武侠集団の老師になったひと月間

高瀬 八鳳

第1話

 身体中の節々が痛い。頭も痛い。とにかく、しんどい。 これは、普通の風邪じゃなくて、インフルエンザだな。

 そう思いながら、オレはベッドでおとなしく寝ていた。


 と、どこからか、声が聞こえてくる。


「……た君。健太君、ねえ、聞こえてる?」

「は……? 誰?」


 気づくと、目の前に、白い服を着た女性が浮いていた。 

 いわゆる女神的な、綺麗なお姉さんだ。浮いてるし、光っているし。まあ、普通じゃない。


「あ、これ、夢か……」

「夢みたいなもんだけど、夢ではありません。健太君、はじめまして。私は某世界の神様で、健太君にお願いがあってきました」


 女神はにっこりと笑った。 

 オレは、気づいた。これ、やばいヤツだ。たいてい、漫画や映画では、この展開は無理難題を言い渡されるパターンだからな。


「すいません、ハァ……とにかく、お断りします」

「なによお、まだ言ってないのに」

「いえ、僕では……フゥ……。お役に立てないと思うので、別の人にお願いしてください」


 オレは、荒い呼吸ながら、すっぱりお断りした。


「ごめんねえ、でも、もう健太君が選ばれちゃったの。いわゆる、神の決定事項だから、これ」

「は? え? どういう事ですか?」

「大丈夫、ひと月だけでいいの。ひと月間、ある男性の身代わりを務めてくれたら、戻ってこれるから」

「ひと月……だけ?」

「そうなの。ある男性がね、予定より早く亡くなってしまって……。このままじゃ、未来がかわってしまうの。だから、健太君が、その人のかわりに、ひと月後の儀式まで生きて、後継者を選んでほしいのよ。あ、勿論、健太君が影武者だってことは、絶対にバレないように気をつけて」

「いや、ちょ、そんなの……。全然知らない人の影武者で、バレないようにって、そもそも無理じゃないですか?」


 オレはガンガンする頭で、必死に考えて反論した。 

 どう考えても、出来っこないと思える案件だ。無茶ぶりもいいところだろ。


「健太君、もう決定したの。君、やるしかないのよ」

「そんな、勝手な事言われても……!!」


 女神は微笑みながら、焦るオレの額に手をかざした。


「悪いとは思っているのよ。だけど、まあ誰かがしないといけない任務だから。諦めてがんばってきてね」

「ちょ……っと、待って……!! いやです、お断りしますから……」


 オレは必死で叫んだが、フーッと意識が遠のいていった。



******



 そして、気づくとオレは大勢の、中華風の服を着た人達に囲まれて寝ていた。


「老師、ご気分は大丈夫ですか? 急にお倒れになったので心配いたしました」


 すぐそばで、オレの手を握り脈をとっているらしき老人がそう言った。多分、このひとは医者なんだろうな。


 ろうし……。中国武術映画や漫画ででてくる、あの老師か。オレは、師匠ってことか。

 ボーっとする頭で、女神との会話が頭に浮かんできた。


『ひと月後の儀式まで生きて、後継者を選んでほしいのよ。あ、勿論、健太君が影武者だってことは、絶対にバレないように気をつけて』


 そうだった!! 

 オレは身代わりだってバレないように、ひと月間を乗り切らないといけないんだ!


 心臓がバクバクしだした。


「……すまないが、他のものは一度外に出てもらえるか? 彼と話がしたい」


 オレは医者らしき男をみながら、そう声に出してみた。自分の声に驚いた。思ってた以上に、老人の声だ。

 不服そうな顔で、皆ゾロゾロと部屋の外に出ていく。女性も男性も、とにかく皆顔が怖そうな人達ばっかだ。

 医者のお爺さんと二人きりになったところで、オレは彼に聞いた。カンフー映画にでてくる、老人師匠の話し方を真似してみながら。


「……実はな、記憶に少し問題がある。君は医師か?」

「さようでございます。老師付きの、医師の陳建でございます。記憶に問題とは、どの程度の」

「……正直に言う。記憶があいまいな部分がある。確かひと月後に大切な儀式をひかえていたような気がするので……念の為に、全てをしっかりと把握しておきたい。私という人間について、知っている事を話してくれないか」 


 医師の男は、少し困った顔をしながら、話しはじめた。


「あなた様は、我ら10万人いる武人集団、念八仙拳を束ねる総帥、第26代目の最高師範、掌門人、最上の武人である李老師でいらっしゃいます」


 念八仙拳? 10万人の武術集団のトップ? オレが? うわ、やべえ、やべえ、やべえ……!そんなん、無理無理! オレは、ジャッキーチェンと格闘マンガ好きのただの高校生だぜ!


