浮気者たちに別れを告げた日

武藤かんぬき

本編


 重たい沈黙が俺の部屋を支配していた。部屋の中には俺を含めて男女が4人、俺と俺の彼女、そして幼なじみの男友達とその彼女だ。


 俺と俺の彼女と男友達は、それぞれの家が近所だったこともあって保育園の頃からの友達だった。高校3年生の頃に俺と彼女が恋人になり、大学入学を機に同棲を始めた。


 もちろん男友達も自分のことのように喜んでくれて、大学に入ってからできた彼女とよくこの部屋に遊びに来ていた。


 同棲も2年目に入って、大学の授業も単位を落としたりせずに順調に進んでいた。そんな俺たちの関係が狂ったのは、男友達の彼女である詩織しおりちゃんにある日突然相談を持ちかけられたからだ。


 学内のカフェではなくかなり離れた喫茶店に呼び出された時から、なにやら嫌な予感はしていたのだ。多分同じ大学の学生には聞かれたくない話なのだろう、という予想はついていたから。


「ごめんなさい、雅紀まさきくん。こんなに遠くまで来てもらって……」


「ううん、大丈夫だよ」


 小柄な体をさらに小さく縮めるように椅子に座っている詩織ちゃんは、思い詰めたような表情で俺に頭を下げた。俺は意識的に笑みを浮かべて、彼女の対面へと腰を下ろす。


 近づいてきたウェイトレスさんにコーヒーを注文して、それを持ってきてもらって周囲に誰もいなくなってから彼女に尋ねた。


「……それで、相談って? もしかして、洋文ひろふみと何かあった?」


 性急過ぎたかなと思いながらも、沈黙が重くて耐えられずに尋ねた。詩織ちゃんと俺の接点と言えば、幼い頃からの親友である洋文ぐらいしかない。おそらく相談の内容はアイツのことなんだろうなと予想しながら問いかけると、詩織ちゃんは自分のカバンの中からスマートフォンを取り出した。


「私も、今日友達から見せられたんだけど……」


 何やら操作をしてからスマホの画面を俺の方に向けた。その画像を見て、思わず俺は目を剥く。何故ならそこに写っていたのは、洋文と腕を組んで仲が良さそうにしている俺の彼女である芽衣めいだったからだ。


 現実逃避なのか、よく気付かれずにここまで鮮明に写真を撮ることができたなと感心してしまう。ただあいつらも保育園の頃からの友達だから、たまたま腕を組んで歩いていたのかもしれない。なんて普段では思わないような感想が頭をよぎった。


「他の友達からも写真もらってて、これが周りの景色が写ってる画像」


「……マジか」


 詩織ちゃんがスワイプするにつれて、ラブホの前・入り口の前・中に入り掛けている写真が表示される。何の誤解もできないぐらいの浮気現場の証拠写真、それが目の前のスマホに写し出されている。


 うわー、ショックでかいわ。小学校の頃からの初恋が実ったと思ったら、まさか俺の親友と浮気してるとか。怒りもあるけど、それ以上に脱力感がすごかった。


「ちなみにこれ、詩織ちゃんの友達がイタズラで合成したとか、そういうことって……ないよね」


 問いかけている途中で首をフルフルと振った詩織ちゃんに、俺も最後まで質問できなかった。


「他にも目撃情報があって、知り合い程度の人からも来てて……一番古いのは半年前ぐらいのもあって」


 詩織ちゃんの大きな瞳に、じわじわと涙が浮かんでくる。さっきウェイトレスさんが持ってきてくれたおしぼり、まだ使ってなかったから袋を開けて詩織ちゃんに差し出した。本当はハンカチの方がいいんだろうけど、今日何度かトイレに行って使ってるんだよな。


 小さく頭を下げてから受け取って、目許におしぼりを当てる詩織ちゃん。なんていうか、許せないよな。なんで誰かと付き合ってる状態で、他のヤツとそういうことをするんだよ。


 他に好きなヤツができたなら、ちゃんとそれを言って別れてから付き合えばいいじゃん。そうすれば俺とか詩織ちゃんみたいに傷つく人間もいないし、後ろめたいとかそういうマイナスの気持ちもないだろうに。


