契約結婚は美味しいものですか?

悠月 星花

契約結婚は美味しいものですか?

「冬はお鍋に限るぅー、体の芯まであったまるわぁ」

「まぁた、そんな食べて! 食べるの好きなのは構わないけど、もう少し考えなさい。そろそろ、いい年なんだから!」


 私を叱る母を寝転びながら見つめる。こたつみかんならぬ、こたつ鍋。最後の〆の雑炊を全て平らげたあと、床にゴロンと転がっていた。


「いいじゃん! 私の稼ぎで私が食べたいものを作って残さず食べる! これ以上、最高なこと、どこにあるのぉ?」

「……あのねぇ? もう28歳にもなって、そんなに食べてばっかりいて、横に膨らぐ一方じゃない! 従妹のミホちゃんは、結婚したって聞いたのに、どうするの?」

「あぁ、せっかく幸せな気持ちだったのに! もう、聞きたくない! 私、一生独身でいいから、自由に生きるの」


 母のため息を聞きながら向きを変える。確かに少し幅をとるようになって、こたつで向きを変えるだけでも大変になった。洗い物をしてくれる母の背中を見ていると、だんだん景色がぼんやりしてくる。母のお小言も続いていたが、聞こえなくなってきた。


 ……眠いのかな?


 私は何も逆らわずに目を閉じた。



「あの、大丈夫ですか?」

「……もう少しだけ寝かせて」

「でも、雪の降る中で眠ってしまっては……」

「こたつの中だから、あったか……さっぶぅぅぅ! お母さん、こたつの電気切った?」


 ガタガタと震えながら、飛び起きたら目の前で私に話しかけてきた女の子で頭をガチンと打ってしまった。


「ったぁ……」

「……」


 涙目の目をあけると白銀の世界に一人の女の子が、鼻のあたりを抑えて俯いている。私の頭と衝突したらしい。寒さに震えながら「大丈夫?」と問えば、涙声で「……はい」と答え、こちらを見つめてくる。

 私は彼女の身なりを見て、どこかのテーマパークにでもきたのではないかと思った。見たこともないドレスにお姫様だと言われても頷けるほどの容姿。スカイブルーの瞳はとても綺麗だった。


「あの、私……家でこたつに入ってぬくぬくしてたと思うんです! ここはどこですか? あなたは誰ですか?」

「申し遅れました、私、ミーシャ・ナフヌマ。シエナムチ国ナフヌマ伯爵の娘です」

「これはご丁寧に。私、食道楽子と申します。……シエナムチなんて国、聞いたことないなぁ? それにしても、テーマパークにしては凝った演出ですね?」

「テーマパークとはなんのことでございましょう?」


 キョトンとしているミーシャ。そういう設定なのだと、私は頷く。


「こちらのことだから。それより……お腹が空いたのだけど……」

「そうですか。私、今、何も持っていなくて……」


 悲しそうな表情のミーシャ。そんなつもりはなかったのだが、ものすごくお腹がすいている。立ち上がろうとしたとき、足に力が入らず、フラッとして倒れかける。「大丈夫ですか?」とミーシャが聞いてくれるので、「大丈夫」だと答えようとしたが、目が回りうまく答えられなかった。


「もう少ししたら、私を迎えに来るものがいるので、それまで頑張れますか?」


 力なく頷くと、「頑張ってください!」とミーシャが手を握って声をかけてくれる。子どもに助けられるなんて……と情けない気持ちになった。


 ……貧血よね? こんなこと、初めて。


 ふくよかな体の私は、栄養過多であっても決して栄養が足りないということはない。食べることが好きで、調理師の免許まで持っているのだから。回らないあたまでおかしいなと思っていたころ、「お嬢様!」とミーシャを呼ぶ声が聞こえてきて、その女性に事情を話している。温かい背中におぶさったところで、意識が飛んでいった。



 目を覚ますと、そこは見たことがないほど豪奢なベッドだった。私はゆっくり起き上がる。さっきより、眩暈はよくなった気がするが、それでも貧血なのはわかる。


「起きられましたか?」

「……ミーシャ?」

「はい。何か食べ物を持ってこさせますね?」


 私は頷ずいた。ミーシャが微笑むので「何故か」と問うと、「私とそっくりで驚きましたわ」という。


 ……このお人形のようなミーシャとそっくり? そんなことはない。私はだんだん腹があって……?


