第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
二段落目でいきなりビジネス的な文体が挿入されるのが、とても効果的だと思います。私も仕事では似たような文体によくお目にかかり、また自分で使うこともしょっちゅうです。
でも、例えば「いつもお世話になっております」だなんて、どうして顔を合わせたことのない人に言わなきゃならないのか、誰かの「お世話になる」ということも、いろいろな状況で深かったり浅いものに過ぎなかったりと、パターンがあるのだから、一律に機械的にさらりと口に出したりできるものなのか、と考えるほどに不思議で仕方ない。
誰もそういうことを考えないのか、と周囲を見ても、みんな平然とした顔で、恐らく使っているのです。どこかの誰かが、メールの冒頭はこう書くのですよ、と決めたばかりに。そんなことをつい考えてしまう自分が異端者のように思えてくる。
私はこの詩の中で一番大切にしたいのは、
役に立つために
生まれたのじゃないから
という言葉です。これは作者さんが、メール文体のように実用的な言葉ではなく、不可解な叫びのようにおよそ世間の役に立たないようなものに過ぎなくても、「自分の言葉」を持ちたい。そういう願望の表れかと思いますが、私はこの言葉を自分の身に引き付けて、自分自身が「役に立つために生まれたわけじゃない」と捉えたい思いになります。
役に立つなどというのは本当に結果論であって、それが先行すべき生き方が当然とされれば、やはり最終的には神風特攻隊のようなことになってしまいそうです。「人の役に立つ」ことがいつの間にか「自分を犠牲にすること」に置き換わってしまうのは、この国の怖いところだと思います。
役に立つことしか追及されなくなれば、最初に痩せるのは「言葉」なのかもしれません。誰もが自分の言葉を失い、そもそも「自分の言葉」というものが有り得ることすら気づかなくなる。それは自分の意思を失うことと同義でしょう。
文学こそ、「すぐ役に立たない」ものの代名詞のように言われがちですが、人間が人間であり続けることの防波堤の役割を、文学は「言葉の可能性」を通してつとめ続けていくはずです。
だから、一見「役に立たなそうな」言葉だと思っても、「役に立つこと」に違和感を持つ人間である以上、それを発することをやめてはいけないんだろうと思いました。
作者からの返信
佐伯 安奈様。ありがとうございます。色々気づかせてもらいました。「自分の言葉を失う」そのようなことにならないためには、自分の意志を表現するために使える言葉は何なのか、ということをしっかり確認しておかないといけないですね。うっかりすると、すぐに社会の言葉に使い回される私になってしまいます。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
いつも、よくぞこんな表現を思いつくなあと思わされていますが、今回はさらに物語性が含まれているような気がして、感動しちゃいました。
ちなみに、今回は「他人の言葉がわたしの顔を踏んずけて走り回っているだけだ」の所が、私的には「すごっ!」なポイントでした。
言葉を擬人化しつつ、彼らを送り出すような眼差しは、とっても素敵でした。
作者からの返信
月井 忠様。ありがとうございます。いつも、とりあえず書き始める。それから、自分が何を書きたいのか見つける。そんな書き方です。
「言葉を擬人化しつつ、彼らを送り出すような眼差し」このお言葉も詩的ですばらしいですね。
レビューコメントも下さり、ほんとに感謝でございます。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
大人になっていくと、
本音なんて人前で
晒せなくなるもんですね。
いやだー!
やりたくないーんだーーあ!
だーいすきだよ。
なんて子供の時は素直に言葉が
じゃろじゃろとあって。
それをすぽぽんと投げかけられたのに。
理性ちゅうもんは時に邪魔でんな。
作者からの返信
菜の花のおしたし様。ありがとうございます。ほんまです。子供の時は、なんでも思ったことが言えました。大人に成って本音が言えないのは、相手を気遣うより、自分が傷つきたくないからですね。ちっちゃくなるのは仕方ないけど、どこかで本音をさらけださないと。カクヨムはいい場所です。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
「今 わたしは言葉を使っていない
他人ひとの言葉がわたしの顔を踏んずけて
走り回っているだけだ」、はっとさせられました……本当にそう。
そして、ラストの2行が特に心に響きます。
共感しました!
