春の風、核の冬、死の灰

@MomoFragil

第1話

「降伏」「助け」

敵軍は我々の混乱を招いている。ジェームズ・アンダーソンは他言語を真似ている発音と口調は同士のものでないと勘繰った。万国共通の悲鳴が戦火に轟く。

胸を貫かれた衝動で軍用銃が宙に舞った時、地雷を踏んで這いずり方が覚束なくなった。


俺が天国に漂着するはずがない。戦犯として罰を受けるはず。

俺は戦禍を逃れ無人かどうかは分からない島に流れ着いた。失明しておらず、腕が、脚がある感覚に陥ると、反射的に起き上がって胸に跡がないことを確認した。そして、へそがない。


「おはよう。ジェームズ・アンダーソン」


俺を呼ぶ声が知り慣れた人物のものでないことは分かった。


「お前…」


「僕はみう。海の反対でみう。安直だよね。君のハードディスクドライブに名前が書いてあった」


「戦場に持っていくのは己の身だけだ」


「えっと、君の脳みそに生年月日と享年が書いてあるって言ったら…もっと言うと、君の脳みそが取り外し可能だって言ったら、信じてくれるかい」


みうという青髪の男が言うには、俺が目覚めた時代には命を脳の数で数えるようになり、脳の記憶がHDD(ハードディスクドライブ)で保存されるようになった。これは今の俺のような新たに発見された人型の生物オムファロスの脳を元に作られたそう。データを記録する円盤部分プラッタが生前の記憶と死後の再構築用に2枚になっていた。HDDの構造は音楽プレーヤーに類似しているが、このHDDは見た目が所謂カセットテープと呼ばれるものに似ている。人間にメモリとこのHDDなるものを埋め込むと、その生物のように生前の記憶を死後物理的に取り出すことができ、生きているオムファロスに結合するとその記憶を元に人格が再構築される。記憶がデータ化し、それを搭載することが可能になったということである。


疑問①へそ


「おい、へそがないぞ」


「君はヒューマノイド『オムファロス』だからね」


「オムファロスとは、化石や地層、年輪などの、意図的に過去の成長の証を有する物が初めから創造されたとされる創造論の仮説だろう」


「やっぱり、欠陥がない限り物忘れがない君の脳は辞書を読むかのように物事を話すことができるんだね」


「ところでオムファロスの語源はなんだ」


「へそ」


「は?」


「へそだって。オムファロスの説は僕も知っている。母胎が存在しないはずのアダムとイブにへそがあるのは、初めから神がそのように作ったとされる説だろう。君たちが成長途中の人間として生まれてくるから、そう名付けられたんだ」


「俺にヘソがないのは、俺自身がへそだからなのか?」


「変な話、そうなるね」


議論①哲学的ゾンビは実在するのか


「なあ、俺は哲学的ゾンビなのか?」


「哲学的ゾンビって何さ」


「唯物論を否定する思想実験のこと。自分にしか体験できない主観的な感覚のことをクオリアというが、それが欠けている生物学的にも電気的にも人間である架空の存在だ」


「面白いね。君の存在が機能主義と物理主義を肯定しているようなものなのに。つまりはその疑問を持ったとして、君の意識下で疑問を持ったかは証明できないってことかな」


「だが、唯物論を否定する哲学的ゾンビが実在するなら、唯物論を肯定している俺という存在とで同時に存在していることになるぞ。どっちなんだ」


「それもまた、君の仮初の判断で決まるんじゃないか。ゾンビくん」


疑問②共通のクオリア


「唯物論が通るなら、今は共通のクオリアが存在するんじゃないか」


「共通のクオリア?それは、人間に一つしかない右手が二つあると言っているようなものじゃないか」


「例えば、俺の記憶をコピーしたもう一人のヒューマノイドがいたとして、それは共通のクオリアを持つ俺なんじゃないか」


「じゃあ、他人という概念がなくなるんじゃないか、って言いたいんだね。それはない。今は自分が量産できるようになっただけさ」


議論②口調


「中国語の部屋を知っているか」


「中国語が部屋一面に書かれた部屋?」


「違う。質問に答えられても、質問を理解しているとは限らないという思考実験。チューリングテストへの反論だ。」


「僕が気になるのは、その口調だね。それは言語化しても理解の仕様がないんじゃないかい。これが中国語だったら、誰もこの話を理解できないと思うね」


「ああ?お前…」


「本当だ。返事したからといって思考できているとは限らないんだ」


しばらく自分が生まれ変わったかのような現状に親しんでいた。束の間の収束。

時代に取り残され、自分だけが生き残ってしまっているのに。


「HDDは軍人の烙印のようなものさ」


俺が出兵した第三次世界大戦後に反戦主義者の記憶を残し世界の終わり『ハルマゲドン』を防いだ。対立するイデオロギーや宗教、民族のエスノセントリズムによるデータの複製や偽造が横行。当時の思想、敗戦した者、憎しみが死なないこと。それは再戦を意味する。


