第23話 遺志

「――そういうことなら、俺の財産全部あげようか?」

「え」


 翌日。

 会長と一緒にサウスフィールドの事務所を早めに訪れた僕は、会長の身に降りかかっている事情をナハラさんに相談した。

 それに対する返事が今の言葉だった。

 僕と会長はぽかんとしている。


「あれ? 理解出来なかった?」


 ナハラさんはひょうひょうと呟く。


「鏡山ちゃんの事情はぶっちゃけお金さえあればどうにでもなるだろう? 親父さんからの性被害を警察に晒して豚箱にぶち込めば、鏡山ちゃんは確かにその後の進学や就職で不利になるだろうけど、それはお金でどうにでも解決出来る。だから俺の財産を受け取ってそれを運用していけばいいさ。1億はあるよ。相続税取られても元手としちゃあ余裕でしょ」

「い、いや待ってくださいよ……」


 ナハラさんのいきなりの提案がまったく理解出来ない。

 なんで僕らに財産を譲るとかいう発想が生まれているんだ……。


「ナハラさん……何言ってるんですか?」

「極めて合理的なことを言っているつもりだけどね」

「いや……色々と飛躍し過ぎたことを言っているようにしか……」

「そんなことはないさ」


 ナハラさんは換気扇付近でタバコに火を点けながら言葉を続ける。


「俺の事情が事情だからね」

「……ナハラさんの、事情?」

「俺はもうじき死ぬんだよ」

「……え」


 お昼に食べたいモノを言うようなテンションでそう告げられ、僕は戸惑った。

 会長も訝しげに眉をひそめている。


「死ぬって……どういうことですか?」

「ガンだよ。もう末期だ」

「「――っ」」

「治療は放棄してて、薬で痛みを誤魔化しながら生きてる状態。医者からはこの夏を越えることは出来ないって言われてる」


 そんな……。


「ガンは若いと進行が早いとはよく言ったもんでね、もう死へのカウントダウンは止まらないし、止めるつもりもない。俺は色々と取り返しがつかないことをしてきたし、その報いとして受け止めることを選んだんだよ。正直、死に場所を求めてた部分もある」


 ナハラさんは煙を吐き出して笑う。


「だから財産なんかもう必要ないのさ。君らのバイトを8月の上旬までしか受け入れられないのも、ぼちぼちこの事務所を畳もうとしているからだ。いわゆる終活状態なんだよ、今の俺って」


 衝撃的だった。

 僕は唖然として言葉が出てこない。

 それなのにナハラさんはなんてことないように言葉を続けてくる


「あぁそうだ、タイミング的に今がちょうどいいだろうし、霧島くんに教えてあげようか――俺が自殺オフを主催して自殺者を救済してたワケ」

「っ」

「結論から言っちゃうと――俺はね、自殺した恋人を愚弄されたくなかったんだ」

「自殺した恋人を……愚弄されたくない……?」

「その言葉だけだと意味が分からないよねえ。だからちょっと聞いてもらえるかい? 俺の昔話をさ」


 ナハラさんは天井を仰ぎ見ながらひと息吐き出し――

 それから、どこかやるせなさそうな表情でゆっくりと語り始めてくれた。


「……俺にはね、ミサっていう恋人が居たんだ。凄く良い子だった。綺麗で、お淑やかで、要領も良くてさ、普通に生きられる人生なら絶対勝ち組になっていた子だと思う……でもね、そんな前提条件を付けたことからお察しの通り、普通に生きられる子じゃなかった。とんでもない業を背負っていたのさ」

「その業っていうのは……、どんな?」

「――ヤクザの娘」

「……っ」

「反社の家族なんてモノはさ、あらゆる状況下で排斥されるのがこの現代社会なわけ。代表例としちゃあ、あらゆる公的審査でほぼ必ず弾かれるってことかな。でもそんなのはぬるい規制のひとつに過ぎなくて、反社に対しては社会全体からのもっとキツい制約が幾つも設けられているわけだ。それこそ、はみ出し者の家系に生まれたっていうただそれだけのことで、穿った目で見られて人付き合いもままならない。そういう生まれながらの枷がミサにはあった」


