第18話  ナチ 7



 「地元の友だち。ごめん、ちょっと行ってくるね」


 立ち上がったナオコは彼女らに手を振りながら、小走りで駆けよってゆく。


 「うん」

 「いってらー」


 気休めに扇いでいた団扇を振った。


 ここまでの道すがらも、地元の友だちに声をかけられていた。楽しそうにふざけあっているところへまた、別のグループが合流している。

 本人に言うと否定するけど、ナオコは意外に世話焼きで面倒見がいい。友だちにも好かれているのだろう。


 「ナオコ、人気者だね」


 隣に座るサチに心持ち大きな声で話す。


 間近で見る花火の音はかなり大きくて、身体の中心にまで響いてくる。その音に消されないように。


 「あれじゃ、しばらくはもどってこられなさそう」


 「だね」


 ナオコたちを遠目で眺めながら、ゆっくりと団扇を動かす。送られてくる風は冷たいにはほど遠い。


 「サチは地元の子たちとは遊ぶの?」


 「全然」


 あまりにもあっさりとしたサチの口調に、まったく関心がないことがわかった。


 「前に……髪の色のことでちょっと、ね」 


 「……こんなにきれいな色なのに?」


 「ナチは……そう言ってくれたね」


 「だって、本当にそう思ったし」


 編み込んだ三つ編みをおさげにしたサチ。今日はいつものさばさばとした雰囲気ではなく、なんとなくやわらかい感じがする。


 入学式で初めてサチを見たときには、なんてきれいなコなんだろうと思った。

 『コミネさんの髪の色、天然なんでしょ? キレイだね』。そう話しかけた。

 髪色も確かに目を惹いたけど。髪や顔の造作とかだけじゃなくて、佇まいとか、張りつめて透き通るような雰囲気がとてもきれいだと思った。

 ……サチの髪色をからかうやつらはバカだ。


 「ナチはどうなの?」


 「まあ、良くも悪くもない。……それよりさ、その浴衣、ナオコのお姉さんのだよね。すっごく似合ってる」


 青地の浴衣に描かれた白の蝶。

 橋の薄明るい街灯と花火が照らす夜の中で浮き上がり、今にも羽を伸ばして翔び立とうとしているようにも見えた。


 「ありがとう。ナチもよく似合ってるよ」


 「わたしのは去年と一緒だよ」


 「去年も似合ってた」


 「なにそれ?」


 よくわからない褒め言葉に笑ってしまう。

 サチも笑っていたが、ふっと口元から笑みが消えた。


 「この前の……カシワギの補習。どうだった?」


 「……普通だよ。カシワギ、もしかしたら結婚するのかも」


 黙っていたお弁当のことを話した。

 から揚げを食べるたびに、言わなければよかったと後悔した言葉とあの味を、これからもきっと思い出し続けるのだろう。


 「……」


 うつむいたサチは、なにも言わなかった。


 「サチ? 聞いてる?」


 「……」


 「もしかして……サチもカシワギのこと好きだったとか?」


 応えがないのでたずねると、すぐに「違うし」と返された。その表情かおは真顔過ぎて、なんだか可笑しくなってしまう。そんなの本気じゃなくて、冗談に決まっているのに。


 「あくびが出そうになって」とサチ。


 「……まぎらわしいって」


 その答えに笑う。


 「ごめん」と、サチは目元を親指で拭った。


 


***



 「じゃあね。ナチはバイトのシフトを教えてね。サチも予定を連絡してよ」


 花火が終わったあとに、サチの荷物を取りにナオコの家へともどった。

 それから「徒歩で七分らしい」という、待ち合わせた駅まで送ってくれていた。


 「了解」


 「ナオコ、いろいろとありがとう」


 「別にいいって。浴衣だって洗濯しないでそのまま脱いでいってもいいのに」


 そういうわけにはいかないよ、とサチ。

 サチはそのへんは義理堅いというか、自分の中の基準がしっかりとしている。


 「ナオコも帰り道に気をつけてね」


 「うん。大通りで帰るから大丈夫」


 「うん……バイバイ」


 「じゃあ、またね」


 「またね」


 手を振りながら改札へと向かう。

 サチは何度も振り返って、ナオコに手を振った。


 改札付近は混雑していたものの、ホームはそこまでの人混みではないことにほっとする。反対方面のホームにだいぶ人が流れたようだ。


 ナオコの家からいちばん近いこの駅は、通学で使う私鉄とは違う路線だった。


 「サチはどこまで乗るんだっけ?」


 「ナチが降りてから……三か四駅かな」


 階段を降りてゆくと、ちょうどホームに銀色の電車が入ってくる。


 乗客が吐き出され、列をつくって並んでいた人たちが吸い込まれていった。座席はほぼ埋まっている。吊革も空いていない。


 見送って次の電車を待つことにする。

 どうせ十分も待たないうちにくるのだから。


 

 端の座席が空いていたのでサチが座り、その隣に座った。一本ずらすつもりが、結局は三本見送ることになった。四本めの電車の乗客はかなり少なくなっていた。花火大会帰りの浴衣姿も数人いるだけだった。


 窓が鏡のように、車内の乗客を映す。


 疲れて首を前に倒して寝ていたり、立って窓の外を見ていたり、スマートフォンを操作していたり。目を閉じてイヤホンで音楽を聴いている人もいる。


 どの花火がいち番きれいだったか、最近はどんな曲を聴いているのか、ナオコとお姉さんがそっくりだったとか、さっき撮ったどの写真をSNSに上げるか。そんな話をくすくすと笑いながら、小声で話していた。


 降車のための車内アナウンスが流れる。降りる駅の少し手前で席を立った。

 緩やかに速度が落ちて、窓の外には青白いホームが映る。


 「ナチ」


 「ん?」


 顔を向けるとサチが立ち上がり、わたしの頬を両手で押さえて唇を押し当てた。


 一瞬の事だった。


 サチは何事もなかったようにすぐに離れた。


 「……」

 「……」


 いつもの悪戯だというふうに、笑っていた。


 「……バカ。そういうのはスーツにやれって言ったじゃん」


 「ナチがいいよ」


 「……本当にバカ」


 ホームに電車が停止してドアが開く。


 「……じゃあね」


 「うん。バイバイ。ナチ」


 手を振ったサチは微笑わらっていた。





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