山田さんは幽霊部員なんかじゃない。
中原恵一
幽霊部員の噂。
1-1
同じサークルに、たまに顔を出す程度の幽霊部員の女の子がいた。
彼女は「山田さん」という名前で呼ばれていたが、結局それが本名なのかあだ名なのかもはっきりしなかった。
彼女はこの男臭い鉄道研究会にはもったいないぐらいの美人で、最初はなぜこんなところにいるのか誰も分からなかった。
ここで軽く自己紹介をするが、彼女に対抗して僕の名前を仮に「中村」としておく。入っているサークルの名前からわかる通り、僕はいわゆる「鉄ヲタ」というヤツだ。
本当に全く部室にも来ない幽霊部員であれば誰も気にもとめなかっただろうが、彼女には一つ不思議な噂があった。
山田さんは本当に幽霊なんじゃないか、というのだ。
●
山田さんはあまりにも顔を出さないので、大学一年生の頃の僕はそもそも彼女がうちのサークルにいることすら知らなかった。
二年生の四月のある日、部室棟でサークルのみんなで友情破壊ゲームと名高い某鉄道ゲームにふけっていた折、突然ドアをノックするものがあった。
「ここで屯田兵はナシだろ!」
「うるせえ! お前だってこないだキングボンビー使ったじゃねえか!」
その小さな音は、コントローラを握りしめて絶叫する僕たちの声にかき消された。
「はいはい、もうこれで中村は負け確だな。今日の晩飯はぁ、中村のオゴリで決定!」
「さんせーい!」
サークル部員たちはゲーム上手なのに加え、煽りスキルも一級品だった。そのあまりの横暴ぶりに、僕はコントローラを床に叩きつけて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待てよ! そんな話聞いてねえぞ!」
ふざけんじゃねえ、と言いながら隣にいた鈴木部長に摑みかかろうとしていたせいで、僕は開かれたドアの前に呆然と立っていた彼女の存在に気付かなかった。
「あのー……」
彼女がこちらに向かって話しかけたときになってようやく、僕は背後を振り返った。
するとそこには、見るも可憐な黒髪の乙女が立っていた。
彼女はなんだかバツが悪そうな表情で僕たちを見つめていた。この時ばかりはその場にいた全員が静止した。
「しっ、新入部員の方ですか? ようこそ、鉄道研究会へ!」
急にマトモな社会人モードが発動した僕(副部長)は、カップラーメンの空とポテトチップスの袋が散らばった汚い部室を指差しながら鉄道研究会がどんな部活なのか紹介しようと試みた。どう考えてももう遅いが。
「いえ、一応以前からいるものですが……」
彼女は僕の質問に意外な答えを口にした。
ウチのサークルって、先輩以外に女子部員っていたっけ。
そんなことを思っていると、部室の隅で化粧直しをしていた唯一の女子部員・
「ああ、その子? 山田さんやろ?」
「……誰?」
僕を含め男子たちは皆ハモって首を傾げた。
●
山田さんは場違いな美人だった。
長い黒髪とどぎつい赤いリップ、ともすればきつい印象を与える一重まぶた。
よく「タヌキ顔の美少女」とか言うが、山田さんの凜とした佇まいはまるで狐を彷彿とさせる——表情に乏しく、何を考えているのかおよそ見当もつかない。
そして新歓コンパでそんな彼女の隣に座ってしまったのが僕だった。
大学近くの居酒屋にて——
「えー、今年度の鉄道研究会の新入部員は5人。存続ギリギリだけど、まあよしとしましょう! それじゃ、新入りさんも含めて乾杯といきますか!」
鈴木部長の乾杯の挨拶に合わせて、未成年のみんなは烏龍茶やらオレンジジュースの入ったグラスを持ち上げた。
部長は一度エヘン、と咳き込んだ。
「では、みなさん、声を合わせて——」
「はーい、かんぱーい!」
鈴木部長の言葉を遮って、
「おい、それは俺のセリフだって……」
「かんぱーい!」
みんな勝手に乾杯し始め、さっそく料理に手をつけ始めた。
皆が盛り上がる中、山田さんは僕の隣で一人黙々と枝豆を食べていた。