 見る専門で、実技は全くダメなのに……。


「ひと月後に、あなた様は引退される。それに伴い、最高師範を決める儀式が開催されます。念八仙拳のそれぞれの門派のトップ、八名の中から、あなた様は一人だけ跡継ぎを選ばれる」

「……どのような儀式なのだ?」

「それは、あなた様しかご存じありません」

「なんだって? いや、どういうことだ?」

「あなた様は、おっしゃっておられました。跡継ぎを選ぶための、よい方法を思いついたと。たしか、なにかを書物に書き留めておられたかと」

「どこじゃ? その書はどこにあるの?」

「ハア……。確か、老師の寝所の枕元に置いてらっしゃったかと」


 オレはあわてて、布団や枕をひっくり返して探し、1冊の小さな冊子を見つけた。


「……これか?」

「恐れながら、私は拝見した事はございませんゆえ……」


 夢中で、ページをめくる。良かった、字は読める。

 似顔絵と名前、流派名、経歴など等。多分、跡取り候補の8名の情報だな。いいぞ、いいぞ。

 お次は、と。この集団の歴史と組織図か。めっちゃ細かく書いてあるな。すげぇ。

 

 そして、肝心の選抜方法はどうやるんだ?

 どういう方法で、八人から一人に絞ればいいんだ?

 トーナメント形式か、総当たりで試合をするのか?


 オレの目に飛び込んできたのは……。


 ─ 智信厳勇、全ては愛。各々の力と愛を計るべし。最後に残るものは大きな器。

 天網恢恢疎にして漏らさず。

 強さのみならず、愛する力と大局を見る思考に翼を持つものを選ぶべし。

 宝を受け入れる度量のある受皿は水であるのか土であるのか天であるのか。

 全ては大いなる愛の元に連なるなり。


 ……わ、わかんね。全く意味わからん。しかも、これだけ? これが最終ページ? オレはいったいどんな儀式をして、何を基準に跡継ぎを決めればいい?


 やべえ、ヤベエ……。

 オレ、本当に一月間も、バレずに身代わりができんのかよ?


 知らず知らず、汗が噴き出し、呼吸が荒くなる。

 つい、布団に倒れ込んだ。


「ろ、老師。大丈夫ですか?」

「大丈夫ではない。体も疲れておるし、記憶も曖昧とくる。だが、一月後の儀式までは、何としても生き延びて、後継者を決めねばならん。そうだろう?」

「はっ、おっしゃる通りでございます。」


 まじで困った。わからない事だらけだ。

 こんな時は、あれだ。人に聞くのが一番だよな。

 

「その……陳建よ。君が私なら、どうする? 病で記憶があやふやになり、ひと月後の儀式の事もうろ覚え。しかし、念八仙拳を束ねるものとして、失敗は許されない。君なら、どう動くかね」

「さようですな……。うむ……。僭越ながら、もし私が老師の状況でありましたら、まずは紅貨に相談いたしまする」

「紅貨、とは?」

「なんと、紅貨もお忘れですか? 彼はあなた様の最後の直弟子です。ここしばらく、あなた様の遣いで出かけておりますな。20年ほど前、まだ子供だった彼が山で彷徨っていた所をあなた様が助け、それ以来、第一の付添人として側におる者です。彼の者は、己の命よりも、あなた様を大切にしております。紅貨は信用できる者、逆に言えば、紅貨以外に現状を伝えるのは危険かと」

