第三十一章 ライヴの後は

 二時間半に及んだコンサートは大盛り上がりだった。

 サプライズ前座を務めたファイヴ・カラーズ。照明が落ちてステージの背景に薄い青から黒のグラデーション照明が残る中、ステージ上に五人が現れた。

 と言っても影の動きで五人の人物がいるのがわかるだけで、それがファイヴ・カラーズだとは私たちとスタッフ以外、誰も知らない。

 ヘヴィメタ風のイントロが大音量でPAから飛び出した。しかしステージはまだ暗いまま。

 イントロが終わりいよいよ彼らが歌い始めた瞬間、スポットライトが五人の姿をステージに浮かび上がらせた。

 イントロを聴いただけでは、アレンジが通常バージョンとまったく違っていたので、それが彼らのデビュー曲で大ヒットした《ミラクル・ドア》と気づいた者は皆無だろう。

 会場は一瞬どよめき、次に嵐のような黄色い歓声と拍手が客席から沸き上がった。

 招待客用のスタンドから観察した限りでは、男性客の反応は、驚きはあっても笑顔は少なかった。が、まあそれは仕方ない。彼らはレイジー・ママを観に来ているのだから。

 計三曲を歌い終わり、ラストの曲がそのままレイジー・ママのオープナーである曲のイントロにつながって大御所の降臨。その時にはファイヴ・カラーズの五人はステージから消え去っていた。


 はやぶさ君は中盤で登場。

 ママが

 「(英語)今からちょっと古いスタンダードを歌うんだけど、ひとりよりも二人で歌った方が断然楽しい歌なの。

 今度わたしと同じレーベルからデビューする素晴らしい歌手がいるんだけど、その人が今、たまたま日本にいたのね。

 いえ、正確に言えば日本に帰ってきていたって言わないといけないわ。彼、日本人なんだけどニューヨークでレコーディングをしている真っ最中なの。

 英語の発音は完璧よ。それにチャーミングだし。

 その彼が一緒にデュエットしてくれるって言ってくれたから、今から彼を呼ぶわね。

 ミスター・ハヤブサ、プリーズ」

 一応、拍手に迎えられたが、聴衆は当然ながら誰も彼のことを知らない。

 はやぶさ君がレイジー・ママと軽くハグして所定の立ち位置についた。

 見るからに緊張しているのがわかるはやぶさ君。ママも彼の様子に気づいたのだろう。

 「彼はデビュー直前だから、あなたたちは彼の歌声を聴く最初の幸せなリスナーよ。きっと彼の歌に魅了されるわ。

 でも彼、とってもシャイなの。今もかなり緊張しているみたいだからわたしがアドバイスをしてあげる。

 客席にいるのはみんなキャベツだと思えばいいわ。そう考えると少しは気楽になるでしょ」

 ママは簡単な単語を使って判りやすくゆっくり話してくれるので、英語の不得手な人たちもなんとなく雰囲気を察して笑っている。はやぶさ君も若干ひきつり気味だが少し力が抜けたようだ。

 ママがマイクを口から遠ざけてはやぶさ君に『OK?』と訊ねた。

 はやぶさ君は『イエス、サンキュー』と答える。

 彼女はピアニストに振り向いてイントロを弾きはじめるよう促した。

 曲は昨日のお座敷パーティーでの即席デュオで披露した《飾りのついた四輪馬車》。

 昨日はロブちゃんのピアニカ伴奏だったが、今日はピアノなのでジャジーな雰囲気の中で、ママは昨日より幾分セクシーに、はやぶさ君はダンディーに歌い上げ、仕込んでいたであろうコミカルなエンディングがばっちりきまって拍手喝采。