僕は汗をかいたカルピスのグラスを握りしめて、そんな山田さんとの会話の糸口を探っていた。
「そ、そういえば山田さんって、いつからこの部活にいるんですか?」
「……最初から?」
なんで疑問形なんだ。
内心ツッコミを入れるも、山田さんは相変わらず無表情だった。
「最初って、去年ってことですか」
「そう」
彼女がそう言ったきり黙ってしまったため、会話が終了してしまった。
どうすんだよこれ。
無言で枝豆の皮を積み上げる彼女に焦った僕は、適当に話題を振った。
「何か、追加で注文したいものとかありますか? 僕が代わりに——」
「こらこら、ドーテー。いくら女子部員が少ないからって、そんな風に質問ぜめにしたらかわいそうやろ?」
唐揚げをつついていた
「やーい、ドーテー、ドーテー!」
すると、今年初彼女ができたばかりの鈴木部長も一緒になってはやし立てた。
「他のみんなが話しかけないから僕が代わりに話してんだよ! 第一、僕が童貞かどうかはどうでもいいだろ!」
僕は真っ当な理屈を振りかざして彼女と話すことを正当化した。実際、女子と目を合わせて話すこともできない他の男子と比べれば、僕はだいぶマシな方だった。
「ま、ドーテーの中村くんは冗談も分からんか」
「そこの豆腐の角に頭ぶつけていっぺん死んでみたらええんちゃう?」
先輩も部長もひどい言い様だった。僕がんだと、と言いながら腕まくりしたところで、山田さんのか細い声が聞こえた。
「……あれ」
僕が口げんかを中断して振り返ると、彼女はカウンターにあったガラス瓶を指差していた。
「あれが、飲みたい」
「ラムネ?」
僕の視線の先にあったものは、子供が飲むような青いラムネの瓶だった。
僕は店員を呼んで、注文してあげた。
彼女はそれをグラスに注ぐと、しゅわしゅわと弾けるその炭酸水をなぜか物珍しそうに見つめていた。
「どうかしたの?」
僕が尋ねると、彼女はたった一言。
「……透明ね」
「メロン味とかストロベリー味の方がよかった?」
僕の質問には答えず、彼女は嫌に真剣な表情でグラスを握ると、一気にそれを飲み干した。
普段あまり喋らない山田さんが何を発するのか皆が注目する中、彼女はこれまたよく分からないことを言った。
「……味が足らんな」
よく聞くと、彼女の言葉には独特のイントネーションがあった。聞いた瞬間に明らかに東京の人ではない、どこか遠い場所から来たのだとわかるような話し方だった。
今思うと、それが違和感の始まりだった。
●
山田さんは確かにちょっと変わっていた。
あれからもう一度サークルのみんなで活動した帰りに食事に出かけたことがあったのだが、彼女はお刺身に七味唐辛子をかけたり、うどんを「硬い」と言って手をつけなかったりした。
はじめは味覚が独特なのだろうか、とか思ったりもしたが、それだけでは説明できないことも多かった。
ある日、部室でいつものメンバーで集まっていたとき——
「山ちゃんは、ホンマは幽霊なんちゃうか?」
ネイルを塗っていた
「幽霊って……。ただ幽霊部員なだけでしょ?」
学友会の部員名簿に名前だけは乗っているけど顔を出さない幽霊部員、なんて特別珍しくもなんともなかった。
「いやね、ちょっとオモロいことがあったんよ」
飛蘭先輩はそう言ってスマホに保存されていた一枚の写真を見せてきた。
「これ、去年の部員名簿なんやけど、会計のとこに『
みんな「山田さん」とばかり呼んでいたので、下の名前も知らなかった。
「それが?」
「調べたら、この人二年生の時に大学辞めてるんよ」
「……それって、どういうことですか?」
すると先輩は声を小さくした。
「こっからはウチの推測やけど、あの子はこの『山田さん』になりすましてる別人なんちゃう?」
先輩は意味深に笑った。
「そんなまさか……。憶測がすぎますよ」
馬鹿らしくなって、僕は茶々を入れた。
