【2024GW特別編①】小噺 其の十六 甘いジャムは朝食で㊦


「ありゃ。いないや」

 イルは誰もいない母黄昏のねぐらを見て頬をかいた。


 精獣 黄昏は普段黒狼の姿をしているが、正確には黒狼ではない。人の姿になろうと思えばなれるし、他の形に変わることだって出来る。だが元々はただの黒狼であったため、黒狼の姿に馴染みがあるらしく黒狼の姿でいることが多かった。

精霊の一種であるから、人のように決まった場所に居を構える必要もないが、イルが解りやすいようにある程度寝床の場所を決めたのだ。約束をしていたわけではないが、大概森を歩けば道中かここで黄昏と顔を合わせていたので会えるものとイルは思い込んでいた。

しばらく待っていたが黄昏が帰って来る気配はない。きっとイルがその名を呼んだなら、黄昏はどこからか声を聞きつけて飛んでくるだろう。だが今はなにか差し迫った状況でもなし、いない、という事は黄昏にだって何か用事があるのだ。

「んー、……まあ、泉まですぐそこだし。いっか」

 母の寝床の周りにいる小さな精霊たちが出てきてイルの周りをくるくると舞う。

「今、私はあなた達の言葉はわかんないよ。黒狼じゃないから」

 イルは黄昏の力を本当に驚くぐらい受け継がなかったので、精獣の子でありながら精霊の言葉がわからない。姿は見えるのだが、黒狼に変化しなければ何も聞こえないのだ。

「母様が戻ってきたらサナの泉にいるよって伝えてくれる?」


『絶対黄昏と一緒に行けよ』


 一瞬ガヴィの言葉が蘇ったが、帰りは母様と帰ろうと心に決めてイルは泉の方に足を向けた。





 泉の周りにはヤンが教えてくれたようにノールミュールの実がたわわに実っていた。

「う、わぁ……!」 

 ミュールの実はバラ科の植物で春には白い小さな花をつける。その後夏頃に赤黒い実をつけるのだが、ノールミュールの実はもう少し早い今の時期に実をつけるのだ。ミュールの実はどちらかと言うと酸味が強めだが、ノールミュールは甘味も大分強い。

レイ公爵邸の庭のアイアンにも薔薇と一緒にミュールの木があるのだが、ノールフォールの地域特有のノールミュールの実でずっとジャムやタルトを作りたいと思っていたのだ。

イルは逸る気持ちを抑え、とりあえず籠を空にせねばとまずは昼食を取ることにした。腹が減っては戦はできぬ、である。


 イルはレンの作ってくれたチーズとハムを挟んだパンをぺろりと平らげると、よしっと気合を入れて立ち上がる。ノールミュールの実は昨日降った雨でキラキラと宝石のようにきらめいていた。

「キレイ……。でもこの実、すぐに傷んじゃうからなぁ……やっぱり今日これてよかったぁ」

 柔らかい実を潰さないようにそっと採っていく。熟した実は枝からポロッと採れるので、熟しているかそうでないかの判断は比較的容易だ。小一時間ほどで持ってきた籠がいっぱいになった。イルは籠を横に置くとふうっと一息つく。じんわりかいた汗と爽やかに吹き抜ける風が心地いい。午後の日差しに照らされて、泉の水面も穏やかに揺れていた。

「よしっ! 母様の所によって帰ろっと!」

 早めに帰宅せねばまたガヴィのお小言を貰ってしまう。もう少し散策もしたいと思いつつ、日が傾く前にと立ち上がったのだが――

「きゃっ! な、なに?!」

 目の前をすごい勢いで何かが通り過ぎた。

よくよく見るとそれは母のねぐらにいた小さな精霊で、それはイルの目の前を飛び回り、時折髪をグイグイと引っ張ってくる。

「ちょ……! やめて! 私今あなたの言葉わかんないんだってば!」

 精霊は何かを言っているような気がするがイルにはわからない。勢いよく飛び回るので顔をかばうイルに、精霊はイルの髪の毛を後ろから引っ張った。

「イタッ! こら! ――あっ!」

 流石のイルも少々頭にきて、勢いよく振り払った瞬間、昨日の雨でぬかるんだ地面に足を取られて体が泉の方に傾いた。


(――落ちる!!)


 次の瞬間に来るであろう水の冷たさを覚悟してイルはぎゅっと目をつぶった。


 ――が、いつまで立っても水に触れる感触はなく、かわりに何か別の温かなものに力強く包まれた。


「――何やってんだ、お前は!」

 少し焦った、ここにいるはずのない人の声がする。

「?」

 ぎゅっとつぶった目を恐る恐る開くと、イルは仕事中のはずのガヴィの腕の中に収まっていた。ポカンとガヴィを見上げる。

「え? ガヴィ? なんでここにいるの?」

 驚きすぎて、場にそぐわないかなり気の抜けた声が出た。ガヴィは「馬鹿! お前は本当に危機感がたりねぇ!」と珍しく本気で怒った声を出す。頭ごなしに怒鳴られてむっと俯いたイルに、ガヴィははぁ~っと息を吐くと、苛立つ声を抑えて「黄昏はどうしたんだよ」と問うた。

「……寄ったけどいなかったから。帰りは一緒に帰ろうと思ってたよ。ガヴィこそ、仕事はどうしたの」

 少々不貞腐れてイルが答える。

「なんか嫌な予感がしたから抜けてきたんだよ。昼はクロードと飯食うだけだったから」

来てみりゃ案の定じゃねえか、とぶつくさ文句を言うガヴィにイルがとうとう噛みついた。

「もう! そうやっていっつも子ども扱いして! 私だって一人でどこでも行けるし、そりゃ、さっきだって危なかったかもしれないけど、転んだって濡れるくらいじゃない!」

それくらいどうって事ないよと反論するイルにガヴィの片眉が上がる。

「――あのな。そもそもガキよりも年ごろの娘がフラフラひとりで歩いてんのが危ねえんだよ。死にゃしなくても怪我するかもしんねえだろうが! それにお前と来たらいつまでたってもそんな薄着でフラフラしやがって、変なのに目ぇつけられたらどうすんだ!」