 許せないのはふたりとも、俺とは物心つくかどうかの頃からの付き合いだ。そんなに長い時間を過ごした関係が、バレたら全部無くなる可能性があったのに。それでも浮気したっていうことは、俺なら謝れば許してくれると舐めきっていたのか。それとも俺の存在自体が、ふたりにとってそんなに軽いものだったのか。そう考えるとドンドン自分の気持ちが冷え切ってくるのがわかる。


 問い詰めて認めたらもうふたりのことなんかどうでもいいな、と関心自体が無くなっていく。俺としてはもう芽衣と別れてあいつを家から追い出して、家の鍵を交換しておしまいでもいいや。


 詩織ちゃんはどうするのかと聞いてみたら、とにかく真実を本人の口から聞きたいと言った。なので俺の家で打ち合わせして、それからふたりを部屋に呼び出すという段取りを決めた。


 ふたりで電車に乗って、駅からマンションへの道を詩織ちゃんと並んで歩く。美少女には憂い顔も似合うけど、どっちかというとこの子には笑顔の方がより似合うと思うんだよな。


 そんなことを考えていると、あっという間に俺の部屋の前に着いた。ドアに鍵を挿そうとした瞬間、かすかに部屋の中から何かが聞こえた気がしてピタリと動きを止めた。


「……どうしたんですか?」


 普通の音量でそう聞いてきた詩織ちゃんに、無言で人差し指を自分の口許に当てる。『静かに』の合図だ。小首を傾げる詩織ちゃんに小さく頷いて、俺は極力音を立てないようにゆっくりと鍵を差し込んで回した。細心の注意を払って静かにドアを開けて、玄関の中に体を滑り込ませる。


 あきらかに甘い、そういうことを致している時の芽衣の声が聞こえてくる。ギシギシとベッドが軋む音との合奏が、これが現実に起こっていることなのだと俺に教えていた。


 スマホを取り出し、音が鳴ったらダメな場所なんかで写真を撮る時に使っている無音カメラアプリを起動して、まず俺は玄関にある洋文と芽衣の靴が並んでいる光景を写真に撮った。続いてソロリソロリと忍び足で芽衣の部屋の前まで行って、また気付かれないように注意しつつドアを少しだけ開けた。


 そういう行為の際に生じる独特の臭いがするのと、洋文の上に跨って自分から動く芽衣の姿が確認できた。このスマホ、カメラ性能が優秀だから顔がしっかりと確認できるぐらいにズームしてまた写真を撮った。どうしても寝転がっている洋文の顔が撮影できなかったので、その光景を動画でも撮っておく。お互いの名前を呼んでいるし声で洋文だとわかるだろうから、十分な証拠になるのではないだろうか。


 俺はまたそっとドアを閉めて、足音に注意しながら玄関へと向かって外に出た。状況がわかってない詩織ちゃんに『中でさかってた』と告げると、彼女は表情をこわばらせてうつむく。


 とりあえずエレベーターで1階まで降りてマンションの外に出てから、撮ってきた写真と動画を詩織ちゃんに見せた。途端にボロボロと溢れ出す涙を、俺は申し訳なく思いつつも自分の服の袖口で拭う。強く擦ると詩織ちゃんの白い肌が赤くなってしまうのではと、極力優しく服が涙を吸い取るような感じにした。


「……なんで、雅紀くんは、平気なんですか?」


 俺にされるがままでしゃくり上げながらそう聞いてくる詩織ちゃんに、俺は苦笑する。あそこまで決定的な光景を見てしまうと、本気であいつらのことなんてどうでもよくなってしまったのだ。大事な幼なじみで彼女と何でも話せる親友だったけど、あいつらにとって俺はいつでも捨てられる程度の存在だったのだ。なら俺もそう思ってもいいはずだ。


 証拠も手に入ったし、あのふたりを絶望に追いやる。多分今はそこに集中しているから、詩織ちゃんが感じている悲しみとか絶望とかは実際に全部終わって俺がひとりぼっちになった時に襲ってくるんじゃないだろうか。


