第17話 オフ会 2 ~side:柚季~ & ~side:ナハラ~

「……んぅ……」


 一体どれほどの時間が経ったのだろうか。

 吐息を漏らして意識を覚醒させた柚季は、自分が睡眠薬で眠らされたことを思い出してハッとする。


(――っ、今……どうなって……)


 どこかに寝かせられているようだった。

 そしてまぶたを開けても視界が真っ暗なことに気付いて、焦る。どうやらタオルか何かで目元を覆われ、視界が塞がれているらしい。

 その上、手足が手錠あるいは鎖のようなモノで大の字に拘束されており、自由に動かすことが出来なかった。


「な、何これ……どうなってんの……」


 口元だけは自由。

 そんな中――、


「やあ、目が覚めたかい?」


 楽しそうな声が部屋の中に木霊した。

 柚季はもちろん、そのひと言だけで相手の正体を察する。


「ナハラ……っ」

「そう、大正解。意識は正確に戻ってきたようだね。あの睡眠薬マジで強力だから記憶混濁とかの副作用があってさ、もしかしたら俺のこと覚えてないかも、なんて心配してたよ」

「――これはどういう状況!? どこなのここ!?」

「ここはまぁ、誰の邪魔も入らない場所とだけ分かっておけばいいよ。そして君は今ベッドに寝かされ、拘束されている。自由なのは口元だけだ」


 ナハラはそう言ってベッドの脇でカチャカチャと何かをイジっていた。


「な、何をしようとしてんの!?」

「死にたいんだろ? だから殺してやろうと思ってさ」

「はあ!? あ、あたしは殺されたくなんかない!」

「どうして? どうせ死ぬなら一緒じゃないかい?」

「い、一緒なもんか! あたしは楽に死にたいんだ……! だから自殺オフ会に参加して練炭で死のうって思って……っ」

「まぁ、予定ってのは変わることもあるさ」

「ふ、ふざけんな!!」

「その憤りはなんだい? 死にたいくせに凄い気力じゃないか?」

「楽に死にたいのに殺されそうになってんだからそりゃ怒るに決まってんでしょ! 痛いのなんてイヤで、首つりも怖くて、他人と一緒に練炭なら楽に逝けそうって思ってあんたのとこに顔出したのよ! こんなワケ分かんない状況で死にたかったわけじゃない!」

「贅沢言うなよ」


 ナハラは冷たい声で言った。


「そもそも練炭ってそんなに楽な死に方じゃないよ? 高濃度の一酸化炭素を一気に注入されない限り、溺死よりも酷い苦しみを味わう。じわじわと酸欠で命が削られていく様を目の当たりにしたら、練炭よりもホームからの飛び込み自殺が一番良いって理解するだろうさ。ま、君にはそれを行う勇気も度胸もないだろうけどね。だから俺なんかを頼ってしまった」

「……っ」

「ともあれ、君の言い分を統括すると、別に痛くも苦しくもなきゃ殺されてもいいってことだろう? だったらもう死へのカウントダウンは始まってる。それに気付かないってことは、君の言う安らかな死をお届けすることが出来ているってことだよ」

「……え……?」


 ナハラの言っていることの意味が分からなかった。


「し、死へのカウントダウンが始まってる、って何……?」

「大の字に広げられてる右腕のさぁ、手首に意識を集中してごらん?」


 そう言われ、柚季は静かに右手首に意識を向けた。

 腕を伸ばされ、台座か何かに固定されている右腕の、その手首の部分からポタポタと水分が流れ出る感覚があった。


「こ、これって……」

「そう、君は目隠し状態で見えないと思うが、眠ってるうちに手首を切った」

「……っ!?」

「痛くないだろう? 局所麻酔を打ってある」


 確かに痛くない。

 そもそも言われなければ切られたこと自体に気付かなかったはずだ。


「な、なんでこんなことしてんの……?」


 このままなら致命傷になり得る傷をナハラが与えてきた理由が分からず、困惑する。

 すると彼はひょうひょうとこう言った。


「自殺がしたいという君の尊厳を奪ったんだ」

「……は?」

「君は自殺がしたかったのに殺されかけている。このことに後悔は湧かないかい?」


 そう尋ねられた瞬間、柚季は色々察して気付けば鼻で笑っていた。


「へえ、なに? まさか遠回しに自殺なんてやめろとでも説教かまそうとしてんの?」

「おや、察しが良いね。まあそうさ。死に追い込まれることで人ってのは考え方が変わることもある。だから自殺者の『自殺がしたい』という尊厳を奪うことで後悔させ、逆に生存を促そうとしているわけだ」

