【2024GW特別編①】小噺 其の十六 甘いジャムは朝食で㊤



 アルカーナ王国最北端、ノールフォール領にあるレイ侯爵家の朝は早い。

辺境の侯爵領とは言え、月に一度は中央に呼ばれる位には国王の覚えもめでたく、お貴族様らしくゆっくりとした目覚めでも許されると思うのだが、なんせこの時期この家に住まう少女の朝が早いのだ。

早朝にしか咲かない薬草がどうのだとか、花がどうだとか、薄暗いうちから外に飛び出して行ってしまう。

侯爵家であるにもかかわらず、使用人が一人しかいないこの屋敷は、水を汲んだり馬の世話をしたりも当主自らやらねば人手が足りない。ガヴィは特段朝が苦手ではないが、王都暮らしの頃から比べればすっかり朝型になってしまった。


 馬屋で愛馬に飼葉をやり終え居間に戻れば、朝食の準備が調えられ黒髪の少女がすでに席についていた。


「おはよう! ガヴィ」

 居間の扉を開けるとイルの元気な挨拶に、いつも通り「おー」と答えてガヴィも椅子をひいて席についた。執事のレンが食事を並べていく。

 今朝の朝食は芋のポタージュとリーフのサラダ、昨日イルとレンで作った胡桃くるみ入のパン。いつもならこれに似たラインナップに豚の腸詰めなんかがつくのだが、今日はいつもとは違う一品が皿に盛られている。

イルは皿をじっと見ているガヴィを見て何故か得意げに笑った。

「今朝はね、この時期にしか採れない香りのいいハーブが採れたんだ! しかも帰りに近くの村のヤンさんが茸をいっぱいくれたからそれを使ってレンがキッシュにしてくれたんだよ!」

へー、と返事をして適当な大きさに切り口に放り込む。

なるほど、新鮮な卵のほんのりとした甘さの中にわずかな塩味と爽やかなハーブが香る。茸からの旨味も相まってイルが得意気に話したくなるのも頷けた。

「うま」

 小さく呟いて咀嚼そしゃくするガヴィに、イルは満足そうに自分も朝食を食べ始めた。


 朝起きてから朝食までの僅かな時間の出来事を賑やかにイルが話しながら朝食をとる。

レイ侯爵家のいつもの風景だ。


 食事が終わり、食後のお茶を飲み始めた所でお互いの予定を確認し合った。

「俺は今日夕方までフォルクス邸に詰めるから昼はいらねえぞ」

 以前にこの地を治めていたフォルクス伯爵邸は改装され、国境付近を守る兵士の宿舎兼詰め所になっている。そこから兵士達は持ち場に振り分けられ、防衛業務に当たるのだ。ガヴィはノールフォール領をうけたまわった時から、兵士達をまとめ、隣国クリュスランツェを越えてくる関所の管理や国境警備の責任者も任された為に、日中は執務室のある旧フォルクス邸や砦に詰めることも多い。

イルはお茶請けに出された小さな焼き菓子を口に放り込みながら自分の予定を口にした。

「うん。私も今日は北東のサナの泉の近くまで行くから昼はいないよ」

 何気なくイルの口から紡がれた言葉を耳聡みみざとく捉える。

「サナの泉? 何しに行くんだ?」

聞いてねえぞ、と軽くイルを睨む。

 この少女は放っておくと疾風はやてのごとく自由奔放にどこでも行ってしまう。イルは悪びれもせずお茶を飲みながら答えた。

「今日茸をくれたヤンさんがね、教えてくれたの。ノールミュールの実が泉の近くに沢山なってたよって」

パンに塗るジャムがもう少ないから作ろうと思って。とにっこり笑うイルを見てガヴィの眉が寄る。

「……週末じゃダメなのか。ミュールの実なら庭にもあるだろうが」

 暗に一人は危ないと言いたかったのだが、思いが伝わらずイルの反論に合った。

「ミュールの実は傷みやすいんだよ! 昨日雨が降ったから早く摘みに行かないと。しかも泉の近くのノールミュールはお屋敷のミュールとは違うの。酸味と甘みが絶妙なんだから!」

そもそもジャムの消費量一番多いのガヴィじゃない、と唇を尖らせて言われれば、それ以上否と言いづらい。

「大丈夫だよ、途中で母様ははさまの寝床に寄るし、ちゃんと途中から着いてきてもらうから」

ね、いいでしょ? と上目遣いでお願いされてはガヴィも弱い。渋々だが許可せざるを得なかった。

この少女、本人自覚はないが最近ガヴィが断りづらい手法を身に付けてきている。

「……絶対黄昏と一緒に行けよ」

 ガヴィはイルにしっかりと釘をさして了承した。





かごの中に軽食を入れておきましたのでお昼に召し上がって下さいね。昨日の雨で地面がぬかるんでいますからお気をつけて」

「うん、ありがと、レン」


 イルは昼食入りの籠をレンから受け取って屋敷を後にした。

屋敷から精獣 黄昏が普段寝床にしている場所までは徒歩で約三十分、そこから北東のサナの泉までは約十分だ。

アカツキの姿になって駆ければ半分の時間で行けるが、軽食の入った籠に帰りはミュールの実を詰めて帰らねばならない。獣の姿でも持って帰れなくはないが、実を摘んだりすることを考えればはじめから人の姿で行ったほうが賢いだろう。それにイルは森を歩くのは嫌いではなかった。

