――ではこちらを!」


彼女の振り下ろした刀は凄まじい衝撃波と共に爆風を生み出す。

そこからはわずかにも刃先が動かない。

それどころか東雲は刀を手放して後退することとなった。


その原因は背後の窓ガラス――さらにその奥の向かいのビル。

二筋の軌跡が見えたかと思うと床と壁を穿った。


「狙撃――それも二人もなんて悪趣味ね!」


対外結界を解除していた理由は明らかになった。

不意打ちの狙撃を通すために、あえてそうしていたのだ。


「はっはっは! 戦いの基本とは最後に勝ってさえいれば過程は問わないものです。どこまでも卑怯に、狡猾に。ゆめお忘れなきよう」

「ふん、ならこれはどうかしら! ”瞬電舞踏”」


東雲の二本の刀が大きく振るわれる。

それは地上階で見た遠隔斬撃のようで全くの別物。

超高速で放たれた紅雷の斬撃は向かいのビルの一階層をことごとく破壊する。

狙撃手たちにとって唯一の救いは彼女が殺すことを目的にしているのではなく、行動阻害を目的にしていること。

あえて狙撃手がいる階層の一つ上の階層を倒壊させたことで、運がよければ重傷で済むということだ。


「流石に『迅雷』の守護者と言ったところでしょうか。わたしでさえも自分の身を守るだけで精一杯というもの。ですがわたし自身を倒すには決定打に欠けますね!」


再び鷹条と東雲の競り合いにもつれ込む。


「それで、いいのよ……! あたしはあたしの剣技に自信を持ってる! あんたが教えてくれた真っすぐな剣をね!!」


その一言にわずかに目を細めた彼に隙を見たか、東雲の圧力が一段増す。

波紋が不規則に揺らぎ、耐久力の摩耗が見て取れる。


「嬉しい言葉です。ですが」


自身の手が血まみれになるのも構わず、刃先を握る。


「まだ甘い!」


それから刃に直接的に衝撃波を喰らわせ、砕き伏せる。

日本刀は縦の衝撃には強くとも横からの衝撃にはめっぽう弱いという特性を持つ。

それを東雲に近しい鷹条が知らないはずもなかった。


「隙だらけですよ!」


無防備な彼女に渾身の掌底が突きこまれる寸前――


「あたし一人なら、ね!」


音もなく接近していたオレは短刀を鷹条のがら空きの胴体にねじ込む。


「それもお見通しです!」


重い衝撃波が刃の届く手前でオレの動きを封じている。


「ならこいつはどうだ」


片手で隠し持っていた針状の暗器を首筋目掛けて突き出す。

これもまた死角だったが唐突な攻撃にも見事に対応して、空気中に波紋を広げる。


「っ……なかなかいい手ですがわたしの守りは全方位。滅多なことでは破れませんよ」

「そうだな」


オレは両手の武器を即座に捨てるとあらん限りの力を込めて彼を蹴り飛ばす。

当然衝撃波によって相手へのダメージは期待できないが、慣性は働いている。

そして逆側には――。


「これで――終わりよ!!」

「ぐっ!!」


東雲の紅雷を纏った刀がさらなる加速を見せ、一直線に鷹条の腹部を突き抜いた。


「……まさか、八神様ではなくお嬢様の再びの攻撃が本命だったとは……。流石のわたしでも二人分の負荷がかかった状態ではお嬢様の固有魔法は防ぎきれませんよ……」


鷹条は壁面に縫い留められるように力なく寄り掛かっている。


「急所は外してるわ。……少しは目が覚めた?」

「ええ……まあ、わたしは洗脳されているわけではなかったのですが」


その言葉に東雲が硬直した。

それからすごい剣幕で詰め寄る。


「……はあ⁉ それってどういうこと⁉ まさかあんた正気であたしを踏みつけたりしたわけ⁉」

「オレも同意だな。それが本当ならなぜこんなことをした?」


オレも疲労が蓄積している。

しなくてもいい戦いをさせられたのなら非効率極まりない。


「これを見てください」


彼の手に握られていたのは粉砕された小型発信機のようなものだ。

親指の第一関節の大きさしかないそれは、かなり小さい。


「東雲グループ本社の人員と御父上が洗脳らしき魔法を受けているのは確かです。ですがこの通り、わたしは相手の魔法にかかっていない。もちろんかかった振りはしていましたが、念のための保険として監視を付けられていたのです。ただそれも今の戦闘で見事に潰れたようですが」

「つまりはこういうこと? あんたはかかってもいない洗脳魔法を受けたふりして監視の目がなくなるのを待ってたと?」

「さようですよ、お嬢様。わたし一人なら御法川様を撃退することも可能でしたが、気付いたときにはすでに多くの東雲グループ傘下の人間が取り込まれていましたから――⁉」


突き刺さったままの刀を東雲が握る。

それからやや乱暴に引き抜いた。


「痛いですよ、お嬢様……。抜くならこの鷹条めを労わるように」

「ふざけないで、ばかじょう。演技って言ってもあたしに手を出した罪は重いわよ? ……ついでにそこの婚約者に手を出したことも」


ついでとしてでもオレを含めてくれたことは意外だった。


「ははは……これは手厳しい。――御法川様は執務室にいらっしゃいます。御父上の所在については申し訳ございません。ですがまだ生きていることだけは確かです」


東雲グループの本社であることもあり、各階はかなり広い。

その中から彼女の父親を見つけ出すことは困難を極めるだろう。

だが生存が確認できただけでも今は安心材料になる。


「そしてくれぐれも彼の目には注意してください。が常人なら視線を交わしただけで傀儡になり果てるでしょう。いいですか、瞳を合わせてはいけませんよ」


視線を交わすことがトリガーとなる魔法。

だからこそ御法川は両目に布を巻いていたのだろう。


「待って、鷹条。お父様ほど強く守るべきものがなかったってどういう――」


東雲は鷹条の発言の一部を気にしていたようだったが、そんな時間はないようだ。


ちん、とエレベーターの止まる音がした。

オレと東雲が通ってきた昇降路と隣接するもう一本のエレベーターだ。

そして無数の駆ける足音。

上階からかなりの刺客が投入されたようだ。


「いやはやこの老木にもまだ役目がありそうで。ここはわたしに任せてお二人は御父上のもとへ」

「っ……絶対に生き延びなさいよ!」

「ええ、お嬢様――朱音様の御名のもとに――」


決して小さくない傷を負っていた鷹条だが、その背には先程以上の闘気が満ちているようだった。

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