第32話 さあ、朝食にしよう

「そうか……君は……そうだったのか」


 今まで俺はてっきり、マリナは同世代の女の子だと思っていた。だから想像よりだいぶ若かった彼女に少しだけ驚いてしまった。彼女は不安そうに俺を見ている。


「ツルギ師匠……幻滅しちゃいましたか? こんなに、小さな子どもで」


 自嘲するように笑う彼女に対し、俺は首を振って答える。


「そんなことない」

「そう、ですか?」

「むしろ、その歳であれだけ動けたのなら将来有望だ」


 その言葉を聞いて、マリナの表情が少しだけ明るくなった。それでも、ぬいぐるみの後ろに隠れたままだ。


「あれだけ動けたのは、VRDがあったからです。VRDの身体だったからです。私が凄いんじゃないんです」


 彼女の表情が悲しそうなものになった。ううむ、これはどうしたものか。


 ダンジョンの外の彼女は。VRDの中に居ない彼女は。ここにいる小さな彼女は、いつもより自己を低く評価しているように見えた。いや……もしかすると、こっちが彼女の素であるのかもしれない。


「どうせ……本当の私は……」


 どうしたものか、と考えていると、横に居たデイジーが一歩前に出た。


「ウジウジしてるのはらしくないデスヨ。マリナ、あなたはツルギの一番弟子なのデショ。私は二番弟子デス。それは、今のあなたも変わらないじゃナイデスカ」


 デイジーの言っていることは中身がありそうで中身が無かった。だが、彼女は彼女なりにマリナを励まそうとしているのだろう。


 ここはデイジーの言葉に乗らせてもらおう。


「マリナ。デイジーもこう言ってるし、いつもの元気な君を見せてくれ。君は俺の一番の弟子なのだろう? なら、もっと自信を持つべきだと思うぞ」


 マリナは俺の目をじっと見て、何か考えているようだった。やがて彼女はぬいぐるみを脇に置き、ソファーから立ち上がった。


「そう……ですね。いつものように、しているのは難しいかもしれませんけど、ちょっとウジウジしすぎました。ツルギ師匠、デイジー、おはようございます」


 そう言って彼女は笑った。その笑顔はいつもより控えめで静かなものだった。


 朝食の準備ができるまで、娯楽室で短い映画を一本見る。一時間ちょっとのアクション映画で、観ていてなかなか面白かった。その間、クロイさんや黒服たちは別室へと移っていた。それはマリナがそうしてくれと言ったからだ。


 時間が来て、クロイさんたちが戻ってきた。


「皆様、朝食の時間でございます」

「ええ、分かりました」


 いつもと同じように話しているのに、今のマリナは良いところのお嬢様のように見えた。いや、実際彼女は良いところのお嬢様なのだが。


 朝食の席へ移動する。そこは思っていたよりは小さなテーブルの置かれた空間だった。思っていたよりは、と言っても実際にはそれなりの大きさがある丸テーブルで、見た目は以前ARレストランで見たものに似ている。


 テーブルの席には、すでに一人の少女が座っていた。俺やデイジーと同い年くらいに見える少女。彼女はマリナのVRDに似た見た目をしていて、違いは青いメッシュが無いということくらいだ。


 少女は俺たちを見てにっこりと微笑んだ。


「あら、皆さん。ごきげんよう」

「君は……マリー?」

「ええ、そうでしてよ」


 彼女はマリーで間違いないようだ。そう思っていると、マリナが俺の後ろにさっと隠れた。実の姉だろうに。苦手なのだろうか?


「あらあら。マリナったら、ツルギにずいぶんと懐いたようですわね」


 マリナは何も言わない。俺の服をぎゅっと握っている。


「この子、わたくしや父がカラスマを追い出したことを未だに根に持っているのですよ。面白い方でしたし、懐くのは分かるのですが、マリナ。カラスマは危険な人間なのですよ。それをいい加減、分かってはくれませんか」


 マリーはマリナへ諭すように言う。だが、マリナはそっぽを向いてしまった。


 たぶんマリナからすると、好きな人を会社から追い出されたことが許せないのだろう。とはいえ、カラスマさんが危険人物というのは、実際そうだろう。彼女は技術力を持っていて、かつては権力も持っていた。それでいて、彼女は神になることを本気で信じていた。いや、今でも彼女は本気で神になろうとしている。危険人物か、そうでないか、でいえば危険人物だと言わざるを得ないだろう。


 カラスマさんは危険な人間で、人を惹かせる何かを持っている。実際、俺やマリナは、彼女に惹かれているのだ。


「カラスマ姉さんは……危険なんかじゃ……ないもん」


 マリナの静かな怒りが伝わって来る。マリーは肩をすくめた。これはどっちが悪い、という話ではないのだ。ただ、どちらもすれ違ってしまっているのだ。どちらにも譲れない思いがあって、悪意はなくて、だから俺は彼女たちお問題に介入することはできなかった。


「……さて、皆様。席にお座りください。朝食がやってきますぞ」

「クロイさん。マリナたちの父は」

「はい。料理を作ってやってきます。料理は旦那様のご趣味なのです」

「なるほど」


 てっきり料理はクロイさんか、そうでなければ別の使用人が持ってくるものかと思っていた。ブレインズ社の社長は、思っていたよりは家庭的な人物なのかもしれない。


 俺たちは席に着き、ほどなくして若々しい男が配膳用のロボットと共にやってきた。男の年齢は、マリーくらいの歳の娘がいることを考えれば四十前後だろうか。とにかく若々しく、もし学校の制服を着ていれば、俺と同い歳のクラスメイトだと言われても、信じてしまうかもしれない。そして彼は顔が良かった。おそらく、マリーやマリナは彼の顔に似たのだろう。


「やあ、皆、おはよう」

「おはようございます」

「おはようございマスデス」


 俺とデイジーが先に挨拶し、後からマリーたちが続いた。マリナは挨拶をしながらも父親の方には顔を向けず、彼女たちの関係が察せられた。


「君がツルギ君か。そしてそちらに座っているのはデイジー君だね。私はマリーたちの父でブレインズ社の社長をしている。ノウズ・カイというものだ」

「どうもツルギです」

「デイジーデス」


 俺たちの名前を聞いてカイ社長はうんと頷いた。


「さあ、朝食にしよう。温かい料理を食べながら、今日の作戦に向けて有意義な話がしたいものだ」


 そうして丸テーブルの上に料理が並んでいく。パン、バター、スープ、サラダ、そして何かのアニメで見たような、ごろごろの肉団子がたくさん入ったスパゲッティ。


「君たちの舌に合うと良いが」


 社長は楽しそうに笑いながら、席に着いた。

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