「なるほど、あいわかった。して、陳建。そなたの事は信じてよいのか?」

「ホホホホッ。さすがは李老師。私も間もなく、生の終わりを迎えます。あなた様にお仕えしたこの50年、我が人生に悔いはございません。最後まで、あなたと共にいることが私の幸せです」


 なんか、目頭が熱くなるな。

 ベテランのジジイとジジイの友情。最高じゃねえか。

 と、感動しているところに、バタバタと大きな足音が近いてくる。


「……老師、老師! 李老師!! 大丈夫ですか?」


 木製の重たそうな扉がバーーンと開かれ、汗だくの大男が飛び込んできた。

 大男は陳建の横で、地べたにひれ伏し、土下座した。


「申し訳ございません‼ 李老師の一大事の時に、お側にいることが出来ませんでした。この紅貨、不徳の致すところです。どんな罰も……」

「いやいや、待て待て。君が、紅貨か」


 悲愴な声で許しを請う男に、オレは話しかけた。陳建をみると、小さく頷いたので、間違いないだろう。


 大男は泣きそうな顔で、目を見開いてこちらを見た。


「老師。私をお忘れなのですか。もう、私は不要だと」

「いやいや、だから待ってくれ。不要ではない。落ち着いて聞いてくれ。私は本当に記憶が曖昧なのじゃ」


 陳建が部屋の扉を閉め、事情を説明する間、オレは紅貨を観察した。


 でかい。二メートル近い、筋肉隆々の北斗の拳にでてきそうなガタイなのに、わりと童顔で素直そうな顔つき。年上だけど、なんか子どみたいに見えるな。多分年齢は20代後半あたりか。あれだな、映画とかだと、この最後の弟子が跡取りになるとかいう展開、ありなんじゃねえ? しかも、名前が紅貨って……。ノートに書いてある宝って、コイツのコトをさすとか。えっと、日記にはなんて書いてあった?『宝を受け入れる度量のある受皿は水であるのか土であるのか天であるのか』、つまり、宝であるこいつを養子とかにしてくれる門派を選べばいいんじゃね? おお、何とかなりそうな気がしてきた。あとで、八派について調べて、どの門派が水、土、天にあたるのか確認しよう。それから……。


「老師。この紅貨は元々老師に救われた命。私の全てを老師に捧げます。何なりとご指示ください!」

「うむ、感謝する。今日はもう疲れたので休みたいのだが、よいだろうか?」

「かしこまりました。就寝のご用意を致します」

「では私は、皆にその旨を伝えておきましょう。また明日まいります。紅貨、老師を頼んだぞ」

「はっ、陳建様、かしこまりました」

「陳建、感謝する。また明日、宜しく頼む」


 紅貨は慣れた感じで、入れた茶をベッド脇の机に置いてくれた。

 と、なんだかドアの向こう側から、ガヤガヤと声がする。 うわあ。、なんかヤな感じだ。


 コツコツと戸を叩く音と、大声がする。

「老師、李老師! お顔だけ拝見いたしたく存じます!! 」

   

 えーと、オレは今、もう誰とも会いたくないな。ボロがでるとまずいし。


 そんなオレの表情を読んだのか、紅貨は言葉をかけてくれた。


「老師。お疲れでしょう。私が、皆に老師はもうお休みになったと伝えてまいります」


 オレはホッとして小さく頷いた。


「紅貨、頼む」

「かしこまりました」


 とにかく、今日はもう寝よう。病のせいか、年寄りの身体だからなのかかわからないが、なんしか体がしんどくて辛いくて重い。呼吸もし辛いし。


 よく休んで、明日から作戦会議をしようと思っていると怒声が聞こえてきた。声、筒抜けだな。


「紅貨! 邪魔をするな。私達には老師のご無事を確かめる義務があるんだ」

「そうだ、一番下っ端の癖に、偉そうに指図するな!」

「老師は大丈夫なの?」

「皆様、老師はご無事です。陳建医師からも説明があったように、容態は安定しました。今は休養が必要なのでお休みになりました。明日まで、このまま静かに眠らせてさしあげ」

