氷室先輩

 結論から言うと、ボクは彼女の事が好きではないし、そもそも存在を知らなかった。


「え、っと。氷室、先輩。好きです」

「はぁ?」


 階段の踊り場で、ボクは告白した。

 わざわざ二年生の教室にまで行き、他の先輩に氷室先輩を呼んでもらったのだ。


 高校一年生が、二年生の教室に行くのは、かなり度胸がいる。

 ボクの場合、クラスの男子に半ば脅される形で、謎の罰ゲームを受けさせられていた。


 何のゲームもしていないのに。勝ち負けもないのに。

 罰ゲームだけを受けさせられ、氷室先輩を階段の踊り場に呼び出したのだ。


「君の名前、聞いてないけど」

「……山川やまかわ……リクです」


 山川リク。

 自然豊かな名前が、ボクのフルネームである。

 氷室先輩は、ボクが名乗ると黙って見下ろしてきた。


 存在すら知らなかった先輩。

 初めて見た印象は、どこまでも冷たい雰囲気だった。

 特徴と言えば、ナイフのように鋭い目つき。

 セミショートの髪をしていて、前髪は七三分け。片側に寄せている。

 前髪の隙間から、逆八の字になった眉の形が見えていた。


 見れば見るほど、高圧的な先輩だった。


 クラスの男子は、「美人な先輩」と言っていたが、ボクには美人以前に、氷の女王にしか見えない。


 小柄なボクより、氷室先輩は身長が高かった。

 俯かなくても、真っ直ぐ見ているだけで、先輩の顔は見えない。

 けれど、視線は感じた。


「……好きだから、なに?」


 先輩は腕を組んで、冷たく言い放つ。

 夏場だというのに、体の芯は冷え切っていた。


「……その」


 好き、という言葉を言う以外に考えていない。

 だって、好きではないのだから。

 ボクが先輩に対して言った「好き」は、極めて事務的なものだ。

 罰ゲームを早く終わらせるために、さっさと言って済ませたかった。


 先輩の機嫌が悪いのだって、納得はいく。

 いきなり、ボクのような見知らぬ下級生に告白されたって、意味が分からない。喋った事だってない。


「言葉にしてくれないと、分からないんだけど」


 先輩の機嫌は、段々と悪くなっていく。

 ふと、先輩が手に持っているペットボトルが目についた。

 自販機から買ったやつか。


 自販機に同じラベルの物が売っていたので、そうなのかなと思った。

 ボクが黙っていると、先輩はペットボトルのふたを開けた。


「え……」


 ばちゃっ。――いきなりの事で、驚いた。


 先輩は蓋を開けるなり、突然中身を掛けてきたのだ。

 不意打ちを食らったボクは、ボトルに入っていた水を顔に被り、後ずさる。


「わ、っぷ」

「ワタシのこと、……好きなのよね」


 ばちゃっ。ばちゃっ。

 偶然掛かったわけではない。

 氷室先輩は、何度もペットボトルを振り、ボクの顔に水を掛けてくる。


 両手で顔を覆い、とにかく水を浴びないようにした。

 覚悟していたけど、怒られた恐怖で体が固まってしまい、壁にもたれ掛かる。

 そのまま、ズルズルと滑り落ち、顔を上げた。


「……ふ~ん」


 先輩と目が合う。

 気のせいだろうか。


 氷室先輩は、笑っているように見えた。

 踊り場の高い位置にある小窓から、日光が差し込んでおり、白い光が人形のように整った顔を照らしていた。


 片目と鼻、口に光は当たっており、釣り上がった口角が見えたのだ。


 周囲にとって、美人と名高いであろう氷室先輩。

 ボクの目には、後光の差したに見えた。


「返事。待ってくれる?」

「え、あ、えと」

「少し考えたいの」


 鋭い目つきが、階段の上を向いた。


「やべっ」


 手すりに隠れて見ていた男子達の声が聞こえる。

 ボクがフラれる所を高みの見物していたのだろう。

 先輩は気づいていたみたいで、しばらく階段の上を睨んでいた。


 そして、階段の上から目を離さずに、ペットボトルをボクの頭上で傾けた。


 ばちゃばちゃっ。


「うわ!」


 全部浴びてしまったボクのシャツはもちろん。ズボンまでびしょ濡れ。

 手に持っていたペットボトルをボクに放り投げると、先輩は言った。


「片づけておいて」


 そう言い、踊り場から立ち去った。

 足音が遠ざかると同時に、見ていた男子達が顔を出す。

 姿が見えない事を確認し、「やっば」と笑っていた。


 ボクは濡れたシャツと睨めっこをするのだった。

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