 畳み掛けるように正論を言われてぐっと押し黙る。それでも、最近感じていた小さなモヤモヤが一気に膨れ上がって、イルも負けじとガヴィに言い返した。

「私に近づいてくる人なんていないよ! なによ! ガヴィだっていつまでたっても私の事子どもだと思ってるんでしょ! 馬鹿にしないでよ!」

 半分八つ当たりみたいに叫んでドンとガヴィの胸を押した。


「――ガキだと思ってねえから、我慢してるんだろうが……!」


 聞いたことのない、地を這うような声が聞こえてグイッと腕を掴まれた。そのままイルのむき出しの首筋にがぶりとかぶりついてじゅうっと吸い上げられる。

「いっ……ぁっ!」

 電流が走ったように首筋に痛みを覚えてイルは小さく声を上げた。


 驚いて顔を上げた視線の先には、イルの見たことのない、目に紫の炎を宿した男がいた。


 じわじわと、今自分が何をされたか理解して真っ赤になって固まる。馬鹿みたいに心臓の音が煩い。

目をそらしたいのに、まるでヘビに睨まれたカエルの様にその瞳を反らす事ができなかった。


 吸われた首筋を押さえてへたり込んだイルは一歩も動けずただ時だけが過ぎていく。

 先に動いたのはガヴィだ。

へたり込んでいるイルを無言で助け起こすと、パンパンと汚れた所をはらってやる。

「帰るぞ」

 低く呟かれた声にイルはもう何も反論できなくて、ただガヴィに手を引かれるがままに着いていくしかなかった。

『――私の縄張りで娘をかどわかすとはいい度胸だ』

 突然響いた声にイルはビクっと肩を震わせる。対照的にガヴィは全く動じる様子がない。

「人聞きの悪い事を言うな。ちょっとお前の娘、躾がなってねえんじゃねえの」

『悪いな、私はその子の躾には関わっておらんのよ』

 悪びれもせず即答で返ってくる言葉にガヴィが「クソ親じゃねえか」と毒を吐く。

 黄昏は真っ赤に固まって黙って二人のやり取りを聞いていたイルに、いつもの調子で語りかけた。

『イル、すまないな。精霊がイルが来たことを伝えに来てくれたのだが諸用で戻るのが遅くなってしまった』

 小さな精霊は、黄昏に伝達した事をイルに伝えたかったらしいが上手く伝わらなかったようだ。イルはただただ頷く。

『――お前が望むならば、屋敷に戻る前にその男を始末するが』

 黄昏がどこから二人を見ていたのか解らないが、ガヴィは「テメェ」と顔をしかめ、イルは増々顔を真っ赤にして首をブンブンと横にふった。


 ガヴィはノールミュールの実がいっぱいつまった籠を乱暴に持ち上げると、もう片方の手でイルの手をとり、黄昏に「絶対に着いてくんなよ!!」と吐き捨て、振り返らずにズンズンと屋敷に向かって歩き出した。




 途中でガヴィの愛馬に乗り屋敷に帰る道のりの間も、お互いに一言も喋らなかった。


 ただ、いつまでも鳴り止まない胸の音が煩く、熱でもあるんじゃないかと思うほど体が熱い。

ガヴィと一緒に馬に跨って握ったガヴィの手も同じ様に熱かったから、なぜかホッとすると同時にやはり何を言えばいいかわからなかった。


 お互い無言で屋敷まで帰り、玄関の扉に手をかけた所でガヴィが振り返ってやっと言葉を紡ぐ。


「――子ども扱いは嫌なんだろ。今晩、覚悟しとけよ」


 そう言って意地悪く口角を上げたガヴィに、イルはただ「ハイ……」と返す事しか出来なかった。




 翌朝、ノールミュールの実を使ってレンとジャムを作るはずだったイルが昼過ぎまで寝室から出てこなかったりだとか。その後、何故かイルは三日ほどアカツキの姿で過ごしたりしていたが、レンはただ静かに微笑んで、一人ノールミュールの実をコトコト甘く煮て、は甘いジャムになったのだった。


2024.5.3 了

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❖あとがき❖


 ……す、すみません……(笑)

GWに合わせて、5月の休日らしい美味しそうなレイ家の朝食と、ノールミュールの実を沢山とって、ジャムやタルトを作って平和に侯爵家でお茶するだけのほのぼの話の予定が(笑)

何故かわりと大喧嘩してアダルトな雰囲気になってしまいました(*´ω`*;)どうしてこうなった(笑)


 ちなみにこのお話はイル十八才になる年、ガヴィは二十七ですね。


 書きながら、「え? ガヴィ正気なの? お前気長すぎん??」と思いました(笑)

今回は完全にイルが悪い(笑)


 ちなみにミュールの実と言うのはブラックベリーの事です。実際フランス語だったかな?ではブラックベリーをミュールと呼ぶらしい。

ブラックベリーは花も実も見た目が可愛くて好きです。

ちなみに花言葉は「人を思いやる心」「あなたと共に」「素朴な愛」「孤独」「嫉妬心」


うふふ(笑)


後日、生暖かい目のレンが作ってくれたジャムをパンに塗って朝ご飯を食べる二人を想像すると笑えます(性格が悪い)

 

個人的に、黄昏相手だとめちゃくちゃ口が悪くなるガヴィが好きです。


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