ガヴィは最近イルが一人で森を出歩くのにいい顔をしないが、イルにしてみれば物心ついた時からこの森を駆け回っていたのだ。ガヴィよりもよっぽど土地勘があると自負している。

「ほんと、ガヴィって過保護なんだから。もう十四の子どもじゃないのにさ」

 イルは今年で十八になる。出会った時は十四であったから、成人していたといえども二十歳をゆうに超えていたガヴィからすれば確かに子どもであっただろう。

 

 でももうあれから四年もたった。


 背も伸びたし、髪も伸びて以前よりかは女性っぽくなったと自分でも思う。ガヴィともしょっちゅう喧嘩するということも前ほどなくなったが、それ以上何が変わったかと聞かれると答えに困る。

街に出れば腕を組むことだってあるし、二人きりになればそれなりにいい空気になることだってある。あるが――


 最近、特になんだか一線を引かれている気がするのだ。


 邪険にされるとか、蔑ろにされるわけではない。忙しい中イルの話も聞いてくれるし、出会った頃よりちゃんとイルの意見も聞いてくれる。

数年前クリュスランツェに行った際、より二人の距離が縮まったと思っていたのだが、近頃イルが近づくとすっと距離をとることがあるのだ。

「……」

 たまに一緒に寝ることもあったのだが、最近は「仕事がまだ残っているから」と部屋から追い出されることも多い。


 ひっついて、ちょっぴり甘えたいな、なんて思う時もあるのに。


「……私ばっかり好きでなんか腹立つなぁ……」

 唇を尖らせながら呟くと、イルは黄昏の寝床に向かった。





 旧フォルクス邸はノールフォール森林の中程にある。

由緒ある伯爵家とあって、石造りの強固な作りの立派な建物だ。ただ、以前の主は自分のとがによりこの地を去ったので、屋敷は改築を加え現在は国境警備の為の拠点となっている。

 ガヴィとイルがノールフォールに居を移す際、この旧フォルクス邸を利用する事も出来たが、一族を死に追いやった者達が住んでいた屋敷にイルを住まわせる気にはならなかった。

ただ、フォルクスの名を古き時代から受け継いできた歴史は伊達ではなく、屋敷自体は立派な物であり拠点としては大変利用価値があった。

「では、オーク村の問題については私が請け負いましょう。ひと月ほどお時間をいただけますか?」

「おう、悪いな。時間はかかっていいからよ、上手い具合にしてやってくれ」

「承知しました」

 ノールフォールに居を移してから仕事で何度か協力し、すっかり仲の良くなった隣の領のクロード・アゼリア男爵はガヴィより年上であるが、爵位がガヴィの方が高いこともあり、まるで年が近い友人の様に最近は接している。彼は年下で成り上がり侯爵のガヴィに対しても不快な顔をしなかったし、なによりも仕事が出来る。ガヴィが仕事のパートナーとしても友人としても能力を高く評価している数少ない人物だ。

今日は仕事の後、そんな彼と仕事とは関係なく食事をする予定だったのだが。


(――昼、回ったな。アイツちゃんと着いたんだろうな)


 どうも落ち着かない。


 レイ侯爵邸から少し距離があるとは言え、黄昏と行動を共にすると言っていたし、イルの庭とも言えるこの森で命に関わるような事が起きるとはガヴィも思っていない。

しかし、慣れ親しんだ土地だからこそ、イルの危機感は年々薄れているように思う。イルは黄昏の能力は変化へんげしか受け継いでおらず、ほぼ人よりなのだが、黒狼に変化けんげ出来ることもあって森に還ってから獣の感覚が強いのかもしれない。

もうすぐ十八になるというのにどこでも変化するし、悪気なく布団に潜り込んできたりする。付き合いたての頃の方が恥じらいがあったような……。

供も付けず薬草採取だ何だと飛び出して、知らぬ間に知り合いを作ったり。その自由さが彼女の魅力ではあるが、些かガヴィだってハラハラするのだ。

「……どうされました? もしかしてイル殿ですか?」

 ほぼ確信してクロードが笑う。ガヴィは違ぇよ、と言いかけたが部屋にクロードしかいない事を確認して少々不貞腐れた顔をした。

「ったくよ、こっちの気も知らねーで、あのお転婆娘がよ」

ほっといたら一人でどこでも行っちまう。いい加減自分が年頃の女だって気づいた方がいいよな、と口をへの字に曲げる。

普段はしっかり者の侯爵で年下の友人のボヤキを聞いて、クロードは笑みを深くした。

「……強力な保護者と国一番の剣士を味方につけてますからねぇ……。いられるんでしょうね。しかし、まあイル殿が女性としての自覚に欠けるとしたら半分はガヴィ殿にも責任があると思いますけれど」

「はぁ?!」

 まさか責任の矛先が自分に回ってきて、不服そうに友を見る。

 クロードは出されたお茶を飲みながら苦笑した。

「……大体、ガヴィ殿は彼女を大事にしすぎなんですよ。貴方は彼女の片割れであって保護者では無いんですから。いつまでも子どものように囲っておくのもどうかと思いますよ」

 知り合った頃は独身であったのに、クロードはこの夏二児の父になる。人生の先輩の意見にガヴィはうぐ、と押し黙った。

「そんなに心配なら追いかけたらよろしいんですよ。なに、私との食事はまた今度機会を設ければいいんですから」

私も屋敷に戻り妻たちと昼食をとろうかな、と席を立ったクロードに「悪い」と一言謝ってガヴィはクロードより先に部屋を出た。


【つづく】

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