「なんのために? 自殺なんて良くないよ、とか言っちゃうわけ?w」

「まぁそうだよ。端的に言えばそうなる」

「…………」


 淡々と肯定され、柚季はそんな態度になんだか気圧されてしまう。


「でもいいかい? まかり間違っても俺は君を助けたいわけじゃない。自殺は卑怯者が行う逃げの行動だ。だから逃げずに黙って現実を受け入れろ、って言っているのさ」

「…………」

「もちろん、やむを得ず自死を選ばざるを得ない本当に苦しい人たちが居るのは百も承知だ。けど君はそうじゃない」

「……あ、あたしは……っ」

「無駄にあらがうのはやめなよ。君はただ、逃げているだけだ。断言しよう」


 ナハラは淡々と告げてくる。


「君は返しようのない借金を背負っていたり、余命を宣告されて苦しい末路が待っていたり、100パーセント死ぬであろう悲惨な戦場に投入されるわけでもない。君は所詮、どうとでもなる日常的な苦しみからの解放を求めているだけだ。ハッキリ言って死ぬほどの痛みは背負っちゃいない。本当に苦しい人たちに失礼なことをしているのさ」

「そ、そんなことは……」

「――あるんだよ残念ながら」


 えぐるようなナハラの言葉が続く。


「彼氏からフラれてショック? しょーもないねえ。彼氏が一番ショックだろうよ。てめえのカノジョが浮気してたんだからさ」

「……」

「で、フラれてから人生が上手く行かない? 学校でガラス割って、ハメ撮りも流出? ホントしょーもないねえ。生き恥晒しながら生きればそれで済む話じゃないのかな?」

「……」

「いいかい? 死んで逃げるほどの価値すら君にはないんだ。自殺サークルを頼るような自力で死ぬ勇気のないゴミは、教室の隅でジッと丸まってゾウリムシみたいに生きていればいいんだよ」


 腹立たしいことを言われている。

 しかし柚季はむしろ笑ってしまった。


「でもあたしはこのまま血を垂れ流し続ければ死ねるでしょw 私はあんたの思惑通りになんかならない! 改心なんかするつもりがない! このまま死んでやる! そんであたしにクッサい説教かましたあんたは負けることになる!w」

「俺の負け、ねえ。そうなると思うかい?」

「まさか止血するとか言い出さないでしょ!? そんなことしたら、それこそあんたの言う卑怯者の所業なんだから……!!」

「あぁ、別に止血なんてしないよ。めんどくさい」

「ならあんたの負けだ!w あたしは確かに自力で死ぬ勇気なんて無い!! でも勇気なんか無くてもあんたのおかげで死ねるんだよ!w あんたは殺人犯として生きて藻掻き苦しめバーカ!!w」


 そう言ってあざ笑ったのち、柚季は興奮により自分の動悸が速まり、手首からの流血が加速度的に増しているような感覚に囚われた。


 それと同時に、意識が掠れ始めていく。

 ついに、ようやく、迎えが来たのかもしれない。


(楽になれる……これで、あたしの勝ちだ……)


 意識が暗闇に沈もうとしていく。

 そんな折、柚季の目隠しが急にゆっくりと取られ始めた。

 沈む意識の中、こちらを覗き込むナハラの顔が映り込む。

 そして彼が――


「残念だけど、俺の勝ちだよ」


 そう言ってあざ笑っているのを見て、柚季は不可解な感情と共に意識を喪失することになった。




   ~side:ナハラ~




「思い込みの力は凄いよねえ……まさか本当に衰弱して失神に至るとは思わなかった」


 スポイトをつまんで柚季の右手首に水を滴らせていたナハラは、そう言って楽しそうに笑った。


「君の生死が勝ち負けの評価基準だって言うなら、勝ちは俺だよ。残念ながら君は死んでない」


 ノーシーボ効果、というモノがある。

 端的に言うなら、プラシーボ効果の正反対の作用だ。


 思い込みによるプラス作用をプラシーボ効果と呼ぶのに対して、思い込みによるマイナス作用をノーシーボ効果と呼ぶ。


「こんな人体実験が昔、行われたことがあるらしい。とある死刑囚に拘束と目隠しを施した状態で首筋に研がれてない刃を押し当て、頸動脈に傷を付けたように錯覚させた上で、出血を偽造するための水滴を垂らし続けた。そして1分後に『あなたは今致死量に相当する3分の1の血液を失いました』と告げたところ、その死刑囚は息を引き取ったそうだ」


 人体は思い込みによって死さえ引き起こす。

 それは簡単に言えば極限のストレス。

 人はストレスというメンタルの不調によって体調を崩す。

 それの究極系がその人体実験の結末と言える。


「でも俺はその実験結果は都市伝説としか思ってなかった。だから俺なりのアレンジを加えて試してみたんだけど、まぁ死ぬところまではいかなくても、失神には至るって分かって満足だよ」


 ナハラはスポイトを投げ捨てて、呼吸も脈も安定しきった状態で眠る柚季を見てあざ笑う。


「逃げられなかったねえ? 勝ち逃げ出来たと思ったのに、君は残念ながらそのうち普通に目が覚めるんだよ」


 死ねたと思ったにもかかわらず、普通に目覚めてこの世という地獄にもう一度引き戻される自殺者の心理とは、一体どういうモノだろうか。

 色々と想像出来る余地はありつつ、正解は結局彼女にしか分からないのだろう。


「あとで正解を聞かせて欲しいけど……最悪のパターンもあるのかな」


 そんな風に呟きながら、ナハラはひとまず後片付けをし始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る