別に、怠惰が好きなわけではない

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うちのクラスには、先輩がいます。

そう。留年生です。


世間一般ではどうなのか知りませんが、留年生にしては怠けています。

いつもいつも授業では寝るし、課題の提出も遅れるし、テスト前も漫画読んでるし。その上、テストの日には隣の人に、教えて、と不躾に要求するのです。

最悪なのは…その”隣の人”というのが私、だという不運な事態でしょうか。


彼とは接点がありませんでしたし、できれば持ちたくありませんでした。


あの日、普段動かない彼がとんでもないことをするまでは、ね。


クラスの誰もが彼に注目していませんでした。つまりそれは、彼の性格を誰も理解していなかった、ということです。だから、彼の沸点も知られていませんでした。


その日は、いつもとはちょっと違い、呼び出されていました。古風なやりかたですが、床に正座させられ、ただただ説教を聞かされていたのです。まあ、時々鉄拳も交じっていましたが。

それ自体はいつものことでしたが、場所が違ったのです。


私は、水をかけられました。

バケツ一杯分の冷水を、しかも真冬の雪が降りそうな気温のなか、です。


まあ、びっくりはしましたが、ある程度予想はしていました。私は”悪い子”ですから。


そして、その後、反省文を書かされるのがお決まりのパターンなのですが、その日は違いました。


闖入者がいたのです。


場所が場所だけに、見つかる可能性は全く考えていなかった彼らは、服を脱がされた私を隠れさせる余裕もなく、その乱入者に見つかりました。

最初、その人は寝ぼけまなこをこすっていましたが、やがて、使われなくなったトイレにいたのが、クラスメイトの男女と、全裸の打撲痕のある隣の席の少女だというのを認識すると、何の予備動作もなく、1人を窓の外へと放り投げました。


そこが二階ではなかったら、と思うと今でも恐怖を禁じえません。


ただそれと同時に、彼が、留年生の先輩が、怒ってくれたことが無性に嬉しかった、というのも事実です。


その後は、なにがあったのでしょう、覚えている限りだと、彼が私に上着をかけてくれて、その後はいじめっ子たちを、私と同じ目に遭わせていきました。


「お疲れ様」


彼は開口一番そう言いました。

何故でしょう。その言葉を聞いた瞬間、さっきまであんなに苦しく締め付けられ、まるでヘドロのように澱んでいた私の心は、温かい優しいもので満たされました。「大丈夫?」とか「大変だったね」とか、軽薄な言葉をかけてくれた人は沢山います。

しかし、思い返してみれば、私は生まれてこの方一度も「お疲れ様」なんて言われたことがありませんでした。


それはともかく、その後は気持ちのいいものではありませんでした。


彼は私と二三言かわしたあと、唐突にこう聞いてきました。


「こいつらに何されたの?」


と。

私が「裸の写真を撮られました」と言ったら、彼はいじめっ子の内の一人を使いシチュエーションを再現してくれました。


私が「便器に顔を入れさせられました」と言ったら、彼はまた別のいじめっ子に同じことをしてくれました。

私が「殴る蹴るの暴行をされました」と言ったら、彼は主格犯の男子を泣くまで蹴り続けました。

私が「タバコの火を押しあてられました」と言ったら、彼は逃げようとした子の頬に吸殻を押し当てました。

私が「現金をとられました」と言ったら、彼は全員の財布を水に捨てました。

私が「妹が犯されました」と言ったら、彼は…


もういいですか?


…説明していて吐き気がしてきました。


妹は…家出した後、川沿いで頭から血を流して死んでいるのが発見されました。橋に縄をかけて首を吊ろうとし、失敗したそうです。直接の死因は、川底に頭を打ったことでした。

苦しみはしなかった、警察のひとはそう言っていました。15歳でした。


先輩は、全員に制裁を与えると、私に手を差し伸べてきました。


「学校さぼって遊びにいこう」


彼はそういいました。

私は、静かに頷いて、彼の大きな掌を握りました。


私たちは学校を抜け出すと、まずは商店街に行きました。

その時は生乾きの制服に先輩の上着を羽織っていただけだったので、新しい服を買おう、と話していました。

審議の結果、白いシャツに濃紺のパーカー、ベージュのロングスカートに決まり、先輩が買ってくれました。ついでにヘアピンもセットで、とくれました。


そして、彼は私の最寄り駅を聞くと、電車にのろう、と言って駅まで歩きました。


久しぶりの新品の服に浮かれていると、彼はぼそっとこう言いました。


「君は、今まで休養をとったことってある?」


もちろん私はある、と答えましたが、彼はこう言い返しました。


「でも、君はずっと突っ走ってきた人間に思える」


と。

その言葉は、妙にしっくりきました。が、そのまま何も言うことなく、私たちは電車に乗りました。


さて、最寄り駅が近づいてきた時、私が立ち上がると、彼はまだどっしりと座ったままでした。

なので、私は軽く会釈をすると、降りようと扉に近づき…


と思った時、彼は私の手首を掴みました。

いきなりのことに驚きを隠せずに固まってしまい、なんですか、と口にした時にはもう電車は最寄り駅から発進してしまったところでした。


そのまま引き寄せられるように席につくと、彼は私がなにか言う前に話始めました。


「どれだけ賢い人間でも、愚かな人間でも、着眼点が偏っていれば、その人は成長できない。人間の目は特定の物に焦点をあてるのに適しているから、着眼点を増やしたり、変えたりすることで、人の見える世界は大きく変わるんだ。だからね、僕は寄り道っていいと思うんだ。たった一駅乗り過ごすだけで、新たな視点が開け、ときに世界ががらっと変わる」

「そう、ですか。ではなぜ、私も?」

「さっきも言ったかもしれないが、君は努力しっぱなしの人間だと見受けられる。その小さな身に降りかかる不幸に押しつぶされないように、ずっともがいているんじゃないか?」

「それは…そういう生き方が好きだから…」

「じゃあ、いじめられてたのも本望だと?」


私は首を横に振りました。


「さあ、未知なる世界だよ、降りよう」


私は彼にいざなわれるまま、電車を降りました。


きれいでした。


景色は新鮮で、瑞々しさに溢れていました。


「いいなぁ」


そう独り言ちたのが聞こえたのか、彼はふっと笑うと、ベンチに座るように促しました。

何年かぶりの不思議な解放感に身をゆだねていると、隣に立った彼はぽつり、といいます。


「たまには休めよ」

「はい…うん」


なんとなく返事を変えると、ちょっと驚いたようすの彼は、誰に言うでもなく語り始めました。


「君は、身近な人を亡くしたこと、あるんだよな。

実は、僕もだ。それは、僕の恋人だった。彼女は気高かった。常に最高の人生を歩むため、努力し続けていた。そんな彼女のことを僕はかっこいいと感じ、尊敬し、そして深く愛していた。それこそ深く、深ーくね」


ふう、と彼はため息をつきました。


「でも、彼女は努力をやめた。いや、たぶん、彼女は努力をやめることができなかったんだろうな、生きている限り。だから、彼女は努力から逃げた。自殺、というかたちでね。原因はいじめだった。僕は、それ以外の要因もあったと思うんだけどね。それで、彼女は僕の目の前で飛び降りた」


最後の言葉は、とそこまで言って、彼は言葉を切りました。


誰もいない駅を通過する急行列車の騒音が、続きの言の葉を飲み込んでいきます。


不確かな話の中で、一つだけ確かなこと。

それは、彼が泣いていたという厭な事実でした。

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