失われたリンゴ事件

 ラティはものすごく時間をかけて作ったチョコレートを眺め、感慨にふける。銀のトレーに並べた半球型のチョコレート、そのたった二十個を作るだけの作業に、どれだけの手間暇をかけただろうか……。


「よ、ようやく出来上がったー! どれどれ、味はどんな感じだろ……むぐっ……むぅ? うーん……」


 一粒食べてみて、眉間に皺を寄せる。

 味は結構良いかもしれない。

 しかしなぜだろう、ものすごくジャリジャリする。


「美味しくはあるから、レシピは多分良い感じなんだよなぁ。もっとカカオ豆を細かく潰したら良い感じだったのかな?」


 もう一粒口に運んでいると、カウンターの下からフレイヤが戻ってきた。

 

「あら〜? 今食べてるのって、チョコレート?」

「うん、そうだよ。一応完成したんだよ」

「あたしも試食したげる〜! 一つよこしなさいよ〜!」

「いっぱい作ったから、たくさん食べていいよ」


 銀のトレーをフレイヤに差し出す。

 するとフレイヤは、可愛すぎる笑顔で一粒つまみ、小さめな口に入れる。


「あらぁ? うぅ……! 何よこれー、口の中が傷ついちゃう!」

「やっぱダメかぁー」

「これって本当のチョコレートなの? 一ヶ月くらい前に、あたしの信徒から貰ったチョコレートは口の中でさっと溶けたのよねー」

「ちなみに、そのチョコレートにはつぶつぶ感とかは全然なかった?」

「なかったわよ〜。でもこれも味は良いと思うわ!」

「美味しいのは間違いないんだよね。チョコレート作成の手順書には、カカオ豆をかなり細かくなるまですり潰すって書いてあったから、まずは私の棍棒で叩いて、その後に手持ちの石臼いしうすですり潰してみたんだよ。それでもまだ荒いのはなんでなんだー」

「だったら、水車を使ったらどうかしら〜? ちょうどいい水車を知っているわよ?」

「水車って、川でぐるぐる回ってるやつのこと?」


 水車をミズガルズのどこかの川で見た覚えがある。

 小さな家にくっついた大きな円盤が、川の水流の力でグルングルンと回転していた。

 人間達があれを使って何をしているかまではわからない。

 フレイヤは何をアドバイスしてくれるつもりなのだろうか。


「アースガルズの近くに流れるイヴィング川に超巨大な水車が出来たのよ〜。それを使ったなら、どんなに硬いものだって、目に見えないくらいに細かい粒子に出来ちゃうと思うわよ」

「なんだってー! 行ってみたいなぁ!」


 九つの世界の情報に詳しいつもりだったけれど、最近はミズガルズにある自分の領地のことや、カカオの実で手一杯で、最新の情報を入手出来てなかった。

 その間に新たな施設が出来上がっていたようだ。


「ここからうちへの帰路の途中にあるから、一緒に行きましょう?」

「うんうん! カカオ豆はまだ残っているから、持って行くよ。今度こそ最高のチョコレートを作ってやるよう!」


 手早く出かける準備をして、世界樹の喫茶店を出る。


 

 アースガルズはアース神族の国であり、高い門に囲まれている。

 その門の前には白髪の青年が立ち、ラティとフレイヤを見るやいなや、片方の眉だけあげてみせる。


「フレイヤと、性悪リスか。もう門扉は閉じたんだ。明日にでも出直してくれ」

「あら、ヘイムダルったらご機嫌斜めなのねぇ〜」

「ヤァ、ヘイムダル。ちょっとカカオ豆を潰しに、イヴィング川まで行きたいだけなんだよ。ここを通してもらえないと、アースガルズを迂回する羽目になって、遠回りになるんだ」

「はぁ? イヴィング川に行くなんて、なおさら許せないな」

「なんで?」

「イヴィング川のほとりに生えたリンゴの木が切られた所為で、アース親族全体がイラついている。不審なリスを見かけたら、八つ当たりする神がいるかもしれない」


 フレイヤはヘイムダルの言葉に目を見開く。

 

「リンゴですって〜!? まさか、黄金のりんごじゃないでしょうね!? あれがなくなってしまったら、シワシワのおばあちゃんになっちゃうじゃない!」

「そのりんごじゃない。昔のあしき出来事を忘れないように植えたりんごの木のことだ。巨人族の挑発か何かかと考えてる者もいる。今は怪しい奴を入れるわけにはいかない」

「なーんだ。心配して損しちゃった」


 ヘイムダルの話で思い出すのは、大昔に巨人スィアチが鷲に化け、神々が大事にする黄金のリンゴをその管理人ごと奪った大事件だ。

 神々は黄金のリンゴによって若さを維持していたため、失われたことによって、だんだん老けていった。

 フレイヤのように美しい女神には、忘れられない出来事だっただろう。


 呆れ顔のフレイヤを横目で見ながら、ラティはヘイムダルに質問してみる。


「ちなみに、今回切られてしまったのは、どんなリンゴの木なの?」


「黄金のリンゴに形が似ている、黄色いリンゴの木だ」

「ふーん。大変だね。アースガルズに入れないなら、遠回りで水車小屋に向かってみようと思うよ」

「勝手にすればいい。ただ、アース親族に疑いをかけられた巨人族側もピリついているからな、水車をすんなりと借りれるかどうかはわからないぞ」

「なんだか面倒だなー」


 ただリンゴの木が切られてしまっただけの事件だけど、放置しておくとアース親族と巨人族の争いの火種になりかねない。

 カカオ豆は保存が効くので、チョコレート作りはまた後日でもいいだろう。ラティは仕方がなく、イヴィング川に向かうのを断念した。


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