「だから、なぜお前が」

「お休みの老師に無理やり押しかけて病状を悪化させるのですか? それに、皆様方八仙は、一月後の儀式までは、個人的接触を禁じられている筈」

「偉そうな口をきくな! 紅貨、この場でその口をきけなくしてやろうか! 」


 うわ、やべぇ、怖え~~。めっちゃ野太い声だ。さっき目がさめた時にいた人達だよな。紅貨、大丈夫かよ……。


「やめな! 部屋の前でこんなにうるさくしてたら、老師が安眠できない。ここは、陳建医師の顔をたてて、あたしらは明日でなおすよ」

「水よ、なぜお主が仕切るのだ? 」

「じゃあ聞くが、ここで紅貨をボコって無理やり老師の部屋に押し入るような奴が、念八仙拳の頭に相応しい人間だといえるのかい?」

「そ、それは。お主の言う通りだが、しかし」

「そうだな、ここは陳建の顔を立てよう。では、私はこれにて失礼」

「では、わたくしも。皆様方、お休みなさいませ」

「ああ、また明日な。あたしも失礼するよ」

「チッ、なんだなんだ。騒いでる俺達が馬鹿みてえじゃないか。俺も帰るか」

「お、おい! なんだよ、クソッ!」


 お、おお。何か静かになったな。

 しばらくすると、紅貨が部屋にもどってきた。


「だ、大丈夫か?」

「お騒がせして申し訳ありません、老師。もう大丈夫です。どうぞお休み下さい」

「すまぬ。では、その言葉に甘えて休ませてもらう」

「はい。ごゆっくり」


 オレは目を瞑って、考えた。


 この状況。オレは何からどう手をつければいいんだ?

 とにかく、儀式が何かをつきとめないとな。

 8人のなかから、トップに相応しい人間を一人選ぶ。ただ強いだけじゃ、だめなんだ。


 でも、ふと思った。8人全員が、本当に当主になりたいと思ってるんだろうかと。なかには、面倒だし本当はなりたくねえな~って考えてる奴もいるんじゃねえか?

 なりたい奴が、なったらいいじゃん。

 

 いや、それも違うのかも。


 強いとか、やりたい、とかじゃない、何か。

 武侠集団のトップに相応しい人間って、いつたいどうやって決めればいいんだ?

 ああ、もうめんどくせえ。早く家に帰りたい……。

 

 八方塞がりのオレの目の前に、光に包まれた人間があらわれた。

 

「健太殿、すまぬなあ。ワシがふがいないばかりに、お主に迷惑をかける。儀式まで、命をもたせることができなんだのは、不徳の致すところじゃ」


 白い服を着た、カンフー映画にでてきそうなテンプレ師匠的な爺さんだ。


「ってことは、あなたが本物の老師なんですね。あの、儀式ってなにをすればいいんですか? どうやって8人から一人跡継ぎを選ぶんですか? オレはどうしても、元の世界に戻りたいんです!!」

「それじゃがのう、お主の好きに選んでほしいんじゃ。それだけは伝えたくてなあ」

「ハァ? え? どういう事ですか?」

「ワシが考えていた方法は、ワシの頭の中にのみ在る。それをお主に伝えたところで、上手くゆかんじゃろ。言葉で伝えるには限界がある。だから、健太殿。お主が老師として考え、うまくおさめてくれ」


 とんでもないムチャ振りに、オレは一気に冷や汗が出た。


「いやいや、そんな! 上手くおさめてくれって言われても……」

「お主が、一番良いと思う方法で進めてくれればよい。いくら考えても、まあ結局のところ、しばらくたってからしか結果はわからぬもんじゃ」

「そ、そんな。オレは武術の事なんか、何もわかってない素人のガキですよ! そんなオレに」

「心配ない。お主は、何が大切なのかを既に知っている。お主の思うままに、心のままに、進めてくれ」


 爺さんはそう言って、消えていった。


 オレが、何が大切なのかを既に知ってるって、どういう事だ?

 オレの心のままに進めるって……。どうすればいいんだよ?





