『』

あおぞら

第1話

「 つ た よ よ 」

あの日、君が最期に送ってきたメール。

その言葉が何を表すのか、あの時の僕は気になって仕方なかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 何もかもが面倒臭い。そんな日がたまにある。

 体を起こすのが、顔を洗うのが、朝ごはんを食べるのが、着替えるのが。

 本当に何もしたくない。できれば、一日ずっと布団の上でのんびりしていたい。でも、だからと言って何もしないと、ダメ人間になるのは目に見えている。

 仕方なく、心の中で無数の文句を吐きながら、学校に行く支度を進める。

 重いリュックを肩にかけ、外に出る。またいつもと同じような一日が始まる。


 教室のドアを開けて、自分の席に向かう。夏休み明けの教室は騒がしかった。

 僕の席は、窓際の、一番後ろの席だ。隣には、机も椅子もない。夏休み前に隣の席の

やつが実家の方の学校に転校したからだ。

 若干孤立しているような席に座り、読みかけの本を開く。これがいつもの日課だった。

 過去のトラウマのせいで、僕は軽い吃音症になった。言葉をうまく話せなくなった僕は、

次第にひき籠るようになり、他人と関わることも減った。

 そんな時に面白い小説に出会い、僕の趣味に読書が加わった。

 いつも通り小説を読んでいると、横からガタガタと音がした。気になって横目で見ていると、担任の先生が机と椅子を設置していた。

 理由がわからなかったが、とりあえず気にしないことにした。


 朝のHRの時間になり、先生が今日の時間割と連絡事項をクラスに伝える。

 それを片耳で聞きながら、窓の外を眺めていると、

「最後にみんなに重要な連絡がある」

 と、先生が言った。

 何だろうと思い、前を見ると、先生が廊下の方に手招きをしていた。

 すると、見かけない制服を着た女子生徒が教室に入ってきた。

「今日からみんなのクラスメートになる、柳本冬美さんだ。みんな仲良くな。」

 そう先生がいうと、その子はお辞儀をした。

「柳本さんの席は、深見の隣な」

 そう言われた柳本さんは、僕の隣の席に座り、よろしくねといった。

 

 そんなこんなで、僕の隣に転校生が来た。


 隣の席に柳本さんが来ても特に変わったことはなかった。

 ひとつわかったことがあるとすると、柳本さんもあまり積極的に他人と関わるタイプじゃ

なかった。常に机で本を読んでいたり、音楽を聴いているようだった。

 そんな柳本さんと関わらなきゃいけなくなったのは、夏休みが明けて一か月後だった。

 