 はやぶさ君が今度はしっかりママとハグをし、聴衆に礼を言ってステージを去った。

 拍手が止まず、ママがもう一度出てくるよう促してアンコールに答えた。

 曲は私のしらないAORの人気曲らしい。

 歌い終わり客席に向かって深々と頭を下げ、ママとは握手をしてステージ下手へと消えていった。

 私の前に座っているみのりちゃんははやぶさ君が出ている間、微動だにしなかった。はやぶさ君本人より以上に緊張していたのだろう。

 親が子を、師匠が愛弟子を、恋人が恋人を見守る心境だったに違いない。


 パーティーは午後十時を過ぎた頃から始まった。と言っても『これからパーティーを始めます。では乾杯の音頭を会長の……』的な日本式ではなく、三々五々、招待客が集まってきて勝手に飲み食いを始め、それぞれが集まったり挨拶して回ったりする、立食形式の格式張らない気楽な雰囲気だ。案内状にも『カジュアルな服装でお越しください』と書かれている。

 関係者やレイジー・ママと知己の者たちばかりなので、ママが現れても控えめに拍手が起こる程度。彼女は軽く手を振って拍手に応え、全方位に投げキッスを送る。そして会場内は元の雑然とした状態に戻った。

 ママは一目散に寿司バーに行き、ハマチ・シメサバ・カッパ巻・鉄火巻など、純日本式の寿司を美味しそうにほおばっていた。

 九州の甘口醤油がお気に入りだそうで、この会場でも用意されているし、本国の自宅にもかなりのストックがあるらしい。

 ファイヴ・カラーズは今後の活動領域拡張の狙いもあってか、国分氏と通訳を交えてあいさつ回りに余念がない。

 はやぶさ君はレイジー・ママのプロデューサーにつかまって突っ込んだ内容の会話をしているようだが、時々みのりちゃんの様子を窺っているのがかわいくも可笑しい。

 そのみのりちゃんは、はやぶさ君の視線に気付いていないのか気付かないふりなのかわからないが、汐音やみずほちゃんとのガールズ・トークに忙しそうだ。


 時計の針が午前零時をまわったのを見計らって、レイジー・ママが会場のステージ前に立ちスピーチを始めた。

 「みなさん、今日はありがとう。スタッフのみんなはラストまでよろしくね。

 明日こられない人は衛星放送でライヴ中継があるみたいだから、そちらで楽しんでください。

 わたしはこれから部屋に戻って、明日の朝食のミソシル・スープを仕込まなければならないからこれで消えちゃうけど、ここはあと一時間くらい開いてるからゆっくりしていってね。

 今日は本当にありがとう。感謝しています。ではおやすみなさい」

 そう言ってまた投げキッスを送りながら会場を後にした。

 仕込み…… ではなく打ち合わせに参加するのだろう、ファイヴ・カラーズやはやぶさ君もママが去ったあと、いつの間にか見えなくなっていた。はやぶさ君はみのりちゃんと話すことができただろうか。

 パーティーは始まった時と同じように、自然に解散して終わった。


 ライヴ前、ホテルに到着した際にはまだ部屋の準備ができていなかったので、荷物をフロントにあずけて周辺の散策に出かけた。

 招待客たちの興味を引く店がそれぞれあり、集合場所と時間を決めて自由行動とする。

 結局全員が戻ってきたのはライヴ会場に行くギリギリの時間となったので、ホテルに寄らずそのままTOKYOドームへ直行した。

 ライヴが終わってホテルに向かうと、ホテルのスタッフさんがすでに荷物を部屋に運んでくれているとのこと。疲れた身体で重いキャリーや鞄を持たずに済み助かる。

 遠くに住む大勢のファンが、早いうちにホテルを予約していただろうから、昨日お誘いを受けた者たちの分の部屋がすぐとれることはないだろう。恐らくレディー側でワンフロアー程度の招待者を見込んで、ライヴ日程が決まった時点でホテルも押さえていたに違いない。

