(2)勧誘②

 桜井くんが「よろしく頼んだ!」と勉強を教えられに席までやってきたのは、週明けの月曜日の放課後だった。ちなみに、桜井くんがそんなことをしてくれたので、クラスメイト達は、なにか起こっては堪らない、と我先にと教室を出ていった。陽菜でさえ顔の前に手刀を掲げて出て行った。お陰で教室には私と桜井くんと雲雀くんしかいなかった。緊張のせいで、背中にはじんわりと冷や汗がにじんだ。


 でも桜井くんは意にも介さず、いそいそとカバンを持ってきて、私の前の机を私の机とくっつけた。その上には中学校の数学の教科書が載せられた。どこから突っ込めばいいのか分からなかった。


「……えっと」

「数学が一番無理、多分実力テストなんてされたら0点になる」

「マークシートだろ、理論値はとれるんじゃね」

「……100÷4?」

「25だバカ」


 割り算の計算の異常な遅さに、教える前からさじを投げたくなった。桜井くんは「あー、あー、つまり25点取れなきゃやばいのか」と眉を八の字にして教科書を広げる。


「とりあえずマイナスとプラスでどうやって計算すればいいのか分からん」


 ああ、やっぱり重症だ。でもひとたび引き受けてしまった以上、放り出すのは悪い気もした。仕方なく、広げたノートに数直線を書く。


「……概念として」

「ガイネン?」

「……この線を数直線って呼ぶんだけど」桜井くんの頭の程度を一生懸命推察しながら「このメモリひとつが1を意味してる。ここが4で、ここが0。その右に-1がくる」

「……ふーん?」


 あまり理解した様子はない。というか、いくら灰桜高校の普通科とはいえ、こんなんでどうやって入学してきたんだ……、と額を押さえていると、隣で机に足を投げ出している雲雀くんが「ほらな、駄目だって、コイツに教えたって」と笑った。


「……雲雀くん、桜井くんに勉強教えてたの?」

「あ? あー……」

「入学式のときも話したけどさあ、コイツ、こんなんだけど頭良いんだよ」


 桜井くんはシャーペンを放り出し、頭の後ろで両腕を組んだ。勉強をする気があるのかないのか分からない。


「西中でもずっと1番、でもずっとこのなり・・先公センコーどもも扱いに困ってさ」

「……中学のときから銀色で、耳もそうなの?」

「そうだよ」


 やっとこっちを見た目には、なんか文句あっか、とでも言われているような気がした。そういうわけではなく、ただ、桜井くんの言う通りだったんだろうなと思っただけだ。


「なんだよ」

「いや……」


 入学式の日はじっくり見る余裕がなかったけど、その耳にはこれでもかというくらいピアスがついていた。いや、私が装飾品の種類を知らないだけで、もしかしたらピアスと呼ぶのは適切ではないのかもしれない。それこそ、耳の輪郭りんかくに沿ってるものはピアスではないだろう。耳の上部を貫くように刺さっている棒も、ピアスと呼ぶのは適切ではなさそうな気がした。


「人の耳がそんな珍しいか?」

「ピアスって名前が色々違うのかなあって……」

「はあ?」


 私が何を考えていると思ったのか、雲雀くんは呆れ半分の声と一緒に笑った。雲雀くんは無愛想なわりによく笑う。


「耳に刺さってるもんは全部ピアスかってことか?」

「そう」

「まあ違うよな、これがトラガスだろ、んでこれがヘリックスで……」


 桜井くんが自分の耳を指差しながら呪文みたいなものを唱えた。雲雀くんは「お前、単細胞生物の名前はひとつも覚えらんねぇのにそういうのばっか覚えてんな」とやはり呆れ声だ。


