愛しのチンピラ

のぎ ゆうた

第1話 

 息子が少年野球を始めたのは小学3年生のときだった。友達がサッカーを始めていた為に息子もサッカーがやりたいと言っていた所を野球好きの旦那の勧めで始めたものだから最初はしぶしぶ参加していたのだが、月日が経つにつれ、どんどんのめり込んでいった。

5年生になるとキャッチャーを任されそのまま高校2年の秋の始めまでキャッチャーをすることとなったのだが、夏大会にはキャッチャーとして出場せず、秋大会にはキャッチャーとして出場したものの、その秋大会の終わりに腰椎椎間板ヘルニアを発症していた。

 痛みに対して鈍感な息子は、子供の頃から注射や点滴にも全く泣くこともなく微動だにせず受けてきた子だ。(恐怖で固まっていただけかもだが。)その息子が「なんか腰がおかしい痛いかも。」と言い出した。私が「いつから?」と聞くと、「結構前からかなぁ。何かおかしいなと思ってやっとったけど、夏にやっぱおかしいと思ってキャッチャー代わってもらった。これって、もしかして痛いんだーかと思って。」と息子は答えた。私は眉をすくめながら、「それって腰が痛くてってことだよね。」と、もう一度聞くと、息子は「ずっと我慢しとったけど、腰が痛いがわからんに。感覚的に」と、答えが返ってきた。と、いうことは、息子にはそもそも痛みという概念が無いのか⁈いやでも、もっと小さい頃に頭が痛いとは言ってた気がするのだが…

私の頭の中では痛みをどの様に息子に表現するべきか、あらゆる言葉がすりおろしたとろろいもを撹拌するかのようにうねうねしていたのだが、結局出てきた言葉は、「ジンジンする?それともピキっとする?それともズーンと重い感じがする?」という語彙力の無い言葉となってしまった。すると息子は、「ズーンが1番近いかもっせん。」と答えが返ってきたものだから、なんとなくではあるが、慢性的なものかもしれないと感じて整形外科を受診し、レントゲン、CT、MRIと検査しヘルニアが発覚したのだ。

野球を続けることを一番に考えて、情報収集した結果、大学病院へと紹介してもらい治療することなった。MRIの結果からヘルニアの個所は2ヶ所あった。

主治医となった担当医から「よくこれで野球してたね。しかもキャッチャーで、かなり痛いはずだよ。足とか痺れてない?」と聞かれると息子は「痺れるってなんすか?」と答えた。思わず”はっ?!”と息子の顔を見たのだが、息子の顔はいたってまじめだった。しかも「痺れるってどういう感じですか?」と反対に質問までしている。少し困ったように笑った主治医は「正座を長い時間してたら、足がびりびりしてくるでしょう。それが痺れるってことだね。」と分かり易く教えてくれた。それを聞いた息子は「あぁ~。」と納得した様だった。主治医は続けて「そんな感じある?」と聞いてくると息子は「ないかなぁ。」と答えると主治医はMRIの画像を見ながら「この状態だと足に痺れが出ててもおかしくないんだけどなぁ。ないんだぁ。」と言われると息子は首を前に何度も動かしながら「ん、まぁそうっすねぇ。」と言う息子を見ながら私は思ってしまった。(あなた様が鈍感なのでは?)と。

 何度か診察と治療法の説明を受け息子と相談した結果、一番早く復帰出きるであろう内視鏡手術を受けることに決めた。手術のための入院は1週間。その後は自分でリハビリをする。リハビリについても事細かに病院で説明を受けたようだった。 

 退院日前日の診察で息子は食い入るように主治医に「いつから学校に行っていいですか??」と聞いていた。主治医は「自宅で療養してからでもいいしね。」と言うと、すかさず息子が「明日から行っていいですか?」と食い気味に言うと主治医が「そんなに学校好きなの?」と目を見開いて半分笑いながら聞いてきた。

すると息子は「いや、時間が無いんで。春の大会に間に合いますか?」と今までに見たことのない真剣な目で主治医に食いつくように聞いていた。息子のその姿を見た主治医は「じゃぁねぇ。」と言いながら、春大会に間に合うように治療計画を立ててくれた。息子は少し安心した顔をし、退院の翌日から学校に登校し部活にも顔を出した。当面の間、送迎をするように主治医から言われていた為に授業終了時間の1時間後に「もう帰るだろう」と思い学校に迎えに行くと、全然駐車場に現れない。そう、息子は最初から最後まで部活に参加していたのだ。帰りの車の中で私は息子に「あせるじゃないよ。」と声を掛けると息子は「わかっとる。リハビリはトレーナーの先生と一緒にやっとるし、サポートしたりやることはいっぱいあるけん、明日からは遅く迎えに来て。」と、言ってきた。

ここは息子に任せようと、思うようにさせて後悔のないようにさせてやるのが正解かなと心に決めた。

 あまり日常会話の中で自分の事を自ら話すタイプの息子ではなかったのだが、息子の表情からは【焦り】や【悔しさ】を毎日のように感じ、何もできない私自身が情けなさを感じていた。しかし、息子は弱音を吐くことなく毎日部活に参加し、リハビリしていた。

 だが、春大会を目前にした日に、「春大会にはレギュラーで出ることは難しいと思われる。」と息子が話し出した。「どうして?リハビリ順調でしょ?」と私が聞くと、「春大会に無理に出てもそこでダメなら夏もダメだから。」と言われたと言ってきた。息子は口惜しさと悲しみと喉の奥から溢れ出てくる感情を口の中で抑えつつ何とも言えない表情で私に伝えてきた。でも、「夏に照準を合わせてフル出場するために今は焦らず、無理をさせないようにと監督とトレーナーは考えてくれている。」とも言ってきた。