 気づくと、オレは大きな手で揺り起こされていた。


「……し……。老師、李老師……。大丈夫ですか?」


 目の前には、心配そうにオレを見つめる大男の顔があった。

 オレの部屋じゃない。


 ……夢じゃなかったのか。

 跡継ぎを決めないと、オレは本当に元の世界に戻れないんだ……。なんか、ちょっと泣きそうになる………。


「老師、大丈夫ですか? 私に出来る事があれば、何なりとお申し付けください」


 その大男、紅貨の目が、表情が、体からにじみでるオーラが、本気でオレを大切に思っていると訴えかけてくる。

 なんか、でっかいワンコが主人をめちゃめちゃ心配している姿って感じだ。


ーー彼の者は、己の命よりも、あなた様を大切にしております。紅貨は信用できる者、逆に言えば、紅貨以外に現状を伝えるのは危険かと……ーー


 医者の爺さんの言葉が、頭に浮かんだ。


 そうだ、なんだかよくわからん状況ではあるが、せめてオレ李老師を慕って面倒みてくれてるこの紅貨や医者の爺さんの期待に応えたいよな。

 自分に出来る最善最良の行動と選択ができるように、とりあえずがんばってやろうじゃないか。


 オレは、覚悟を決めた。


 用意してもらった朝食をとり、跡取り候補の8名を知る為にノートを開いた。

 

 一人目の名は、天の呂乾。まだ若めの上品なしゅっとした感じの人っぽい。覚える為に、あだ名をつけてみるか。うーーん、と。天上人てんじょうびとにしとくか。


 次は、田舎のがっしりジジイこと、地の鉄坤。穏やかで頭も良い、独特の価値観を持つテンプレ仙人。


 荒くれ親父こと、火の権離。ふくよかでガタイのいい、強気な人らしい。敵の攻撃を弾きとばしながら、攻撃するのが得意って、マジ怖えな。


 ミステリアスレディこと、沢の藍兌。横笛好き。攻防一体型の読めない人物、神出鬼没な策士、か。なんか今までの人生で出あったことないタイプの人だな。


 まあまあなおじいちゃん。山の張艮。映画にでてくるジャッキーチェンの師匠みたいな人かな。旋風脚や、前宙やバク宙といった大技をバンバンやる、めっちゃ動ける年寄りらしい。


 整体師こと、風の曹巽。貴族の落ち着いたオジサマ。意外に、喉を重点的に狙う動きや指による禽拿技などえげつない技も得意らしい。


 芸術は爆発だ的アーティストこと、雷の韓震。猿拳つかい、振り向きざまの攻撃や身体をかわしながらの攻撃に長けている。スピードに定評のある、ファンキーボーイ。


 おかん、こと水の坎仙。女性的な動きで相手を惑わす。接近かつ守り重視の型。昨晩、部屋の前に押しかけてきた人たちを、おさめてくれたのは、多分この人だ。


 昨日、紅貨にイラついてたのは、荒くれ親父の権離とアーティストの韓震。つまり、ガチな武闘派勢だろう。


 どの人も、それぞれの門派の長だ。

 実力もプライドもあるだろう。


 本物の老師は、オレの心のままに進めてくれ、と言ってた。


 もし、もしオレが老師だったとしたら、どうだ?

 オレはどうやって決める?

 大勢の人の上に立つ為に必要な要素はなんだ?


 考えろ、オレ!

 今までさんざん読んだ漫画や、カンフー映画を思い出すんだ!


 ノートに書いてある文字をじっと見つめる。


─智信厳勇、全ては愛。各々の力と愛を計るべし。最後に残るものは大きな器。

 天網恢恢疎にして漏らさず。

 強さのみならず、愛する力と大局を見る思考に翼を持つものを選ぶべし。

 宝を受け入れる度量のある受皿は水であるのか土であるのか天であるのか。

 全ては大いなる愛の元に連なるなり。


 水であるのか土であるのか天であるのか……。

 ってことは、おかんの水の坎仙、天上人の呂乾、がっしりジジイの地の鉄坤が有力候補ってことだろうか。


 オレは人生でこんなに頭を使った事はないってほど、考えた。

 オレなりに最善の結果をだせるように。


 そして、候補者全員に、3つの課題を出すことを決めた。



「紅貨よ、すまぬが、8人に伝えてほしい事がある」

「かしこまりました。なんなりと」

「一月後に会おうと。それまでは、私は誰にも会わない。各自、心と技を磨いて、最高の状態をつくってほしい、と。だが、口頭だけでは、またおぬしが疑われるな。書を書くので、それを渡してもらおうか」