 触ったところに、それらしい脂肪の塊がない! 


 えっ? ない?


 私は、布団を捲って自分の体を見た。体はやせ細り、枝のようだ。


「……私、私じゃない? こっこっこっ、ここってテーマパークじゃないってこと?」

「さきほどもおっしゃっていましたが、テーマパークとはなんですか?」


 興味ありげに見てくるミーシャには悪いが、まず、自分を確認したい。部屋を身わせば、そこに鏡台があった。フラフラする体をミーシャが支えてくれて、ベッドから降りる。


「どうかされましたか?」

「鏡をみたくて」

「わかりました。向かいましょう」


 私はミーシャに支えてもらい、そっと歩く。毛足の長い絨毯に裸足の足が沈んでいく。鏡の前にミーシャと並んで驚いた。鏡には、同じ顔をした女の子二人が並んでいる。ただ、一人はお嬢様、もう一人は乞食のようである。


「ほら、見てください。私たち、そっくりなのです。驚いたでしょ?」


 鏡の中のミーシャは優しそう笑う。私は驚愕して笑顔を忘れてしまった。


 ……うそでしょ? 私じゃない。誰? この鏡に映っているのは、一体誰なの?


「お嬢様、消化によいスープをお持ちしました。あと、こちら、お薬です」

「ありがとう。じゃあ、温かいうちにいただきましょう」


 私が私でないことに驚きながら、促されるようにベッドへ戻り、用意してくれたスープを食べ始める。ただ、何日も食べていないような体には、それすらきつく、途中で吐いてしまう。


「大丈夫ですか?」

「……えぇ、少し、胃が驚いてしまっただけだから」

「そう。それなら、無理せずゆっくりしてちょうだい。お薬は飲めそう?」

「何の薬?」

「栄養剤のようなものね。害はないから、ゆっくり飲んで」

「……もう少し眠っても?」


 薬には手を付けず、ミーシャに聞くと眠るようにと布団をかけてくれる。私は、ミーシャに「ありがとう」と言って目を瞑った。気配が消え、部屋からミーシャが出て行ったのを確認してから、さっきの事実を再度確認するために、もう一度鏡の前に立った。


 ◇


「本当によく似ているわ。もう少し、肉がつけば……瓜二つ。血縁者とか? そんなわけ。でも、どうして私が?」


 フラフラする頭を抱えながらベッドへ戻り、怪しい薬を見つめた。飲まない決意をして、食べられなかったスープをもう一度試してみる。ゆっくり時間をかければ食べられそうなので、冷たくなったスープを最後まで食べた。お腹に食べ物が入ったことで眠気がきたが、先にこの怪しげな薬を処分しておいた方がいい。近場にあった花瓶へこそっと捨てると、そのまま夜まで眠った。



 目を覚ますと昼間だった。あれから一昼夜眠っていたらしい。

 痛い体をのそのそと動かすと、質の良さそうなパジャマを着ている。


 ……ボロを着ていたと思うのだけど?


 ツルツルのパジャマの袖を捲ってみる。やっぱり、枯れ枝のような腕に見覚えはなく、何とも言えない気持ちになった。

 しばらく、ベッドの上で体を動かしていたのだが、幾分か調子がよかった。サイドテーブルを見れば、そこには朝食なのか、置いてある。もちろん、怪しげな薬も。

 先に薬を花瓶へ捨てに行き、冷たくなったパンやスープを食べ始めた。


「ん! まっずい! 何これ!」


 昨日食べたときは、空腹すぎて、味わって食べる余裕はなかったので気が付かなかったが、スープは野菜の旨みもなければ塩気もなく、水に野菜が浮かんでいるだけだった。


「見た感じ、素材はいいものらしいけど……これは、耐えられない!」


 それでも目の前に置かれている食べ物は粗末にできないと、口に運んでいった。お腹は満たされたが、気持ちは満たされない。なんとも言えない気持ちだ。

 コンコンっとノックの音と共にミーシャの声が聞こえてきた。「どうぞ」と声をかければ、ミーシャとその後ろにイケオジ……たぶん、ミーシャの父親なのだろう優しく微笑んでいる男性が立っていた。二人して部屋に入り、私の側へよってくる。人のよさそうなイケオジは、ベッドの側の椅子に座る。ミーシャは私の使っているベッドに腰掛けた。


