グリム奇譚・魔女を討つその日まで

真朱マロ

魔女を討つその日まで

 白雪姫は目を覚ます。

 山頂のゴツゴツした岩場に置かれた、寒々しいガラスの棺の中。

 二度、三度と緩やかにまばたいて、透明な蓋に細い指先を当ててそっと押し上げた。

 華奢な体を起こし、ふと、目覚める直前に喉の奥から転げ出た毒林檎の欠片に気付いて、ポイと遠くへと投げ捨てる。

 冷たい冬の空気を大きく吸って、吐いて、棺の中に座ったまま、そっと視線を傍らへと投げた。


「姫様、首尾はいかほどに?」


 ひっそりと控えていたずんぐりした人影に、ふわりと白雪姫は微笑んだ。

 右手を伸ばし、小さく「来たれ、我が手に」とつぶやけば、白銀の剣が現れる。

 細やかな文様の刻まれた剣は、見ただけで震えるほどの神気を放っていた。

 

「すべては鏡の言葉通り。これで魔女を倒す全てがそろったわ」


 華やかで繊細な顔立ちの美しい少女の瞳には、強い信念と燃えるような戦意に満ちていた。

 容姿にそぐわぬ獰猛な光を宿した視線を向けられ、今までガラスの棺を守っていた小柄でずんぐりした男は、たっぷりとした髭を満足げになでつけた。


「それは重畳。我等のような老いた七人の小人が、姫様を育てた甲斐が有り申した」

「ふふふ、老いた小人って。黒鉄の七戦士が衰えるには、あと二百年は必要でしょう?」

「さて。故郷を失って50年。怨敵を討つその日まで、髭面の小人で充分でありましょう」

「そう。なら、頼れる私の七人の小人さん。そういうことにしておくわ」


 コロコロと笑い出した美しいかんばせに、髭面の小人はしばし刮目する。

 隣国との国境で知らせを待っている同胞の姿を脳裏に思い描いた。

 たおやかで華奢なこの少女に導かれるまで、故郷を失った悲しみで森の奥に隠遁するばかりだった。

 黒鉄の里と呼ばれたドワーフの国はすでに亡く、薄汚れた小人の服をまとい、誉れ高き戦士の誇りすら失っていた。


 それがどうだ。

 幼女であった白雪姫が森の小屋を訪れ「私にあなた方の持つ戦いの術をすべて教えなさい」と命じられてから七年。

 たかが人間の小娘がと湧いた侮りを綺麗に裏切り、ひたむきに真っすぐな燃えるような情熱で取り込む姿で、朽ちた小人の炉心に火を灯しドワーフの魂までも蘇らせた。


 白雪姫が変えたのは、ドワーフだけではない。

 還る森の国を失ってから退廃に逃げる小狡い狩人に成り下がっていたエルフたちも、少女の熱に怠惰と諦めを焼かれ、不屈の意思を取り戻し、侮りで「たかが人間」と言い放ったことも忘れて、その英知のすべてを教えていた。

 その眼差しと、強い意志で他者を変え、動かし続けているのだから、たいした娘だ。


 だが、今はまだ準備が整っただけの段階である。

 白雪姫の帰還を待ち望んでいた同胞に、準備を知らせねばならない。

 人の良い小人の顔を消し、ドワーフの戦士の顔になる。

 胸のポケットから水晶で出来た小鳥を取り出し、ふたつ、空に投げた。

 魔法で出来た透明な小鳥は空中で翼を広げ、キラキラと光を放ちながら森へと向かって飛び去った。


 それは白雪姫の目覚めを知らせるもので、ひとつは森の奥で待つ髭面の仲間たちの元に向かい、もうひとつは国境で待つ隣国の王子の元へと向かう。

 魔女の脅威を知ったときから、隣国とは秘かに同盟を結んでいるのだ。


 煌めく光が流星のように尾を引いて去るのを、白雪姫は目で追った。

 悲願がかなう予感と、迫る戦いの予感で胸が高鳴る。


 母の紅薔薇妃を亡くした七つの歳より、今日この日が来ることをどれほど待ち望んでいた事か。

 

