第21話 サナ・イウィクティスという正義④

 朝食会場と言われた建物の中は、簡素ながら壁や柱などに彫刻が施されており、床には赤いカーペットが敷かれていた。通路の両側には様々な像が設置されている。

 この街は今までのどんな街よりも豊かだが、その中でもこの建物が別格なことは明白だった。


「ちょっと豪華すぎるでしょ 」

 

 プロミが苦笑いした。自然体になろうと頑張っているのだろうが、あからさまに歩き方がぎこちない。

 かえって、状況のよく分かっていないカナタの方が自然に歩いていた。


 螺旋らせんを描く階段を登り、2階の廊下を突き当たりまで歩くと、荘厳そうごんな両開きの扉が姿を現した。

 扉の上には“第1応接室”と書かれた金字のプレートがつるさげられている。


「ここが予定場所だ」


「ここかー……サナさんってもう来てるかな? 」


「恐らくは」


「そうだよね……よし」


 相手が目の前と知って覚悟が決まったのか、自分とカナタの服を少し正すと、ドアのポールに手を伸ばした。

 だが、カマナがその手を掴んで引き止める。


「伝え忘れていたが、カナタとそのからすは同席を許可されていない。あちらの別室で待機してもらう」


 カマナが横の部屋を指差す。


「分かった。ナチャ。カナタちゃんを見てて」


「カァー」


 プロミの肩からカナタの小さな肩に飛び降りる。

 だが私の爪ではカナタを怪我させてしまうのではと思い直し、地面に着地する。

 

「ごめんねカナタちゃん。すぐに戻ってくるから」


「だいじょーぶ。ナチャさんがいればさみしくないもん」

 

「クァッ⁈ 」


 背後から手を回され、カナタに抱き抱えられる。

 手から逃れようと足で空を掻くが、思いの外カナタがガッチリと私をホールドしているので諦める。


 ぬいぐるみではないのだから、出来ればこの持ち方はやめて欲しいのだがな……


「誰か人をつけるか? 」


「そうだね。出来れば万が一のために入り口で誰か見張ってくれると嬉しいかな」


「了解した。空いている人員を手配しておこう。それと、地図も朝食が終わるまでに用意しておく」


「ありがとう。よろしく」


 笑って言うとプロミは部屋の中に入っていった。

 これだけ豊かな街のトップの人間がどんなものを食べているのか少し気になるな。

 帰ってきたらプロミに話してもらうとしよう。


「では、カナタには朝食が終わるまで待機してもらう。見張りに何か軽食を持って来させようと思うが、他に何か要望はあるか? 」


「う、ううん。だいしょうぶ」


「そうか。では私は他の業務に移らせてもらう」


 帽子を被り直すと、扉を閉め、カマナは足早に部屋を出ていった。やはり街の管理を行うだけあって忙しいのだな。


「わー! 」


 突然、部屋の窓から外を眺めていたカナタが興奮したように声を上げた。


「すごいよナチャさん! 見て見て! 」


 からすの鳴き声を出そうとして、もうこの部屋には私とカナタのほか人がいないことを思い出す。


「どうした? 」


「ききゅーだよ! ききゅー! 」


「ききゅー? 」


 聞き馴染みのない言葉に首を捻りつつも、窓枠に飛び乗り外を見る。


「どれのことだ? 」


「ほらあれだよ。あれあれ! 」


「どこに…… 」


 直径は7、8メートル程に見えた

 立ち並ぶ店店の間から、巨大な黒い球状の物体が、何かに引かれるようにして空へと浮かび上がっていっていた。

 道を行く人々が驚いていない事からして、これはこの町ではそう珍しい光景ではないのか。

 一体どんな原理で浮いているんだ……?


「まっくろなききゅーだよ! すごい! 」


 頬を赤らめ、手を振り足を振りカナタが興奮を全身で表す。


「カナタ。さっきから言っている『ききゅー』とはアレのことか? 」


「うん! ききゅー! むかし、ハヤ姉がいっしよに見た時におしえてくれて……え? 」


 カナタの顔から急激に笑顔が引いた。

 目の焦点がずれ、唇が小さく震え始める。

 浅く、早い呼吸をし始めた。


「あれ? ハヤ姉って……だって……だれ? だれ? この人……だれ? 」


「カナタ? 」


 カナタが窓際から離れ、部屋の中をフラフラとおぼつかない足取りで動き回る。

 

「だれ? あなた……だからハヤ姉……それってだれ、え? えぁ——? 」


 鈍い衝突音が部屋に響く。

 カナタが顔を両手で押さえ、その場に膝から崩れ落ちた。


「カナタ! 」


 慌てて飛び寄る。

 だが


「——ッ! クソッ!! 」


「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ—— 」


 何もできない。わたしには、カナタを抱え運び出すことも。自力でドアを開け、助けを呼ぶことすらできない。

 どうする。何が出来る。今、私に何が————


 コンコンコン


「失礼します。カマナ殿に言われて——なっ⁈ どうしたんだ嬢ちゃん! 」


 部屋に入ってきた薄い白髪の初老の男が、カナタの姿を見た瞬間血相を変えて駆け寄ってきた。


「嬢ちゃん! おい嬢ちゃん! しっかりしろ! 意識があるなら何か反応してくれ! 」


 カナタを抱き抱え、呼びかけながら頬を何度か軽く叩く。

 だが、カナタの意識が混濁こんだくしているのが分かると、首を横にカナタを寝かせ、男は部屋を飛び出していった。


「……——ッ! 」


 嵐のような出来事で止まりかけた思考にかつを入れる。さっきの男はカマナの手配した部下だろう。

 奇跡的なタイミングだ。

 恐らくすぐにでも医者がやってくるはずだ。


 なら私が声を出す必要はない。

 むしろ余計な混乱を招く。

 私のすべき事はカナタに寄り添う事だけだ。


「カナッ——⁈ 」


 濡れた手のひらで心臓を鷲掴わしづかみにされたような、冷たい恐怖が全身を貫く。

 居たはずだ。つい数秒前までそこに横たわっていた。

 だが、どれだけ目を凝らそうともカナタの姿は影も形もなくなっていた。

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