 六時間目の授業が終わり、いつも通り荷物を持って教室を出る。今日は部活がある日だった。

 僕はこの学校で唯一の文芸部だ。文芸部と言っても、大した活動はしていない。部室で小説を読んでいるだけで、ほぼないのようなものだ。

 職員室で鍵を借りて部室に行く。文芸部の部室は一番上の階の端っこにあった。

 鍵を開けて机にカバンリュックをおいて小説を取り出す。

 でも、そこには見覚えのない手帳のような本が入っていた。それは、日記のようなものら

しく、『』と書いてあった。タイトルはないらしい。

 誰かが、床に落ちていたであろうこれを僕の机の中に入れたのだろうか。それにしても、

一体誰のだろう。

 気になったので、中を少し読んでみることにした。

 そこには“私はこれから少しずつ、文字を失っていくのかもしれない”と書いてあった。

 文字を失うとは、一体どういうことだろう。あまりに現実味がなく理解が追い付かなかった。

 持ち主はわからなかったが、とりあえずこの本をもって教室に行くことにした。


 教室のドアを開けると、そこには見慣れた影が見えた。

「こ、この本、も、しかして君、のなの?僕のリュッ、クに紛れ、ていたみた、いでさ」

 気付くと僕は話しかけていた。普段人に話しかけることなんてないのに。

 その影が驚いたようにこっちを見た。相手がだれであれ、この話し方について聞かれたらめんどくさいので

「ああ、あのねこ、の話しかたは、ね、僕がね吃音、症だからな、んだ」

 と説明しておいた。

 すると彼女は、

「あ、隣の席の深見くんか。たれかと思った」

 といって僕の方に近づいてきた。

「なんか、ちんと話せないの私と似てるね。どうせもう読んだんでしょ?」

 ありかとうといって彼女は僕の手からその本をとった。

「知ているとは思うけとね、話せるもしか減ていてるの。少し前からちいさいもしが話せ

なくなっていてるの。最近はたくおんやはんたくおんかな。ひょうきかもしれないてこと

て、しっかのある田舎から大きなひょういんのある都会に来たの。その本は、はしめても

しか話せなくなたころに書きはしめたものなの。とうしの私にはとうしようもなくてね。

いちえは、けんしつとうひみたいなものたよ」

 初めて話すだろう相手に彼女は、自分にとって隠しておきたいであろうことをべらべら

話してきた。もちろん、僕は理解が追い付かなかった。似ているねって?文字が話せないってなんだ?大きい病院?

 混乱している僕に向かって追い打ちをかけるように、

「今度、はしめての検査なの。田舎の小さいところとちかて何かわかるかもね。もし何か

わかたら、きみにもつたえてあけるからね。ことはに苦しめられてる仲間としてね」

「ななな、なんで僕、が仲間な、の?僕は一、応すべての言葉、を話せ、るよ。確かにく、

るしめられてはい、っる、けどさ」

「細かいことはいいの。それより、連絡先交換しよ」

 そう言って彼女は、僕の返事を待たずにアプリのQRコードを開いた。断る理由も特に

なかったので、交換した。

「それし、また明日」

 そう言って彼女は教室から出ていった。

 最後まで、なにも理解が追い付かなかった。


 あの日から、大きく変わったことはなかった。彼女と教室で話すこともなかったし、い

つも通りの日々を過ごしていた。

 連絡は度々取り合っていた。休みの日に何をしていたとか、今の自分のマイブームなど。

でも、その間も、彼女の原因不明の病は少しずつ悪化していた。

 そういえば、彼女が部室に来るようになった。部室だったら、周りを気にせず話せるじゃ

んという彼女の意見だ。それと、病院に行った結果も教えてもらった。結局、病名はわから

ないままで、今後さらに悪化する可能性があるということが分かったくらいらしい。

「そんなもんたろうとおもた。こんなひょうききいたことないもん」

 そう聞かされた僕は病名がわからないことくらいはそこまで大きいことのように感じなかっ

たが、当の本人からしたらやはりおおごとなんだろうと思った。

 