作者からの返信
水無月 あん様。ありがとうございます。共感して下さり、本当にうれしく思います。他人の言葉に振り回される日々。屈辱でありながら、実は結構楽だったりする(愚痴は出るけど)そこにはまってしまうんですよね。
じゃあ、私の言葉はどうか。いざ向き合うとシビアなんです。うっかりすると怪我します。創作は、そのビリビリとのせめぎ合いなんですね。私は、その言葉たちが私を越えていってくれるジャンプ台になりたいのです。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
すごく勇気の持てる
お言葉
ありがとうございます
作者からの返信
あしはらあだこ様。ありがとうございます。「勇気の持てるお言葉」と言って下さり、とてもうれしく思います。私たちは普段言葉の力に助けられて創作しています。ついつい作ってしまおうとするのですが、そのことで、言葉の可能性を閉ざさないようにすることは結構難しいですね。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
感動、感動です。それ以外言葉がみつかりません。aono‐haijiさまのこの唯一無二の世界観大好きです。
作者からの返信
あんらん様。お褒め下さりありがとうございます。思いのままに書いているので、いつも読まれる方に伝わるか非常に不安なのです。あんらん様のように言ってもらえると、本当にうれしく思います。ありがとうございました。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
おはようございます。
言葉、は目に見えない、実際に生きている生き物では無いですが……この詩を読ませて頂いていると、目の前にその光景が浮かぶようです。
私は「詩」と言うものが、直接何かを言うよりも、もっと深いところまで、そのものを誰かに伝える事ができるのではと思っています。(とても抽象的な言い方でスミマセン😅)
とても共感できる詩でした。
すごいです😭
作者からの返信
ヒニヨル様。ありがとうございます。おっしゃること、ものすごくよく分かります。自分でもつかみきれない感性や感動というものを、詩や短歌、俳句、絵などの芸術は、心の内側に入って突然「ふわっ」っと気づかせてくれる。そんな感じだと思います。夢を持って関わっていきたいですね。
編集済
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
本当のわたしの言葉は
こんな所にいない
← カクヨムユーザーさんを代表するフレーズかと存じます。
生活者とは別の顔を持っている……すてきですよね~。
そうか、生んだ言葉に、とらわれつづけなくていいんですね。
自由に紡いでいいんですね、変容する心のままに。(´艸`*)
作者からの返信
上月くるを様。ありがとうございます。なにげない普通の名詞が一つの俳句の中で無限の光彩を放つことがありますね。詠まれた方の才能あってのことは勿論なのですが、どこか、偶然の出会いというものもあるように感じます。ある時、ある俳人と出会った一つの言葉が広大に広がる詩の世界を見せてくれる。私は原石鼎氏の「秋風や模様のちがふ皿二つ」という句が好きなのですが、ほんとに不思議。特別な言葉は一つも入っていない。なのに、読んだ人が、その人生で体験した「秋」をひとつかみにしてしまう。涙が出ます。話し言葉ではない、書き言葉でもない。ただうつろうだけの一つの言葉が、こんな奇跡を起こしてくれるんですね。私は生まれてきて、人間だけに与えられた、この「遊んでいる言葉」に出会えたことが、何ものにも代えがたい幸せだと思っています。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
ラスト2行が、とても深くて重い意味を持つように思えます。
作者からの返信
三奈木真沙緒様。ありがとうございます。そうですね。最後の2行みたいに独り立ちして旅立ってくれる言葉を残せたら最高ですけど…。でも、みなさんに見てもらえただけで、もう旅立ってますね。感謝です。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
建前の言葉、剥き出しの言葉、癒やしの言葉、攻撃的な言葉…etc…。
相手に伝える手段である「言葉」は、発する方にも聴き取る方にも、様々な波動を起こしますね。
作者からの返信
いしもともり様。お言葉ありがとうございます。そうですね。言葉はいろんな波動を起こします。そこからまた、新たな可能性が生まれますね。言葉の一番の役割は、心を伝えることだと思います。
第1話 詩 「言葉たち」への応援コメント
はじめまして。
言葉が無限に生まれる理由は「説明する」ためよりも「表現する」ためなのかもしれません。……と、拝読して思ってしまいました。
ただ在ることは、役に立とうとする以上に難しかったり。
自由を守るためには、戦わなければいけないこともあったり。
上手く言えないのですが、そういった諸々を別の表現に置き換えて想像させる文章が勉強になりました。自分の内側にある世界を、こんな風に表現できるのは本当に素敵です。
これからも楽しみにしております。
作者からの返信
風船葛様。ありがとうございます。言葉は、私たちが思う以上に自由に生き変化し続けています。私たちがついて行けないくらい。一方でコミュニケーションはAI の進化で記号化の波が情緒の部分にまで押し寄せている。私たちは、自らの言葉を見失わないように、忘れてしまわないように、気をつけなければならない時代が来ていると思います。