第4話 子爵令嬢シャロン、パニックになる。


 ディアナの視線の先では、虹を塗りこめたような黒髪と、ピンクブロンドの髪とが時折そよ風に揺れ、そして二人が談笑する度にも揺れる姿があります。エドワード王子の片手の上にフェリア嬢の両手が包むように置かれていて、二人の翠と蒼の視線がお互いを捉えて離さないかのようです。

 こちらとは割と距離があるとは言え、あれだけお互いしか見ていないのであればディアナ達に気づくこともないでしょう。


(わかってはいたけれど……)


 ディアナはそっと下唇を噛みます。


「最近の姫様のご機嫌は……麗しいわけないよな?」


 アレスが視線はテラスに向けたまま言います。普段は割と直情的に物を言う彼にしては、湾曲した聞き方です。しかし心配するような口調だったので、ディアナもテラスの方を向いたまま返します。


「そうですわね。困ったものです」


「困ってるのかあ。誰に? 何に?」


(戻るの早ッ……いですわ!)


 いつも通りの直情的な聞き方に戻ってしまったアレスに内心ツッコミつつ、どう返答しようかと迷うディアナ。

 彼との対話はいちいち言葉の裏を読まなくて済むのは楽なのですが、こちらも明け透けに応えて良いものでしょうか。ここは学園の廊下。誰がこっそり聞いているかもわかりません。


「おわかりでしょう?……でもあの方のお心次第です。ワタクシが背くことなどできませんわ」


 ディアナは王子がフェリアに夢中になっている事と、婚約破棄を持ち出しては中止する事の二つについて匂わせたのですが、果たしてアレスには正しく伝わったか自信が無い状態です。

 すると突然アレスはこちらに数歩近寄り、ポツリとディアナにしか聞こえないくらいの小さな声で呟きました。


「なぁ。本当はエドとの婚約を破棄したいのは姫様の方なんじゃないの?」


「……はあ?」


 彼の普段の銅鑼声とのギャップと、予想だにしなかった言葉に、思わず目を見張るディアナ。彼女の完璧な外面が僅かにぽろりと剥げて本音の声が出てしまいました。

 次の瞬間、あわてて無表情に戻しますが時既に遅し。アレスは一瞬驚いたような顔をした後、ニカッと笑いました。


「お嬢様!」


 そこへ廊下の向こうからカレンが滑るように素早く近づいてきます。もう少しで彼らの近くまで、という時。十字路の角で……


「キャッ」


 横から来た女生徒が、カレンが音もなく現れたのにビックリしたのか手に持った書類を取り落としてしまいます。バサリと音を立てて落ちた紙の束は床に落ちた衝撃で辺りに撒き散らされてしまいました。


「これは大変失礼致しました。申し訳ありません」


「いいえ、私が勝手に驚いただけなので……あっ!!」


 床に散らばった紙を拾う為に屈んだカレンに、同じく屈んで恥ずかしそうに笑みを返した女生徒が、相手がカレンだとわかった途端に顔を強ばらせます。

 そのままくるりと見回した先にディアナがいるのを認め、一気に顔色を失いました。


「……あ……」


「「「?」」」


 カレンは不思議そうにしながらも書類を拾う手を動かします。ディアナもその様子を不思議に思いつつ、拾うのはカレンに怒られそうなので立ったまま動かずにいました。

 その横でアレスが足元まで滑ってきた一枚を手に取ります。ディアナもつい横目で彼の手元にある書面をチラリと見てしまいました。そこには『王子と凍える赤薔薇姫』の文字が。


「――――――これは」


「ああああ!! 申し訳ございません!! 申し訳ございません!! ディアナ様、どうかお許し下さい!!!!」


「「「???」」」


 青い顔で突然大声を出す女生徒に、びっくりするも態度には出さないディアナとカレンの二人と、びっくりして口をポカンとあけるアレス。

 この学園に居ると言うことは貴族階級の筈(カレンは学園に通うため裏で遠縁の子爵家の養女になっています)なのに、その女性が人前でこんなに大声を出すなんてただ事ではありません。


「罪深いとわかっていたのですがどうしても筆が止まらず……二度とこんなことは致しません!! お許しください!!!」


 冷たい表情で仁王立ちの(本当は呆然として立ち尽くしているのですが)ディアナを見上げながら廊下にひざまづき、最早謝っているのか泣きわめいているのかわからない程の大声で泣き叫ぶ女生徒。

 その大声とただならぬ様子に、なんだなんだと物見高い生徒が遠巻きに眺めるように廊下に集まってきました。


(……もしかしてこの状況、ワタクシが彼女を苛めているように見えるのでは? 完全に悪役令嬢の立ち位置に立っている気がします。でも、そもそもこの女生徒とは一切の面識が無いように思うのですけれど)


「……あの、貴女は?」


「ひっ、あ、あああの、シャロンと申します。ソーサーク子爵家の次女でございまままま」


 ガタガタと震えながら話すシャロン。なぜそんなに怯えているのかわからないディアナは、できるだけ笑顔(しかし普段が無表情気味なので口の端が歪む程度)で話しかけます。


「これ、貴女がお書きになった文章ですか?」


「はっははははいいいい!!! 申し訳ございませんんん!!! ここここれは私が一人で勝手に隠れて書いたものです。ちっ父はかかか関係ない事ですので、どどどどうか、罰をお与えになるならわわわ私だけでお願い致します!!!!」


 ますますシャロンは怯え泣いています。もう土下座せんばかりの勢いです。遠巻きに見る生徒の数も増えてきました。


(罰とは???……どうしましょう。この騒ぎを中庭の向こうにいる殿下に気づかれたら……)


 カレンは集めた書面をパラパラと見ながら難しい顔をしています。アレスはびっくりしたまま頭の上に「?」の疑問符が浮いたような表情です。ディアナは焦ってこう言いました。


「あの、謝らなくて結構ですから、これ、全部読ませていただいても?」


「は、はひっ?……どう(して)っ…………」


 シャロンはそこまで言って、白目を向いて倒れてしまいました。

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