「俺は今から自分の親とあいつらの親に電話して事情を話すよ、詩織ちゃんは……地元遠いんだっけ、家族じゃなくても誰か近しい人に話をして味方になってもらえたらいいんだけど」


「えっと、従姉妹のお姉ちゃんが近所に住んでいるので、一回連絡してみます。味方にはなってくれるけど、今日は多分来てもらえないんじゃないかな?」


「もし来れなかったとしても、俺は詩織ちゃんの味方だから。頼りないかもしれないけど、一緒に頑張ろう」


 心細そうな詩織ちゃんの様子に思わず頭を撫でつつ言うと、小さくコクンと頷いてくれた。ひとりじゃなくて、そして詩織ちゃんが気弱な子でよかったのかもしれない。


 もし気が強くてなんでもひとりで解決できる子が一緒にいたら、俺は今こんな風にリーダーシップを持って突っ走ることも、前向きに段取りよく行動するなんてできなかっただろう。


 とりあえずお互いにスマホで各所に連絡し、事情を包み隠さず話した。


 平日の午後だ、各家庭の親父さんたちは当然仕事に出かけていて不在だった。だけど、母やおばさん達はすぐに来てくれると言った。すぐにとは言っても、隣県からだから時間は掛かるだろう。だから今日のところは来なくてもいいがこちらの味方になってほしいことと、ふたりが致していたマンションの部屋でこれからも暮らすのは苦痛なので引越代を芽衣と洋文の家で負担してもらいたいということを告げた。


 もちろん洋文のおばさんには詩織ちゃんのことも告げて、ちゃんと彼女にも改めて詫びてほしいとお願いする。おばさんは当然だと請け負ってくれた。


 もしかしたらあいつらが自分のやったことを認めずに逆ギレしてくるかもしれないからと、おばさんたちは今から俺の実家に集まって電話を繋ぎっぱなしにしておいてくれるそうだ。いくら今はあいつらが不義理にも浮気をしたことに怒ってくれてるとはいえ、やっぱりおばさんたちにとっては腹を痛めて産んだかわいい子供だ。最終的にはあっちの味方になるのではないかという不安はあるが、最終的におばさんたちが敵になったら通話を切ったらいいやと気楽に考えることにしてその提案を受け入れた。


 詩織ちゃんに友達から送ってもらった写真などを俺のスマホに送ってもらって、さっき撮影した証拠の動画と一緒にクラウドに保存する。ないとは思うけど、あいつらが逆ギレしてきて実力行使してきて証拠隠滅でスマホを壊された時にデータが使えなくなる事態に備える。もちろん俺のスマホは通話状態だからそれをそのまま見せたら、いくら浮気にのぼせ上がってるあいつらでも変に思うかもしれない。それを防ぐためにタブレットで証拠を表示するためでもある。まぁ繋がってる先は俺たちの家族であって第三者じゃないんだから、通話中だって気付かれても特に問題はないんだろうけどな。


 詩織ちゃんのスマホは会話を録音するために、レコーダーの代わりをしてもらう。いちおうポケットに私用のボイスレコーダーを忍ばせる予定だが、証拠の予備はいくらあっても困るもんじゃないしな。


「……それじゃ、踏み込もうか。詩織ちゃん、辛かったら俺ひとりでもいいけど、大丈夫?」


「時間を置いたら、なんだか悲しさより怒りの方が強くなってきて。私も一緒に行って、自分の口で別れを告げたい。だから……大丈夫」


 俺の問いかけにはっきりとそう答えた詩織ちゃんの目は決意に満ちていて、その言葉には強がりも含まれているんだろうけど少なくとも彼女の本気がこもっていることだけはわかった。