 ひと月間。



 オレは紅貨と陳建に大切にされながら、超絶快適に暮らした。

 まあ、体は爺さんなので、正直辛い。体調が悪いと、寝て起きて飯食って排せつするだけでも一苦労だ。

 よく近所の老人が散歩しながら、年をとると生きてるだけで大変だと話していたのを思い出した。これはマジで大変だ。


 紅貨と陳建には本当によくしてもらったので、感謝している。

 よくよく考えたら二人ともオレよりもだいぶ年上なのに、なんか偉そうに世話してもらって本当に申し訳ない。口にはだせないが、心のなかで有難うございますと何度も呟いた。



 ひと月間。



 オレは何度もノートを読み返し、二人から色んな話を聞いて、自問自答を繰り返した。

 そして、いよいよ、次のトップを決める日がやってきた。


 体育館のような、大きな武道の練習場に皆が集まってくる。

 オレは広々とした広間の中央に座った。両脇には紅貨と陳建が立つ。


 オレ達の前には8名の候補者が座り、その後ろにはそれぞれの門下生が100人程ずつ控えている。総勢1000名近くいる彼らの顔は真剣そのもので、皆がオレを凝視してくる。

 正直、大事な部分が縮こまる位に怖い。


 その圧に耐えながらオレは言葉を発した。


「皆、よくきてくれた。感謝する。今日はこれから8人の跡継ぎ候補に、3つの課題を課す。その総合的な結果で、次の最高師範を決定する。まず1つ目の課題は、施術だ。私を施術してもらいたい。武術の達人であるならば、活殺自在な筈じゃ。そして万が一、私が途中で死ぬことがあれば、跡継ぎからお主等8人全員を除外することとする。私を殺さんように注意してくれ」


