第7話 吐瀉と懺悔

 アルコールに呑まれる人間はひどくみっともない。

 醜態しゅうたいを晒した上に介抱される人間は見るに値しない。


 僕は、天ヶ瀬宝の家でそれはもうありえないくらいに酔った。


 久しぶりにアルコールを飲んだから。

 天ヶ瀬との会話が思いのほか弾んでしまったから。

 勧められるがまま注がれるままグイグイ飲んでいったから。


 いやもう、どれも言い訳にしかならない。


 便器に胃の中身を吐き出しながら、天ヶ瀬に背中をさすられている。

 どうしようもない事実が現状だった。


「あんまりにも嬉しそうに飲むもんだから俺も勧めすぎた。ごめん」


 いくら吐瀉物を出しても出しても、また胃からせり上がってくる。

 何度も何度も吐き出して、胃が引きつけを起こしてもまた吐き気がこみ上げる。

 飲み過ぎて吐いたことは過去にあるが、その度に懺悔ざんげにも似た気持ちになった。


「全部出したらスッキリするよ。吐けるだけ吐いちゃえ」


 天ヶ瀬は、自宅のトイレで吐き続ける男を文句も言わず介抱した。

 一日に二度も同じ男を介抱しているのに、面倒くさそうな態度は微塵みじんも見せない。

 どころか僕が吐いている間中、後ろから天ヶ瀬の優しい言葉が降ってくる。


 こんな時まで優しくするなよ。

 申し訳なさで埋まりたくなる。


 吐瀉物を吐けるだけ吐いた。

 恥ずかしさも、傲慢ごうまんさも、苦しさも、ぐちゃぐちゃになって吐瀉物と流れた。

 胃の中身を限界まで吐ききったからか、せいせいした気分だった。

 すると、それまで背中をさすっていたてのひらが僕から離れた。

 それまでに感じていた体温が失せる。


「えっ」


 瞬間、反射的に天ヶ瀬を振り返ってしまう。

 

「ん? どした?」


 スポドリ取ってこようとしたんだけど、と返されて冷静になる。

 なんで僕は今、天ヶ瀬を引き留めようとした?


「別になんでもない」


 天ヶ瀬は少し不思議そうな顔をした後、キッチンに行った。

 

 その数秒後。

 アルコールの過剰摂取と嘔吐で身体が冷えていることに気付く。

 凍てつくような感覚が全身を包んだかと思うと、猛烈な罪悪感に襲われた。


「スポドリ取ってきたよ~」


 僕の状態が尋常じんじょうじゃない様子に見えたんだろうか。

 天ヶ瀬は目つきを変えて、僕の身体を抱えた。

 いきなり自分の身体が持ち上げられた衝撃で頭が真っ白になる。


「うわっ、つめた!」


 僕の身体を軽々と持ち上げたかと思うと、天ヶ瀬はリビングのソファへ僕を運んだ。

 吸い込まれそうなほど柔らかい感触がして、身体が沈む。

 寝かされた僕に「ちょっと待ってて」と言うが早いか、天ヶ瀬は毛布を持ってきた。


 彼は毛布を僕にかぶせて、キッチンに消える。

 機械音がして、液体の注がれる音が聞こえた。

 天ヶ瀬はマグカップを持って、横になった僕の傍に座る。


「酒飲んでるし身体が冷えたんだね。氷触ってるかと思うくらい冷たかった」


 冗談っぽく話しながら、彼の手は僕の手を掴んだ。


「すぐには温まりそうにないな…。どうしようか」


 手を顎に当てて考える仕草をする天ヶ瀬。

 僕は「これ以上何もしなくていい」「親切にされたくない」と口に出したかった。

 本当に何もしなくていいから、そっとしてくれ。


 ところが、天ヶ瀬は冷え切った僕の手を自分の腹部へ直に押し当てた。

 身体の中心は体温がいちばん高いと聞いたことがある。

 それにしたって、それはさすがにやりすぎだろ。


「こうすれば早いだろ? 肌に触れるの嫌だったらごめん」


 なんてことのない笑顔で僕に語りかける男をやはり僕は恐ろしく感じた。

 無償で相手に与えることのできる人間。

 その善良さと余りある余裕が今の僕にとっては最悪の恐怖だ。


 とっさの対処で僕の手はみるみる温度を取り戻していった。

 天ヶ瀬はやはりにこやかに「よかった」と笑うばかりで、一切僕を非難しなかった。


「ごめん」


 なにが、と本当に分かっていない顔の天ヶ瀬。


「介抱させたことも、何もかも、全部。ごめん。それからありがとう」

「いいえ! どういたしまして」


 吐き疲れた身体はソファと毛布の心地良さを受け入れた。

 天ヶ瀬は寝ている僕にゆっくり白湯を飲ませると、マグカップをキッチンへ片付けに行く。


 暖かいな、ここは。

 薬の影響じゃない眠気を数ヶ月ぶりに感じる。

 キッチンから食器を洗う音が聞こえる中、僕はゆっくりと意識を閉じていった。

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