いつくるか分からない恐怖

海老猫

朝の憂鬱

 ガタンゴトンッ…… ガタンゴトンッ……


『次は~〇〇、〇〇です。□△遊園地、最寄り駅です……』


(うぅ……まだかな……)


 8月の中旬。都内では、日中最高気温38度を記録するほどの猛烈な暑さが人々を襲っている。

 当たり前のように今日も朝から煮えるように暑い。窓から入り込んでくる日差しに体を打たれながら、僕は学校に向かうために通勤通学客で溢れた電車内のドアの傍で肩身の狭い思いで立っている。


(まだか……?)


 顔を見上げて、ドアの上にあるディスプレイで目的の駅までの所要時間を見る。


 弱冷房車の車内。人ごみもあってか、外といるのとは変わりないほどの室内温度。


 そんな状況とは反対に、僕は冷や汗をかいていた。


(やばい……我慢できないって)


ギュルギュルギュルギュル……


 突然お腹が鳴って、一気に体温が下がるような衝動に襲われる。それから、横腹が痛くなってきて、立っているのがつらくなる。


 この世の終わりのような感覚。時間が流れるのが急に遅くなる。


 都内の普通科高校に通う、高校生3年生の僕はお腹が弱い。電車に乗るだけで敏感になる。


 以前まではそうではなかった。何も気にせずに生きていた。


 それなのに今ではお腹のことを常に考えながら生きている。

 

 辛い……


 こうなったのは高校2年生の時だった。


☆☆☆☆☆☆


(急行に乗ったのが間違えだったな……)


 とりあえずは次の停車駅で降り、乗り込んでくる乗客たちをかき分けてトイレに駆け込んだ。

 ホームは混んでいたもののトイレは奇跡的に開いており、ギリギリセーフだった。両手を前で握って、必死に神様に祈って、危機も脱した。


 一旦はトイレを出て、お腹をさすりながら次の電車を待つ。


 この時間も油断はできない。一度で終わるとは限らないし、お腹もまだ緩い状態。


(第2波来ないかな……)


 腹痛って、どうして一瞬で治らないんだろう。


 高校1年生が終わり、高校2年生のクラス分けを見た時、僕は唖然としたことを覚えている。

 文系選択だった。新しいクラスでは40人の定員のうち、男子はたったの5人。後は全員女の子のクラスだった。


 羨ましいと思われるかもしれないし、最初は僕も女の子と沢山話せるじゃないか、なんて思っていた。


 でも実際はそうじゃなかった。


 クラスに入ると、知らない顔が大半。残りの4人しかいない男子は、誰も知らない。遠い町に学校に転校してきたかのような感覚。


 その男子4人は誰かと喋っていた。その中で、僕は1人ポツンと指定された座席に座った。


 その時、ふいに思った。


 どうやら僕はこのクラスで1からスタート……っと。


 昔から初対面の人とは話せる方だったし、また新たな友人関係を作ればいいと思っていた。だけど、それは甘えだった。


 クラスの男子は、既に僕以外で4人グループを作り上げていた。多少、話せるようにはなったものの、休み時間などは僕だけが取り残されることが多い状況だった。


 その4人グループの輪に入っていくのが怖かった。


 次に僕は女の子とうまく話せなかった。


 授業中に先生からの指示で話すことなら、なんとなくで話せた。でも世間話になると話は違った。


 何を話していいか分からない。話題が見つからない。言葉が浮かび上がってこない。


「あ」とか「え」とか、そんな1文字の言葉しか浮かび上がってこない。


(どうしてこうなってしまったんだ……)


 僕はあせった。


 そして、相手もすぐ他の人と話し始める。


 だんだんと僕はクラスで独りぼっちになっていった。


 これまで、自分が思うようにうまく付き合ってきた人間関係は高校2年生で断たれてしまった。他のクラスに行くほど仲が良いなんて友達はいなかった。友人関係の中でも、僕は真面目な方で授業中のノートなどはきちんと取っていたから、「ノート見せて」とか言われて、それが頼りにされているように思っていたが、今思えば、いい様にしか使われていなかったようなものだった。でも、話せる友人がいればそれでよかった。


 だけど、新しいクラスではまるで話す勇気が湧いてこなかった。


 自分はこれから1人になっていくんだって、そう思った。


 人と関わるのが面倒。そう思い始めた。


 辛かった。苦しかった。学校が嫌になった。常に孤独を感じるようになって、家族といるのも苦痛になった。


 そんな日々を過ごしていくうちに僕はお腹が痛くなるようになっていった。


過敏性腸症候群かびんせいちょうしょうこうぐん


 それは僕につけられた病名。精神的ストレスや自律神経の乱れでお腹が痛くなると言われている病気だ。緊張や不安を感じた時などに、お腹に違和感が起こる。僕の場合、特に学校にいると、下痢をした後のお腹が緩いような、あの気持ち悪い状態が続く。

 心だけでなく、体からもSOSが出るようになってしまったのだ。この病気は、これまでよりももっと僕を孤独へ追い込んだ。

 

 時間を見ると8時50分。始業は9時からで、次の電車に乗って駅から走ったとしてももう間に合わない。だから、ゆっくり行くことにする。よくあることだ。しょうがない。


 周りを見ると、猛暑の中、好んで冷たいジュースやコーヒーを飲んでいる人が多い。


(なんであんなにガブガブ飲めるんだろう)


 いつも思う。冷たいものは特に敏感で、猛暑の中でも容易に飲み物をガブガブと飲めない。炭酸もガスがいけないし、コーヒーもカフェインや乳糖の影響を受ける。乳酸菌飲料もだめだ。いつも、腹痛におびえながら少しづつお茶や水を飲む。真夏でも、飲み物は温かくして飲むことが多い。特にアイスは腹を壊すバケモンだ。


 何を飲んでいいのか。どれくらい飲んでいいのか。いつも疑問に思う。


 友達と遊びに行ったりしてジュースやアイスを食べたりするだろう。学校では「自販機に行こう」と気前のいい友達もいるかもしれない。でも僕にはいない。1人の方が都合がいいから、今の生活がいいのかもしれない。


 でも内心、人と関わりたいという気持ちがどこかにある。


 とりあえず、次に来た各駅停車の列車に乗って学校の最寄り駅まで行くことにした。

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