「マジかぁ。それは残念。でも仕方ない。踏ん張れ。」私はそう言ってしまった。

ま、まずい。私の心の声をそのまま口にしてしまった。今の息子に「残念」という言葉はいただけない。そろっと息子の顔を覗いてみる。

目を閉じて大きく一つ息を吐くと、「んまぁ、仕方ないよね。でも監督達もちゃんと考えてごしとらいし、頑張るわ」と言いながら、その顔には『おかんはいっつもそうだよね。』と書いてある。やばいっ!あなた様の気持ちを汲み取ること無く心の声をだだ洩れさせてしまいました。申し訳ない。

 だが、最後の夏で後悔のないようにプレーできればいいのだと、私は自分自身に言い聞かせていた。息子も同じだったのかもしれない。聞いてないけど。

息子のほうが苦しいのは頭では理解している。理解してはいるのだがその感情に寄り添ってやろうとすれば「おかんに何がわかるかや。しゃん時間があーなら、野球のルールの一つでも覚えろ。」と、言われるのがオチだ。

 祖母がテレビの野球中継を見ながらルールを尋ねると事細かにかみ砕いて教えている姿を毎日のようにみかけるのに、私がルールを尋ねると「俺の野球を何年見とられますか?勉強してください。」と、まるで教師のように返してくる。こいつ・・・


 リハビリ中の練習試合では三塁コーチャーをしていたので、春大会もそうなんだろうと思いつつ、コーチャー姿を眺めつつ大会前の練習試合を観戦していた。

よくよく考えればコーチャーもとても大切な仕事だ。ランナーを生かすも殺すもコーチャーの手腕にかかってくる。ってので合ってますよね?

大声を出し腕を振りどの練習試合も必死にコーチャーをしていた。が、練習試合を重ねるたびに息子が放つ言葉が変化していった。

ん?ん?

 初めの頃は、「リーリー、オッケー、ゴー、ナイスラン!サイン見て!」と非常に穏やかだったのだが、試合が進むにつれて「おいっ!こっち見ろ!」とベンチから発する掛け声、コーチャーとして発する掛け声、試合をこなすごとに口が悪くなっていくではないか・・・しまいには「サイン見ぃろぉやぁー!こらぁ!!」と巻き舌で言い出す始末。しかもキャプテンもそれに合わせるようにどんどん口が悪くなっている。まずい・・

 確か、知り合いが子供達がまだ小さいころに聞いてきたことがある。

「おかあさんてどんな人?」

子供達は私の顔を見ながら口を揃えて答えた。

「怒ると怖い。だって、巻き舌で関西弁で怒るんだもん。」

スポ少時代は、キャッチャーをしていた息子にキャッチャーフライが飛んできた時に私は思わず、「飛べ~!取れ~!!取れやぁ!」と、何度も叫んでいた。取れなかった息子が振り返り私に向かって「取れるかい!!」と大声で叫んだことを思い出した。

 まずい・・・今、息子がグラウンドで叫んでいるその言葉は私が今まで叫んでいた言葉だ!!私は目を泳がせながらきょろきょろしていると、同級生のお父さんがぽつりと言った。

「うちの野球部って学校に女子が多いからお淑やかなのがいいところなのに、何かどんどん強豪校の野郎軍団になってきたねぇ。今までの面影がないぞぉ」

そう言われると私は心当たりがある。すんませ~ん。うちの子のせいですよねぇ。

すると、ほかの保護者から「あの二人、チンピラだわぁ。もう。」と聞こえた。

その言葉があまりにもしっくりきて、3年の保護者で大笑いになり、それからキャプテンとうちの息子は保護者の間で「チンピラ」と呼ばれ、試合のたびに「出てきた!チンピラ!!」と私をはじめ保護者達を楽しませてくれた。


春大会の2戦目、秋の新チームでの大会で悔しくも敗れた相手だ。今回はどうしても勝ちたい。息子は1戦目に続きベンチスタート。三塁コーチャーでベンチでもチンピラっぷりを発揮していた。試合序盤に相手に先制点1点をとられたものの翌回には2点取返し逆転したのだが、試合中盤になると今度は相手に2点取られ逆転された。息子のチンピラ具合にも拍車がかかっていった。

試合が終盤に近付くと、「負けるわけにはいかない。」子供たちのそんな気迫がスタンドの保護者にも伝わっていた。

 すると、三塁コーチャーの息子にチームメイトが近づきコーチャーの交代を促し、

息子はベンチへと向かって行った。おや?なんでだ?試合には出らんはずだになぁ。

と思っていると、代打で息子の名前が呼ばれバッターボックスへと出てきた。

まじかっ!!私は、驚きと嬉しさで動きが怪しい・・・

スタンドの応援を受けバッターボックスへ立つと雄たけびを上げバットを構えると

狙い定めたようにヒットを放った。そこから流れが変わり2点の追加点を入れそのまま勝利を収めることとなった。

スタンドは大いに沸き、保護者みんなでハイタッチし、勝利を噛みしめた。

まさかこんな形で復帰できるとは。それまでの息子の辛さを吹き飛ばすほどの満面の笑みを見せた息子をみて思わず涙がこぼれた。


 そしてこの後、夏の大会が終わるまで、キャプテンと息子はチンピラ道を突き進むこととなり、その度に保護者から声がかかった。

「おっ!!チンピラ登場!!」

今日も巻き舌絶好調!

感謝せぃ。私のおかげだ。違うか。

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