困惑の父

@d-van69

困惑の父

 仕事から家に戻りリビングに行くと、妻のミカと娘のアヤがソファで談笑をしていた。

「ただいま」

 その言葉に「おかえり」と笑顔で応じてくれたのはミカだけだ。真顔に戻った娘は腰を上げると、するりと俺の横をすり抜けて二階の自室へと向かってしまった。すれ違いざまにかろうじて「おかえり」と聞こえたのが救いだった。

 憂鬱な思いでそちらを見やってから妻に視線を向ける。

「なあ。最近アヤのやつ、俺を避けてるような気がするんだけど、なんか聞いてない?」

「さあ。聞いてないけど」

「そうか」

 落胆しつつ妻の隣に腰掛けると、

「何か俺、あいつの気に入らないことでも言っちゃったのかな」

 ため息をついた俺の横顔を眺めつつ、ミカがあきれたように笑った。

「あのね、あの子ももう中二じゃない。そろそろそんなお年頃でしょ」

「そんなって、どんな?」

「だからほら、女の子は年頃になると男親を避けるようになるってことよ」

「マジか。最近は仲のいい親子も多いからさ、アヤもきっとそうなると思っていたんだけどな……」

「しょうがないわよ」

「もしかして、お父さん臭い、とか思われてるのかな?」

「でしょうね」

「はぁ……」

 俺がぐったりと項垂れると、妻は慰めるように優しい声で話し始める。

「でもそういうのってさ、人としてと言うか、生き物として正常な反応らしいわよ」

「臭いと思われるのがか?」

「そう。テレビで動物学者が言ってたもん。人の遺伝子って幾つかのパターンに分類できるんだって。それが近い人同士ほど相手の体臭は臭く、遠い人ほど良く感じるって」

「じゃあ俺とアヤは遺伝子パターンが近いってことか?」

「当然でしょ。親子なんだもん」

「なんでそうなっちゃうかな。家族は距離が近いんだから、良い香りに感じるようにしてくれりゃいいのに」

 神様は意地悪だと愚痴をこぼしていると、呆れたようにミカが口を開く。

「そうなると、いろいろ問題が起きるからでしょ」

「問題?って、どんな」

「例えば近親交配」

「キンシンコウハイ?」

「そう。遺伝子が近いってことは血のつながりが濃いってことでしょ。そんな関係の男女が子孫を残すことになったら、いろいろ問題があるじゃない」

「ああ、そうか……」

「だから遺伝子が近い相手は臭く感じ、遠ければ良く感じるってこと」

「臭い相手は好きにならない。だから過ちも起きない……か」

「そう言うこと」

 父親が娘に臭いと思われることはどうしようもないということか。せめて香水でもつけてみようかと思いながら腰を上げ、

「風呂入ってくるわ」

 それだけ言い残しリビングを出た。



 体調を崩した妻の代わりにアヤを塾まで送ることになった。先に車に乗り込みエンジンをかけて待っていると娘が出てきた。助手席のドアを開けて乗り込むなり、「え?」と眉をひそめるのが分かった。

 その反応が気にかかるものの、どう話せば良いのか分からず、とりあえず車をスタートさせた。

しばらくすると娘のほうから口を開いた。

「お父さん、香水つけてる?」

 横目でちらりとそちらを見てから、

「おう。まあな」

「どうして?急に」

 理由を正直に話していいものか迷ったが、二人きりでちゃんと話せることなんてめったにない機会なのだから思い切って打ち明けることにした。

「アヤ。お前最近さ、お父さんのこと避けてるだろ?それ、俺が臭いせいだろうと思って、せめてそれを紛らわせるために……ね」

 アヤからは何の応答もない。不安になったので赤信号で止まったのを機に隣を盗み見ると、娘は難しい表情でうつむいていた。気を悪くさせてしまったのかと思い何か取り繕いの言葉を探していると、「ごめんね」と娘がこちらに顔を向けた。

「変に気を使わせちゃってホントごめん。正直に言うけど、お父さんのこと、臭いだなんてぜんぜん思ってないの。逆にすごくいい匂いだって思うくらい。香水つけなくてもね。そのせいかどうかわかんないけど、お父さんのそばにいると、なんだか好きになっちゃいそうで。でも、親子なんだからそういうのはだめかなって思って、意識して近づかないようにしてたの」

 早口で言い終えた娘は、今度は恥ずかしそうにうつむいた。

「え?お父さんのこと、臭くないのか?」

「うん」

「いい匂い?」

「うん」

「だったら、好きになるくらいはいいんじゃないか?お父さんもお前のこと大好きだし」

「違うの。私が言う好きってのは、そういう家族間のものじゃなくて、恋愛的な、好き?」

「へ?」

『プッ』

 後ろからクラクションを鳴らされた。信号が青になっていたことに気づき慌てて車を走らせる。

 恋愛的な好きだって?確かに親子の間でそれはまずい。娘と仲良くはしたいが、恋愛感情が生まれるようなことは絶対に避けなければならない。これからどうやって付き合っていけばいいのか困惑しつつも、臭いと思われていないし嫌われてもいないと分かり安堵する俺もいた。

 そのとき不意に妻が口にした話を思い出した。

〈遺伝子が近い人同士ほど相手の体臭は臭く、遠い人ほど良く感じる……〉

 この説に当てはめるなら、俺とアヤの遺伝子は遠いということにならないだろうか。もしそうならアヤは俺の子ではない可能性が出てくるが……。

 額に嫌な汗がにじむ。考えれば考えるほど、彼女への猜疑心が膨らんでいく。

 世間では年頃になってもお父さんのことが大好きだと公言する女の子が昔よりも多くいるような気もするが、裏を返せば血のつながりのない父娘が増えている、ということにはならないだろうか?それはつまり妻がよその男と……。

 DNA鑑定の文字が脳裏をよぎった。ちらりと助手席を見る。

 娘が自分のことをずっと好きでいてくれるからと言って、父親は単純に喜んではいけないのかもしれない。




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