「ミーシャが連れ帰ってきたときはどうなるかと心配したけど、幾分か顔色も良くなったね?」

「……おかげさまで」

「あぁ、自己紹介がまだだったね。私の名前はウレール。ミーシャの父親でこの領地の領主だ」

「……初めまして……えっと」

「名前は確か……」


 そう、名乗ったのは覚えている。個々がテーマパークだと思っていたから。でも、異世界なら話は別だ。ここに馴染む名前でないと、きっと……いろいろと難しいだろう。


「……あの、すみませんが、先日は空腹で頭が混乱していて変なことをミーシャに言ってしまったのですが、えっと……その……私、記憶喪失で、その……自分の名前も覚えていません」

「それは大変だ! すぐに医者に見せないと」

「いえ、それには及びません。あの、美味しい料理をありがとうございます。それで、その、そろそろお暇させていただこうかと思っているのですが……」


 私は一刻も早くこの屋敷を立ち去った方がいいように思っていた。確かに優しくミーシャや侍従たちは扱ってくれるが、それ以上になんとも言えない不安があった。


「それには及ばないよ。ミーシャ、ちょっと席を外してくれるかい?」


 ウレールに言われ、ミーシャは部屋から出ていく。優しい表情を崩すことはなく、ウレールは私をジッと見つめてきた。何を言い出されても逃げる準備はしておかないといけないと構えた。


「そう身を固くしないでくれ。君は平民なんだろう?」

「……そうでしょうね? 身なりからすれば、そうだと思います」

「それなら、話しは早い。うちの養女になりなさい。ミーシャも懐いていることだし……それに」


 何か考えがあるような鋭い眼光を私は見逃さなかった。優しい表情は、私を懐柔するためだろう。ただ、よくよく考えれば、行く宛てもない私。ここに住まわせてくれるなら、ラッキーだと思う。ただし、何か条件があるようなのはわかるので、こちらから聞くことにした。


 ……主導権はウレールに握らせてはいけない。


「何か条件があるのですよね?」

「聡い子だね? そう、条件がある」

「その条件次第で考えますけど?」

「そうか。では話そう。私たちの娘であるミーシャは一人娘でね。夫婦共々、とても愛しているんだ。ただね、最近、盗賊にミーシャが襲われる事件があった」


 眉尻を下げて、安堵したような表情を見せるウレールに頷いた。話を促せば、その盗賊から救った人物がいるそうだ。その人物は、この国でも有名な豪商。その息子にミーシャを嫁がせてほしいという話だった。


「なるほど。そういうことですか。ミーシャの代わりに私を差し出すと?」

「悪い話ではないと思う。貴族の娘としての教育、嫁入りの一切合切の費用は全てこちらが持とう」


 ふむ……と考える。まず、この上から言われるのが、嫌っていた上司のようで腹が立つ。ただ、私は、衣食住を確保できるうえに、念願の結婚までできるということだ。それなら、条件的にいいのではないか……と思えた。


「そうですね。いいですよと言いたいところですが、条件が」

「浅ましい」


 ウレールが呟いたその言葉にニコッと笑いかけ黙らせる。ほら、早く条件を聞きなさいよと言わんばかりにさらに小首を傾げてみた。呆れた様子でウレールは条件を促してきた。


「ここは離れか何かですか?」

「そうだが……それが気に入らないと?」

「いいえ、そうではありません。この離れを私が自由に使うことは出来ますか?」

「……まぁ、養女となるなら」

「わかりました。あと、料理は離宮で作っているのですか?」

「料理?」

「えぇ、料理です」


 少し考えながら、侍従のするようなことは知らないというふうだ。正直、このやり取りはどうでもいい。私の要望を聞いてくれたら、婚約でも結婚でも、相手が貴族だろうと豪商だろうと、どうでもいい。


「……確か、本宅からだが、それが何か?」

「それなら、材料だけこちらのキッチンへ分けてください。あと調味料や調理器具一式。侍女は必要ありません。監視人はいなくても逃げませんし、その豪商の息子と結婚ですか?」

「あ、あぁ……」

「早々にまとめてくださって結構です。あっ、そのときに、私に料理ができる家を1つ与えるようにと命令か何かしておいてくださいね? それともウレール様がご用意してくださいますか? 婚礼費用の一部として」