 部屋割りのペーパーをもらってそれぞれの部屋番号を確認する。

 101 御茶水みずほ様・笹木マロン様

 103 御茶水晏那様・御茶水月那様

 105 町田みのり様・藤村汐音様

 110 町田祐風貴様・藤村丈彦様

 となっている。町田さんと同じ部屋だ。レイジー・ママのスタッフが組み合わせを考えたのだろうが、私と町田さんはそんな仲だろうと判断されたらしい。

 奇数と偶数番号の部屋が、ホテルの長い廊下で向かい合った配列になっている。

 私たちの部屋だけなぜか離れた偶数番号だ。もしや奇数はツインで偶数部屋はダブルじゃなかろうかと想像が妄走する。

 「これちょっと、まずいんじゃないかな。なんか誤解されているみたいだ」

 汐音に部屋割り表を見せながら言うと

 「別にいいんじゃない。ベスト・マッチングよ」

 「だけど私と町田さんが同じ部屋と言うのはいらぬ詮索をされそうだよ」

 「問題ないよ。それに誰が詮索するのよ」

 「御茶水双子姉妹やマロンちゃん」

 「中学生が一般人のおじさんおばさんの仲をどうこう言うと思う? それにマロンちゃんだってああしてるけど立派なおとなだから、それはそれとして認めてるわよ」

 「何を認めるんだよ」

 「だからあ、おとなの都合とか付き合いとかそういうこと。

 そもそも藤村さんからしてちょっとニヤけ気味だよ」

 そういえば顔の筋肉が緩んでいるのが自分でもわかる。これ以上続けると逆に突っ込まれてやぶ蛇になりそうだから言うのはやめた。


 「結菜ちゃん、よく藤村さんと結菜ちゃんのお母さんを一緒の部屋にできたよね。どうやったの?」

 「ママのスタッフさんが名簿を持って『組み合わせはどうすればいい?』って訊いてきたから、アドバイスしたらその通りにしてくれただけ。特に裏工作とかしなかったよ」

 「そうなんだ。でもグッジョブだよ!

 普通なら女性のことを考えてシチュエーション作りをしてあげなければいけないのに、藤村さんがあんな風だから娘のわたしとしても気苦労が多いの。

 今度こそふたりの間に進展があるといいんだけど」

 「うちのお母さんもさ、ほら、あんなほわっとした感じじゃない。だから言い寄ってくる男の人は結構いるみたいなんだけど、あれで結構ハードル高くて、並みの男じゃ適当に返事してそれっきり音信遮断、フォロー解除なんだよね、わたしの知ってる限り。