 ナハラさんは目を悲しそうに細めながら、白煙を噴き出した。


「だからミサは当然、まともに生きちゃいなかったわけ。俺と出会ったとき17だったけど、その時点で組員の子を5人も産んでる異常な身体だった……そんな狂った生活がイヤで、つらくて、家出をして、追っ手から逃げてる最中のミサと、俺はたまたま出会った。そんで俺はね、見捨てられなくてミサを匿ったのさ」


 壮絶な話が続けられる。


「俺はなんの力もない普通の大学生だった。それでもなんだかんだミサのことを隠し続けることが出来てね……そんな中で気付けばお互いに惹かれ合って、恋に落ちて、そういう仲になってた……色々ビクビクしながらの生活ではあったけど、あの頃が一番人生で楽しかった。いつかヤクザの家族から逃げおおせることが出来たら、2人で普通に生きようってしきりに約束していたもんさ」

「……」

「まぁでも……そんな約束は果たせずに終わったけどね」


 ナハラさんは苦しそうに笑っていた。


「幸せな時間はここまでだ、って言わんばかりに、俺が社会人1年目に突入したある日……ミサの居場所が突き止められた。俺の留守中にさ、ミサの実家の連中が押し寄せてミサを連れ戻そうとしたってわけ。で、その結果としてミサは……その場で首を掻き切って自殺しちまったのさ。実家に連れ戻されてまた繁殖牝馬みたいな人でなしの生活に囚われるくらいなら、死んだ方がマシって選択だったんだろうね……」

「…………」

「部屋に帰ったらパトカーが停まってるわ、ミサが死んでるわ、ヤクザ連中が捕まってるわで、当時の俺は混乱しまくったもんだよ……で、まぁ、自分の部屋で起こった出来事を完全に理解したあと、俺は会社をやめて自暴自棄に生き始めるようになった……そんな中でさ、たまに自殺のニュースを見かけたりすると俺はこう思うようになってた――お前絶対ミサよりつらい状況に追い込まれてないだろ、ってね」


 ――ハッとした。

 ナハラさんの自殺者救済の動機。

 恋人を愚弄されたくない、っていうのはつまり……。


「死ぬ理由にも格ってもんがあるのさ。パワハラがキツいだの、生活が苦しいだの、そんなしょーもねえ動機で死んでんじゃねえよって話なんだよ。そんな動機で死ぬっつーのはさ、生い立ちから何まで本当にどうしようもなかったミサや、それに類する人たちを愚弄しているよね」

「じゃあ……」

「あぁそうだよ霧島くん。俺は実のところ、自殺者を救済なんかしちゃいないのさ。しょーもねえ理由で死のうとしてる連中をとっちめて、八つ当たりしてるってだけだよ」


 そう、そういうことになるんだ……。


「だから俺自身しょーもねえ野郎なのさ。まかり間違っても神聖視されるような人間じゃない」


 うんざりしたように呟いて、ナハラさんはタバコの火を消し始めていた。


「けどさ……そんなしょーもねえ人間だからこそ、俺は最期くらい何か意味のあることを成して死にたいってわけ。これまでにやったことへの贖罪として……君らを救う、とかね」

「だから……財産を譲るって言ったんですか?」

「イヤかい?」

「……財産を譲るべき相手として、もっとふさわしい人が居たりするんじゃないですか?」

「いや居ないね」


 断言された。


「両親はとっくに死んでて、子供も居ない。仲の良い親戚も居ないし、譲るべき相手に一番ふさわしいのは霧島くんたちだよ。なんつーか、君ら似てるんだよね俺とミサに。……もちろん、鏡山ちゃんの境遇はミサに比べりゃぬる過ぎると思うよ。でも行き場を無くした家出少女と、それを匿う青少年の組み合わせっつーのはさ、どうしても重なるところがあるんだよ。だから俺としちゃあ、尚更君らを放っておけないってわけだ」

