♰Chapter 17:『迅雷』の守護者

「お父様のことを知ってもらうためにあたしのことも教えてあげる。……だからってあんたのことを完全に信用したわけじゃないけどね」


そう言って縁側に腰掛ける。

隣りには盆に載せられた和菓子と緑茶が二人分。

場所を移して、東雲は訥々と話し始めた。


「あたしは元々孤児だったのよ。孤児ってね、施設に入れればそれだけでもすごく恵まれている方なのよ。それで最低限の食事と衣服が貰えればさらに幸せね」


今では〔幻影〕で〔守護者〕としての地位を確立し、私兵すら持つ。

加えて手入れの行き届いた庭園付きの屋敷だ。

そんな東雲の出自が孤児だとは素直に意外だ。


「お前の本当の両親は?」

「あはは、そんなのいるわけないじゃない。おっかしい」


おかしそうに笑ってはいるがどこか苦しそうだ。


「あたしは孤児院に引き取ってもらえた幸せな子。事実そうだったし、そう思ってきた。でもね、十を数える頃には物心も付いていろんなものが見えるようになってきた。小さい頃の多感な時期って周りが気になるでしょ? そんな感じで『絶対に入ってはいけない』って言われてた地下室を開けちゃったのよ。夜は暗いし施設を切り盛りしていたも眠ってるって軽い気持ちでね。そこで何を見て、何を聞いたと思う?」


軽い気持ちで答えればそれだけ東雲の心を傷付ける刃になるだろう。

荒んだ瞳は今までの彼女に見たことがないほど多くの感情がないまぜになっている。


オレの答えが返らないことを気にする素振りもなく言葉が続けられる。


「子供たちに手を出していたのよ。歪んだ欲望を剥き出しにしてね。泣いている友達を前に何もできずにあたしは逃げたわ。だって大人の男に敵うわけがないもの」


わずか十歳で人間の汚い側面を目の当たりにすれば逃亡は当然の選択だ。

むしろ立ち竦まなかっただけ彼女は勇敢だったといえる。


だが手を出されていたのが自身の友達であったならそれだけ罪悪感も大きくなる。


「それでお前はどうなったんだ?」

「地上へ続く階段を上って外までは出られたわ。その日はひどい嵐で涙と雨の違いさえ分からなかった。そんなときに門の手前に人がいて助けを求めたの。でもね、そいつもあいつとグルだったのよ。あたしは捕まって施設の地下に監禁されたわ。虫が這いずり回っていつのものかも分からない渇いた血液が染みついた部屋にね。それから多分一週間くらいは閉じ込められていたと思う。その間に全身は殴られ蹴られのぼろぼろよ。時間感覚なんてとっくの昔に麻痺してたわ」


東雲はそっと腕を捲った。


――熱傷、切傷。

そこには無数の古傷が縦横に刻まれていた。


「これがその時の傷。こんなのが身体中に付いてるわ。長年の魔力を込めた魔石でさえ時間が経った傷跡は消せないのよ。どう? 引いたでしょ」

「引いてない。無理して傷を晒さなくていい」


今の東雲の顔は見るに堪えない。

涙を堪えて無理に笑うことで過去を矮小化しようとしている。


――大したことはない。こんなもの、平気だ。

そんなささやかな強がりで。


彼女が誰に対しても――特に男に対して高圧的な態度を取る原因は、恐らくこの時の経験に基づくものなのだと直感した。


「それであたしはある夜に、売られるはずだった。でもね、両手を拘束されて外に出たとき、雷に打たれたの」

「雷?」

「そうよ。それがきっかけであたしは魔法使いになった。扱い方も分からない魔法を必死に振り回して……気付いたときには一帯が焦土になってたわ。最後に立っていたのはあたしを買う予定だった一人の人間」

