第32話 ささやかな安全と下水道

 「あの時の姫様の提言は到底受け入れられないものだと思ってました。特に、時期王位継承者を犠牲にするなんて前例はありませんし、あの陛下が娘にそれを強要するとも考えられません。勿論、他の御兄弟も……」


 「だが、違ったと」


 「ええ、陛下はおそらく一切関与してなさらないでしょうが、ランドルフ王子には魅力的な案に感じられたのでしょう。マーサ王女は魔力がなくなった時に備えて科学技術の導入を急いでおられるようでしたし、ランドルフ王子の“国防軍”も同様にその時に備えて魔法に頼りきりの王宮騎士団に変わる軍事力を持つためだとばかり思ってましたが、おそらくは……」


 「君の想像通りだろう。だがそれよりもまずは隠れ家に急ごうではないか。こんなところで立ち話をしていたら体が匂ってしまって真剣に話をするどころではなくなってしまうだろう」


 ヴォルフさんは横を流れる下水を見て、笑みを浮かべた。


 「……ですね」


 そして俺達は再び下水道の中を歩き始めた。


「それで、隠れ家というのはここですか」


「ああ、そうだ」

 

歩くこと更に五分、俺がヴォルフさんに連れ来られたのは点検用通路から少し脇に進んだところにある古びた木製の扉だった。


 「ここ、元々は何の場所だったんです?」


 「下水道の拡張工事中に使われた休憩所だそうだ。中にはベッドなどもあるぞ。勿論、当時のままなんてことはないから心配しなくて良い」


 「それなら良いですが」


 とりあえず、このままというわけにもいかないのでヴォルフさんに誘われるまま部屋の中へと足を進めた。

 部屋の中はヴォルフさんの言った通りに使用されてた当時のままというわけではなく、それなりに奇麗だった。幅十メートル、奥行き五メートルほどの部屋で、脇にはベッドが二床、部屋の中央には長いテーブルが一卓と椅子が四脚置かれてある。天井には魔石を用いて発光するように作られた、表の世界で言うところの電球とやらに近いものが等間隔に三つぶら下がっていて、部屋を明るくしている。ベッドの脇には生活用品なのだろうか、いくつかの食料や着替えなどが無造作に袋に入れられた状態で置いてある。


 だがそれよりも俺は部屋にいた意外な人物の存在に驚いた。


 「やっと来たのね。遅すぎて待ちくたびれてしまったわ」


 「セライナか? なんだってこんなところに……」


 部屋にはなんと魔法省に勤務しているはずのセライナがいた。

 彼女は疲れている様子で、数日前にあった時よりも目の隈はひどく、ぼさぼさの髪を頭の後ろで一つにまとめ、制服もだらしなく着崩していた。

 そんな格好のセライナは目つきを悪くしながら吐き捨てるように言った。


 「知らないわよそんなの。私だってなんでこんなところにいるのか聞きたいくらいよ。残業がようやく終わって帰れるかと思ったら局長に呼び出されて、

そこの英雄さんにこれを持っていくように頼まれたわけ」


 そう言うと彼女はヴォルフさんを睨みつけながらテーブルの上に置いてある地図のようなものを指さした。


 「それは一体なんだ?」


 「魔法省の見取り図よ、まさかこんな時間にお使いなんて頼まれるとは思わなかったわ」


 そう言うと彼女は「ドスッ」と音を立てて椅子に座った。と、そんなことよりも――


 「見取り図だって! おいおい、なんでそんな重要なもん持ってきてんだ!」


 「だーかーら知らないって言ったでしょ。こんなの私も初めて見たわ。でも、深刻な顔で局長が持ってけって言うし、なんかマズそうな雰囲気だったから私も何も聞かないで持ってきたってわけ」


 魔法省で構造解析系の魔法は一切使用することは出来ない。それは防犯の関係上そういう風に建てられているからだ。おまけに一日に二回、魔法省にある全ての扉の中から無差別に選ばれたものに鍵がかかったり、部屋同士の位置が変わるようになっている。これらはあらかじめ魔法省の職員として登録されている者であれば効果を受けないが、そうでない者にとっては入るたびにまるで別の建物に来た錯覚に陥るほど構造が変わってしまうのだ。