「……それってお風呂入るときに外すの?」

「時々はずす」

「え、俺はずさない」

「はずせよ。化膿かのうすんぞ」

「でもしたことないもん」


 へえ……、と深々と頷いてしまった。2人の話すことは私にとっては知らないことばかりだ。


「……三国、お前変わってんなあ」


 不意に雲雀くんがそんなことを呟いた。ドキリと心臓が揺れたけれど、雲雀くんと桜井くんは多分気付いていない。


「……どこらへんが?」

「え? まあ、俺らに向かってピアスがどうだのこうだの聞いて面白そうにするヤツなんていねーし」

「つか俺らがつるむ女子って自分にピアス空いてるしな」

「確かに。三国は空いてねーもんな」


 髪を耳にかけているので、ピアスホールがないことは雲雀くんの位置から一見して明らかだった。


「てか、三国、マジでよく普通科なんか入ってきたよな」


 もう本当に勉強なんてどうでもよくなってしまったのか、桜井くんは机に膝をひっかけて、椅子をゆりかごのように揺らす。


「普通科っていったら、昨日の3年みたいなのがゴロゴロいるんだぜ。なんか今年は少ないみたいだけど」


 君達が灰桜高校普通科に進学すると噂が広まっていたからその手の連中は避けてとおったのでは? と言いたかったけれど、さすがにそれを口に出すほど頭は悪くない。


「三国みたいな大人しめ優等生がボケーッと教室にいたら2年になる頃には処女喪失してんだろ」

「しょ……?」

「昴夜、ちょっと黙れ」


 雲雀くんの静かな諫言かんげんで桜井くんは一度口を閉じた。


「……まあともかく、今年はまだマシだったけど、普段だったら危なかったんじゃねーって話。てか親に反対されてねーの?」

「……別になにも」


 治ってくれればそれでいい――とまでなまやさしいことは思われていないだろうけど、灰桜高校普通科というものに、両親の要望を左右する要素はない気がした。


 だから相談すらしていないし、連絡も寄越さないし、文句があれば手を回してくるだろうし、きっと問題はないのだろう。自分の中でそう納得した。


「ふーん。優等生の親って厳しいもんだと思ってたけど、意外と放任主義なんだな」


 頷く桜井くんとは違って、雲雀くんは黙ったままだった。


 そんな雑談をしていると、ペタンペタン、と廊下を歩く音が聞こえてきた。デジャヴだ。私は顔を上げたけれど、2人は顔を上げなかった。


「おーす。桜井、雲雀」


 扉から顔をのぞかせたのは、ピンクブラウンの髪をした男子だった。先週の訪問者が怪物だったのに対し、今度はちゃんと人間だ。しかも桜井くんと雲雀くんと変わらないような華奢きゃしゃな体つきで、品と甘さのある髪色によく似合う甘いマスクをしていた。学ランの丈は普通で、ただ同じ新入生にしては着方がこなれているから、多分上級生ではあるのだろう。


 平和的に声をかけられれば返事はするのか、2人も顔を上げた。ピンクブラウンの人はのんびりと教室に入ってきて、机の上に数学の教科書が広げてあるのを見て「ぶっ」と吹き出した。


「おいおい、桜井と雲雀で間違いないよな? なんで女子とお勉強会してんだ?」


 砕けた口調と態度からはいい人に見えた。桜井くんもそう感じているのか「うるせーな、関係ねーだろ。なんか用か?」と口を尖らせるだけだ。


 じっと見つめていると、その人もじろじろと私を見つめ返した。間近で見ると、その顔の綺麗さが余計に分かる。系統としては雲雀くんに近くて、アイドルみたいな顔をしていた。


「……これ、お前らどっちかの女か?」

「違う」素早く否定したのは雲雀くんで「ただ隣の席ってだけだ。見てのとおりな」

「あと新入生トップだ」


 桜井くんの補足は蛇足だそくに違いなかった。でもピンクブラウンの人は興味ありげに眉を吊り上げた。


「普通科なのに?」

「……そういうこともあります」


 2人が何も言わないので私が返事をする羽目になった。その人は「そういうこともある、ね。まあそうかもな」とどこか面白そうに笑った。


「分かったら、勉強の邪魔しないでくんね? 来週、実力テストなんだ」


 桜井くんは至極真面目な顔で教科書を叩いた。勉強をしようとしていたのは最初の1分もなかったのに何を言っているのか。


「勉強なんかしなくたって、西中のインテリヤンキーくんに勉強はいらないだろ?」

「いるのは俺だよ!」


 雲雀くんが不良のくせに成績優秀なのは公知の事実、そして桜井くんは自分の勉強のできなさを包み隠さず……。素直な反応だったからか、ピンクブラウンの人はケラケラと軽快に笑った。


「そっかそっか、死二神の片方はバカだったか」

「うるせーな!」

「つか、ほたるさん、アンタ何の用があってきたんだ?」


 変わった苗字……いや名前? とにもかくにも知り合いではあるらしい、そのピンクブラウンの「蛍さん」は「そうカッカすんな、ニコチン切れてんの?」とうそぶきながら、手近な机に腰を預けた。


