精神障害者として生きるという事

Unknown

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 何度も書いているが、俺はASDという発達障害と鬱病を持っている。そのため俺は精神障害者として認定され、2級の手帳を持っている。年金も貰っている。


 ついでに言うと、“てんかん”という病気も持っていた。アルコール依存症とも診断された過去がある。


 俺は現在27歳だが、会社員を辞めた20歳から26歳まで実家に引きこもっていたり、入院したりしていた。高校時代は不登校になりつつも何とか卒業。専門学校は中退。


 年金の受給をきっかけに、去年から安いアパートで1人暮らしをしている。


 そして数ヶ月前から病気と障害を隠しつつ、一般企業の一般雇用枠で働いている。そういう人のことをクローズと呼ぶ。


 クローズで働き始めてからしばらく経ったが、正直に言って俺の精神は限界だ。


 もう職場では浮いていて居場所は無いし、鬱で頭がぼんやりして仕事でもミスばかりして迷惑をかける。そして怒られて、アパートに帰宅すると死にたくて泣いている。職場で俺は完全なる無能として認識されている。もう精神障害者の俺が“普通の人”を装って働くのは難しい。1番辛いのは職場の人が優しい事だ。だから尚更辛くなる。


 もう職場に迷惑かけたくないし、俺自身も辛いから、仕事は退職する事にした。昨日、専務や常務に退職の意向は伝えた。自分が精神障害者であることも明かした。今すぐ辞められるわけではないが、近々俺は退職することになった。


 ◆


 これからどうしようかな。


 正直、路頭に迷ってる。


 俺は以前、B型作業所やA型作業所で働いていた。A型については普通のバイトと同じくらいきつかった。B型は楽ではあるが雇用形態を結ばないため賃金がものすごく安い。


 どうしたらいいか自分でもよくわからん。


 実家に戻る事は全く考えてない。1人暮らしのまま生きたい。というか、俺の親が「もう実家には戻ってくるな」的な事をよく言っている。俺はこのアパートしか居場所が無い。


 とりあえず自殺は選択肢から除外してます。


 でも、俺が存在することが社会にとってちゃんと迷惑になっているのに、なんで死んじゃいけないのか俺には全くわからない。


 俺は、もうどうしたらいいか分からないです。


 とりあえず、1日1日を何とかやり過ごしていくしかないですね。そしたら必ずいつか死ねますから。


 生きるのがものすごく辛い。


 俺を抱きしめてくれ。と呟いても、もう自分の手しか見えない。


 ◆


 仏教における一切皆苦っていうのは「人生は思い通りにならないことが当たり前だから色々起こるけどあんまマジになるなよ」っていう教えなんだ。


 俺も人生辛くても、あんまりマジにならないように気をつけよう。


 美しい風景を見て、美しいと思える心を大切にしよう。


 小さな幸せを感じよう。


 幸せのハードルを下げることが大切だと思う。俺はどう足掻いても人並みにはなれないんだから、当たり前のこの普通の日々を幸せだと思おう。


 精神科に行って薬を貰って、病院を出て電車に乗って、家に帰ってメシを作って食べる。そしてちゃんと薬を飲む。体調が良ければゲームする。そんな普通の日々。


 そんな普通に手を伸ばした。だけど俺はその“普通”で狂いそうだ。


 ◆


 最近、「龍が如く維新・極」ってゲームを中古で買った。幕末がテーマのゲームだ。体調いい時に少しずつ遊んでいく。


 金があんまり無い。


 もう今は友人も恋人もいない。人に会うのが怖い。ラインの音が怖い。電車に乗ると頭痛がする。知らない誰かの会話が頭の中でループする。もしかして俺の悪口を言われてるんじゃないかと自意識過剰になる。馬鹿みたいだ。


 色んなことが怖くて、本当はずっと部屋の中にいたい。


 日付が変わるのを待っている。ただそれだけのために生きている。死ぬのを待ってる。それだけのために生きてる。


 どう生きていったらいいのか分からない。


 ◆


 ちなみに今日は会社を初めて欠勤した。


 朝起きた時、久々に体がマジで動かせなくなった。鬱がぶり返してきた。会社に電話して欠勤の旨を伝えた。そしてベッドで何もせず時間だけが過ぎた。


 飲まず食わずで適当に寝て、音楽聴いて、ぼーっと呼吸してた。そしてスマホで文を書いた。頭痛がする。


 ただ生きているだけ。、


 あと、明日はマジで出勤する。流石に2日連続で休むのはやばい。足りない頭で、退職までもう少し頑張る。


 ◆


 こないだ母から3個みかんを貰った。俺は子供の頃、みかんが大好きだった。さっき久し振りにみかん食べたらうまかった。


 みかんはイイ!!!!!!!!!!!


 フォルムが丸くて可愛くてイイ!!!!


 色もかわいい!!!!!!!!


 今日は、みかんしか食ってない。ベッドから起き上がって食べ物を作るのもだるかった。買い溜めしてあったゼロシュガーのコーラを飲んだよ。たばこを吸った。


 エネルギーがねえわ。


 ◆


「発達障害35歳限界説」というのをネットで聞いたことがある。論文などがあるわけではなく、単なるネット上の俗説だ。


 発達障害35歳限界説の根拠として、発達障害者は35歳を超える正社員に必要とされるスキルや人間性を欠いているため、解雇されたり退職に追い込まれたりする傾向があるということや、35歳を超えるとその後の再就職が困難であること(転職35歳限界説)などが挙げられている。


 ↑ネット記事の引用


 35歳どころか、俺は27歳で限界を感じてるぞ。


 これからどうすりゃいいんだ……。


 まあ本人のやる気次第で年齢的な困難は跳ね返せると思うけど、こう何度も失敗してたらやる気も無くなる。


 YouTubeで大人の発達障害についての動画を見ても、全く参考にならない。


 男の発達障害者の場合は就職と退職を繰り返して最終的にニートになっている人が圧倒的に多かった。でもそこからが全く知られていない。


 これはちゃんとデータがあるのだが、“全世界におけるASD患者の約8割が無職”らしい。衝撃のデータだ。ASD界隈では働いてる人の方がマイノリティーとなる。


 俺もASDで無職歴が長い。そして近いうちに再び無職になる。


 もう夢も希望も何も無い。だからと言って腕を切っても仕方ないから、もう切らない。


 俺の明日は一体どこにあるのか、わかりません。


 なんか夕方になってきたら徐々に元気になってきた。夜はとりあえず風呂でも入って、ドラッグストアで買い物してくるか。冷蔵庫の中、ゼロシュガーのコーラしか無いや。


 とりあえず、今日会社を休んじゃった過去は変えられないので、今日はしっかり休んで明日出勤する。


 ◆


 これからどうしたらいいか分からない。


 特に言葉が出てこない。


 しんどい時は言語化能力が落ちる。


 結局世の中は普通の人が考えて、普通の人のために作られたものだから、俺みたいな落伍者は何とか底辺を這いつくばって生きるしかない。そこに生きる価値を見出せるかと言ったら答えはノーだが、生きるしかない。俺は俺に負けない。アクセル踏み切って、首都高を200キロで駆け抜ける。


 君と生きていたいなんて贅沢はもう言わない。


 俺は死ぬまで1人で生きていく。覚悟は決めた。ぶっちゃけ茨の道だが、1人で生きる覚悟を決める事が「精神障害者として生きる」という事なのかもしれない。





 おわり

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