雨の水車小屋

 マルグリットに案内されてやってきた水車小屋は、音に溢れていた。


 穏やかなせせらぎに柄杓に組み上げられた水が騒がしく落ち、水の力で回る心棒が、ギシギシと石臼を回す。


 さっきまで軽快に砕けていたカカオ豆は、いつの間にか静まっている。

 おそらく全てが粉となり、石臼の下に落ちたのだろう。


 ラティは屈んで、粉の状態を確認してみる。

 

「まだ粒子が荒いなぁ。マルグリットの家の人によると、確か二度三度と挽くと、より細かい粉に出来るんだったよね?」

「そうらしいわね。私は刺繍を続けるから、貴女は気が済むまで水車を使うといいわ」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」


 チラリとマルグリットの様子を確認してみる。

 窓からの光を頼りに刺繍をしているのかと思いきや、ぼんやりと外を眺めていた。

 亡くなったばかりの婚約者のことを考えているんだろうか?


 ラティは石臼の穴の中にカカオ豆の粉を入れながら、彼女に探りを入れる。


「好きだった人が死んだら、やっぱり辛いよね」

「んー……、別に好きじゃなかったわよ。ただ、私なら助けてあげられるかもって思い上がっていただけ」

「ん?」


 マルグリットの感情についていけず、彼女の顔をポカーンと眺める。

 それは同情していたから、結婚しようとしていたという意味なんだろうか?


「兄と弟。依存しあって潰れていくなんて、見てらんなかったの。だったら私が間に入って、全部ぶっ壊してあげようかなーなんて思ったのよ。でも、こういう壊れ方するなら、何もすべきじゃなかったのかもしれないわ」

「それって、まるで君が間に入ったから、ペリアーノが死んじゃったみたいな言い方だね」

「何ですって?」

「ぅあ」


 黙っていようと思ったのに、うっかり死人の名前を出してしまった。

 誤魔化し笑いをするラティだったが、マルグリットのの圧に負けて、しょうがなく説明する。


「––––君ってかなりの善人だから、あまり他言はしないと期待するよ」

「ええ。人の嫌がることをすることはないわ」

「ありがとう。えーとね、実は私、世界樹の上でも喫茶店を開いているんだ」

「世界樹ですってえええええええ!? それって、本当に存在するのかしら? あなたもしかして変な薬を……」

「薬なんかやってないよ! 頭も……たぶんまだ大丈夫。私は元々世界樹に暮らしていたんだよ。それで、ミズガルズで人間になってからも、世界樹を目指した」

「理解するのが難しい話ね。でも、今は嘘じゃないって信用してみるわ。だって、ペリアーノについての話が気になるのだもの」


 マルグリットの表情は、婚約者への心配というよりも、ペリアーノの姉か母のという感じがする。多分彼のことを心配し続けてきたからこそなんだろう。


 静かに降り出した雨が、水車小屋の屋根を打つ。

 川の水面にも、水車の板にも、そして生い茂る木々にも分け隔てなく雨粒は落ち、聞いているうちに、とっぷりと、沈み込むような気分になりゆく。


 この湿気が作業に悪影響を及ぼさないといいが……。


「––––二日ぐらい前に、ペリアーノの魂と会ったんだ。私が植えたリンゴの木を見て、物思いにふけっていたんだって」

「あの子の兄が、リンゴ……を売り歩いていたからでしょうね」

「でも、君がそんなに憤って、変なお節介を焼いてしまうのって、彼が売っていたのがリンゴだけじゃないのを知っていたからじゃないの?」

「そうよ。元々パトリッセはわりかし真面目な人だったわ。でも、ある時からオレンジ頭の美青年とつるむようになって、次第に、酒癖も、女癖もひどくなった。いいえ、悪いのはそこじゃなくて、それが出来るだけの収入源を見つけたから。パトリッセは……人に害なす薬をこっそりと売っていたのよ」

「ペリアーノのためだったんだよね?」

「口では何とでも言えるんじゃないかしら。……実際に彼は、経済的にも、物理的にも、自由になれたんだからね。私は何となく、ペリアーノが見捨てられるんじゃないかって思ったから、見てるだけじゃダメなのかなって、そう思っただけ。あの子に変な性癖でもなければ、気持ちは後でからついてくるでしょうし」


「君の話を聞いて、君に惚れそうになったって言ったら怒る?」

「貴女が男だったら怒ったけれど、女の子だから、適当に喜んでおくわよ」


 軽口を言うけれど、いまだマルグリットの顔は晴れない。

 一番不満に思っていることを伏せて話したのかもしれないと、察してしまう。だけど、これ以上の詮索も良くないだろう。


 ラティは石臼の下に落ちたカカオ豆の粉を再び覗き込む。


「かなり細かくなったなー。半分はこの段階の細かさにしておいて、もう半分はもう一度石臼に入れちゃおう。色々な粉で試してみたい!」

「気が済むまでやるといいわ。私はここが気に入ったから、いくらでも待てるわよ」

「じゃ、お言葉に甘えて!」


 再び作業を再開するラティの背中に視線が刺さる。


「どうかした?」

「貴女が男だったら、真っ先に貴女に結婚を申し込んだなって、思っただけ」

「ええ!? 女の子同士でも大丈夫かもしれないよ!」

「そんなわけないでしょ。もう黙って働いてちょうだい」

「はーい」


 可愛い女の子に好意を示され、気分が良くなる。

 ペリアーノの件は何となく気分が暗くなるけれど、マルグリットの言葉を思い出したら頑張れるかもしれない。




 



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