「入学式、庄内しょうない達がちょっかい出しに来たって聞いてな。群青のトップとして、そこは一言謝りにきた。悪かったな」


 ……群青のトップ? もしかして2人の友達かもしれないと能天気なことを考えていたせいで、聞いた瞬間に鳥肌が立った。


 群青のトップってことは、昨日やってきていた怪物とその手下のボスだ。あのゴリラのボスが、このアイドルみたいな顔をしたピンクブラウン? そのギャップに混乱すると同時に、小柄な見た目とは裏腹に凄まじい強さをその内に秘めているに違いないと思うと、身がすくむ思いだった。


 ついでに、先週の怪物のセリフに出てきた「永人えいとさん」という名前を思い出した。もしかしたらこの人の名前は「ほたる永人えいと」なのかもしれない。


「……蛍さんさあ、アンタのそういうところは嫌いじゃないんだけど」


 それなのに、雲雀くんの態度は同級生と話すときのそれだ。私に接する態度と、礼儀という意味では大差ない。


「どうせ、詫びは方便ほうべんで、ついでに誘いにきたんだろ?」

「もちろん。ああそうだ、灰桜高校に入学おめでとう」


 蛍さんはまるで心から祝福するかのように拍手をした。私は2人の横でただただ面食らう。


「どーも。でも蛍さん、言ったろ。俺らはそういうんじゃないって」


 桜井くんの態度も上級生と話すときのそれではなく、相変わらずゆらゆらと椅子の上で体を揺らしている。


「俺らは2人で楽しくやってんの。んでもって、チームとか組織とか、そういう上下関係があるもんは苦手なの」


 このとおり敬語も苦手だし、と桜井くんはぼやいた。桜井くんの敬語の苦手さが、他人への尊敬の念の欠如からきているのか、敬語の知識の不足からきているのか、この数学のレベルを見ていると本気でどちらなのか分からなかった。


「そういやお前ら、中1のときに揃って3年ぶっ飛ばしてたな」

「そういえばそんなこともあったな」

「あの辺りから死二神とか言われ始めたんだよなあ」

「高校で同じことが通用すると思わないほうがいいぜ?」


 思い出話に花を咲かせようとしていたところを遮られ、2人は静かに蛍さんを見つめ返した。蛍さんは、にんまりと笑う。それが挑発なのか脅迫なのか、はたまたなにかたくらみを抱えているがゆえの怪しさなのかは分からない。


「……脅しか?」

「いや、ただの世間話みたいなもんだ」

「つかさあ、なんでそんなに俺らのこと誘うの。別に、俺達がいなくたって、群青ってめっちゃ強いんだろ?」

「そこは、多分噂に聞いてるとおりだ。お前らは、お前らが思ってるよりずっと、チームの勢力を左右する」

「買いかぶりだ」

庄内しょうないを一発でやっただろ?」

「だってあんなのゴリラのハリボテみたいなもんだろ。蹴ったら倒れた、そんだけだ」


 吹けば飛んだ、それくらい簡単そうに聞こえるけれど、体格差を知っているとそうは思えない。


 蛍さんは「んー」と悩むように髪をかきまぜた。女子のように長い前髪が顔の半分を覆い隠す。


「デカさでいえば、庄内はまあまあなんだけどな」

「だからハリボテだって、ハリボテ」

「いくら口説いたって無駄だ、蛍さん。俺達は群青に入る気はねーよ」

「……思ったより頑固だな。もう1年近く口説いてんのに」

「あー、そういや、俺らも蛍さんの就任祝い言ってなかったな。おめでとうございました」


 ガタンと桜井くんは地に椅子の足をつけ、軽く頭を下げた。雲雀くんも会釈程度に頭を下げる。蛍さんは「どーも」と白い歯を見せて笑った。


「……ま、そうだな。また誘いにくる」

「返事は変わんねーよ」

「さあ、どうだか。状況が変わればあるいは、な?」


 意味深なセリフに2人が眉を顰めれば「さっき言ったとおりさ」と蛍さんは嘯いた。


「中坊のときほど、周りは甘くない。たった2人じゃどうしようもないことだってある。特に団体様に狙われたときは、2人どころか1人にさえなる。そういうとき、チームにいると素直に助かる」


 くるりと蛍さんは踵を返した。その背中には「8」の刺繍が施されていて、やっぱりこの人の名前はあの怪物が口にしていた「永人さん」なのだと確信した。


「選ぶなら、群青にしてくれると嬉しいよ、おふたりさん」


 あまりにも穏便な勧誘のみをして、蛍さんは出て行った。

 桜井くんはすっかり勉強のやる気をなくしたらしく、頭をらせながら「んあー、めんどい」と吠えた。


「……あの人が、群青で一番偉い人?」

「偉い人……まあ偉いな、あれがいまの群青のNo.1だ」

「で、まあ、そこそこスゲェ。体格は昴夜と変わんねーけど、それこそ昨日来た庄内とかは蛍さん――ああ、蛍永人さんっていうんだけど、庄内は蛍さんの前だと頭も上げらんねーよ」


