悲しみは仄めいて③

 まぶしい朝日とスズメのさえずり。サトルは目と耳で朝を感じ、慌てながら時刻を確認した。アラームが鳴る前だった。


「おはよう、サトル。良く眠れたか?」

 

「……おかげさんでな」

 

 悪霊の対処法として、ウェブサイトやユーチューブの心霊チャンネルなど、片っ端から検索していたら寝落ちしていたようだ。調べた結果、なにもわからなかった。

 

「キミ、アカリに学校に来ないよう連絡するとかやったか?」

 

「やったよ。ラインで。既読すらつかない」


「見てすらいないってコトか。それは歯がゆいな」

 

 悪霊に対して妙案は思い浮かばなかった。しかし時間は待ってくれない。焦りは重なるばかりだ。

 

「なあ、自信はないが……」

 

「なんでもいい、化け物側の意見を聞かせてくれ」

 

 控え目に言うバクに、サトルは後ろを向くようにして、食い気味に聞いた。もちろんサトルにバクの姿は見えないが、それほどまでに、解決したい思いでいっぱいだった。

 

「供養するというのは? この世を恨んでいるから悪霊としているワケで」

 

「なだめて恨みを晴らしてやろう、ってコトか」

 

「うん。問題は、ワタシ達は彼女を全然知らないから、気の利いたセリフを言えないってコトだがね」

 

「……いや、いるぞ。知ってる人」

 

「うん?」

 

「花壇の看板に書かれてあった小林って先生、まだ学校にいるんだよ。ウチのクラスの国語の担任で。当時、その生徒と親交があったってウワサにもなってるから、信憑性もあると思う」

 

「そりゃ完璧な作戦だ――と言いたい所だが」


 バクが言い渋った。

 

「ワタシが提案してなんだが、耳ざわりのいい綺麗ゴトを言うだけで救えると思うか?」

 

「……相手は人間だ、きっと心は動く。後はオレが間違えないようにするしかない」

 

 現状では、それしか希望はないのだから。

 

「最悪を起こさないために、最善を尽くす。行動に移そう」

 

 サトルはさっさと制服に着替え、久美子に一声かけて、家を飛び出した。

 

 今日も快晴だ。一点の曇りのない空からの日差しは、この下で生きる全てを祝福しているようだ。サトルは青空を見上げ、眉間にシワを寄せた。


「こんなにも空は晴れてるのに……」

 

 視線を下げ、駆け足で学校に向かっていると、明璃の姿があった。その後ろ姿は、昨日よりもどこか萎れているように見える。

 

「明璃……大丈夫か? やっぱりなにかあったのか?」

 

 急いでいたが、見るに見かねたサトルは、挨拶がてらに身を案じた。訊くまでもなくわかるコトだが、声をかけないといけないような、そんな不思議な感覚が全身を走った。

 

「あっ……おはよう、サトル。大丈夫だよ、あたしは」

 

 予想通りの返答であった。いつも知っている様子はない。まるで別人のようだ。

 

 震える声で気丈に振る舞う明璃にヤキモキしながらも、「ホントに?」と迫った。

 

「なにもないって……。サトルだって隠し事してるでしょ?」

 

 図星を差され、一瞬だけ地に動揺の顔を向けた後、またすぐに明璃を真っすぐに見据えた。

 

「オレは……まだ言えないけど、その内しっかり話すよ。そのときになったら、明璃の悩みでも困ってる事でも、何でも話してくれよな」

 

 強引でがさつな逸らし方だと、自分自身に嫌気が差す。しかし、明璃を鬱々とさせる原因を取り除いてやりたいと思う気持ちは本物のつもりだ。

 

「……わかった。ありがとう」

 

 熱意が伝わったのか、はたまた敵わないと呆れ気味になったのか知る由もないが、よどんだ顔に日が差すように、静かに微笑んだ。

 

「でも、まだ言わないからね」


「強がり屋さんめ」


「そのまま返すわよ、サトル」

 

 サトルは微笑み返し、また走り出した。明璃を助けると心に誓って。


 学校に着いたら、息をつかせぬまま国語科の職員室へ向かった。そして、呼吸を正しノックを3回してから、柄にもなくマジメを装って挨拶した。

 

「どうぞ」と小さく言い、サトルを向いている女性こそが、花壇の看板に記されている小林先生本人だ。幸い、他には誰もいない。サトルは小さく頷き、足を運ぶ。

 

 花柄の小さなポシェットが置かれているデスクは小綺麗に片付けられている。透明なデスクマットの下には、自殺した女子生徒とのツーショット写真があった。その中の彼女は笑っていた。昨日の朝に視た表情からは想像出来ないほどの、まぶしい笑顔だ。

 