「なっ、」

「ここの食べ物、まずくて食べられません!」


 私の言い分に眉根を寄せて、「意味がわからん!」とウレールは呟いた。その条件ならのむと言えば、渋々了承をしてくれ、私に新しい名をつけてくれる。


「今日からダフネだ。侍女はいらんと言っていたが、貴族のしきたりを学ぶには必要となる。それだけは受け付けない。そのまま、嫁ぎ先についていく」

「それなら、私をたててくれるような人材でお願いします。明らかに私を蔑むような侍女は必要ありません。もし、そういう人を寄こすようなら、片っ端から追い出しますから!」


 ニコニコと笑うと、口の端を引きつらせているウレールが「わかった」と了承してくれた。

 かくして、私は伯爵の養女となり、1ヶ月後、豪商の息子との婚約をすることになった。



「ダフネお嬢様! まだ、こんな場所に!」


 侍女のドリアがキッチンにいる私を見て叱ってくる。あれから1ヶ月が経ち、今日は豪商の息子とのお見合いの日だ。

 お見合いと言っても、既に決まっている婚約の顔合わせ……それが正しい。


「契約結婚っていうヤツよね?」

「お嬢様、早く着替えてください! 先方がもうすぐ到着されます!」


 私は促されるように私室に行き、今日のために用意されたドレスに着替えた。なれないコルセットをぎゅうぎゅうに締め付けられ苦しい。


 ……これじゃあ、ご飯を食べられないじゃない。


 お腹を抑え、ドリアを鏡越しに睨む。そのドリアと言えば、私を着飾ることに忙しく見てもくれない。

 おもてなしは、ミーシャのいる本宅ではなく離宮ですることになった。食事等の準備を養父が申し出てくれたが、私は笑顔で断った。

 キッチンに立つのは、この国の料理長ではなく私。美味しい料理をこの1ヶ月食べたことで、体も栄養状態もすっかり良くなり、理想的な私に戻った。


「料理の搬送はお願いするわ!」


 綺麗に化けさせられた私は応接室へ向かう。しばらく待っていると、馬車が停まる音がした。いよいよお見合いだ。

 養父が最初の対応はしてくれることになっているので、廊下から談笑しながら近づいてくるのがわかる。


 ……少し緊張するわ。どうしましょう? ブ男だったら。まぁ、それでも、仕方がないわね。受けてしまった限り、全うするわ。


 養父が先導して、応接室へ入ってくる。その隣で談笑している男性は、想像以上にかっこよかったが、それよりもさらに後ろにいる男性の方に目がいった。着ているものは、それほどいいものではないが、気品が違うのだ。


「ダフネ、こちらが豪商の息子でバラク様だ。バラク様、こちらが娘のダフネです」


 養父が紹介してくれるので、スカートをつまみ挨拶をする。


「遠いところ、ようこそおいでくださいました。私、ナフヌマ伯爵の娘、ダフネと申します。どうぞ、食事を用意しておりますので、おかけください」


 ニッコリ笑いかけ、養父が紹介したバラクではなく、その後ろで私をジッと見ている男性に話しかけた。真面目な顔をしていたその青年は、ふっと笑う。養父は私が目の前のバラクではなく、後ろにいる侍従に対して挨拶をした私を叱ろうと近寄ってきたとき、大袈裟に笑い始める。本物のバラクが、おもしろそうにこちらを見ながら。


「……バラク様、やはり貴族に対して、失礼ではないですか?」

「そうかな? 娘の方は気が付いたぞ?」


 偽物が慌てているにも関わらず、本物は満足しているようで私の前まで近寄ってくる。養父が慌てて私に近づくが私はそれを制した。


「何故わかった?」

「何故? それを聞きますか? 存在感を隠す気もないあなたをどうすれば見間違うのですか?」

「……ダフネ、どういうことだ?」

「お父様、この方がバラク様です。今までお父様が話をしていた方は、バラク様の従者の方でしょう?」


 挑戦的に見上げると、「そうだ」と悪びれることなくバラクは頷いた。養父は騙されていたことがショックなようで、口を開けたり閉じたりして何も言えずにいた。

 貴族の娘に興味はないというふうなバラクは、この婚約の辞退を申し出にきたのだろうが、逆に気に入ったと顔に書いてある。


「立ち話ではあれなので、どうぞおかけになってください。食事を用意しています」

「食事な……こちらのものは、口に合わない。結構だ」

「そういわないでください。朝から用意したのです。一口だけでも、食べていただけませんか?」


「どうぞ」と席にかけるよう促すと、仕方がないと座ってくれる。ドリアに視線を移し頷くと、早速、料理を出してくれた。養父の分も用意していたので三人で食卓を囲む。すべての料理に口をつける前に私が先に食べることになるが、別に問題ない。