 それにさっきまで敬語だったけど、普通にタメ口になっているのも嬉しい。俺たちは仲間で運命共同体だから、なんか壁を作られてるみたいで寂しかったというのもあった。


 詩織ちゃんの決意表明に強く頷いて、準備を完璧にしてから俺たちは部屋へと突入した。玄関ドアを開けた瞬間、リビングのドアが開いて洋文が出てくる。


「よう。お前と遊ぼうと思って来たんだけど、いなかったし芽衣ちゃんとお茶飲んでたんだよ。バイトの時間だから帰るわ……ってなんで詩織が一緒にいるんだ?」


 まるで用意していたセリフを淀みなくスラスラ喋る洋文が俺の後ろにちょこんといる詩織ちゃんを見て、初めて声に感情をにじませる。どうやらさっさと撤退しようとしていたみたいだが、そうやすやすと逃がすかよ。俺は殊更無表情を作って、洋文を睨みつけた。


「悪いがバイトは休んでもらう。リビングに行って座って待ってろ、勝手に帰ったらこの世にお前の居場所はどこにも無くなるようにとことんまで追い詰める。俺がやるって決めたらとことんまでやる男だってのは、長い付き合いでお前もわかってるだろ?」


 さっきまで冷静でいたつもりだったのに、どうやら俺もフラストレーションが結構溜まっていたみたいだ。想像以上に感情のこもってない低い声で言うと、洋文は俺の怒りを感じ取ったのかぎこちなく頷いて踵を返してリビングへと戻る。俺は詩織ちゃんにお願いして、念のためリビングに行ってドアの前に立って見張りをしてもらうことにした。


 もちろんあいつらが何を聞いてきても、答えなくてもいいと言っておく。ただ座って待ってろと言うだけでいい。その間にスマホのレコーダー機能をオンにしておくように言うと、詩織ちゃんはコクリと頷いて洋文の後ろを数歩分空けてリビングへと向かった。


 その間に俺は急いで自分の部屋に入って、タブレットとボイスレコーダーを手に持つ。そしてスマホに向かって『これからリビングに行って話し合いします』と一方的に告げて、早足で3人が待つリビングへ。


「ごめん、詩織ちゃん。お待たせ、とりあえず座ろう。お前らもそこに並んで座れ」


 俺が言った通りに律儀にドアの前に立っていた詩織ちゃんに声を掛けて、後半は何やら顔を強張らせている芽衣と洋文に声を低くして対面に座るように言った。


 テーブルに通話状態になっているスマホも忘れずに置く。


「お茶でも淹れようか。なんか大事な話っぽいし」


「いいから座れ。お前が淹れたお茶なんか、何が入ってるかわからんし安心して飲めん」


 芽衣が少しでも時間を稼ごうとしているのかそんなことを言い出したので、俺は少し強い口調でぶった切った。芽衣が不満げにしぶしぶと座ったのを確認して、俺は早速話を切り出した。こんな話、とっとと終わらせて芽衣をこの家から追い出したい。


「なんでそんな喧嘩腰なんだよ、いきなりそんな風に言われる覚えはないぞ」


「……そんな風に堂々と嘘がつけるんだ、最低だね洋文くん」


 開き直るようにそう宣言した洋文に、詩織ちゃんが侮蔑の視線を向けながら言った。『嘘なんか言ってねーし』とつぶやく洋文の言葉を合図に、俺はタブレットを操作して写真を見せた。


 俺が撮った決定的な証拠である動画は見せない。詩織ちゃんが友達にもらったいくつかの写真、そしてラブホテルに入っていく例の写真をスワイプして見せる。


「お前ら浮気してるよな。この写真は詩織ちゃんの友達が撮ったもんだ、ちゃんと顔もわかるだろ。最近のスマホのカメラって優秀なんだな」


「ち、違っ……これは洋文くんと一緒に出かけた時に、私が体調悪くなって。休めるところがなかったから、仕方なくホテルに入ったの!」


「そ、そうだ! お前がバイトで芽衣ちゃんが寂しがってたから、俺が遊びに誘ったんだよ。そしたら急に腹が痛いって……」


「直前まで仲良く腕組んで、こんなに笑顔で楽しそうにしてるのに?」


 場当たり的な言い訳をバッサリ切り捨てると、『洋文に心配掛けたくなかったから無理して笑ってたの』だの『そもそも腕を組んでたのも腹痛で立ってられないくらいぐらいだったからだ』だの支離滅裂なことを言っていたのでさらに追い詰めることにする。


