第16話 里親として

「落ち着いた?」

「……はい。今は……大丈夫です」

「学校で何があったのか、若山先生から聞いたよ。大丈夫、香帆ちゃんは悪くないよ」


 リビングに移動し、私は香帆ちゃんに水の入ったコップを渡した。

 香帆ちゃんはそれをグビっと飲み干した。


「今日は……お粥にしようか」


 晩御飯はハンバーグを作る予定だった。でも、吐いた後なら、ハンバーグなんかよりも、お粥の方がいいだろうと思った。


「……要らないです。今日は……何も食べたくありません」

「でも何か食べなきゃお腹空いちゃうよ?」


 香帆ちゃんは、下を向いたまま、だんまりしてしまった。でも、鼻水をすする音と、目を拭う仕草で泣いているんだと察した。


「もう……学校にもッ……外にもッ……行きたくないですッ……私は、人殺しだから……生きてちゃ……ダメなんです!」


 無茶苦茶なことを口にする香帆ちゃん。

 多分今の香帆ちゃんは、頭の中で色んなことがごっちゃになってしまっているんだろう。


「そんなことないよ。そんなこと言わないでよ。香帆ちゃんは、生きてていいんだよ」

「でもッ。私が生きてると、沢山の人に……迷惑かけちゃうからッ……」


 必死に涙を拭う香帆ちゃんを、私は抱きしめてあげることしかできなかった。


「大丈夫だから。私がずっとそばにいるから。だから、大丈夫だよ」


 そんな、ありきたりなことしか言えずにいた。

 苦しんでいる香帆ちゃんを前に、何もしてあげられていない自分が、たまらなく情けなかった。




「お粥、一応置いておくね。お腹空いたら食べるんだよ」

「……はい」


 泣き止んだ香帆ちゃんは、布団を被りながら、ベットの上で三角座りをしていた。

 私は、作ったお粥を枕元の台に置いて、リビングに戻った。


 昨日までの、すぐそこのキッチンのテーブルで美味しそうにご飯を食べる香帆ちゃんも、こたつで宿題をやって、終わったら嬉しそうに私に見せてきた香帆ちゃんも、今までが嘘だったかのように、今日1日で、全部壊れた。


 心にぽっかりと穴が空いたような感覚だ。

 その日、香帆ちゃんは結局、お粥を食べなかった。




 翌日。

「すみません。つい体調を崩してしまって……はい、はい。すみません、よろしくお願いします」


 私はバイトを休んだ。

 何もやる気が起きなかった。

 よくないことだとはわかっている。


 それでも、今の香帆ちゃんを1人にはできなかった。

 寝室の前に立ち、昨日と変わらずベットの上にいる香帆ちゃんを見る。


「香帆ちゃん。今日はずっと、一緒に家にいようか」


 そんなことしか、私にはできない。

 私は、ダメな里親なのかもしれない。


「また、ここにご飯置いておくから、お腹空いたら食べて」


 そう言って、私はご飯と味噌汁、卵焼きを枕元の台に置いた。


「……」


 香帆ちゃんの方を見るが、香帆ちゃんからの返事は返ってこなかった。

 香帆ちゃんはベットの上、私はリビングで、何をすることもなく1日を終えた。

 今日1日、私と香帆ちゃんの間に会話と呼べるものは、なかった。




 さらに翌日。

 私は今日も仮病を使ってバイトを休んだ。

 なんだかもう、罪悪感もない。


 お昼ごろ、香帆ちゃんが起きてきた。そして、私が入っていたこたつの隣のスペースに入ってきた。背中合わせの状態。しばらく会話はなかった。


 この子は、今何を考えているんだろう。この子は、何をして欲しいんだろう。

 今まで知ろうとしてしていなかった分、私は知らなきゃいけない。香帆ちゃんのことを。


 静寂の中で、カチカチと時計の針が動く音だけが聞こえる。


 知らなきゃ……ちゃんと。里親なんだから。


「ねえ、香帆ちゃん。嫌だったら、答えなくていいんだけどさ。その、前の家で……お母さんから……その……暴力とか、受けてたの?」

「…………ッ!」


 それを聞いた瞬間。香帆ちゃんはこたつから抜け出し、トイレに駆け込んだ。


「”お”ぇ──────ァ──────ゥ─────」


 また、吐いた。これに関しては、何も考えずに聞いた私が馬鹿だった。


「ごめんね香帆ちゃん。大丈夫?」


 私はまた、香帆ちゃんの背中をさすった。その時、香帆ちゃんは私のもう片方の手を強く握りしめていた。


 今回はこないだみたいに長い時間吐くことは無かった。

 落ち着いた後、香帆ちゃんはこたつではなく寝室に向かった。


「か、香帆ちゃん……」


 私の問いかけに香帆ちゃんは足を止めた。


「私の、家族の事は…………奈緒美さんには関係ありません」


「…………ぁ」


 そういって香帆ちゃんは私を睨みながら寝室の扉を強く閉めた。

 私の頭の中には香帆ちゃんの放った一言が、ずっと響いていた。

『関係ありません』『関係ありません』『ありません』『関係ありません』『奈緒美さん』


『関係ありません』『関係』『関係』『関係ありません』『ありません』『奈緒美さん』


『関係ありません』『奈緒美さん』『関係ありません』『ありません』『関係』


『KAん*いAりまSENnnnn』『けかいん』『せまりあん』『か@けい』『んせまりあ』

 ────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────。


『奈緒美さんには関係ありません』


 私は膝から崩れ落ちた。私まで吐きそうになった。


「フ―ッ…………フーッ………………フーッ…………フーッ………………」


 答えなくてもいいと言ったのは私なんだ。だから香帆ちゃんは答えなかった。それだけのことなんだ。それだけの、ことなのに……どうしてあの言葉に、こんなにも、胸が締め付けられるんだ。


 どうして、こんなにも、胸が苦しいんだろう……。


 その後のことは、よく覚えていない。気が付けば、私はこたつで次の日の朝を迎えていた。

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