世界樹の紅茶

「––––––それを火にかけ、砂糖が溶けきったなら完成となる。瓶で密閉したなら、一ヶ月はもつだろう」

「なるほど、シロップは一日だけでは作れないってことなんですね」

「そうだ」


 ラティは大英雄の孫を助けたお礼に、彼からスミレのシロップのレシピを教えてもらっている。

 強面こわもての壮年男性から聞くには、可愛らしすぎる食べ物のような気がするが、少女の姿をしているラティに配慮しているんだろうか?


 大英雄に聞いた内容そのままを、サラサラと紙に書き、カウンターの上に羽ペンを静かに置く。


「書き終わったー! えっと、これは大英雄殿が自分で考えたレシピなんですか?」

「いや、元々は母が作っていたんだ。妻と結婚してからは、妻が。二人とも私よりも早くに病で亡くなったが、どうしてもあの味が忘れられなくてな。近年は庭にニオイスミレの花が咲く時期に私が作っていたんだ」

「大切な人との思い出が詰まっている味なんですね」

「ああ」

「きっと素敵な味なんだろうなぁ。シロップは紅茶の中に入れたり、料理の隠し味にも使えるから、色々試して楽しんでみます」

「貴女が多くの人にスミレのシロップを振舞ってくれるなら、私だけではなく、妻も母も喜ぶはずだ」

「そうだといいなー!」


 考えてみると、彼の母と妻は病死らしいのでヘルヘイム(一般的がな死に方をした人が行く場所)に居るだろう。しかし、偉大な戦士である大英雄はこれからヴァルハラへ行くことになる。だから、大英雄はその二人と今後会うことはないのだ。


 ラティは改めて人間の人生の儚さを思い、軽く目を閉じる。


 出会う全ての魂に共感していたのでは、ラティが疲れきってしまう。

 それでも今は、自分の感情の揺らぎを大事にしたい。


「ヴァルハラに向かう前に、私の入れたお茶を飲んでください。後悔はさせないですよ」

「いいのか?」

「もちろん!」


 ラティは棚からガラス瓶を下ろす。

 瓶の中身は世界樹の葉に落ちた雫を少しずつ貯めた液体。

 それをお鍋の中で沸き立つ真水に少量混ぜ、魔道コンロの火を止める。

 

 次に取り出したのはユグドラシルブレンドの茶葉––––––ミズガルズで採れた紅茶の葉と、世界樹の葉を混ぜたものだ。

 ティースプーンを使って、一人分の茶葉をポッドの中に入れ、熱いお湯を注ぎ入れる。


 茶葉を蒸らす段階になると、ポッドから豊かな香りが立ち昇る。


「これほど素晴らしい香りの紅茶があるとは……」

「世界樹の葉を混ぜているからかもしれないです」

「そうか。神話にうたわれるあの世界樹の葉を茶として飲めるとは、貴女のような大胆な方に会わなければ不可能だっただろう」

「身近にあるから、入れてみよーって思っただけなんですけどね」


 砂時計の硝子がらす砂が下の層に落ちきってから、ティーポッドの液体を白磁はくじのティーカップの中にそっと注ぐ。

 丁寧に淹れた紅茶はまるで、この喫茶店のデッキに座って見る夕焼け空のような赤色をしている。それがカップの白色を綺麗に染め上げた。


 一番美味しい最後の雫まで、きっちりとカップの中に落とし切り、大英雄の前にソーサーに乗せて差し出す。

 

 時刻はもう夕暮れ時。空はちょうど紅茶と同じ色をしていた。


 大英雄は優雅な所作でティーカップを口に運ぶ。


「……旨い。死した後にこれほどまで味わい深い紅茶を飲めるとは思いもしなかった。それに、何故か体の奥底から力がみなぎってくるような……。気のせいだろうか?」

「気のせいなんかじゃないですよ。その紅茶には世界樹のエキスが含まれてるから、魂の状態でも影響があるんです」


 紅茶を飲んだ大英雄は外見にも変化があった。

 白いものが混ざっていた髪は黒く染まり、肌の張りや筋肉量までが蘇る。

 その変化を、ラティは世界樹の幹にもたれかかりながら見守る。

 何度見ても嬉しくなる光景だ。


 ティーカップが空になる頃には、大英雄の姿は30代半ばくらいまで若返った。


「恩に着る。これでまた戦いの日々に戻れそうだ」

「大英雄殿、主神オーディーンの元に案内します。ヴァルハラでは戦好きの貴方が満足する生活が待っているはずです」

「ああ」


 ラティは世界樹の枝に下げていたランタンを手に持ち、大英雄を手招きした。



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