 見取り図には部屋の位置が変わる法則や鍵がかかる部屋の順番まで書き込まれているため、職員として登録されていなくてもこれさえあれば内部で迷う心配はない。


 「これはだね。近いうちに役に立つと思うよ」


 ヴォルフさんは意味深な言葉を口にする。


 「……嫌な予感がしますが、俺としてはこれを使わないで済むと良いのですがね」


 「ねぇ、結局のところこれは一体何の集まりなの? これを渡しても帰らずに英雄さんに従うように言われているのだけど……」


 セライナがジロッとこちらを疲れ果てた目で見てくる。


 「ヴォルフさん、なんでコイツはここにいるんですか?」


 「何故って彼女が私達の助っ人だからだよ。これからは彼女を交えた三人で頑張っていこうじゃないか!」


 「えっ、何? 私は一体何の手伝いをさせられるわけ?」


 「セライナ……お前も貧乏くじを引かされたわけか」


 彼女の境遇には俺も涙を禁じ得ない。



 「――というわけなんだが、納得していただけただろうか」


 俺はセライナにわかる範囲内で今起きている出来事を説明した。


 「いや、納得も何もないのだけれど? えっ、ここにきて今度は何を聞かされているわけ私……」


 彼女はずいぶんと憔悴しきっているようだ。

 無理もない、俺だって仕事が終わって帰ろうとした矢先にこんな事態に巻き込まれたら彼女と同じような状態になるだろう。


 「セライナ君、これは冗談でも何でもないんだ。今、この国に迫っている重大な危機について、事実を述べているだけだよ」


 ヴォルフさんは真面目な顔をしてセライナに語り掛けた。

 彼女はしばらく黙ったまま下を向き、それから「パン!」という乾いた音が響くほど両手で自分の顔をたたいた。


 「……もう、分かったわ。それで私は何をすれば良いの?」


 そしていつもの調子に戻ったような声音で話した。


 「ホントに……もう良いのか? こんな滅茶苦茶な話を信じるって言うのか?」


 「なんで貴方がそんな信じられないような顔をするのよ……」


 そう言うと、彼女は再度下を向いて大きなため息をついてから顔を上げた。


 「貴方達の話はあながち荒唐無稽ってわけでもないわ。魔法省なんて場所で働いていれば色々と情報は耳に入ってくるもんよ」


 「そういう……もんか?」


 「そういうものよ。それより、貴方が彼らに狙われているって方が驚きだわ。貴方にそんな価値があるなんて一ミリも思わなかった」


 「調子が戻ったかと思えばすぐに嫌味を言いやがって……ただまぁ、今回に限れば理由もわかるがな」


 「理由? なによそれ」


 「それは俺しかリエーラ姫様の倉庫まで行くことが現状だと出来ないからだ」


 「倉庫? そんなの鍵があれば誰も行けるんじゃないの?」


 「普通ならな、だがあれは王族の倉庫だ。どういう仕掛けなのかは知らないけど、王族所有の倉庫は本人もしくは本人と一緒に行ったことがある奴しか行けないんだ」


 そしてリエーラ姫様は俺としか行ったことがない。


 「だから、倉庫まで行くことが出来るのは姫様以外だと俺だけってことになるんだ」


 「だったら姫様を連れていけば良いじゃない? わざわざ貴方を捕まえるなんて面倒なことしなくてもさ」


 「そこなんだよなぁ……多分向こうには理由があって姫様を連れてこられないんじゃないか?」


 「その理由って何よ?」


 「さぁ、そこまでは知らん」


 「貴方も使えないわねぇ……」


 「いくら何でもこの流れでそれは酷くないか?」


 やれやれとか言いながら左右に首を振るセライナに怒りを覚える。

 だが、そんな俺達の様子を見てヴォルフさんは笑っていた。


 「今度は何がおかしいんですか?」


 「いや、君に元気が戻ったと思ってね。先ほどまではずいぶんと深刻そうな顔をしていたものだから」


 「……それは、どうも」


 しばし流れる沈黙。なんだが気まずい。


 「それよりヴォルフさん、さっきはまだ話の途中でしたがいつからランドルフ王子のことを疑っていらしたのですか?」


 沈黙に耐えきれずさっきの話をすることにした。


 「ああ、それはな。宰相殿から大まかではあるが王子の動向を聞いていてな。それでなんとなくマーサ様よりも何かあるとは感じていたが……一番はランドルフ様の目だな」


 「目、ですか」


 「ああ、駐屯地で見たあの目。あれは野心のある者の目であった。それも並々ならぬ決意を感じさせるもののな……それに私を見ていたあの時は確かな殺気を放っていた」


 「殺気……」


 あの王子の視線を感じたのは間違いではなかったのか。でも、そんなものが込められているとは露にも思わなかった。


 「まぁ、それはそれとして。私達はこれからどうするのですか英雄さん?」


 そんな俺達の会話に割って入ってセライナが言った。


 「英雄さんというのはやめてもらいたいのだが」


 「では、ライナスと同じくヴォルフさんと呼びましょう。それでヴォルフさん、いつまでこんな薄暗い場所に留まるおつもりですか?」


 なんともまぁズバズバというものだねセライナも、だがそれは俺も気になるところだ。


 「まぁ、そう焦るな。時期が来ればすぐにでもここを離れるさ」


 「時期? 時期というのは?」


 「それは、あれだ」


 そう言うと、ヴォルフさんは遠くを眺めるような目で天井を見つめた。


 「ランドルフ王子が決起してから、ということだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る