✞第1章

♰Chapter 1:初めての青春

入学からひと月余りが経過した五月の初旬。

桜がその一片さえも舞い終え、生命力に溢れる新緑が芽吹くようになってきた。

肌寒さも鳴りを潜め、なかにはワイシャツの袖を捲っている生徒もちらほら。


そういえば今朝の天気情報サイトでは今年の梅雨が一足早く訪れると予測されていた。

昨夜の大雨と雷はその先駆けだろう。


「きみきみ~! 部活動はもう決まった? サッカー部に興味はないかい?」

「ちょっと待ったぁ! わたしたちと一緒に音楽を楽しもうよ!」

「いやいや――」


路面の水溜まりが陽光を反射するなか、高校の敷地に入った途端に威勢のいい声が掛けられる。

向けられる笑顔、笑顔、笑顔。


青春ものの小説で読んだことがある。

この時期に最大の盛り上がりを見せる熾烈な争い。


――部活動の新人獲得戦だ。


凪ヶ丘なぎがおか高等学校では四月の入学式が終わった日の翌平日から勧誘が解禁されるとともに、多くの上級生がチラシやらポスターやらを配り続けている。

五月に入ってもその勢いは衰えないどころか、終盤にきて過熱している印象だ。

何が何でも新入部員を獲得したいという意気込みがひしひしと伝わってくる。


――苦手だな。


八神やがみくんはどこかに入りたいと思う?」


そんな状況下にあって隣を歩く水瀬みなせが問い掛けてきた。


ちなみにここひと月くらいは彼女との距離感を測りながら付き合ってきたので、オレが『友達』の一人に過ぎないと多くの生徒が認識している。

四月の中旬くらいまでは距離感に波があったため「付き合っているのか?」「幼馴染なのか?」としつこく聞かれたものだ。


鴉の濡れ羽色とでも言うべき腰まで伸びる髪。

蒼穹を閉じ込めたような深い青瞳。

通った鼻に、淡く桃色を宿す薄い唇。

傷一つのない白磁の肌。

そして纏う雰囲気は憂い気と来る。


およそ水瀬には『理想の少女』としての特徴が詰め込まれている。

天は二物を与えずと言うが、それは果たして。


それが今では時折一緒に登下校しても野次馬はいない。

オレはそれに清々しさを覚えつつ、水瀬に言葉を返す。


「それ以前に入ったら支障が出るだろう」


なに、とは言わない。

勧誘の声が騒々しいとはいえ、誰がどこで聞いているかは分からない。

たとえ『魔法使い』なんて言葉を聞いても真に受ける学生はいないだろうが。


だが水瀬はあっさりと首を横に振った。


「いいえ、八神くん。今の私たちの立場は?」

「……高校生?」


質問の意図が読めず、語尾に疑問符を付ける。

それがおかしかったのか、彼女は小さく微笑んだ。


「正解。なら高校生にとって一番大切なことは?」

「学業」


これは単純明快だとばかりに即答する。

だがそれは呆気なく不正解とされる。


「残念ね。高校生にとって最も大切なことは今この時にしかできないことをやる、よ」


学生の本分は学ぶこと。

そう解釈していたオレにとっては新鮮な見方だ。


納得いくかどうかは別にして、大人しく頷くオレに水瀬は再び視線を送ってくる。

できるのならうやむやにしたかったのだがそれは無理そうだ。

早々に白旗を上げ、先程の問いに答える。


「……結論から言えばオレに入りたい部活はない」


それを聞くと彼女は予想通りの回答だとばかりに悪戯な光を瞳に宿す。


「大体そんなところだと思っていたわよ。そこで提案なんだけど――」


一呼吸の間。

この間はオレに覚悟を決めさせるための時間であるのと同時に、水瀬にとっては楽しむ時間でもあったのだろう。

残念ながら目前で――それも唐突に人が死ぬことでもない限り、オレに大した表情の変化はないのだが。


「私と一緒に新しい部活を創ってみない?」


大きな驚きこそなかったが、予想外の一手を明かされた。

部活に誘ってくる可能性は考えていたが、まさか既存の部活ではなく新しい部活を立ち上げようとするとは。

確か部費割の都合上、先輩からいい顔はされないだろう。

場合によっては直接文句を言われるかもしれない。


「面倒事は嫌いだが……どんな部活を考えているんだ?」


水瀬は昇降口を抜け、教室へと向かう階段の踊り場で足を止める。

必然的にオレも止まらざるを得なくなる。


「聞きたい?」

「オレを巻きこもうとするなら聞かないとな」


彼女はいつになく自信を満たして、はっきりと言ってのける。


ねこ手部てぶ!」


普段から上品で陰のある佇まいが、今は影も形もない。

無邪気な子供がお気に入りの玩具を「すごいでしょ!」と胸を張って自慢する状況に似ている。


「それは何をするんだ……?」


字面からして猫との触れ合いか。

それとも手伝う方の意味か。


「名前の通り、困っている人がいたら助けるという意味よ。それは学校という枠を超えて学外でもね。いわゆる対価を貰わない万事屋――慈善活動として捉えてもらっても構わないわ」

「却下」

「……なぜ?」


オレのコンマ数秒レベルの否定に疑問の表情を浮かべる水瀬。


「全ての学校は生徒を健全に成長させるという点を根幹に据えているが、それでも叶えられない要望というものもある。お前の提案するその活動は一見すると聞こえはいいが、実質何でもありの遊興部と捉えられかねない。学校側から拒否されるのが道理だと思うが」


それを聞いた彼女は一転して余裕のある態度を取る。


「これを見てほしいの」


手渡されたのは彼女の鞄から取り出された一枚の紙だ。

そこには要約するとこう書いてあった。


『水瀬優香および八神零の両名の活動への意欲を認め、部活動の新設を許可したい。ただし条件として、約三週間後の中間試験にて両名共に学年十位以内の成績を修めること』


あとはこれが特例であることなどがつらつらと記されていた。


「……どんな裏技を使ったんだ?」

「ふふ、秘密。退路は断ったんだから全力を尽くしてね」


不明な点も多いがここは折れるしかなさそうだ。

仮に水瀬が言葉巧みに説得してきたのなら条件を達成できなかった場合の学校側からの心象は良くないだろう。


「ここまで話が進んでいる以上、善処しよう」


――上手く丸め込まれている。

そうは思いつつも、密かに胸がざわつく気配を感じ取る。

これが何を暗示しているのかは分からない。


ただ一つ言えること。

オレにとっての初めての青春が始まろうとしていた。

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