其ノ六 嫡男

 先生は歩くのがお速い。私が大きな薬箱くすりばこを抱えてお供を致しておりますと、先生はいつも御愛用の杖で軽く拍子を取りながら、年季の入った雪駄せったですたすたと私の前を行かれるので、私はそのお背中に置いてきぼりを食わないだけで精一杯に御座います。


 本日は片道一刻いっとき以上は掛かる、三里ほど離れた山野村やまのむらに、かちで向かって居る訳で御座いますが、私は歩きながら、ふところに仕舞って有る、出がけに鼻緒はなおの替えにと春庭はるにわ様に頂いた、藍色の木綿のきれの仕舞ってある左の胸の当たりが、どう言う訳だかじいんと熱くなるのを感じておりました。


 それにしても春庭はるにわ様は何を考えていらっしゃるのか。ご自身は木居もくおり家の御嫡男ごちゃくなんという重いお立場でいらっしゃり、本来私など下働きの者が、気安くお話しできる様なお方でも御座いませんのに。



明日に続く

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