 ……全然そんな風には見えなかったけど、人は見かけによらない。あの見た目なら学生アイドルグループにいても特に違和感がないのに。ちなみに、その氏名は推測どおりらしかった。


「でもま、いい人」

「そう、いい人なんだよなあ」


 桜井くんは少し困ったように嘆息した。


「普通にいい人なんだよ。南中学にいた時から番張ってるんだけどさ、あの人。蛍さんが南中で番張ってから、南中の連中はマッジで大人しくなった。あと煙草吸う連中がめっちゃ減った」

「……なんで?」

「蛍さん、煙草嫌いなんだ」


 つまり、俺が煙草嫌いだからお前らも煙草を吸うな――と。そんなにも人のためになる我儘なんてなくて笑ってしまった。確かに、いい人だ。


「だから今の群青って煙草吸うヤツ少ないよな」

「あー、蛍さんが制服に煙草の臭いつくの嫌がるからな」

「2人とも、群青には詳しいのに群青には入らないの? っていうか入るとか入らないとかってなに?」

「そりゃ、群青は1個のチームだからな」


 それこそ概念として理解できていなかったのだけれど、桜井くんは勉強用に広げたノートに図を描き始めた。多分もうテスト勉強はしない。


「群青以外にも色々あるぜ。まあ群青と一番仲悪いのは深緋ディープ・スカーレットだな」


 その勢力の大きさを表しているのか、群青と深緋の円のサイズは同じくらいだった。


「それから白雪スノウ・ホワイト黒鴉レイブン・クロウ。他にも色々あるんだけど、まあ群青の連中とやり合うのはこのへんだなあ」


 「色々」と言いながら、桜井くんは小さい丸をいくつか書いた。


「蛍さんが群青のトップやってるみたいに、どこのチームにもボスはいるんだけど、チームのメンバーになるのにボスの許可がいるかどうかはまたチームによって違ってて」

「群青と深緋はそれなりに昔からあるし、上意じょうい下達かたつが徹底してんだ。だから群青はああやって蛍さんが前に出てきて、気に入ったヤツは自分で誘うし、そうじゃなくても蛍さんに話を通さなきゃいけない。だから先週の庄内みたいに勝手なことは、本当はできない。今頃、庄内はヤキ入れられてるはずだ」


 なんだかヤクザみたいだなと考えていると「上意下達ってなんだ?」「要は上の命令が絶対だってことだよ」「ああ、なるほど。そのとおりだな」と桜井くんへの解説が挟まった。


「で、蛍さんは、ああやって下が勝手にやったら謝りにくるんだ、俺のチームのヤツが悪かったなってな。筋は通ってるだろ」

「……なるほど?」

「深緋のトップとかはそうはいかないんだよなー。あそこはただ上級生が強くて偉いだけだし、蛍さんみたいに筋の通ったヤツじゃない。だから、蛍さんの誘いがどうってより、入るなら群青だとは思うんだよ」


 でもなー、と桜井くんは机に突っ伏した。金髪はたてがみのようにふわふわ揺れる。


「めんどくせーんだよな、上だの下だのって」

「同感だな」

「……2人でいて不都合もないんでしょ? なんで他のみんなはチームになるの?」

「興味津々だな、三国」


 知らない世界の話だから、沸騰している鍋の中のように沸々ふつふつと疑問が沸き上がるのは当然だ。でも雲雀くんは笑った。


「誰かがチームを作ると、それに対抗しないといけなくなる。5人と1人じゃ5人のほうが強いからな」

「俺は5人でもやれる」

「そういう話じゃない、バカは黙っててくんねーかな」雲雀くんは冷たく切り捨て「結局、負のスパイラルみたいなもんだよ。10人も20人も束になってかかってこられたら、敵わねーだろ。だったらこっちは20人、30人の束になろうって考える。だからチームになるしかないし、でかくもなる。くだらねーよな」