 門下生達が一斉にザワついたが、8人は落ち着いた顔でオレをじっと見ている。


 まず課題として思いついたのは、マッサージだった。

 倒す技術だけでなく、治す腕があるのかをチェックする。そして、まあ思いやりとか、気遣いとか出来る人なのかをみるのに、いいんじゃないかと思った。


 でも、陳建に反対された。

 もしかしたら、オレの体を弱らせようと考える奴がいるかもしれない。また、遅効性のダメージをオレに与えて、それを後から施術する人間のせいする事も考えられる、と。


 さすがに、師匠にそんな仕打ちをする奴がいるとは思いたくないが、まあ、10万人の組織のトップの座を得る為だ。何が起こるかわからないよな。

 そこで、一応保険をかける事にした。

 もしオレが死んだら、連帯責任で、全員の後継者資格を剥奪することにしておけば、まあよからぬ事を考えないだろうと。


 また、施術の間あいだに、陳建医師に体調確認も行ってもらい、安全性を高める事にした。


「誰から始めるかの?」


 8人は互いに目をやりながらも、無言だ。

 と、一人がすっと立ち上がった。


「では、ワシからまいろう。老師、山の張艮が一番を務めまする。よろしくお願いします」

「うむ、頼む」


 正直、殺されるかもしれないとめちゃめちゃ緊張したけれど、皆マッサージは超絶上手かった。

 だが、体の触り方とかが、少し雑だったり、丁寧で優しい感じがしたりと、何だかんだ差はあった。


 オレは紙に、他人にはわからないようにプラス面とマイナス面の両方を点数付けた。


「2つ目の課題じゃ。ひとりひとり、順番に私の前にきて、8人のなかからトップとなるにふさわしいと思う、自分以外の人間の名を教えてくれ」

「……自分以外の……名を……」


 さすがに、これには8人も戸惑うような表情をみせた。


 彼らは順番に、自分以外の推薦する者の名を言いにやってきた来た。その後に、オレは小声でこうも尋ねた。


「お主は、私の跡を継ぎたいのか?」


 静かに、相手の目を見ながら答えを待つ。

 たいてい皆、一瞬目を見開き、逡巡の後、口を動かさずにはい、またはいいえと短く答えた。オレ以外に、彼らの声は聞こえていないだろう。


 結果、8人の内、当主になりたいと考えているのは5人。

 火の権離、沢の藍兌、山の張艮、風の曹巽、雷の韓震。


 天の呂乾、地の鉄坤、水の坎仙の3人は、いいえと答えた。


 本物の総帥じいさんが考えていた後継者、水、土、天の3人が3人ともノーと答えたんだ。

 いや、それはまずいな。想定外だ……。


 やりたくない奴に、継がせるのも酷だと思うけれど、かと言って、本物の爺さんの考えを全く無視するのも、なんだかなあ。


 ちなみに、他者推薦の名前は、意外にばらばらで決定打にはなりそうになかった。


 悩んだ末に、オレは最後の隠し玉的手法を使う事にきめた。


 「最後の課題じゃ。石拳をトーナメント方式で行う」


 これには、後ろにいる弟子たけでなく、後継者候補の8人からも声が漏れた。


「いや、それはあんまりでは」

「老師、本気ですか?」


 ざわめきが大きすぎて、なかなか次の言葉を発せられない。


「静まれ、皆静まれ! 老師のお言葉が聞こえぬぞ」


 紅貨が必死に皆に呼びかけるが、なかなか喧騒は鳴り止まない。

 オレは目を閉じ、ひたすら場が静まるのを待ってから、渾身の力を振り絞り、弟子を諭す師匠を演じた。。


「まったく、皆まだまだ何もわかっておらぬ。石拳で勝負などと、子供騙しだと考えているのじゃろう。だが、相手が何を出すのかを推理し、瞬時に自分が何をだすのかを意思決定する。お主らが考えているより、はるかに高度な勝負方法だぞ。しかも、仲間内で互いを傷つけ合わずにすむ。何より、最終的には、自らの意念により、運という見えない力を引き寄せねばならない」


 一瞬の静寂の後、今度は好意的な声が上がった。


「も、申し訳ございませぬ。そこまで考えが及びませんでした」

「そのような奥深い理論があったとは。自身の未熟さを痛感致しました」

「仲間同士で不必要に傷を負わずに勝負をつける。まさに、石拳は最適な方法だと感服いたしまする」


 石拳は、まあいわゆる、ジャンケンだ。


 オレはどうしても平和的に決めたかった。

 しかし、血の気が多い人には、勝負抜きでのジャッジは納得できないとも思った。


 そこで思いついたのが、ジャンケンだった。


 まさか、ここまで見事にごまかされてくれるとは。こっちが引くくらいに、みな感動してむせび泣いてる。


 よし、この流れに乗って、最後まで突っ切るぞ!


 オレは、紅貨に目で合図をおくった。

 ヤツが神妙な顔で頷く。


「それでは、第一回戦を始めます! 候補の方は隣同士で、2名ずつ組んでください。審判は、其々の家門の師範代理がつとめるように。今回は、3回先勝した方が勝とします。ご準備下さい」


 会場が熱く興奮してきたのと反対に、老師オレの体はエネルギーが枯渇していくのがわかった。


 頭がボーっとして、体から力が抜けていく。


 やばい、これって死期が近づいてるよな。もう少しだけ、最後までもってくれ!