 彼女が部室に来るようになっても、相変わらず僕は小説を読んでいた。

 ある日、彼女は部室で小説を読んでいた僕に向かって、

「深見くんてさ、しうせつ書こうとは思わないの?」

 と聞いてきた。

 確かに、読むのは好きだけど、書こうと思ったことはない。なんとなく、書く内容が思

いつかないってのもあるし、自分には書けないだろうという漠然とした気持ちもあった。

「思ったこ、とはあるけっ、ど書いてみたい内、容が特にないん、だよね」

 そう言ったら彼女は、少し考えるようにしてから、

「しあ、たしをたいいにしてかいてみてよ。もしに苦しめられている女の子かしあせにな

るはしを。かたらいちはんに読ませてね」

 なんて、勝手に約束された。

 まあ、いい機会だろうと思い

「そ、そのうちが、頑張るか、ら」

 と答えた。

 彼女の病気は思ったより進行が速かった。まだ、病気のことを打ち明けられてから、ひ

と月もたってないのに、小文字だけでなくいくつかの文字も話せなくなっていた。

「ええ、しうせつとんかんし?すすんてる?」

 いつもの部室で彼女は聞いてきた。

「んっ、んー、まだそんなに書、けてないかな、あ」

「やく書いてよー。たしか早くしんじたらとうする?」

「そん、な、にはは、早く死なない、よ」

 言葉が話せなくなったくらいじゃ死なないだろう。当時の僕はそんなことを思ってた。

「ま、たろ」

 彼女は、少し寂しそうな眼をして、窓の外を眺めていた。

 この頃くらいからだんだん、彼女が何を話しているのかわかりづらくなっていった。

 休みの日の午後、僕は部屋でパソコンと向き合っていた。例の小説を書くという約束のために。

 書くのと読むのでは全く違った。なぜか場面の切り替わりが多くなってしまい、どんどん話が進んだ。半分ほど書けたころ、携帯が鳴っていることに気づいた。

 電話に出ると、最近聞きなれた声が聞こえてきた。

「たす、とんとんかしの。このまましもはく」

 呪文のような言葉が受話器から聞こえてきた。唯一わかるのは、焦っているような雰囲

気だけだった。

「と、とりあ、ええ、ず落ち着いって、え」

 彼女の焦りが僕にもうつったのか、いつもよりたどたどしくなってしまった。

「な、なにをつっ、つたえたいの、僕にはわ、わからないけど、とと、とりあえずが、学

校の近くの公え、園であ、会おう」

 そう伝えて、急いで着替えの準備をした。念のため、彼女に何かあったらすぐわかるように電話は切らなかった。向こうも切りたくなかったらしい。

 もう秋が来て少し寒かったが、とりあえず急いで公園に向かった。

 公園に着くとすでに彼女はベンチに座っていた。

「待たせてご、ごごめん。なにがあ、あったのお?」

 うつむいていた彼女は顔を上げて

「も、もしかほととんた」

 と、何かをあきらめたような悟ったような顔をしていった。

 速かった。思ったよりも何倍も。こんなに悪化が速いなんて。予想はしていたけど、ここまでとは思わなかった。まだ、二か月もたってないのに。

 きっとこの瞬間も、彼女の病気は悪化していると考えると怖かった。

「き、ひきのかかやくて。も、しかも」

 今にも消えそうな雰囲気の彼女にどう接したらいいかわからず、困った。でも、だからと言って何もしないのは違うと思った。

「き、きみがあ、書いてっ、って言ってたし、小説もう少しでお、終わるから。君によ、

読んでほしいから」 

 しばらく経ったと思う。抱きしめていた彼女の体の力が少しずつ抜けていった。落ち着いてきたみたいだった。でも、話せる文字は減っていくばかりだった。

「すした、かは」

 顔に少し笑顔が戻った彼女はそう言って泣いていた。

 きっと、この先もなんとか平気だろうと思った。



――――しかし彼女は、一週間に死んだ。


 

 僕は部室に来ていた。春休みも終わり、気付けば学年も変わっていた

 彼女がいなくなってから、僕は毎日パソコンに向けて文字を打った。かつて彼女を苦しめた文字を、僕はすべて使った。

 文字を制限なく使えることに感謝しながら、彼女のことを忘れないようにしながら必死に書いた。タイトルなんてない。

 今日はこの書いたやつを彼女のお墓に持っていく予定だ。

 思い返せば、彼女と過ごした時間はあっという間だった。ほとんどは部室で過ごした時間が多いけど。でも、すごい充実してたと思う。

 ただ、彼女が死ぬ間際に送ってきたメールの内容はいまだにわからないままだった。

 けど、それでもいいとなぜか思った。







あとがき

使える文字が減っていったとしたら、自分はどうするだろう。引きこもるか、使える文

字だけで頑張っていくのか。また、減っていく速度がとても早かったら。想像してみると

やっぱり怖いし、どうしようもない気がする。絶望して、何もかもをあきらめて、引きこ

もる気がする。それだけ文字は僕らにとって大切なんだと改めて思った。文字がなければ、

そもそも小説も書けない。正直、書いていて怖かった。

また、深見君を吃音症にしたのは理由がある。前に読んだ小説に吃音症の人が出てきた。

そんな病気があることを初めて知ったし、なぜかもっと知りたいと思ったからだ。冬実も

言っていたけど、文字を使えなくなっていくのと、うまく話せないのは似ていると思って

設定に組み込ませてもらった。

文字の大切さが読む宇人に伝わってくれたらいいなと思う。

最後に、この拙い小説と呼べるかもわからないものを読んでくれた方々、貴重な時間を割いて下さり、ありがとうございます。

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『』 あおぞら @bluesky0308

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