 でも藤村さんに関してはそうじゃないみたい。

 母は言い寄っていく性格じゃないから、あとは藤村さんのアプローチ次第だよ」

 「そーよねー。音楽や雑学のことはうんざりするくらいしゃべるのに、結菜ちゃんのお母さんと話すと、なんかぎこちないんだよね。意識しすぎ」

 「仕方ないよ、それが性格なんだから。女性だってそんな藤村さんの純なところに惹かれる人がいるかもよ。うちの母みたいに」

 「結菜ちゃんのお母さん、藤村さんのこと好きなの?」

 「あれは間違いなく好き以上だよ。実の娘ふたりともが感じてるから間違いない!」

 「そっかー。じゃあ今夜、なにかあってほしいよね、あのふたりに」


 「またご一緒させていただくことになりました。よろしくお願いします」

 「こちらこそよろしくお願いします。今回は堂々と泊まれるから気が楽」

 「あの、私と同じ部屋でご迷惑じゃないですか」

 「どうして? 藤村さんといるとかえって安心ですわ」

 安心、か。まあいいや。どうせ今夜は疲れているからどちらも熟睡だ。

 鍵を開けて部屋に入ると、期待に反してベッドはツインだった。

 『(ダブルじゃないのかよー)』と思いつつ

 「さすが高級ホテルですね。雰囲気がまるで違う」

 言ってしまってやばいと思ったが、郊外の派手なネオンサインが煌めくホテルと無意識に比較しての感想だった。

 しかし町田さんは『どこのホテルと比べてるのかしら』などと下世話な返しなどしない。

 不純な私の心の中など気に掛けることもなく、町田さんも室内のライティングや調度品、アメニティ・グッズやステーショナリー一つひとつへの心配りに感心している。

 「先にお風呂に入られます?」

 「そうね。大浴場も家族風呂もなさそうだから、先にお湯をいただいていいかしら」

 「どうぞ。私は一階のコンビニで何か飲み物でも買ってきます」

 「あら、コンビニあったの。じゃあ後で一緒に行きません?」

 「あ、いいですよ。じゃあテレビでも見てますから先にお風呂使ってください」


 私もザっとシャワーを浴びて部屋着に着替え、ふたりで一階に下りて行った。

 夜中の二時近いので大きなホテルとは言え買い物客はまばらだ。

 「ビールでも呑みますか。それともほかのアルコール類がいいかな。もちろんアルコールなしでもかまいませんよ」

 「そうねー わたしこれにする」

 そう言って町田さんが手にしたのはコークハイ。よほどコーク系アルコールが好きらしい。私も付き合って同じものを買うことにした。

 「お酒だけじゃ寂しいからおつまみも買っとかないと」

 惣菜のあるコーナーに行くと、はやぶさ君とみのりちゃんが小腹を満たすものを物色中だった。

 「あら、こんばんは」

 「お母さん、なんでこんな夜中にほっつき歩いているのよ」

 みのりちゃんが驚いた様子で町田さんに言った。

 「夜中にほっつき歩いてるのはお互いさまでしょ。それよりいいの、はやぶさ君とこんなところにいて。彼、一応スターよ」

 「『一応は余分だよ』ってはやぶさ君が思ってるわよ」

 「思ってませんおもってません! こんばんは。あ、藤村さんもいる」

 「こんばんは。冗談抜きにいいの、スクープされちゃうよ」

 「こっちの建物はVIP専用なんだそうです。だから一般のお客さんと会うことはないから大丈夫ですって」

 みのりちゃんが教えてくれた。だから泊り客の数にしては買い物する人が少ないのか。

 それにしても大量に菓子や弁当やペットボトル飲料を買い込んでいる様子。

 私がはやぶさ君の持っている籠の中をじっと見ているのに気づいて

 「わたしと汐音ちゃんの部屋にアンドロイド仲間があつまって夜更かし中なんです。その買い出しに来たの」

 夜更かしは若者の特権だし、しかも彼ら彼女らは疲れを知らないので、偶然に集った一夜を楽しむのは当然だ。

 「双子姉妹は大丈夫なの。まさかあの子たちまで仲間に入っているんじゃないわよね」

 町田さんが心配して訊ねると

 「当り前よ! よい子は寝る時間だし、まあ多分寝てないと思うけど、今日買ったグッズを見せあっこしてるでしょ。

 わたしたちが一部屋に集まってるのには気づいてないはずよ」

 「ならいいけど。あなたたちもあんまり騒いじゃだめよ、いい大人なんだから」

 「お母さんたちもお酒呑みすぎないようにね。せっかくの夜を台無しにしないように。いい大人なんだから」

 「何言ってるのこの子は。ね、このシメサバ、譲ってくれない?」

 そう言って了解を得ず、はやぶさ君の籠から自分の籠にパック入りシメサバを移し替えた。

 それからみのりちゃんたちとは別行動になって、デザートコーナーで昭和風プリンをゲット。

 無人レジで商品のバーコードを読み取って支払いは終わり。店を出た。

 なんとここの買い物代金もすべてレイジー・ママ持ちらしい。私もセレブになったらこうでありたい。


 部屋に戻り、リヴィングのような間取りの部屋のソファーに座ってコークハイで乾杯。