「いただいきます!」と元気よく手を合わせて、フォークに手を伸ばした。前菜、スープ、副菜、メインと次々と運ばれてくるそれらは、まず、目を惹くだろう。色鮮やかな料理を見たことがないのか、「……ほう」とバラクが感心した。


「おいしい! 私……やっぱり、料理の天才だわ!」


 思わず、いつものように食事を楽しんでしまったので、こちらを見て目を丸くしている養父とバラクに「おいしいですから、冷めないうちに召し上がってください!」というと、それぞれ手にフォークとナイフを持って口に運んでいる。

 私は二人の様子をジッと見つめていた。どんな反応があるのかわからない。初めてドリア以外に振る舞う私の料理は、この二人に受け入れられるのだろうか? と緊張する。


「……こんなうまいもの、初めて食べた」

「…………ダフネ、これは一体?」

「私が作ったフルコースです。おいいしいですか?」

「あぁ、うまいっ! これをダフネ様が作られたと?」

「えぇ、そうです。おかわりもありますから、バラク様、好きなだけお食べください!」


 次から次へと空になる皿。よっぽど口にあったようで、バラクは三人前をペロッと食べてしまった。


「あぁ、親父殿が決めてきた貴族との結婚。正直、乗り気ではなく断るつもりだったが、こんなにうまいものが食べられるなら……この契約結婚は是だ」

「バラク様! よろしいのですか? 料理で決めてしまうだなんて」

「あぁ、いい。この料理を食べてみろ。もちろん、毎日、この料理を食べられる……そう思っていいのだな?」

「バラク様には専属の料理長がいらっしゃるのでは?」

「……いるにはいるが、料理長以上のものを作るダフネ様がいるのに、料理人を雇うのはバカのすることだ」

「……あんまり嬉しくありません。私は家政婦ではありませんし、料理人でもありません。あなたの妻になるのですけど?」


 小首を傾げて可愛くしてみた。ミーシャとそっくりな私はそれだけでも可憐な令嬢に見えるはずだ。


「あぁ、あぁ、そうだった。ダフネ様が俺との結婚を考えてくれるなら、望むものを全て与えよう。伯爵が与えるもの以上のものでもかまわない。宝石、人、ありとあらゆるものを」

「まぁ! 素敵ですね? では、3つほど。それを守っていただかないと、この婚約もなかったことに」


 しっかり胃袋を掴んだようで、私はバラクのお気に入りのようだ。このまま、勢いに任せてお願いをしてしまおう。それに……バラクは、私の推し様によく似ていて好みだ。


「何が欲しい」

「そうですね。まずは、この屋敷ほどの別宅をご用意していただけますか?」

「なるほど、いいだろう。次に?」

「別宅の1階を食堂にしたく思います。利権等々を私のために用意していただけますか?」

「そんな簡単なこと。任せておけ」

「ずいぶん、気前がいいですね?」


「当然だ」と笑うバラク。年齢詐称しているが……見た目は17歳のご令嬢だが、私の中身は28歳。バラクは年下の23歳。バラク自身も商人だというので、どんなものかと思っていたが、この数時間で私はバラクを完全に掌握したようだ。