「ウチ、去年の夏ぐらいにこのサークル入ってきたからよーわからんけど、少なくとも山ちゃんが最初からここにおったってことはないと思うで」
「そういや、その直前ぐらいから見かけるようになった気がする」
先輩の話を裏付けるように、他のサークルメンバーがそんなことを言った。
「話変わるけど、今年の合宿はどこにしようかなー」
「ユニバ!」
「ディズニー!」
「どっちも高すぎるやろ。それより、そのイントネーションはおかしい」
関西人の
●
朝、大学へ向かって歩いている学生の群れの中に山田さんが見えた。
桜も散ってしまった並木道を、彼女はなぜかスーツケースを引いて歩いていた。そして運悪く、ちょうどにわか雨が降ってきて、学生たちは皆講義棟に向かってダッシュしていた。
このままでは濡れてしまう。
そう思った僕は、思い切って彼女に声をかけた。
「あ、山田さん! 大丈夫?」
僕が携帯用の折り畳み傘を彼女の頭上にさしかけると、山田さんは一瞬ギョッとしたようにたじろいだ。
「ごっ、ごめん。キモいよね。相合傘とか」
さすがに出しゃばってしまったと思って、僕は傘を引っ込めた。
すると。
「あ……、そうじゃないの」
山田さんは視界に僕の姿を見とめると——知り合いだと分かって安心したからなのか——心なしかほんの少し微笑んだように見えた。
「……ありがと」
彼女はか細い声でお礼を言った。
迷惑ではなかった……のかな?
僕はひとまず胸を撫で下ろした。
「それ、どうしたの? 旅行にでも行くの?」
ほんの思いつきでスーツケースのことについて聞いてみたが、彼女は目をそらした。
「いや、別に……」
彼女はまた黙ってしまった。
気まずい沈黙と、それを埋めるように道を叩く雨の音。
耐えきれなくなった僕は、間を持たせるために適当に話題を振った。
「そういえば、今年のサークルで合宿に行くんだけど、どこに行きたいとかある? 今んとこみんなユニバがいいとかなんとか言ってるんだけど……」
そもそも合宿に来るかどうかも分からない人にこんなこと聞いてどうするんだ。
途中まで言ってからそこに気づいて言葉に詰まっていると、山田さんは怪訝な顔で聞き返してきた。
「ユニバって、何?」
関西出身でもなさそうだし知らないのかと思って、僕は言い直した。
「ほら、大阪のUSJだよ。ユニバーサルスタジオジャパン」
そこまで言っても、彼女は全くピンときていないようだった。
この時僕は何も疑問に思わずに話を続けた。
「まあ、僕はディズニーの方がいいけどね。似たようなもんだし」
すると彼女はますます複雑な表情になった。
「ディズニーって?」
USJはとにかく、ディズニーランドを知らないというのはさすがにありえない。
遊園地とかに一切行かせてもらえない厳しい家庭で育ったんだろうか。
なんだか不憫に思って、僕は話を切り上げることにした。
「山田さん、今日の授業はA棟? それともB棟? B棟だったら僕といっしょだけど」
そこまでなら送ってあげるよ、と付け加えた。山田さんはまた消え入りそうな声で、
「……B棟」
とだけ言った。
「よし、分かった」
僕はとりあえず彼女をそこまで送り届けると、妙な違和感を抱えたまま自分の教室へ向かって急いだ。
●
学内でいつもスーツケースを持ち歩く山田さんについては、いろいろな噂があった。
彼女は大体、大講義室の一番後ろの席で静かに授業を聞いていたのだが、これは交通事故で死んでしまった幽霊が自らの死に気づかずに、必修の単位を落とすまいと健気にも授業を受けに来ているんじゃないか、とか。
はたまた、バイト代か何かしらの見返りをもらって誰かの再履修の授業を代わりに受けているだけなんじゃないか、とか。
一番現実的なものだと、彼女はもともと兄と同居していたのだが、暴力を受けてアパートから逃げ出し、仕方なくカプセルホテルに泊まりながら登校している、なんていうのもあった。
もしそれが本当なんだとしたら、興味本位であんなことを聞いたのはよくなかったかもしれない。