「ではいくぞー! 最初はグー、ジャンケン、ホイ!」

「うおおおおおーーーー!!」


 一勝負事に、皆の歓声と足踏みで、武館は地震のように大きく揺れ動く。

8人が4人になり、また半数になった。


 決勝に残ったのは、荒くれ親父こと火の権離と、おかんこと水の坎仙だ。


「決勝戦だー!いくぞー!」

「おおおおおーーーー!」

「最初はグー、ジャンケン、ホイ!」

「いやったああああーーーー!!」

「うわあああああーーー!!」


 ここは武道館の音楽ライブ中なのかと勘違いしそうな程、異様な盛り上がりをみせるなか、ついに決着がついた。


「勝負あり! 勝者、水家の坎仙殿、水家の坎仙殿だ!!」

「水家だーー!! 水家の坎仙様が勝ったぞ!!」

「うわあああああーーーー!!!」


 会場全体が歓喜と興奮の声が響き渡る中、オレは最後の力を振り絞り、字を書いた。


『次代の最高師範に、水家の坎仙を任命する。この者、施術での細やかな心配り、真に良し。謙虚な姿勢

、真に良し。石拳で勝負強さを示す。真に良き次代なり。第26代目掌門人李』


 そこまで書くと、オレはその場に倒れた。


「老師! 李老師!」


 紅貨と陳建が体を抱きおこす。

 オカンこと水の坎仙はじめ、他の皆も慌てて走ってくるのが見えた。


「大丈夫ですか? 李老師!」

「老師! 李老師!」

 

 会場は一気に静まりかえる。

 オレは、震える手で書いた紙を掴み、オカンに手渡した。


「……今から、お主が老師じゃ。後は任せた。そして、この紅貨と陳建の事も、良いようにしてやってくれ」

「はっ、この水家の坎仙、27第目最高師範を承ります。念八仙拳の名を汚さぬよう、八家の皆様のお力を借りながら精進してまいります。紅貨と陳建医師の事もお任せ下さい」

「うむ。……そして火家、沢家、山家、風家、雷家。天家、地家の皆も、それぞれ素晴らしい武人じゃ。私はお主らを誇りに思う。これからも修行に励み、弟子を導き、念八仙拳を盛りたてていってくれ……」

「老師! 李老師ーーーー!」

 

 目がかすみ、体から全ての力が抜ける。

 カンフー映画なら、この辺で完の字幕が出てくるよなあと思いながら。


 オレは意識を失った。



******



「…た、健太。大丈夫? お粥、食べれそう?」

「え? あれ、オレ」

「熱は36度7分と、平熱に下がってるわ。良かったわね」


 眼の前には、大型犬みたいな大男じゃなくて、中年女性の顔があった。


「お袋……」

「ん?」

「オレ、……プリンも食いたい」

「わかったわ。ちょっと待ってて」


 お袋が出ていくと、オレは部屋の中を見渡した。


 見慣れた、いつもの光景。確かに、オレの部屋だ。

 オレは、やっと戻ってこれたんだ!!


「戻って……きた? いや、ってか、もしかしてあれは夢だったのか……?」


 夢、かもしれない。

 いや、普通に考えたら、夢だよな。

 女神様に異世界にとばされるとか、アニメやラノベの読みすぎだろ。


 でも、夢にしては、出来過ぎなくらいに、細部までしっかり覚えているけど…。

 

 特に、紅貨。彼はひと月間つきっきりでオレの世話を焼いてくれた。

 本当に紅貨は老師オレの事が大好きで、腰に尻尾がみえそうな位に、いつも嬉しそうに笑っていた。


 陳建やオカン、念八仙拳の8人や、あの道場。ジャンケン大会も、あれも全て夢なのか……。


 やべぇ、また頭がボーっとしてきた。

 まだまだ、休息が必要らしい。


 家に戻ってきたという安心感からか、オレは良い感じに身体の力が抜けていくのを感じた。


 ふと、どこからか、女性の声が聞こえてくる。


「ありがとね、健太君。もう、大成功。李老師もあなたに任せてよかったと喜んでいたわ。健太君の、素直で目の前の事から逃げずに立ち向かう勇気ある姿勢に期待したのよ。そしてあなたは、私達の予想以上の結果を残した。本当にありがとう。感謝の気持ちをこめて、サプライズプレゼントを用意したから、楽しみに待っててね~~」


 いやいや、サプライズなプレゼントとか、怖すぎだし。けっこうです。ただもう金輪際、オレにかかわらないで下さい。怖いし……。

 でも、まあ。この、老師になったひと月間はけっこう面白かったかも……。

 面白い体験をさせてもらって、ありがとうございました。


 そう思いながら、オレは久しぶりの我が家で、深い眠りに落ちた。

 

 女神のサプライズプレゼントに超絶サプライズさせられるのは、もうしばらく後の話だ。

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武侠集団の老師になったひと月間 高瀬 八鳳 @yahotakase

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