「オムファロスがたどり着いた答えは『争いをしない』『殺さない』でもなく『戦争をなくす』ことだった」


人類の絶滅により今後起こりうる戦争をなくす。そうして自ら最後の戦争ハルマゲドンを遂行することになった。


「戦争を終わらせる戦争を。僕は君にハルマゲドンを止めて欲しい」


「…」


「返事は?」


「老兵を労われ」


伸ばされた腕を掴んで立ち上がる。俺の脳が搭載されたオムファロスはみうの半分に満たない背丈であった。


「なあ、さっきからなに見てんだ」


遠くの草陰からこちらを見つめる生物がいた。


「彼女は…。物資型ヒューマノイドだよ」


みうが手招きすると千鳥足で向かってくる様は、幼子が親の元へ駆け寄るシーンを彷彿とさせる。物資型という割には棒のように細く、蓄えがなさそうな体型であった。口足らずな少女が言う。


「もう向かうの」


「向かうってなんだ」


「戦場だよ。地雷を撤去してもらいにね」


「おい、俺は地雷で死んだんだぞ」


「それでデータが壊れなかったのは奇跡的だ。政府はその強運を買ったのさ」


この身体になってからというもの、恐怖心や不安感を感じなくなった。なにより物資の不十分さが気になり、自前の黒色火薬を作ろうとするくらいに。


「待ってくれ。ちょっくら行ってくる」


雉撃ちに向かう振りをして戦時中に行ったことのある近くの岩窟に向かった。丁度ここに来た時から100年ぐらい経っているなら、尿から硝酸ができているはず。


「何してるの」


自分の影が色濃くなって、それが少女によるものだとわかった。


「硝酸を取り出してる」


「そこ、お母さんが潜伏してた岩窟だ。そこで生まれたんだ」


「…」


「どうして硝酸ができてるって知ってるの」


厄介だ。そう思った瞬間に鈍い音がして振り返ると、女がHDDをみうに抜かれて倒れていた。脳を容易く取り出せるのはこうしてみると末恐ろしい。


「危なかったね」


あのヒューマノイドの中身は俺の子供だった。ここで女をレイプした記憶が揺さぶられる。


「戦争から生まれた命とは皮肉だ」


みうがHDDに書かれた享年を見る。その命はきっと長くなかったに違いない。それよりも硫黄を見つけたので、残る他の黒色火薬の材料は木炭のみだ。


「木炭はあるか」


「焚き火の跡にあるはず」


黒色火薬を作ったのち、潜水艦に乗り現場に移動する。



油の浮く海辺に降り立った。激化する戦場を眼前に収めると、自分の今の身体のような人間に似ているがとても人間とは言えない生物らが兵器を構えているのが分かる。


「私は自殺したというのに」


HDDを入れ替えたであろう物資型ヒューマノイドがこちらを向きながら呟くので、反論した


「人を殺すのは銃か、兵器か。違う。人だ」


「自ら命を絶つのが人殺しと変わらないにしても、貴方は殺されたいと思うの」


「戦争によって自殺は減った」


「死因第一位が自殺なのも幸せだと言えるのか」


「お前の言う通りなら自殺は人殺しよりもいいんだろう」


「殺されたくない」


物資型ヒューマノイドが集団の射程より近くへ駆け出していくので引き止めようとすると、みうが言う


「いいんだ。あれはそういう役目なんだ」


刹那、鼓膜が破れる音ときのこ雲が上がった。爆裂だ。奴が持っていた起爆ボタンのようなリモコンも跡形もなく散り散りになる


「兵器に使ったのか!?」


「この悲劇は舞台は違うが、役者は同じなんだ」


みうは語る。第三次世界大戦は終わっていない。これはハルマゲドンが行われているように見せた偽旗作戦であり、戦争を誘発させることが政府の目的であったと。


「国や家族などの守るものがなくなっていながら、データに囚われて過去の再現をしている無意味な戦争を止めてくれる?お父さん」


振り返る。しかしそこにいるのはみうだ。確かに岩窟にいた際は声がしても振り返らなかった。


「あの時話していたのは」


「岩窟にいた時に話していたのは僕さ。同士討ちという戦争を、君はどう止める?」


みうは自身のこめかみに標的を向けたので、銃に弾を撃ち、薙ぎ払う


「やめろ」


「君のその反応が見たかったんだ。僕の存在は君の戦犯そのものだから」


俺はすぐさま「味方だ」「ハルマゲドンはない」と中心部に行って叫んだ。返事は銃弾としてすぐ全身に刻み込まれ、その場に傾れ込む。自分が地雷を踏んだ時と変わらない。自分が出兵したあの瞬間に「降伏」「助け」と言っていたのは同士討ちを止めさせる働きだったのかもしれないと思う。


万策尽きた俺はみうに覆い被さって、肉壁になった。


「君の記憶が後世に残ること、光栄に思うよ」



俺は、また別の身体になって目覚めた。

そこにいたのは青髪の少女だった。


「幸せってなんだと思う?」


「幸福とは、いつ死んでもいいと思えることだ」

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