「それが今の東雲グループの代表――お前の父親か」

「そういうこと。錯乱してたせいで少し記憶が曖昧だけど『私の娘になれ』ってその一言だけは覚えてる」

「お前に選択肢はなかったんだな。ならお前の父親も『お父様』と呼ぶほど尊敬できる人物じゃないんじゃないか?」


『父』ではなく『義父』。

それも話を聞く限り、東雲の願望――お父様に認められ褒められることと結びつくものはない。

むしろ人買いとして憎んでもおかしくないはずだ。


東雲は過去を一区切りまで話したからか、目を瞑り苦いことをそのまま流し込むように茶を飲んだ。


そして晴れる空を見る東雲が静かに言葉を出した。


「あの人はあたしを育ててくれたわ。愛情があったかどうか、それは分からないけどこうしてあたしの居場所を作ってくれてる。本当の両親に捨てられ裏切られ、施設にも騙された裏切られたあたしに『娘』っていう役割以上の対価を求めることはない。だからお父様を恨むことは何もないわ――ただ」

「ただ?」

「今のあたしには『婚約』の話が持ち上がってるのよ」


オレは思わず口に運んでいた和菓子を落としそうになり、皿で受け止める。

その様子をばっちり見ていた東雲は「一本!」としたり顔をする。


「……婚約。つまりは縁談か。まあ古い慣習ではあるが今もある程度残っているものなのか」


自由だ、平等だ。

こう叫ばれる現代でも前時代的な考え方が残っているらしい。

いわゆる政略結婚の前段階ということだろう。


「まあね。もしかするとそれがあたしの態度とか行動に出てたのかもね。最近探りを入れてきてたでしょ」

「『かもね』どころじゃなく、出てたけどな」


『迅雷』――すなわち最速の二つ名を冠する魔法使いが巻き返せないほどの判断の遅延を起こしたのだ。

それはあの時の彼女が外面と裏腹に内面で冷静さを欠いていたということの表れだ。


「まあなんであれ、よ。あたしは誰かも知らない奴と婚約なんてしたくない。でもお父様があたしの傷を考えて――ううん、『娘』としての役割を期待して婚約者を選んでくれたなら受け入れるべきなのかなとも思うの」

「なるほどな。お前がここまで話したのはオレに今回の婚約の件について知ってもらうためか」


東雲にとってみればオレは偶然にも平常を乱した状態を知られてしまった存在。

下手に探られるくらいなら差し支えない範囲で打ち明けておこうという魂胆なのだろう。


「まあ、そういうことになるかもね。……ていうかこれだけ長く話し込んであんたからはそれだけ?」


不服そうに睨まれる。

彼女の過去や婚約について無神経に何かを言うのも筋違いかと思ったが、逆にほぼ感想を言わなかったことが裏目に出たか。


「オレからはなんとも言えないなことばかりだが……それでも後々に悔いを生まない選択をするのがいいんじゃないか? 父親ではなく東雲朱音という一人の人間がどうしたいか、それが大切だろう」


実際に決断するのは彼女自身。

どの選択肢でも取りうる現段階において、第三者が介入するべきではない。

ましてそれが人ひとりの将来を左右するのならなおさらだ。


「ふぅん。鉄仮面のあんたでもアドバイスらしいことはできるのね?」

「……話し終えた途端にしおらしさが消えたな」

「当然じゃない。いつまでも男のあんたに弱みなんて見せらんないわよ」


つい先程弱みを見せたばかりだが、二度と見せるつもりはないらしい。

両腕で身体を抱くようにしてオレから距離を取るそぶりを見せる。

ただの振りで済んだのはわずかにでも彼女の心境の変化があったからか。


「冗談は置いておいて……うん、やっぱり人に決められた道を歩くのは嫌。好きでもない奴との婚約なんて願い下げね」


そう結論付けると、オレの視線をがっちりと捉えて。

その瞬間に賭けで得た権利を彼女が使うことを察してしまい。


「八神、やっぱりあんたの力が必要よ」

「ああ、それが賭けの約束だからな。与えられた役割はまっとうして見せよう」


東雲朱音を形成する高圧的な態度。

背景には凄惨と言えるものがあった。

辛い過去があったからこそ、人と関わることが怖いのだ。

もちろん、過去の一側面だけを聞いて彼女のすべてを知った気になってはならない。

そして彼女の過去と地続きの婚約の件。


「まるでハリネズミのジレンマだな」


オレの言葉は解けて消えた。

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