ゴールデンウィークも終わった五月半ばごろ——
「今年、我らが鉄道研究会は、『第一回架空鉄道学会』で発表します!」
江ノ電ニキのTシャツを着た鈴木部長が部会の最中、突然部員達の前でこんなことを宣言した。
「……なんですかそれは」
人差しと親指で摘んだ眼鏡をクイッ、と動かしながら鈴木部長は得意げに説明した。
「架空鉄道、通称架鉄というのはですね、最近静かなブームになっている高尚な遊びでして、実際には存在しない鉄道路線を考えるというものです。
今回はなんと! そんな架鉄好きが集まって互いの創作について発表するイベントが東京で初開催されるということで、我々も出展させていただくこととなりました!」
イェーイ、と一人で拍手する部長に、SNSに電車自体よりも自分の顔の占める割合が大きい自撮りをアップしていた
「他にも空想地図学会とか架空世界のボードゲーム大会とかもやってるらしいで。東京はオモロいとこやなぁ」
そんなニッチなイベントがあったんだと素直に感心した一方で、僕は冷静に突っ込んだ。
「……そんなの、現実にある鉄道だけで満足しとけばいいじゃないすか? 電車なんて世界中に山ほどあるんだし」
すると部長は食い下がった。
「いやいやっ、ここにこういう路線が通ってたらいいなぁ、こういうカッコいい鉄道があったらいいなぁ、って妄想する気持ち、同じ鉄ヲタなら分かるだろゥ?」
部長はそう言って図書館から借りてきたノートパソコンで、「ミステリー! パラノーマル映像チャンネル」というのを見せてきた。
そこには日本のどこかの田舎の駅舎を含め、実写としか思えないほど超リアルなCGで作られたいくつかの電車の映像が映っていた。
「これ、こないだネットで話題になってたヤツですよね?」
この動画は現在再生回数200万回を超えていたが、投稿者は不明だった。
「その通り。誰もが最初はただのスマホで撮った映像だと思ったが、実在しない駅だったんだ」
「はえー、リアルきさらぎ駅じゃないすか」
部長は拳をギュッと握りしめてアツく語り出した。
「おそらく、コレを作ったのは我らの同志に違いない! 架鉄好きが高じて、3Dモデリングができるゲームエンジンで自分の脳内にある架空の駅を再現してしまったんだろう」
部長は続けてエクセルにまとめられた地図のデータを見せてきた。
「今回の学会では、
なるほど、ぼくのかんがえたさいきょうの鉄道路線図を見せられるワケだ。
鈴木部長はその後、部会の残り時間全てを費やして、全体的に日本のようで日本でもないような島国・本日国の各都市の人口や都市規模、それらを結ぶ鉄道網についてベラベラまくし立ててきた。
僕がなんとかしてここから逃げ出す口実を考えていたところに、意外な人物が部室を訪れた。
「あれ……、山田さんじゃん」
開いたドアから山田さんがこちらをチラチラと覗き込んでいるのが見えた。彼女が部会に来るなんてほとんどなかったので、僕はとりあえず手招きして彼女を迎え入れた。
「何、してるんですか?」
彼女は開口一番にそう尋ねた。
「いや、そのー……」
いきなり「架空鉄道についてのお話をしていました」とか言ってもマニアックすぎて伝わらないだろう。
説明に困った僕は、とりあえずパソコンで例の謎のチャンネルの映像を見せた。
「ちょっと前にこの動画バズってたじゃん? これ、誰かがCGで作った架空の駅なんだって——」
僕はただ説明しようとしただけだった。すると何を思ったのか、山田さんが急に画面に顔を近づけてきた。
そのせいで、ふわりと舞い上がった彼女の長い髪が僕の顔に触れ、僕は不覚にも少しドキッとしてしまった。
食い入るように覗き込む山田さん。
近いって。
「……
鬼気迫る様子で、彼女はその駅の名前を読み上げた。
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