「これとこれ、お前らの服装が全然違うよな? 洋文の話だとあの時限定で腕組んでたってことになるけど、この画像の時も腕組んで寄り添って歩いてるじゃん。この時も体調不良か? ありえないだろ」


「ちなみに、送ってくれた写真はまだあるよ。気持ち悪いから、私のスマホには保存してないけど」


 常識的に筋道を立てて話しただけなんだが、どうやら自分たちでも無理筋の言い訳だと感じていたのか黙り込んだ。俺の言葉に有無を言わさない迫力を含ませた詩織ちゃんが続いて、さらにうつむいている。


「で、最初の質問に戻るんだが浮気してるよな?」


「…………」


 ふたり揃ってまだだんまりを貫き通すつもりみたいなので、仕方なく俺が撮った動画を再生してやった。タブレットから自分の甘い喘ぎ声が響いて、『いやぁぁぁ、止めて!』と芽衣が叫ぶ。


 ちゃんとふたりが名前を呼び合っている声が入っているから、動画内で睦み合っているのが芽衣と洋文であることが一目瞭然だ。苦し紛れにひとり遊びしていたと言った芽衣に、『だとしたらお前の体の下から伸びてるこのすね毛だらけの足は誰のだよ?』とツッコむとまただんまり。


 結局認めて『寂しかった』だの『私を放っておく雅紀が悪い』と開き直った芽衣と、『お前の代わりに可愛がってやったんだから逆に感謝してほしいぐらいだ』と割と最低なことを抜かす洋文に我慢ができなくなってバァンと机を叩いた。


「別に俺と別れてからなら、お前らが付き合おうがサルみたいに盛ろうがどうでもいいんだよ。順番が違うだろって話だ、別の人間を好きになったなら俺や詩織ちゃんと別れてから付き合えよ」


「違う! 洋文くんとは遊びだったの!!」


「俺だって芽衣ちゃんとは遊びだ! 詩織との練習のつもりだったんだ!!」


「……こうやって人を裏切って、私や子供の頃の仲良しな雅紀くんを傷つけるとか最低の遊びだと思うよ」


 まるでマグマのように怒りが噴き出しそうなのをこらえているように、殊更静かにそう言った詩織ちゃんの正論がふたりに突き刺さる。それでも芽衣たちは言い訳を重ねていたが、もう聞きたくないとばかりに俺は芽衣との恋人関係、洋文との親友関係を解消することを告げた。


 嫌だ嫌だと駄々をこねるふたりに、加害者側が何を偉そうに要求をぶつけてくるのかと腹が立ってくる。怒鳴るよりも淡々と話す方があちらの罪悪感をチクチクと刺激できるようなので、必要事項だけを簡潔に告げることにした。


 芽衣との同棲は解消、おじさんとおばさんが都合がいい日に引っ越しを実施すること。もちろん俺もふたりが盛っていたこの部屋で生活なんかしたくないので、引っ越しするがその場所は教えない。洋文には今後一切俺や詩織ちゃんに関わらないこと、もし関わってきたら今も繋がりがある地元の同級生にお前らがやったことを動画付きでぶちまけると脅した。


 もしもそれでもしつこくつきまとってくるなら、さっき廊下で言ったこの世のどこでもお前が生きていけないように居場所を無くすというのを実行するとまで言った。今はネットがあるし、詩織ちゃんは友達にも可愛がられているからやろうと思えば本当に人ひとりぐらい追い込むことができる。俺の本気を悟って、洋文は小さく頷いた。


 そもそも俺と親友でいたいというならば、ちゃんと順序立てて筋を通せばよかったんだ。俺だって鬼じゃない。最初からちゃんと話してくれたら、俺たちの関係に亀裂は入っただろうけれど、ちゃんと最終的には祝福したさ。それをこいつらは俺のことを舐めきって、やるべきことをしなかった。長年の付き合いがあるからと軽視して、裏切った相手に何を遠慮する必要があるだろうか。