「ナハラさん……」

「で、まぁ、今から言うのは俺のわがままなんだけどさ」


 そう前置きして、ナハラさんはいつもの楽しげな笑みを携えてこう言ってくれた。


「君らにはどうか、俺とミサの分まで幸せになってもらいたい。……俺も、ミサも、今生に満足出来たかって聞かれたら違うと答えざるを得ない。でもそんな俺たちと似た霧島くんたちが、なんの因果かこうして俺と出会ってくれた。前に言ったとおり陳腐で嫌いな言葉だけど、これはきっと運命だ」

「……かも、しれませんね」

「ああ。だから君たちに諸々委ねてみたい。別に救済活動とこの事業を引き継げってわけじゃないよ? 単純に俺たちの分まで普通に……そう、普通に生きてくれればそれでいい。そんな身勝手な思いを、どうか汲んでもらうことは出来ないかな?」


 そう問われて、僕と会長は顔を見合わせていた。そして会長の目を見て理解した。僕らの意見は同じだということを。そこに迷いはないということを。

 だから僕が直後に、代表して応じた。


「じゃあ取引してください」

「いいね、強欲で結構さ。財産以外にも何か欲しいモノが?」

「いえ、ナハラさんの終活をお手伝いさせて欲しいのと、最期を看取らせて欲しいんです」

「それはそれは……また物好きな」


 ナハラさんは弱ったように後頭部を掻いてみせた。そんな表情は初めて見た気がして、ズレた感想だけど僕はなんだか嬉しかった。


「……なんでそんなことをしたいのか聞いても?」

「単純明快ですよ。僕らを助けてくれるヒーローの勇姿を、最期の最期まで見届けたいってだけのことです」

「そいつはまぁ、なんとも恥ずかしいね」


 ナハラさんは苦笑しながらぼやいていた。それでもどこか楽しそうな雰囲気をまといつつ、おおらかな態度で頷いてくれる。


「まぁでも、別にいいよ。ろくでもない最期を迎えるとばかり思っていたけど、看取ってくれる人が居るなら、俺はもしかすると幸せなのかもしれないね。それとさ」

「はい?」

「俺をヒーローと呼ぶなら、君らもヒーローだよ。俺のわがままを聞き届けてくれる英雄に幸あれ」


 こうして僕らはこの日――お互いに救いをもたらす約束を取り交わしたのである。


   ※


 それからの日々は、色濃く進んでいくことになった。


 事務所を畳むまでは普通に特殊清掃業務をこなしたり。

 それと並行してナハラさんの終活を手伝ったり。

 会長のお父さんの性被害告発をナハラさんからアドバイスをもらいつつ成し遂げてみたり。


 おおよそ普通の高校生じゃ味わえない夏休みを過ごして、僕はやがてナハラさんの残りの時間に必要な分以外の財産を生前贈与されたりしつつ、だんだんと弱っていくナハラさんのお世話をこなしたりもした。


 そして夏休みが終わり、残暑もなくなってきた9月23日――ついにそのときがやってきてしまった。


 近隣の終末期病棟で寝たきりになっていたナハラさんは、学校を休んで駆け付けていた僕と会長に対して、最期に力ない文字を書き記したメモ用紙を見せ付けてきたんだ――。


『夏は越えられないって抜かしやがった医者にさ、越えてやったぞざまあみろ、って言っといてw』


 そんな、らしい言葉を最期に遺して、ナハラさんは静かに31年の生涯を閉じてしまった。


 その日、僕と会長はボロボロに泣きじゃくりながら――


 ナハラさんというヒーローが確かに存在していたことを自らの胸に焼き付け、


 感謝の気持ちも生涯忘れないことを胸に誓って、


 後悔なきように自分たちの道を歩み始めることを、決意としてこの身に刻み込んだのである。

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