 始まりは、母である紅薔薇妃の死だった。

 幼かった白雪姫は悲しみで胸が張り裂けそうになりながら、何日も泣き濡れていた。

 泣いて泣いて、居なくなった母の面影を探して、夜も眠れず真夜中の城をさまよい、そして隠された小部屋に辿り着いた。


 壁にかけられた古めかしい鏡に気付いて、白雪姫は暗い鏡面を覗き込む。

 鏡に映る白雪姫の姿は幼くとも、白い肌も黒檀のように艶やかな髪も赤く艶やかな唇も、亡き母と同じ色彩をしていた。


「お母様、優しいお母様。わたしを遺して、どうして亡くなってしまわれたの?」


 鏡に映る面影にそっと指をはわせながら、白雪姫はポロポロと涙をこぼす。

 鏡に縋り付くようにしてこぼしたつぶやきに、思わぬ返事があったのはその時だ。


『哀れで美しいお妃さま。紅薔薇の名を持つ妃が亡くなったのは、魔女が寄越した毒の林檎を召したから』


 驚きに目をまたたかせ、白雪姫はその言葉に身を震わせる。

 声の主が鏡だとすぐに理解して、ひとつ、深く息をする。


「鏡よ鏡。おまえは魔法の鏡なの?」

『私は真実を述べる魔法の鏡。過去も未来も見通して、嘘偽りなく述べましょう』


 白雪姫は魔法の鏡に問いかけた。

 そして知る。


 母を殺した魔女のことを。

 美しさに固執するその魔女が、母の美貌を妬んだことも。

 魔法で王宮料理人をそそのかし、毒の林檎を母に食べさせたことも。

 父王を美貌で堕とし、魔女が一年後には継母としてこの国に居座る事も。

 そして、この国の支配を足掛かりとして、他の人間の国々にも手を伸ばすことも。

 なにより、魔女の魔法は、魔女の美貌で成り立つ事も、包み隠さず教えてくれた。


 魔女の美しさに魅了された人間は、性別に関係なく魔女の思うがままに操られてしまうのだと鏡は言った。

 そうやって魔女は内側から侵食して操り、水泡の国の人魚も、黒鉄の国のドワーフも、新緑の森のエルフも、崩壊する国々を嗤い、自分以外の美しいものを虐げ殺害してきたのだ。


 そして、今の魔女が目を付けているのは白雪姫の国。

 紅薔薇妃の美しさと穏やかで豊かな国の在り方が、自らの美しさに固執する魔女の気に障ったのだ。

 あまりに恐ろしい魔女の災いが迫る現実に、白雪姫は問いかけた。


「鏡よ、鏡。私がこの国を取り戻し、魔女を倒すにはどうすれば良い?」


 真実の鏡に話しかけるのは、これが最初で最後の機会であること。

 七つの森を越えた場所に隠れ住む、七人の小人を名乗っているドワーフの戦士に教えを乞うこと。

 隣国へ密やかに助力を求め、白雪姫が立太子した暁に王子を王配とすること。

 霊峰にて死者だけが通れる門をくぐり、神から破邪の剣を借り受けること。

 魔女に気付かれぬよう邪な計略に添い、三度死ぬこと。


 真実を述べる鏡は、とうとうと澱みなく語り続けた。

 尋ねたのは自分自身でも、白雪姫は恐ろしさに震えてしまう。

 それに、どう頑張っても父王は助けられないと知り、涙が止まらない。

 やり遂げるまでの道のりにも震えたが、それ以外の道はないと鏡に言い切られ、覚悟を決めた。

 けれど、ほんの少し不安になって、最後にもうひとつだけ鏡に尋ねる。


「鏡よ、鏡。私がそれを成し遂げるまで、魔女に知られたくないわ。どうすれば隠し通せるかしら?」

『小さく幼い白雪姫。あなたと違い、魔女の興味は自身の美しさと、今・現在しかないのです』


 過去も未来も、魔女が関心を持つことはないと鏡は答えた。

 その言葉を白雪姫は信じた。魔女の前ではおどおどとしたかよわい小娘を演じる事も忘れず、ただひたすらに邁進し、三度の死も乗り越えて、今日、この時を迎えたのだ。


 わずかな時間、過去の余韻に浸っていた白雪姫の元に、魔法の小鳥が舞い降りた。

 隣国との国境には魔女を討つための兵が待機し、散り散りになっていたドワーフやエルフたちも武器を手に手に集まっていると、魔法の小鳥は告げた。


 幸いというべきか、白雪姫が毒の林檎を口にしてから、魔女は他国や他者への興味を失い、城の奥で着飾る事に専念しているらしい。

 美しさのためなら、他を犠牲にすることも厭わない魔女。

 けれど、他者を寄せ付けぬほど強く狡猾な魔女。

 敵対するその瞬間まで自らの美貌に溺れ、愚かな魔女に成り下がるなら。

 勝機は白雪側にある。


 右手には剣を持ち。

 身体には鎧を纏い。

 心には闘志を燃やす。


 魔女を討つその日まで、戦いは終わらない。

 白雪姫は立ち上がり、自分を待つ数多の戦士たちの元へと、迷いなく歩き始めるのだった。





『 おわり 』

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