 始業前だというのに、それも授業中には見せない顔つきをしているからであろう、小林先生のメガネの奥は、疑問を宿していた。

 

「禅院さん、どんな御用ですか? 宿題の提出期限はまだですよ」

 

「いえ、違います。失礼は承知ですが、どうしても伺いたいことがあります。この自殺してしまった女子生徒についてです」

 

 写真を指さして思う。今、人の心を土足で踏みにじる行為をしている。気が重い。出来れば目の前の顔を直視したくない。


「亡くなった人を侮辱するのはやめましょう……ね?」

 

 涸れ果てた泉から絞りだすように、声を挙げた。瞳が赤みがかった。気の毒だが、ここで引いてはいけない。


「いえ……救いたいんです。悪霊になってしまった、その人を」

 

 眉を八の字にして、「え?」と声を漏らし、そのまま黙ってしまった。

 

 サトルは思う。これは賭けだと。

 

 幽霊や悪霊といった類いを話すと、バカバカしいだの、大人をからかっているのかだの、状況を考えるともっと酷い言葉を浴びるコトとなり、蛇蝎の如く嫌われるだろう。普通であれば。

 

 だが、サトルには勝算があった。小林先生のバッグの奥にあった本――そのタイトルの最後に『降霊術』と題されていたのを見逃さなかった。

 

 これが意味するコトは、恐らく、未だに『憑かれている』のだ。女子生徒の悪霊に。ひとりの生徒を救えなかった罪悪感、いや、それよりも重くのしかかる喪失感があるのかもしれない。そう思った。

 

「……あり得るわけがありません。悪霊だなんて。死んでしまった人間は、もう二度と逢えるワケがない……」

 

 震える唇から、やわらかく否定された。

 

 確かにそうだと思わざるを得ない。どんな形であれ、死んだ人間にまた会えるなんてあり得ないハナシだ。しかし真実を言っている。彼女は全てを恨む悪霊という存在になっているから。

 

「お願いです、信じて下さい!」


 サトルは深々と頭を下げた。

 

「そんなものが……あるワケがっ」

 

 震える声は受け入れないが、小林先生の眼は泳いでいた。焦点の合わないその眼は、夢と現実、どちらを見つめるべきか迷っているようだった。

 

 こうなってしまえば、強硬手段だ。もう打つ手はこれしかない。夢にも思わなかった真実を、空妖くうようを見せつけるしか――

 

「小林先生、これが視えますか?」

 

 サトルはそう言ってから「バク」と呼ぶと、「いいのか?」という返事。

 

「一体、誰と……?」

 

 小林先生は困惑している。無理もない。

 

 サトルにはどんな悪印象を抱かれるとか、それを言いふらされるとか、そういった懸念など最早どうでもよかった。ただ助けたいだけだ。自分の身よりも大切な人を。

 

「すみません。きっと、驚かせてしまいます」

 

 少し距離を置き、背中を向けた。すると、

 

「ふうっ、やはり小さいままだと窮屈だな……。んーっ、しかしこの解放感! 背伸びでもしたい気分だ」

 

 バクのやたら達成感が得られたような声が聞こえた。それに続く声はなかった。


「キミ、ノリが悪いぞ。おまえの背はオレだぞ、とか言ってほしかったな」

 

 小林先生は、どんな表情をしているのだろうか。あのおぞましい大口を視て、どう思ったのか。これから、化け物呼ばわりされるのだろうか。サトルは思いを巡らせたが、信じてもらうためならばしょうがない、と割り切り、踵を返した。

 

「今のは一体? こんなの、ありえない……」

 

 改めて視界に映る小林の表情は、ひどく怯えていた。文字通り、この世の物とは思えないモノを目の当たりにしたようであった。サトルは同情しつつも、語勢を強める。

 

「今のは空妖と呼ばれるものです。こんなやつがこの世に存在するから、幽霊だっていてもおかしくないでしょう。お願いです、信じて下さい!」

 

 再び頭を下げた。握りしめた手から、汗が滴る。噛み締めた唇を通して、血の味が口中に広がる。

 

 きっと、これがラストチャンスだ、もう後はない。この説得で幽霊の存在を信じてもらわなければ、誰も救われない。今のサトルには、目をつむって祈るしか出来なかった。

 

 

 やがて――

 

 

「――信じて……みます」


 小林先生の小さな声が心に響いた。

 

「小林先生……!」


「お話します。……逸森曄香いつもりはるかさんのことを」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 やっと辿りついた。サトルは自らの感慨深さと感謝を表すように、深く一礼した。それを見た小林は、赤くなった目を擦り、困った笑顔をした。

 

「では、他の先生方が来られたら困るので、ベランダで話しましょうか」

 

 そう言うと小林は、立ち上がってベランダの入り口へと歩いていった。

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