 ただの負の連鎖だ、と雲雀くんはぼやいた。その連鎖構造は理解できたけれど、まとまることを“負”とまで言う理由はよく分からなかった。


「……2人ってずっと2人なの?」

「いやー、3人かな。6組にいる荒神あらがみしゅんってヤツともよくつるんでる」


 そういえばそんな話もあった。でも隣のクラスにいるというのに、その荒神くんが5組に遊びにきたことはない。


「舜のことは知ってんだろ、三国」

「……中学2年のときに同じクラスだったけど、どんな人かは知らない」


 いつも教室の隅っこで友達と騒いでいる男子。授業中も寝ているか友達と騒いでいるかのどちらか。茶色っぽい頭にオレンジ色のメッシュが入ってた。女子に人気があるらしくて、いつも何人かの女子に囲まれていた。好かれる女子のタイプは様々で、風紀委員をやっていた大人しいクラスメイトから保健室に入り浸りのギャルっぽいクラスメイトまで、みんな荒神くんに夢中だった。


 そんな荒神くんと喋った記憶は1回しかない。文化祭準備のときに、荒神くんが買い出し係を引き受けてくれて、その荒神くんにメモを手渡しながら「よろしく」と言って「おっけー」と返された。それだけだ。


「まあ、簡単にいうとめっちゃ女好きだしめっちゃモテるしめっちゃ手早い。握手したら妊娠するくらい思っておっけー」

「…………」

風評ふうひょう被害だろ、それは。男の欲望に忠実なヤツなんだ。で、女に好かれる顔してるし、女の扱いも上手いってだけ」


 桜井くんの乱暴な紹介を、雲雀くんがフォローした。考えたことはなかったけれど、確かに扱いが上手くないとあんなにモテはしない気がした。


「……その荒神くん、5組に遊びに来ないんだね。隣のクラスにいるのに」

「最近新しい彼女できたから忙しいんだよ。アイツ、彼女ができたら暫くそっちに夢中になるから」

「彼女作ってもいいことねーのにな」

「……ないの?」

「基本弱味だからな」


 これまたヤクザみたいな話が出てきた。内心は茶化したい気持ちでいっぱいだったけれど、雲雀くんは真顔なので、どうやら本気らしかった。


「実際、楽な話だろ。彼女犯すぞなんて言われたらどんなヤツでも土下座したまま死ぬまでぶん殴られてやるし」

「……そうかな」

「侑生は愛が重いんだよ。コイツさあ、ちっさい妹いんだけど、妹が学校帰りに誘拐されたとき、マジで死ぬとこだったんだぜ」


 机に足を投げ出していた雲雀くんがガタッと揺れた。その手にある携帯電話はいつの間にか折りたたまれていて、多分、桜井くんの発言にあせったのだろうことが伝わってきた。


「テメッ……勝手に人の話してんじゃねーよ!」

「だって彼女犯すって言われたらとか言うから思い出しちゃって。そう、コイツの妹がね、学校帰りに誘拐されて『おい雲雀くん、妹欲しけりゃ土下座しろよぉ』とか言われたわけ。そしたらマジでコイツ、妹のために土下座して殴られ続けてたんだぜ、すごくね? 俺が駆けつけたときなんか……なんだっけ、そう、虫の息」

「テメェ!」


 クールな雲雀くんが声を荒げて桜井くんの胸倉を掴み上げた。でも桜井くんはどこ吹く風で「もー、あン時、俺が行かなかったらコイツ死んでたよー、マジでー。1ヶ月くらい入院してたもーん」それどころか一層からかうような口ぶりになっていた。


「……妹、いくつ下なの?」

「あぁ? 6つだよ。今年小学校4年だ」

「妹のことマジ溺愛してんの、マジシスコン」

「うるせーなテメェは!」

「おっと」


 突き飛ばすように手を離されたけれど、桜井くんは蹈鞴たたらを踏むことさえなかった。そのからださばきというか、身のこなしから、先週、3年生を蹴っ飛ばしたときの身軽さを思い出してしまった。


「……雲雀くん、優しいお兄さんなんだね」

「バカにしてんのか三国!」


 怒鳴られたけれど、不思議と怖くはなかった。なんなら笑えてしまったせいで、雲雀くんも怒りのやり場を失ったように口をつぐんだ。


「……三国、お前、変わってんな、マジで」

「……そうかな」

「だって普通の女子なんて侑生に怒鳴られたら泣いちゃうぜ」

「テメェも泣かせてやろうか」


 すっかり机から離れてしまった2人を見つめながら、思いがけず得た情報を整理する。雲雀くんは、まだ小学生の妹がいて、その妹のことを溺愛している。話ぶりからして、おそらく2人兄妹。桜井くんは不明。でもこの流れで自分の兄妹の話をしないということは、1人っ子……?


 そうして、頭の中で分類をする。私はまだ、この人達のことを知らないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る