「それで、最後は何が欲しい」

「……バラク様の永遠の愛を」

「愛? 愛など不確かなものを欲しいというのか?」

「不確かだから、欲しいのですわ。私と結婚するなら、よそ見は嫌です。もし、よそ見をするようなら、あなたから全てを奪って差し上げます」


 ……現代知識を舐めてもらっては困る。この国の技術は、現代に比べれば介入の余地はたくさんあるのだから。豪商と言えど、一夜でひっくり返すことくらいは可能だ。


「ふっ、令嬢と聞いていたが、なかなか剛毅なことを言う。俺の愛など、全てくれてやる」

「ありがとうございます。契約結婚は美味しいものですか?」


 私はバラクに微笑みかけると「大変な美味である」と、バラクは嬉しそうに笑った。



 初めてバラクと会ってから2ヶ月が経った。新しく作った別宅が完成したとの連絡を受け、私は嫁ぐことになった。

 婚約をした日、養父が逆に私を手放したくないと言い始め、養母やミーシャが困惑することになったが、「養父様が私をバラク様に嫁がせないと、ミーシャが代わりに行くことになりますよ?」と微笑めば、それから大人しくなった。離宮で起こったことについては口止めをし、私は離宮を出る。短い間ではあったが、愛着が出てきていたので、少しだけ寂しい。


「お嬢様……?」

「うぅん、何でもないわ。バラク様、私との約束を守ってくれるかしら?」

「それは……守ってくれるのではないですか?」


 嫁入り道具として馬車30台分の品物が届いたとき、正直驚いたどころではなかった。都では、大層話題になったらしいが、この先、王家の嫁入りでもこれ以上の品物が行き来する嫁入りはなかったという。


「そういえば……結婚式の日より、1週間も早くあちらに向かわれるのですね?」

「もちろんよ! 結婚式の料理は私が作るのですもの!」


 ふふっと笑うと、ドリアは驚いていた。馬車に乗り込んだ私を叱り始める。


「ドリア、私はバラク様に私のおいしいと思う料理を食べてもらいたいわ! この結婚は契約結婚ですもの。それなら、おいしい契約結婚にしたいの」

「だからって、花嫁がすることでは……」

「いいのよ。私が作りたいのだから」


 馬車に揺られて都に着いた。別宅で待っていてくれた花婿バラクは私の到着を喜び、私の城である調理場を案内してくれる。1ヶ月後に食堂を開店するため、料理人も集めてくれていた。


「では、今日は長旅で疲れただろうから……休んではどうだろう?」

「……えっ? 今から、結婚式の料理の準備を始めますよ?」


 お互いを見つめながら驚き合う。その隙にバラクのお腹が鳴るので、「少し待っていてください」と調理場に入って行く。真新しい包丁を握れば、周りの料理人たちの緊張が伝わってきた。


「バラク様」

「なんだ? ダフネ様」

「お互い、様付けは辞めましょう。夫婦となるのですから」

「それなら、敬語も。ここは貴族の屋敷ではなく、商人の家だから」

「わかったわ! じゃあ、とびきりのおいしいい夕飯を作るから、待っていて? バラク」


 私が、野菜を切り始めたのを見て、ドリアはバラクを連れて調理場から離れた。荷物の片付けをしてくれるのだろう。


「さぁ、みなさん。張り切って作りましょう。バラクにおいしいと言わせる料理を教えますからね! ついてきて!」


 困惑気味の料理人たちは、お互いの顔を見合わせているが、欲しい材料や調理器具を指示するとすぐに慌ただしく動き回る。賄いも含め、たくさんの料理を作って、侍従たちにも食べるように伝えた。

 バラクと私の分の夕食を持って、与えられた部屋に行けば「いい匂いだ」と満面の笑顔で出迎えてくれる。


「契約結婚はおいしいものですか?」

「あぁ、とっても!」


 机の上に料理を並べる。出来立てで湯気が出ており、なおおいしそうだ。優しく微笑むバラクの隣に座り、スプーンで料理を掬った。


「一口、どうぞ。あーん」


 現代では絶対しないであろう「あーん」をして、私は何だか夢心地だ。つられたのか、バラクも商人らしい鋭い視線は隠した。


 かくして私は豪商の息子バラクの胃袋を掴み、別宅を立てさせ、食堂を作り、永遠の愛を得た。最初こそ、バラクを騙した悪女ではないかと私のことを噂する人がたくさんいたが、食堂の店先に立つ私を見て考えが変わった人も多くいた。

 国1番の食堂となったことはいうまでもなく、豪商の後を継いだバラクと共に、私も国内外で知らぬものはいないほどになった。


 契約結婚も悪くはなかったわ。あなたと共においしいものを。


 私たちは今も変わらず、お互いを想い続けている。私が出した条件のうちの「バラク様の永遠の愛を」をバラクは律義に死ぬまで守ってくれた。

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契約結婚は美味しいものですか? 悠月 星花 @reimns0804

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