 しかし最後まで諦めが悪かったのは芽衣だった。『絶対に別れない』と偉そうに宣言し、そもそも自分が浮気をした原因は芽衣を放置した俺のせいだと言い出したのだ。


 一緒に住んでいて外出している時以外は毎日一緒に暮らしているというのに、放置したとか言われても意味がわからない。しかも自分が寂しく感じたら、恋人以外の他の男に股を開いてもいいとも取れる呆れた言い分も聞くに堪えない。こんな宇宙人みたいな女と付き合っていたのかと思うと、怖気が走った。


 まともに諭そうとしても、こいつは絶対に納得しないだろう。だから最強のカードを切ることにした。俺のスマホのスピーカーボタンをタップすると、芽衣のおばさんの怒声が部屋の中に響き渡った。


 『えっ、ママ!?』と流石に自分の母親の声はすぐにわかったのか、オロオロと部屋の中を見回す芽衣。そこからはマシンガンのように芽衣を罵倒するおばさん、芽衣ががっくりと床に膝をついて愕然としているが、また時間を置くとギャーギャー喚き出すだろうと母親ならではの予想を告げた。


「だから今から車で迎えにいくわ。ああ、洋文くんのお母さんも一緒に行くって。私たちが着くまでそこで首を洗って待ってなさい」


 こんな感じで俺の初恋は悲しい終わりを迎えた。詩織ちゃんとは苦難を乗り越えた戦友という感じで、これまでよりも親しくなったような気がする。ふたりで飲みに行くことも増えたし、周囲から見たら傷を舐め合っているような関係に見えるのかもしれない。よく『早く付き合っちゃいなよ』と詩織ちゃんの友達からも背中を押されるのだが、俺たちは自分たちのペースで仲良くなっていきたい。将来的に付き合うにしろ、友達のまま過ごすにしろ。彼女には悲しい想いをした分幸せになってほしいから、彼女の意思を最大限優先したいと思っている。


 ちなみに愚か者どもの末路だが、ふたりとも両方の親にしこたま叱られた上に学校と家の往復以外は外出禁止にされて、監視付きの窮屈な生活を送っているらしい。あと俺は何もしていないが地元の友人たちにも何故かふたりの浮気がバレて、友人だったヤツらにすごい勢いで距離を空けられているらしい。まぁ普通に考えて、簡単に他人を裏切れるヤツを自分の近くに置いておきたい人なんていないよな。


 芽衣と洋文の両親からは約束通りの引っ越し代と、慰謝料として少なくないお金をもらった。普通は結婚もしておらずただ付き合っていただけの関係ならば、例え別れる原因を作った側であっても慰謝料を払う義務はない。そう言って最初は固辞したんだけど、自分たちのお詫びの気持ちだからと押し付けられてしまった。


 ベッドや家具を新調してもまだまだ残っているので、就職活動のためのスーツとかそういう物を買うために今は銀行の口座に眠らせている。どうせなら明るい目的で使った方が、お金を肩代わりしたおじさんやおばさんたちも気が晴れるだろうしな。


 もちろん詩織ちゃんも慰謝料をもらったと言っていた。金額は聞いてないけど、多分俺と同じぐらいだったんじゃないだろうか。


 こうして俺は保育園からの付き合いだった幼なじみのふたりを失ったが、それでも中途半端にあいつらを許さずに徹底して切り捨てる選択をしてよかったと思っている。無理して許したところで、どこかできっとまた裏切られたりうまくいかなくなっていたような気がするからだ。


 長年の付き合いで細かい部分を知っているからこそ、それぞれに甘えや油断があったんだと思う。今後付き合うなら、詩織ちゃんみたいに大学で知り合ったあまりお互いをよくわかっていない相手の方がいいのかもしれないな。


 俺はそんなことを考えながら新しく借りた新居から、普段と変わらない様子で大学へと向かう。くよくよしたって仕方がない、どれだけショックなことがあっても時間は止まってくれずに一定のリズムで未来に進んでいくのだから。

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浮気者たちに別れを告げた日 武藤かんぬき @kannuki_mutou2019

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