 はやぶさ君からせしめたシメサバを、町田さんが美味しそうに食べている。

 「言ったかしら? わたしサバが大好きなの。こんなに白くなった身のパック詰でも満足なんです。藤村さんもどう?」

 そう言ってシメサバを勧めてくれた。私もサバは好きだが、パックには小さな切り身が七~八切れくらいしか入っていないので遠慮した。

 簡単な打ち上げは三十分程で切り上げて、ふたりとも歯磨きを済ませ、寝室のそれぞれのベッドに入って『おやすみなさい』を言った。


 すぐに寝入ってしまったが、高いところから落ちそうになる夢を見て目が覚めた。ベッドのデジタル表示時計は室内の電気を消してまだ三十分しか経っていない。

 あらためて寝ようとしたら町田さんの声がした。

 小さいが苦しそうに『くっく』と、呻いているようにも聞こえる。

 暗い中、寝返りを打って向きを変え、町田さんの様子を窺うと、小刻みに背中が揺れているようだ。

 半身を起こしてしばらく様子を見ていると、数秒から数分おきに声を出したり身体を震わしている。

 体調が悪いんじゃないかと心配になり、ベッドから出て町田さんに近づき声をかけた。

 「町田さん、大丈夫ですか? 具合が悪いんじゃないです?」

 豆電球の小さな明かりに浮かんだ町田さんの表情は、ハッとしたようにこちらを見ている。

 「あら、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

 そう言いながら自分のベッドの読書灯を点けて上半身をこちらに向けて、また寝転がった。耳にはイヤホンが装着されている。

 「わたし、寝る前に何か食べた時はふとんに入って一時間くらいは寝ないでおくの。胃の中である程度消化作業が終わるまでラジオを聴いて過ごすんです」

 「ああ、そうだったんですか。私はすぐ寝入ったけど、変な夢を見て目が覚めたら町田さんから苦しんでいるような声と、身体が震えているような動きが見えたんで急病かと勘違いしました。

 とりあえず何事もなくて良かった」

 「ほんとうにごめんなさい。ご心配をおかけして」

 「いえいえ。じゃ、あらためておやすみなさい」

 「ねえ、一緒にラジオ聴きません? すごく面白いのよ。ほら、片方のイヤホンをはめたらふたりで聴けるでしょ。あまり線が長くないからこっちで横になって聴けばいいわ。

 あ、無理にじゃなくていいのよ。お眠いんでしょう」

 「いえ聴きますききます。寝入りばなに起きたので、しばらくは目が冴えて眠れないだろうから」

 「じゃあこちらへどうぞ。寒くないようにふとんをちゃんとかけてくださいね」

 図らずも添い寝のかたちになって、ふたりで深夜ラジオを聴くことになった。

 中学高校時代に聴いていた深夜番組オールライト・ニッポンが今も続いているとは知らなかった。もちろん当時のDJではないが、深夜だから言えるアダルトギャグ満載の番組ポリシーは変わっていない。

 意外なのは町田さんがこの系統の番組で笑っていること。

 「いつも聴いてるんですか、このラジオ」

 「いいえ、いつもじゃないけど寝付けない夜は、ラジオを点けっぱなしにしてなんとなく聞いています。そしたらいつしか寝ちゃうのね」

 「にしてもけっこう際どいギャグとか多いじゃないですか。こういうの、大丈夫なんですか」

 「大丈夫です、て言うか大好物なの。わたしだって受験生の頃は深夜ラジオ全盛の時代だったから、エッチなギャグも勉強しながらひとりで大受けしてました」

 「へえー 意外だけど、あの頃は今みたいに二十四時間、いつでもテレビが視られたわけじゃないし、深夜ラジオが唯一の楽しみだったですからね。

 私も週末は朝五時まで聴いたりしてました」

 しばらくそのままふたりでイヤホンを通して聴いていたが、二十分ほどすると町田さんは寝入ってしまったようだ。

 イヤホンを自分の耳から抜き、町田さんからもそっとはずしてベッドの照明パネル横に置いた。自分のベッドに戻ろうとすると

 「今から冷たいベッドに入らなくても、このままこっちでおやすみになってもいいのよ」

 目を閉じたまま町田さんが私に声をかけた。

 「え、あ、いや、ああ、そうですね。せっかく温もったのにわざわざ寒冷ベッドに移らなくてもいいか。

 じゃああの、このまま寝させていただきます。まっすぐ仰向けの姿勢で寝ます。おやすみなさい」

 「そんな気を使わなくても。そのかわり《おやすみ》はほっぺにキスしていただけます?」

 「あ、はい。喜んで。どっちがいいでしか」

 「どっちでもお好きな方で」

 私から見て右のほっぺ、だから町田さんにすれば左ほっぺに軽くチュッとした。

 顔を離すと町田さんが私の目をみつめている。

 旅館での家族風呂のシチュエーションと同じだ。今度は俺がリードしなければならない。

 離れた顔を再び近づけて、今度は町田さんの唇に私の唇を重ねた。

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