第7話:リンゴ色のヒール

 ちょうど、中編小説を読み終わったくらいだった。空はいつの間にか濃紺に染まり、星たちがざわめき始めていた。

 寝返り特有の絹の擦れる音がして座椅子を回せば、彼は身体を伸ばして

「おはようー」なんて挨拶をしてきた。

「レイナちゃん、まだ着替えてなかったの?僕が寝てるうちに着替えればよかったのに」

 彼は立ち上がり、扉を開けた。まだ寝ぼけているのか鍵を閉めることもせずに。突然のチャンスに早く鼓動を抑える。あとを追ってそろりと扉の外を見れば、

「え?」簡易キッチンがあった。

 外ではないにしろ城の廊下くらいには出ると思っていたのに、ここは完全な隔離社会らしい。

「何でよ……」

 キッチンの奥には、これまた扉があって鍵穴がある。結局、私は厳重に閉じ込められているらしい。

「あれ、付いてきちゃったの? 僕は水を飲みに来ただけだからすぐに戻るよ」

 彼は水をグラスに注ぐと、喉に潜らせた。

「気になっただけよ。着替えるから入らないでちょうだい」

 扉を閉めて、膝から崩れ落ちる。扉越しに聞こえる鼻歌がより自分を惨めにさせた。

「ふふ。待ってるね」

 奥歯を噛んで、すくと立ち上がる。私は彼の選んだドレスに袖を通した。

『まだチャンスはある。もしかしたら逃げられるかもしれない』と考えながら。

「レイナちゃん、入ってもいい?」

 ノック音がして、扉が開いた。私の姿を見ると満足気に微笑み、私の手を取った。

「ここ、座って」

 ベッド際に座ると、彼は私の前に跪いた。熱っぽい視線が脚を這う。

「やめて。気持ち悪い」

「え、酷い……」

「不快な思いをしているのは私だけれど」

「うーん。でも、とても綺麗だから」

 年相応に目を細めて、男は笑った。白の柔らかな髪がふわりと揺れる。骨ばった長い指がドレスの裾に触れた。つうと指先が膝下をなぞって降りていく。

「ちょっと!」

 反射的に蹴りあげようとした瞬間、足が軽くなった。

「きゃっ!」

 ベッドに倒れ込みそうになったが、彼の手が腰を支えていたらしい。

「大丈夫? 驚かせてごめんね」

 床には、足枷が落ちていた。

「あとは……」

 彼は、どこからか箱を取り出した。

「何?」

「これはね」

 箱が開けられる。中には、リンゴ色のヒールがあった。革のヒールは、丁寧な作りでとても品が良かった。彼は、手に取ると私の足にそっと飾った。ほんのりときつく、走ることも出来なさそうなピンヒール。夜の庭を歩くには不向きだった。

「僕の見立ては完璧だな。あ、それと……」

 そのまま私の左手を握るとゆっくりと立たせてくれた。ぎゅっと握られた手を見つめれば、彼は不敵に笑った。

「手枷の代わり。危ないから逃げちゃダメだよ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る